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今18歳の男です。

高校辞めてからの半年間ずっと、自分を見つめなおして考えて、心理学のHPやカウンセラーの方と何回も話し合ったりしてきました。
中学校とかでいじめられて、高校でもそういうことがあったのですが、そういうことをされるのも、孤独で寂しいのも相手のせいだと思っていました。それくらい考えないでずっときてたため、高3の8月に止めて以来はずっと自分について考えてきすぎました。

しかし結果は、毎回同じです。
心理学のHPやカウンセラー(睡眠療法の方)や江原さん(信じていて家にほぼ全部本があるため)の言葉やgooの質問でもらった回答や自分自身で考え出したことをこれからするように決める。
        ↓
何か起きたり、見ると別のことが書いてあるのをみたり、違う状況を思ったりして少しでも相違点が見つかると不安になる。
        ↓
あらためていろいろなことに当てはめたりして考えるとますます相違点ができてしまって結局やめてしまう。
        ↓
考えない無自覚な自分に逆戻り
        
これを何回も繰り返してきて、でもまだ答えがでません。

高3の夏まで考えてこなかった分を今何倍も考えてるのかもしれません。

ちなみにさっきまで出してた答えは、感情に責任を持つようにし、他人の欠点も受け入れるようにする、だったのです。

相違点は、受け入れるというのは事なかれ主義なのか?

また悪意を持った感情は自分にもあることだと思うが、例えばだらしなさにイラッときた場合、自分が完璧にだらしなくない場合じゃないと受け入れられないのではないか?

叱る範囲というのは無限大にあるきがするのに、受け入れるということで済ませていいのか?

よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

 こんばんは、何度か回答させてもらった者です。


 江原啓之さんの本に興味もありませんし、霊能力も僕は信じていません。結果として心が平穏になるのなら、それなりの意義はあるでしょう。ただ、江原氏的な「文脈」でしか「世の中」を捉えられないのだとしたら、ちょっと片寄りすぎてる気がしますけどね。
   http://homepage1.nifty.com/gatagoto/1BanHome/Sc/ … 「心的現実」
 ベストセラーになっている『生物と無生物のあいだ』の著者、福岡伸一氏がNHKの「爆問学問」で言っていました。「昔から人は同じようなことを考えていて、よく見ていくと、宗教も哲学も同じような事を言っている。ただ、文脈がちがうだけなんですよ。」と。
 「どう生きるべきか」という正解は、きっと決まっていないのです。僕なんかは、単純なのかも知れませんが、TVの向こうのアナウンサーやタレントが、時には真面目にコメントし、時にはノー天気に笑っているのが「普通」なのかなぁと思っています。あるいは、天皇家のように慎み深く、謙虚で、慎重であることを参考にしていたりもします。逆に、高田純二やタモリや所ジョージの表面的ないい加減さも好きだったりします。個人の「感性」の問題かもしれませんね。
 「世の中」は色々な切り口で見ることができます。例えば、イジメをする人を「アイツはきっと地獄に落ちるぞ」という目でしか見えない、宗教を通して見る人も居るでしょう。あるいは、http://homepage2.nifty.com/zunou/kannkei/2.html「自己重要感」をキーワードとして見たり、http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/013kizoku.h …「原因帰属理論」で眺めたりもできます。
 
 僕は反省している人で笑っている人を見たことがありません。なぜでしょう。きっと、ひとは心を内に向けている時は、幸せな気分ではないのです。幸せな気分とは、ドーパミンの分泌です。確とは知らないのですが、脳の構造がそうなっているのでしょう。内省のし過ぎは良くありません。自分を度外視して、人のうわさ話をしている時の方がずっと楽しいし、無我夢中でボールを追いかけている時のほうが幸せな精神状態でしょう。内省と没我、「バランス」が大事なのかも知れません。
   http://www.ykren02.com/chap-b_07.html 「考えないこと」が幸せになるコツ
   http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/02/9.html 深刻に考えすぎることをやめよう
   http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/25/2.html 正しい答えを見つけなくてもよい
   http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku110.html 最善策をとらなければならないと思うとなにもできなくなる
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あなたは単に臆病者なだけです。

つらいことや苦しいことをすぐ他人のせいにして逃げる癖がついています。
つらいことや苦しいことに出会ってもゲームや他の人の言葉に逃げ道を探したりするのをやめなさい。
いったん自分でこうしようと決めたことは、血を吐いてでもやりとげなさい。
途中で道に迷ったり、楽なほうへ興味がむいたりするでしょうが、ゴールだけを見据えてやり抜きなさい。

あなたが他人の欠点をあれこれ言ったり、息抜きにゲームだとか考えたりしてもよいのは、一回でもこれができてからです。
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まずは質問に対する答えから。


「相違点は、受け入れるというのは事なかれ主義なのか?」
目的によります。たとえば、科学的な論争というのは真実を求めて繰り広げられ、より真実に近づくためであれば受け入れることもあるし、受け入れないこともあります。すべては真実の為です。「事なかれ」を目的にしているのなら、それは事なかれ主義でしょう。

「悪意を持った感情は自分にもあることだと思うが、例えばだらしなさにイラッときた場合、自分が完璧にだらしなくない場合じゃないと受け入れられないのではないか?」
受け入れられないと思います。で、この世に完璧な人間はいません。と、いうことは。

「叱る範囲というのは無限大にあるきがするのに、受け入れるということで済ませていいのか?」
この世に完璧な人間はいません。叱る範囲は無限大です。でも、無限大にしかれる人はいません。と、いうことは。

閑話休題。

私の場合は大学を中退してから「まとも」な世界(笑)に帰ってきたな、と自分で思えるまでに5年かかりました。その間はまあ、少しずつ変わりはしましたが、質問者さんと似たようなもんでした。完璧主義者で、一日中自分自身を攻撃してましたね。

解決法は他の回答者の方がおっしゃっている

「俗世間的な極めて現実的な厳しい社会状況(学業・就職・収入・独立・資格・恋愛・人間関係・老後)」

に直面し、悩み、苦しみ、克服する

これだと思います。完璧でない、汚れた世界で生きることを、いかにして受け入れるか。

「イエスよ、私をお救いください
愛されたいという欲望から ほめられたいという欲望から 名誉を得たいという欲望から 賞賛されたいという欲望から 人よりも好かれたいという欲望から 相談されたいという欲望から よく思われたいという欲望から 人気を得たいという欲望から 屈辱を受けるという恐れから 非難されるという恐れから 中傷されるという恐れから 忘れ去られるという恐れから ひどい扱いを受けるという恐れから 嘲笑されるという恐れから 疑われるという恐れから」

「真理は、あなた方を自由にする」

別に私はキリスト教者ではないですけどね。個人的に気に入っている祈りと、聖書の一節です。「イエス」の部分は江原でもかかりつけの医者の名前でも自分の名前でもなんでもしっくりくるものに置き換えればいいと思います。

まあ、とにかくさ。大丈夫だよ。みんな通ってきた道だから。
がんばれ~
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叱るの意味を検索したら、



(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。

とありました。

ということは、tanattiさんはお母さんやお姉さんを叱ることはできないんですよ。
2人とも目上の人ですから。

だからtanattiさんがお母さんやお姉さんに言うとしたら「忠告」?

ちなみに忠告の意味は

心をこめて、過ちや欠点などを直すように言うこと。また、その言葉。いさめ。

受け入れることは事なかれ主義ではなく、「それでも良い」と、許すことなんじゃない?

他人の欠点を受け入れる、と書いてますが、
きっとtanattiさんだって(tanattiさんだけじゃなくみんな、ですが)欠点を受け入れてもらってると思いますよ。
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#いくら考えても答えが出ない。



答えはないかもしれません。

答えがあるとすれば
「現在の自分が出した答え」
です。

たとえ
「現在」と「未来」
「自分」と「他人」
が違っても
不思議ではありません。

人は
「成長する生き物」
「個性のある生き物」
です。

#答えを出したけれど正解か判らない。

正解はないかもしれません。

正解があるとすれば
「未来の自分が決める正解」
です。

たとえ
「現在」と「未来」
が違っても
不思議ではありません。

人は
「失敗から学べる生き物」
です。

きっと・・
「現在の自分が出した答え」

「未来の自分が決める正解」
に近づくように
頑張っていく(行動する)ことが
「生きる」
なのかもしれませんネ・・。

では♪
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もうそろそろソッチの世界で悩んでなくてコッチの世界で悩みましょう。


コッチの世界:俗世間的な極めて現実的な厳しい社会状況(学業・就職・収入・独立・資格・恋愛・人間関係・老後)
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ご両親という参考書からお話は聞いて見られましたか?



ご両親のあなたの頃の話を聞いてみませんか?

大丈夫大丈夫。

少し心が疲れたんだね。

>感情に責任を持つようにし、他人の欠点も受け入れるようにする、だったのです。

そうか。
でもそれは一朝一夕に出来ないことだよ?
それをすぐにしなきゃって焦っていないかな?
皆よく見えるかもしれないけど、皆同じことで悩んでいたりするんだよ。
元のクラスメートはよく笑っていたかな?
そのこたちも家に帰ってふっとしたときに一人で色々考えてる。
10代ってそういうものなんだ。
あなたはそれをちょっと深く考えすぎてしまったんだね。
でもね、それが可能なのも10代なんだ。
だから悩んでいいから、少しずつ変えていこう。すぐにじゃないよ。
少しずつ。
こつこつ積み上げて人は形成される。
あなたはまだ途中だからまだこつこつ積み上げないとね。

>叱る範囲というのは無限大にあるきがするのに、受け入れるということで済ませていいのか?

人間は神様じゃないからそんなの個人個人の考えと範疇でいいんだよ。
ただ常識の範囲でね。

オバサンの10代を振り返ってみました。

顔に出さないだけで、皆一緒だよ。

聞けるならお父さんにも話してみようよ。
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まず、この世に完璧なんて無いと思ってください。


だって、何でもきちんとしている人なんて何処にもいない。
物だってそう。
私が「これは完璧だ!」って思っても、誰かにとっては「完璧ではない」のです。

人や物事には、相違点があって当たり前。
そこがその人、その物の「味」なのです。
考え込む必要はありません、だって違って当たり前なのです。

金子みすずさんの詩に、「みんなちがって、みんないい」というのがあります。
(ご存じなかったら、ネット検索で読んでみてください。)

そういう違いがあるから、世の中が面白いんですよね。
そうは思いませんか?

それから、焦ることはありません。
あなたはまだ18歳ですよね。

「人にとって1番難しいことは許す事だ」と聞いたことはありませんか?(確か江原さんもそうおっしゃっていたと思いますが。)

私は29歳ですが、18の頃に許せなかった事や受け入れられなかったこと、流せなかったことが、年をとっていくうちに許せたり、受け入れられたり、流せたり出来る様になりました。
きっと、今つまづいている困難も、あと数年後には解決できるようになるだろうと思っています。

焦らず、ゆっくりと世の中を見てくださいね。
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今まで読んだ本や、カウンセラーさんのやり取りでは限界があり、自分の中に存在する自然治癒力を発揮できなかったようです。



まずは自然や花や草木に親しみ、海の音や砂浜をはだしで歩くことで、大地の息吹を五感で感じましょう。

つぎに、よく歩いたり、ジョギングすることです。人間は適度に新陳代謝をすることで、自然治癒力を高めます。

つぎに、偉大な良書や絵画や音楽に親しみましょう。(トルストイやルノワールやモーツアルトなどの名作をいう)良い文学は心の栄養素となります。

あなたの答えは自分で見つけることが肝心なのです。
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