ギリギリ行けるお一人様のライン

プロ野球選手が移籍すると、移籍したチームの応援団によって新しい応援歌ができますよね。
でも中には、移籍する前の球団の応援歌が踏襲される場合もあると思います。
そこで、そんな選手を教えてください。

また、以下のようなことを見聞きしたのですが、その真偽も教えていただけたらうれしいです。

・巨人、西武は応援歌を新しく作る(阪神のように使い回さない)。
・ダイエーはあえてチャンス時などで旧チームの応援歌を使うことがある。
・阪神の片岡選手の応援歌の前に流れる部分は日本ハム時代にも使われていた。

A 回答 (3件)

応援歌ごと移籍した選手には以下があります。

かっこ内は応援歌の禅譲が行われた移籍を示します。なお歌詞は同じとは限らず、移籍の際に作り変えられている場合があります。

山本和範(ダイエー→近鉄)
高橋慶彦(広島→ロッテ)
柏原純一(日本ハム→阪神)
清原和博(西武→読売)
尾上旭(中日→近鉄)
鈴木康友(読売→西武)
吉竹春樹(阪神→西武)

思い出せた分だけですので、まだあると思います。またオープン戦などではお遊び的に、旧チームの応援歌が吹かれることがしばしばあります。

清原は1997年の開幕から数試合程度西武時代の応援歌が吹かれたようです。しかし西武側が権利を主張したようで、西武側に返却して新たな応援歌を使うことになりました。
鈴木康友は1985年の開幕からしばらく使われたようです。1985年の西武は、応援歌はやっと個人別にできたばかりという状態でした。そこで移籍の鈴木康友には読売時代の応援歌を歌詞ごと拝借したようです。
柏原は応援歌というより「拍子」と言った方がよいかも知れません。柏原移籍当時の日本ハムは、メロディーなしで笛を「ピーピーピッピッピ」てな具合で吹いて応援していました。この笛応援の拍子は全員に同じものが使われましたが、柏原だけ別の拍子でした。これが阪神移籍後に柏原にそのまま使われました。
尾上の応援歌は母校中央大学の応援歌が原曲です。近鉄ではその後真喜志康永に流用されています(真喜志は中大出身ではないんですけどね)。
星野おさむですが、確かに阪神時代の応援歌(元を辿れば高井一)が使われています。昨今パリーグの関西の試合で、大量リードされた時などにお遊び的に阪神の応援歌が適当に吹かれることがあり、その延長での使用かと思っていたのですが、いつの間にか定着したようです。
このほかLuis Antonio Lopez(広島→ダイエー)で移籍の年の6月くらいまで、関西地区で広島時代の応援歌が使われたとも聞いています。
片岡ファンファーレですが、おっしゃる通り日本ハムから譲ってもらったものです。一部で歌詞をつけて歌っている向きもありますが、日本ハム時代は歌詞は付けられていませんでした。またメロディーは同じですが演奏がかなり阪神風にアレンジされていますので、知っている人が聞けば「何となく違うなあ」と感じると思います。(テンポが日本ハム時代に比べて明らかに遅い)

【ダイエー】
チャンステーマはもともとDavid Hostetlerの応援歌です。この応援歌はDavidののち藤本博史に流用され、さらに藤本の移籍後しばらくしてからチャンステーマに使われるようになりました。またこれと別に、若井基安の応援歌(元は湯上谷の最初の応援歌)が後にチャンステーマに使われたこともあります。いずれも南海時代からの由緒ある応援歌ということになりますから、ご質問の通りです。また2001年より関東で、メインテーマ(これも南海時代からのものですね)がチャンステーマとして使われるようになりました。
ダイエーの関西地区での応援では、南海時代の曲を吹いたり時には他球団の古い応援歌を吹いたりします。Morgan BurkhartにBoomer Wellsの応援歌が吹かれたり秋山幸二に西武時代の応援歌が吹かれたり、といった具合です。門田博光もよく吹かれます。

【読売】
使い回しは基本的に行わない読売ですが、よく探すと使い回しの例はあります。
Smithの応援歌はもともと外国人用応援歌の位置付けでした(「外国人用応援歌」としてはWhiteやThomasonに使われたことがあります)。またこの応援歌はその後さらに石井雅博に流用されています。
勝呂博憲の応援歌はもともと代打マーチでした。また緒方耕一は代打マーチからでなく、リリーフマーチからの流用です。
そのほかビジター球場やあるいはオープン戦などであれば、読売であっても少なからぬ流用例がみられます。

【西武】
西武は基本的に使い回しを行わない球団でした。ところが1994年を最後に応援歌テープの新造が行われなくなり、新曲はよほどのことがない限り作られなくなってしまいました。そこでこの年を境に急激に流用が増えます。特徴的なのは投手の応援歌を野手用に作り変えて流用していることです(例えば村田勝喜→小関竜也、杉山賢人→佐藤友亮、石井丈裕→野田浩輔など)。
また西武の福岡応援団は関東と異なる独自の曲体系を持っていますが、こちらでも基本的に使い回しはなされています。(例えば石毛宏典→松井稼頭央、立花義家→大塚光二、平野謙→佐々木誠、Steve O.→O. A. Fernandezなど)

答えになりましたでしょうか。
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この回答へのお礼

清原もそうだったんですか。そういわれてみると今の応援歌ってどことなく西武時代の応援歌に似てる気もしてきました。

西武なんかだと投手のテーマをあまり聞くこともないので…というよりこの投手3人は一時代を築く→移籍→退団(引退?)した選手ばかりですね。

流用といえばスカイAで阪神の日本シリーズ(2軍)を見ましたが流用だらけでしたね。しかもその流用パターンは決まっていないのでは?

お礼日時:2003/02/03 06:34

たしか阪神の吉竹が西武に行ってからも同じ応援歌だったと思います。


でも阪神に久慈が入団して、彼のが吉竹の応援歌と同じ曲だったと思うけど、もう吉竹は引退してたのかな。
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この回答へのお礼

吉竹春樹さんは去年は阪神で守備走塁コーチをしていたようです。
残念ながら今年もそのままなのか辞任されたのかはわかりませんが。
そして久慈選手が中日に移籍した後、その応援歌は沖原選手の応援歌になりましたが、今年阪神に復帰した久慈選手はどうなるのでしょうね。

お礼日時:2003/02/07 14:57

基本的に以前の応援歌が踏襲されることはないと思いますよ。


少なくとも巨人は作り直してますね。
ああ、でもたまに「使いまわし」はありますよ。
巨人ではもと『代打マーチ』が緒方の応援歌になったり。
西武も基本的には作り直しと使い回しでやってると思います。
ダイエーでそんなことが応援団として公式に行われるのか
どうかは知りませんけど、集団で個人的に(矛盾!?笑)
歌ってることは良くあります。
片岡のイントロは確かにそうですね。
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この回答へのお礼

早速腰を折ることになりますが、近鉄の応援歌midiで星野おさむ選手の応援歌が阪神時代と同じだったというのと(変わっているかもしれませんが)、ある本(処分済)で応援歌ごと移籍した選手がいたらしいということと、巨人はオリジナルということが書いてあった気がしたので本当だろうかと思って質問したわけです。

「西武」という部分とその他は思い込みも混じっていますので違っていても当たり前だと思っています。

お礼日時:2003/02/02 14:37

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