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南京虐殺の犠牲者は中国側によると30万人です。
わたしの見解は東京裁判で確認された1名ですが、しかし確信はありません。おそらく戦争中ですし、南京は抵抗が激しかったと聞いておりますので多少はあったと思います。
ただ、言明しておきたいことが一つだけあります。中国は火器において劣勢であった。劣勢であった側の武器は何か? 国際世論です。たとえば体力に劣る女性の武器はなにか? 悲鳴です。だからこそ神様は女性の声を高くした。女性の悲鳴は遠くからもよく聞こえます。それと同じことで弱者の武器は国際世論に他なりません。もし死体の山があったのならそれを写真に収め国際世論に訴えることを弱者ならだれしも思いつきます。国際世論が日本憎しに傾けばそれは戦車千輌にも匹敵します。カメラは江戸時代にもありました。15代将軍徳川慶喜の写真を見たことがあります。それから70年も経って飛行機や戦車のような武器があった世の中で大都市南京にカメラがなかったのでしょうか? いえいえ、あったはずです。外国人もいました。ところが本物の写真が一枚もないのです。この事実から次のことが推測できます。
1.虐殺が存在せず単なるデマであった。
2.犠牲者はあったが、写真に収めてもあまりインパクトがないレベルであった。せいぜい数名で大量死体ではなかった。
3.大量死体、たとえば100人程度のものはあったが、たまたま現場にカメラがなかった。またはあったけどカメラに撮ることが禁じられた。または撮ったが没収された。
4.大量死体が一箇所のみならず3,4箇所あったが、いずれも上記のようにカメラに収めることはできなかった。但しせいぜい3,4箇所までです。それ以上あったとすれば写真が必ずあるはずですから。

本物の写真が一枚もないということは、上記を分析して考えれば千人を超えることはないのではないでしょうか? なお一つお断りしておきますが、30万人でも1万人でも大量殺人ということでは同じだというご回答はお断りします。なぜなら人の命は尊いからです。30万人の死者のところが実際には1万人だったなら29万人の尊い命が救われたことになるからです。死者の数が30万人であるか1万人であるか一人だったのか、もしくは一人もいなかったのか、尊い人の命の数であるだけに決していい加減にはできないと思います。

A 回答 (11件中1~10件)

 参考までに。



<中国人の金持ちって悲しい人たちですね。日本人ならもし武力が劣っていて多数の日本人が虐殺されたら写真を撮って国際世論に訴えるという武器を対抗手段として使っていただろうと思います。金持ちが自分の保身しか考えない - 悲劇です。その点、日本人は凄いです。明治維新で見せたエリートたちの国を思う心。日本のエリートは保身ではなく国を思う。偉いです。日本人の凄さは頭脳プラス倫理観と使命感です。頭がいいだけなら中国だってたくさんいる。でも中国のエリートはカナダに行って生活するのが夢です。だからあの国はだめなんです。>

 明治維新の原動力となったのは、エリート武士ではなく、下層武士です。明治維新に活躍した幕府の旗本や各藩の上士出身者=エリートは、数えるほどです。

 それに対して、中国のエリートである士大夫階級は清朝滅亡期でも気概を失わず、曽国藩・李鴻章などが改革の先頭を切っています。(中国の士大夫階級は、地方の大地主層と重なっています。)

 それに対して、首都南京など都市部のの大金持ちは、欧米資本の流入などに伴う産業の活発化によって生まれた、「成金」集団です。
 どこの国でも、自分個人が時流に乗って大金を掴んだ「成金」集団は、ごく少数の人を除いて個人主義者で、資産に見合った社会的責任を果たさなければならないという意識は低いものです。

 六本木ヒルズ族・現代中国の成金、社会的責任の認識は似たようなものでしょう。(カナダにいって生活するのが夢というのは、エリートではなくてただの成金です。)

 どの国の国民も人間としての資質は同じ。他人・他国を見下したり、甘く見るのは、隙を見せることとなり油断大敵。
 自己中心的発想をする者が増えれば、国家は衰弱します。

 現代中国には、エリート層がほとんど存在しないのが弱点でしょう。共産主義と猛威をふるった文化大革命で、モラルの高いエリート知識階層が崩壊してしまいました。(付け加えると、日本も戦後のGHQの政策でエリート層の経済基盤が崩壊しました。) 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。たいへん勉強になりました。
貴方は右でもなく左でもなく物事を冷静に分析するかただと思いました。

>どの国の国民も人間としての資質は同じ。他人・他国を見下したり、甘く見るのは、隙を見せることとなり油断大敵。 自己中心的発想をする者が増えれば、国家は衰弱します。

そうですね。中国は人口が多い。頭の良い人間も当然多いです。そして過当競争ですから努力も怠りません。韓国も頭が良いです。あそこは受験戦争が凄まじい。日本人は豊かさになれてハングリー精神に欠けます。うかうかできませんね。もうすぐそこに迫っています。

お礼日時:2008/12/18 15:53

中国が何を言おうと中国の勝手である。



大抵この手の問題を大問題にしてきたのは日本自身。(得にマスコミ)
妄想を相手にしなければ、それで終わって居たことを
売国奴によって問題化されてきたに過ぎない。
平和の意味を履き違えて善人や時代の先駆者に
なったつもりの洗脳しきった国民にも問題がある。
本当は一歩も譲るつもりはないが百歩譲って大虐殺があったとしても
それを問題にしてきた人々の罪は重い。
祖先を大事に出来ない人間はもはや日本人ではない。
まぁ、その手の事を言う人間は世界に国境なんて要らないと主張する
類の人々なのでそう言われても問題ないだろう。

最初に中国が何を言おうと勝手だと言った。
逆を言えば日本が何を言うのも勝手。
なので、私は日本国民として胸を張って南京大虐殺は無かったと言える。
つまり、回答の答えは0人である。日本は十分に戦争責任を果たした。
そして先人に対する畏敬の念を忘れない。
それだけです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/18 10:10

通常、写真を証拠として提出する際は、いつ/何処で/誰が/どの様に撮ったかが添付されます(裏付けが取れるもの)が


中国政府の写真は、それらが一切無く、
いわば、噂話を証言と主張しているに過ぎません。

大半が合成で、他の写真の転用(偽造)が沢山あるのが判明しており
「本当に、写真を撮ったと言うのなら、こういった偽造はしないハズだ」の主張の方が正しいといえましょう。


これを証拠扱いしているのは、単なる馬鹿か、論理的説明が出来ない類の人間(証拠のイロハすら知らない)でしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/18 10:09

現在日本では派遣打ち切りで大勢の人が困っています。


死んだ人も五万と居ます。
と誰かが言ったとして、ではその五万人の名簿と写真を提出しろと言ったらとても怒るでしょう。
失礼な奴だ。日本語もわからないのか。

しかし日本では数人が五万というのはちょっと誇張表現です。
では隣国ではどうでしょうか。
白髪三千丈縁愁似箇長
三千条とは何メートルなのか。そのような長髪の生物は可能なのか。
といった質問に意味は無く無粋です。

南京で三百万人殺されました。
と言ってきたら、
お悔やみ申しあけます。
と答える。
あるいは単に聞き流す。
欧米諸国にはchina民族が非常に誇張を好むということを具体的に教えてあげれば良い。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/18 10:07

>中国人がカメラを持っていれば、不審者・スパイとして即座に身柄拘束されたはずです。

中国人の撮影した写真は皆無と言っていいほどないはずです。

<私が思うのですが、中国というのは大国です。そして貧富の差が激しい国でした。ということは金持ちがいた。金持ちはカメラくらいもっていたでしょう。>

 普通、大金持ちは自分の身の安全に気を配りますし、そのための資金・手段を持っています。
 日本と深い関係のある大金持ちは、写真を取ることはありませんし、反日的な金持ちは、真っ先に南京から脱出しています。

<虐殺は広場とかそういう場所で広範囲で行われたはずです。しかも死体はしばらくの間放置されたはずです。>
 南京大虐殺という表現が適切かどうか、多くの人が当時の日本軍の資料を見ないで、言葉から抱くイメージで状況を想像しているようです。 当時の日本軍の資料からは、占領当初の死体埋葬は相当遅れがあったようです。これには実際の戦闘による戦死者も含まれており、投降者や捕虜・民間人に対する誤射もあって、組織的な民間人虐殺があったかどうかは何とも言えません。

 日本軍の報告書や軍中手記からは、補給物資の不足による捕虜の保護の困難や、治安維持警備中の挙動不審者・便衣兵容疑者の拘束後の対応に対する苦慮が読み取れます。
 南京占領後の数ヶ月間、3000人規模の連隊が南京周辺の警備をして、1日20名内外の挙動不審者・便衣兵容疑者を拘束し、その後の対処に困って処置したとの指揮官の手記などが、よく見られるパターンです。
 20人×100日=2000人、だんだん少なくなっていったとして、一つの連隊で結果として1000人、イメージ的にはこのような状況です。ですから、大虐殺というべきかは主観によります。1日で大量虐殺を行ったような記載は、指揮官の手記にはほとんど見られません。

<建物の窓からまたは木立の影からとか目立たないように写真に収めることはできた筈です。>
 昭和30年代、日本で鮮明な写真を取る場合、乾板を用意し黒い布をかぶって撮っていました。望遠レンズなどは、ほとんどプロしか持っていませんし、大きくて三脚も必要です。露出時間も長くないと映りません。たまたまカメラを持っていた素人が、遠くから隠れて状況がはっきり分かる写真を取ることは、当時のカメラでは無理でしょう。

<中国人にとってそれは大砲を打ち返すことと同じ行為です。武器をもたない者に許された貴重で尚且つ効果的な反撃です。わたしが中国人なら命を捨てる覚悟でやっていたと思います。>
 その通りです。日本軍と戦う気のある中国人なら、入手困難な機材が揃えば、数人の決死隊がカメラや乾板・三脚の代用となるものを持って、そのような現場を撮影しようと、南京市外から市内に入り込んだことはあったと思います。(日本軍の協力者でも、新しい写真乾板を日本軍の占領下で入手することは、困難なはずです。)
 その結果として、カメラを持つ不審者として日本軍に拘束されることになったでしょう。

<それがなかった。つまり虐殺がなかった、または非常に小規模であったとなります。>
 ですから、写真がほとんどないことと、虐殺がなかったこととは因果関係がほとんどありません。

>外国の民間人でも、写真撮影は身の危険を感じたはずです。

<そうです。外国人がいました。彼らは連合国ですからアンチジャパンです。彼らは当然のごとく写真を撮ることを思い立ったはずです。カメラももっていたでしょう。空港のロビーのような限られた空間なら写真撮影は難しいでしょうが、屋外ですよ。しかも広範囲です。わたしは撮ることはできたと思います。虐殺がなかったから撮ることができなかったのだと思います。>
 確か、アメリカ人の報道カメラマンの南京占領後の写真があったように記憶しています。死体が重ねられていたように思いますが、軍人かどうかの判断ができるようなものではなかったですね。
 また、占領地の治安維持からいって、首都で公開処刑をするのは、罪状の明らかな特別な破壊工作の犯人くらいでしょう。
 そこら中で、処刑が行われるという状況ではありません。

>秦 郁彦氏は、当時の日本軍の一次資料を精査し、南京占領の数ヶ月の間に、数万人との数字をはじき出しています。

<うーん、数万人ですか。信じられませんねえ。写真がないし、そのほかにも数万人とするには不合理がありすぎるのです。数万の死体はどこに消えたのですか? >

 日本軍の現地指揮官の手記などの状況から見れば、3000人が1日10人~20人の死体を処理するのが困難だとは思えません。
 12万人の日本兵が数か月の治安維持を行った場合、20人×40×100日なら八万人です。秦氏の計算ではその3分の1位ですし、南京占領直後の逃げる敵兵か逃げる民間人かの区別をしたか(実際区別が可能であったのか)どうかという数字を引いて考えれば、普通に日本軍が個別に埋葬したと考えられる数字です。
<どうして負傷者がいないんですか? 数万が死ぬにはその三倍の負傷者がいるはずです。大砲が炸裂したら負傷者は出ませんか? 銃撃戦があったら負傷者は出ませんか?>
 戦闘ではなく、大砲も使いませんし銃撃戦もありません。
 実態は、12万の日本軍が多くの捕虜と南京及びその周辺地域の治安維持で不審者を長期に渡って捕まえ、食料補給に苦慮して困惑したということです。

 南京市内から多数の人が逃げ出したといっても、周辺には何百万人もの人が住んでいます。12万の日本軍であっても、回りは敵かもしれない中国人ばかりです。

 日本軍に抵抗しようというものは、命がけで南京市内に入って来るでしょう。そのような状況で便衣兵か民間人かを確実に見分けることなどできません。
 アフガニスタンでは、結婚式で村人が多数集まっているのを、アメリカ軍はタリバンの部隊と判断して、ミサイルを撃ち込みました。

 そのような、徹底抗戦をする覚悟の国に攻め込んで、民間人が多数いる状況の中で占領を続ける状況を作り出したこと自体が、問題の発生原因です。
 駐屯している地域では、自軍兵士の数より相手の国の男の数のほうが10倍以上も多く、常に後ろから攻撃があるかもしれないという、疑心暗鬼にさいなまれながら、治安維持の教育も受けていない普通の社会人であっった人間が、食料や弾薬が不足する状況下で、人道上的確な対応を取り続けなければならないなどという、どう考えても無理なことが継続できると考える方がおかしいのです。

 福利厚生が圧倒的に良い現代のアメリカ軍でさえ、イラク・アフガニスタンに派兵された人の10%は、精神に異常を起こしていると報道されています。

 参考:現在の国連平和維持軍の場合でも治安維持の難しさは問題になっています。
 各国から派遣されてくる平和維持軍の兵士の多くは、軍人として教育された兵士です。ですから、攻撃されれば反撃しますし、先制攻撃は奇襲を受けるより戦果が大きいのは常識として身につけています。
 ところが、平和維持軍はできるだけ自分の身は守りながら、戦闘が起こらないようにしなければなりません。
 治安維持というのは、一般の兵士の教育とはまったく違っており、戦闘をいかに拡大しないかという、精神的にもタフなプロが必要なのです。このような教育を受けたプロの国連平和維持軍要員はわずかしかいません。 
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この回答へのお礼

丁寧で詳しいご回答をありがとうございました。

>普通、大金持ちは自分の身の安全に気を配りますし、そのための資金・手段を持っています。日本と深い関係のある大金持ちは、写真を取ることはありませんし、反日的な金持ちは、真っ先に南京から脱出しています。

中国人の金持ちって悲しい人たちですね。日本人ならもし武力が劣っていて多数の日本人が虐殺されたら写真を撮って国際世論に訴えるという武器を対抗手段として使っていただろうと思います。金持ちが自分の保身しか考えない - 悲劇です。その点、日本人は凄いです。明治維新で見せたエリートたちの国を思う心。日本のエリートは保身ではなく国を思う。偉いです。日本人の凄さは頭脳プラス倫理観と使命感です。頭がいいだけなら中国だってたくさんいる。でも中国のエリートはカナダに行って生活するのが夢です。だからあの国はだめなんです。 

お礼日時:2008/12/18 10:06

まず、質問者様の勘違いしていることに、



>本物の写真が一枚もない

とありますが、「本物の写真が一枚もない」というのは一切歴史学的に認められていない単なる与太話なのですが…

「本物の写真が一枚もない」というのは、東中野修道の流したデマですね。

東中野修道がどんな人間かは、wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%AD% …
かこちらのサイト
http://beauty.geocities.jp/nankingharuhi/
をご覧ください。
(東中野の自称「検証」がどんなものか例示してあります)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/17 06:28

歴史は(所詮)学問ですので、証拠が無い物は認められませんので


公式に言えば、無いと考えるのが妥当ですね。
※ドラエモンが居ない証明が出来ないからと言って、科学者が存在を認める事は有り得ません。(石器などの物証があって始めて語られるのであって、逆はありません)


ただし、中国が焦土戦と称して、退却するときに、自国民を虐殺/略奪しまくっていたのが判明していますので
それらの被害者は多少(数~数十万)は居たでしょうね。

当時の日本軍は補給も無く、かなりの強行軍であり
無駄な労働(虐殺)をする余力は無かったと言われています。
(ただし、間違いによる殺害は、確率的にあったハズだとも言われています)
自軍以上の数の敵軍に囲われて、弾薬も無い状態で
遊びで、市民に銃撃を浴びせるだけの無駄が出来る状況かどうか程度は・・・
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この回答へのお礼

>当時の日本軍は補給も無く、かなりの強行軍であり無駄な労働(虐殺)をする余力は無かったと言われています。

そうです。善良であるわれらの父や祖父たちが無益な殺生をするはずがありません。戦っている相手を倒すだけでしょう。日本軍にとって弾丸は貴重でした。単発銃でした。何万も殺せません。ナチスの場合はヒットラーがスラブ民族は劣等であるため地上から抹殺すべきだと指令を発していました。その上ドイツ軍の火器は強力でタイガー戦車をはじめ、機関銃を多くの兵士が持っていました。条件が違います。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/16 22:43

まず、「歴史とは何か?」を理解しましょう。


端的に言うと、「歴史とは、過去の事実のうち現在に残った史料から割り出されたモノである。当然、史料の無いところに歴史は無い(空白)が、だからといって「過去の事実」がなかったということにはならない。」という感じです。

つまり、何が言いたいかというと、「歴史」というのは「証拠が無いから事実は無かった」という事は出来ません。
精々、「あったかなかったか分からない」としか言えないのです。

一方、「事実があった」と言うためには「証拠」が必要になるのは他の学問なんかと同じです。
そこで、歴史学では過去の事実認定を巡って証拠を精査していくことが求められます。
この「証拠」とは、「文字史料」「モノ史料」「写真・映像」「証言」などなどです。
一番重視されるのは「文字史料」であり、次が「モノ史料」となります。
「写真・映像」と「証言」というのは、近現代史に限り用いられますが、まぁそれは技術開発以前には残せるわけもなく、証言者が死ねば永遠に闇に消えるので当然といえば当然です。
つまり、歴史学では「文字史料」「モノ史料」が重要であり、それ以外は参考程度にしかなりません。


しかし、歴史として残る証拠は非常に曖昧で断片的なモノですので、その証拠の扱い方で180度歴史事実が変わるということは多々あります。
そして、そこに政治的・思想的な価値判断や意図的な利用が加わった場合には「歴史論争」ということになります。
件の「南京大虐殺」は、そうした「歴史論争」の代表例の一つでしょう。

「南京大虐殺」も、様々な立場の人が様々な角度から論理を組み立てて、それが論争になっていますね。
30万人説から中国政府ねつ造説まで、大きな幅があります。
とはいえ、学会の主流はその間をとった「数万~十数万程度」の間での論争が主流ですね。
一方、歴史家以外の思想家やジャーナリストなどが行う論争は、「あった」「無かった」の極端な論争になっていますね。
そして、こうした歴史家以外が論争を始めた場合、大抵「政治的な意図による歴史の利用」となります。
「南京大虐殺」も「歴史学的な問題」というよりも、「政治的・イデオロギー的な問題」である面が強いです。
事実、「南京大虐殺論争」が始まったのは日中国交正常化された70年代以降です。
それ以前にも、「日中戦争」や「東京裁判」を研究する人の間でも議論はされていましたが、大きく取り上げられることはありませんでした。


>南京虐殺の犠牲者数はどれくらいだったのか?

これは、様々な史料を元に推計するしかないのですが、史料の採用の仕方によって大きく変わってきますね。
事は国際的な事件ですので、日本側・中国側に残された史料をつきあわせて解明していく必要がありますね。
その結果としては、数万程度でしょうか。

>死者の数が30万人であるか1万人であるか一人だったのか、もしくは一人もいなかったのか、尊い人の命の数であるだけに決していい加減にはできないと思います。

まぁ、理想論的にはそうなのですが、明確な史料が残っていない以上、「断片」をかき集めた推計しか出せないのが現状です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/16 22:34

 当時の写真は、当てになりません。



 先ず、カメラを持って撮影した人間が限定されます。当時カメラはたいへん高価で、日本兵でも裕福な人間か将校に限られるでしょう。
 また、個人的に日本兵が中国大陸の中国人の処刑・死体写真を日本国内に送ることは、禁止令が出ています。

 中国人がカメラを持っていれば、不審者・スパイとして即座に身柄拘束されたはずです。中国人の撮影した写真は皆無と言っていいほどないはずです。(そのような写真が、現在の中国の国策に従って、でっちあげられたため、合成写真やおかしな写真が続出しています。)

 外国の民間人でも、写真撮影は身の危険を感じたはずです。(私自身、20年以上前、某国の空港で事件が発生したとき、知り合いの見送りに来ていて、写真撮影のチャンスがありました。その時日本に帰国する友人にその撮影したフィルムを持たせれば、特種間違いなしでしたが、その後もその国に長期滞在する予定でしたし、自動小銃の安全装置を外し、銃剣でプランターを刺していく兵士の側で写真撮影をする勇気はありませんでした。)

 結局、日本人か外国人のプロの写真家や外交官が撮影したものに限られます。

 当時の日本の風潮から見て、情報隠ぺいをしたわけではなく、日本軍の報告書・現場指揮官クラスの記録は、相当信頼の置けるものです。
 秦 郁彦氏は、当時の日本軍の一次資料を精査し、南京占領の数ヶ月の間に、数万人との数字をはじき出しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>中国人がカメラを持っていれば、不審者・スパイとして即座に身柄拘束されたはずです。中国人の撮影した写真は皆無と言っていいほどないはずです。

私が思うのですが、中国というのは大国です。そして貧富の差が激しい国でした。ということは金持ちがいた。金持ちはカメラくらいもっていたでしょう。虐殺は広場とかそういう場所で広範囲で行われたはずです。しかも死体はしばらくの間放置されたはずです。建物の窓からまたは木立の影からとか目立たないように写真に収めることはできた筈です。中国人にとってそれは大砲を打ち返すことと同じ行為です。武器をもたない者に許された貴重で尚且つ効果的な反撃です。わたしが中国人なら命を捨てる覚悟でやっていたと思います。それがなかった。つまり虐殺がなかった、または非常に小規模であったとなります。 

>外国の民間人でも、写真撮影は身の危険を感じたはずです。

そうです。外国人がいました。彼らは連合国ですからアンチジャパンです。彼らは当然のごとく写真を撮ることを思い立ったはずです。カメラももっていたでしょう。空港のロビーのような限られた空間なら写真撮影は難しいでしょうが、屋外ですよ。しかも広範囲です。わたしは撮ることはできたと思います。虐殺がなかったから撮ることができなかったのだと思います。

>秦 郁彦氏は、当時の日本軍の一次資料を精査し、南京占領の数ヶ月の間に、数万人との数字をはじき出しています。

うーん、数万人ですか。信じられませんねえ。写真がないし、そのほかにも数万人とするには不合理がありすぎるのです。数万の死体はどこに消えたのですか? どうして負傷者がいないんですか? 数万が死ぬにはその三倍の負傷者がいるはずです。大砲が炸裂したら負傷者は出ませんか? 銃撃戦があったら負傷者は出ませんか?

お礼日時:2008/12/16 22:28

ソ連軍の日本人に対する犯罪行為はほぼすべて写真証拠が残っています。


これに対して南京は数が残っていませんし不鮮明な写真が多い。それがすべてです。

参考URL:http://www.bk1.jp/product/02795224,http://www.bk …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/12/16 22:04

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