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人が笑いをこらえられないのはなぜですか?医学的な説明をお願いします。

A 回答 (3件)

こんにちは。


我々動物にとって「笑う」という行為は「大脳辺縁系の情動反応」に従って無意識に表出される「情動性身体反応」というのに当たります。この大脳辺縁系といいますのは我々の「情動」を司る中枢であり、笑いを堪えることができないのは、感情を抑えられないのと同じことです。

大脳辺縁系には「偏桃体」という神経核があり、ここでは身体内外から入力される環境の変化に対して「生物学的な利益・不利益」の判定を下し、「情動反応」を発生させます。我々の脳内ではこの「生物学的利益」というのは判定の基準が以下のように予め決まっています。
「お腹が一杯(身体的利益):痛い(身体的不利益)」
「安全で安心(精神的利益):怖い(精神的不利益)」
このように、無意識行動では「反応の基準」が予め決まっていますので、対応する入力があれば結果は自動的に選択されてしまいます。そして、この情動反応は視床下部を介して自律・運動系など下位の末梢系に直接出力されますので、これにより、「情動性身体反応(情動行動)」といいますのは我々の身体広域に渡る生理的な変化として無意識の状態でそのまま表出されることになります。

では、「笑いを堪える」というのは、これは「大脳皮質の理性行動(意識行動)」に当たります。情動行動では判定の基準が予め決まっていますので、結果をあれこれと選ぶことができません。これに対しまして、理性行動といいますのは「結果を予測することによって意識的な行動の選択を行う」という大脳皮質の機能です。
ところが、反応といいますのは発生するまで絶対に知覚することはできませんよね。いま現在、自分にどのような感情が発生しているのかを自覚することができるならば大脳皮質にも手の打ち様があります。ですが、身体反応が感覚情報として知覚されたときには、果たして大脳辺縁系では既に情動反応が発生してしまっているわけです。
このように、我々の構造上、大脳皮質には大脳辺縁系に、何時、どのような反応が発生するかを事前に予測することができません。果たして、これが我々が自分の意志でもって感情を操作することのできない理由です。

落語などには「落ち」というものがありますから、これを予測して身構えるというのは幾らでも可能です。ですが、落ちの内容そのものまでは予測できません。何故ならば、これが予測できるならば落ちにならないからですね。まして、漫才やコントなどは次から次へとお客の意表を突いてきますので、これでは大脳皮質の予測能力はお手上げです。
我々が笑いを堪えることができないのは、
「それが情動性の自律反応であるから」
「そして、情動反応は大脳皮質の知覚よりも必ず先に発生するから」
これが最も大きな理由ということになります。
では、「ここは笑ってはいけない!」、このような状況にあるとき、我々の大脳皮質は理性行動を選択しなければならないはずです。ですが、自分は笑っている、あるいは笑い出しそうだ、このような結果が自覚できているにも拘わらず、どうしてそれを抑えることができないのでしょうか。

刺激や反応の大きさにもよると思いますが、我々の「笑う」という行為は「利益」という情動判定に対応する「報酬反応」です。
「不安が解消される:安全報酬」
「欲求が満たされる:期待報酬」
このような「不安」や「期待」が発生している場合、我々の脳は「緊張状態」にあります。そして、ここで安全や報酬が確保されますと、神経系の緊張が解除されてリラックス状態になります。ですから、笑うといいますのは、この緊張と緩和のギャップに対する反応ということになります。
では、我々が笑いを堪えるためには、何とかこの緊張状態を取り戻さなければならないわけです。ところが、果たしてこの緊張状態といいましても元々は自律神経によって保たれていたものなのですから、大脳皮質でこれを取り戻すのは基本的に無理ということになります。

「喜び(笑い)」
「不安(緊張)」
どちらも感情です。
この感情といいますのは情動反応の結果が身体に表出されたものです。そして、この情動反応は身体内外からの入力に対して自動的に発生するものです。ならば、我々が一度解除された緊張状態を取り戻すためには、「興味」や「注意」、あるいは「不安」など、周りの環境に何か刺激入力の対象になるものを探し出さなければなりません。これが見付かりますと、中枢系に注意状態が復活し、自律系は緊張状態に移行されます。これにより初めて、「笑っている場合じゃない」という身体反応が整えられます。
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喜怒哀楽などの感情をつかさどる中枢は、大脳辺縁系です。


大脳辺縁系とは、大脳古皮質・原皮質のことで、食欲・性欲・集団欲などといった
本能の中枢でもあります。かなり原始的なところなのです。
どんなに脳みそが発達した人間でも、食欲や睡眠欲が抑えられないように、感情も同じように
理性でコントロールするのは非常に難しいものということです。

ここからは参考意見として書いておきます。

また、例えば性欲などは抑えないと社会生活に悪影響を及ぼしますが、
自分の感情を表現することは社会生活には必要不可欠なものです。
人間がサルから人間らしくなるにあたって、一緒に進化していったと言っていいでしょう。
感情表現は、社会生活を営む生き物として、自分が生き残るためのツールの一つだと私は考えます。
生き残るために食べる、生き残るために笑う…。会議中におなかがグゥとなるのも
部長の鼻毛に笑ってしまうのも、きっと同じレベルのことなのだと思っています。
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神経回路のヒューズのようなものではないでしょうか。

電気回路で模様量以上の電気が流れると回路全体を保護するためにヒューズがとびます。情報量が多すぎた場合神経回路でも同じことが起きるのだと思います。笑いは意外なことと多くの場合関係があると思いますが、感情が高ぶる場合には泣き笑いという状態になったりします。いずれも危険なほどに神経回路が活動している状態だと思います。同じような神経保護作用があるという理由で笑いに似ているのが恐怖や驚愕に伴う悲鳴やフリーズあるいは気絶ではないでしょうか。
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