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凶悪犯に対し検察側も被害者側も死刑を望んでいるにもかかわらず弁護士がそれを阻止する場合が有りますが、そんなことをしていったい誰が喜ぶのでしょうか。
何か意味は有るのでしょうか。
弁護士の自己満足だけなのではないでしょうか。
弁護士は悪の味方なのですか。
裁判員制度で自分が死刑を求めても弁護士により覆されたら自分が折角裁判員になって出向いた意味が有りません。

そういう悪質な弁護士には後で個人的に制裁を加えてやりたくなります。

A 回答 (8件)

裁判というのは弁論主義なので、必ず「文字」が介在します。


そのときの事実、真実は「文字」にされた時に、解釈という世界からのひずみを生む可能性を内在してしまいます。

人を殺した、という事件では「殺した」という事実は確定してますが、なぜ、どういう理由で、殺したかは「本人からの言」や「周り人からの証言による補助」で成り立たせていくしかありません。

事実は一つなのに、そこでは文字の介入によって、量刑が変わっていくわけです。
 なぜ、文字の介入によって量刑が変わってしまうのかというと、日本の刑法では「人を殺したら死刑」と決まってないからです。
 ひとを殺すと殺人刑、と、死刑が別に決まってるのですから、それをつなげるのが検察官、そうではないという理屈をするのが弁護士でしょう。

 ご質問者の言われる事は、私は痛いほどわかります。
 アメリカのように警官が、犯人をガンガン射殺すればいいと思います。
 日本では、まだそこまで行ってないですね。

やむを得ない状況で自分の母親を殺してしまうに至った場合の「殺人犯」と、無差別殺人の「殺人犯」の違いを量刑で出すように、今の刑法ではなってます。
 その違いを示すためには「なぜ、どうして、犯行をした」が大事な要素なのですが、それを明らかにするさいの道具に「文字」を使うために、表現された文字に対して「その意味は違う」という弁護士が必要な場合もあるのです。
 警察や検察の取調べは、ご質問者もご存知でしょうが、想像以上に厳しいです。犯人でなくても「私がしました」と言ってしまう方が楽になるという事もあります(ドラマの世界ではありません、実体験です)。

そんなつもりではなかった発言を「お前はこういったではないか」
と問い詰められて、してもいない犯罪の犯人にされてはたまりません。

そういうときのために弁護士がいるのです。

決して弁護士は「悪の見方」ではないです。

どんな憎い犯罪者でも検察官だけでは裁判が成立しません。
成立しないので死刑にもできません。
検察官と弁護士とが意見を出し合って、それを裁判官が選択して、採決するのです。

弁護士の自己満足ではありません。

そういう「職務」なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
よくわかりました。

お礼日時:2009/02/23 15:52

だからさー、「あきらかに確定」とか「凶悪」ってのは、だれが判断すんのよ?



それ考えたらわかるよー。
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ほんじゃさー、刑事裁判に一切弁護士は不要ってこと?


そう思わないなら、どういう場合に必要?
その場合かどうかは誰がどうやって判断すんの?

以上をよく考えたら理由はわかるよ。

この回答への補足

あきらかに確定している凶悪な殺人犯には弁護士なんていらないと思います。
即、死刑でいいと思いますよ。
例えば警官の阻止を無視して通り魔的に理由も無く人を襲って警官に射殺されたのと同じです。
そういう時は弁護士抜きで射殺が認められます。
それが妥当だと思います。
誰も犯人に同情なんてしないと思いますよ。

補足日時:2009/02/22 17:47
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多分、光市の事件の弁護とかそういうことを言っているのだろうと思いますが


日本が法治国家だということを忘れていませんか?

被害者が、ワイドショーがこれは酷いと言っているから死刑にしろ。
弁護士は弁護をするなでは、現代の法治国家を捨てろと言っているのに等しいです。
それではろくな裁判もなしに縛り首にした西部開拓時代やフランス革命時代、
または魔女裁判といえば聞こえは良いですが、ただ捕まえて火あぶりにした
ヨーロッパに逆戻りですよ。そんな国になっていいのですか?

裁判は検察側、弁護側双方の意見を聞いて裁判官が判断します。
決して弁護士のだけの意見は聞きません。


まァどうせこんなこと言っている人は、いざ自分が犯罪を犯して
もしかしたら死刑になるかも知れなという立場になると、泣いて
弁護士に助けてくれというでしょうね。
そんな程度の知能しかない質問と推察します。
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この回答へのお礼

光市の場合も有りますし他にもいくつかこういう例はあります。
冤罪ではなく本当に確定していて被告も認めているなら火あぶりでもギロチンでも結構だと思いますよ。

酷いのは死刑になりたいの理由で故意に無関係の人を殺害してそれでも死刑にならなかった場合です。
こういう犯人のどこに同情の余地が有りますか。
こういう犯人を有利にする理由なんて有るのでしょうか。
私なら絶対死刑にしますよ。

お礼日時:2009/02/22 17:46

#2 の方もおしゃられているように。


不正に重過ぎる量刑が科せられないように被告人に有利な事情を
弁護士は主張するのです。

この有利な事情の主張が、質問にある「死刑の阻止」に見えるのです。

この回答への補足

完璧な凶悪犯に対して何故有利にして庇ってやる必要が有るのでしょう。
それは意味が有るのでしょうか。

ちょっとぐらい人を殺しても、なんとかしてあげるよとまるで殺人を奨励しているようにしか見えません。
だいたい凶悪犯にもともと有利な理由なんて有りますか。
何も無いのに無理無理根掘り葉掘り理由をねつ造しているに他ならないんじゃないのですか。
そんなにしてまでいったい何の徳が有るのでしょう。

補足日時:2009/02/22 17:35
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弁護士のなかには死刑廃止論者も居ますから。


そういった方は、被告が死刑を望んでいても、死刑になった実績を残さないように被告を説得して
死刑を回避しようとするでしょう。

>弁護士の自己満足だけなのではないでしょうか。

死刑廃止を訴える弁護士にとっては自己満足の部分が大きいでしょうが、本気で被告は更正できると
思い死刑に反対する立場の人もいます。
単純に死刑に反対するから「悪の味方」とするのは、危険な考え方だと思います。

また、判決を下すのは裁判官であり、それは法や過去の判例に基づいて決定されます。
検察や被害者の求めに応じて罪が決定するわけでも、弁護士の意見によって覆るわけでもありません。

>そういう悪質な弁護士には後で個人的に制裁を加えてやりたくなります。

それを行えば、それがどれだけ他人の目に正しい行為と映っても、法によって裁かれます。

この回答への補足

傍から見ていてあきらかに死刑の判決だろうと思っていてもならない時があります。
死刑廃止論者とそうでない弁護士の場合あきらかに被告に対する対応が違ってくると思います。
本当は死刑になっていた筈の被告に死刑廃止論の弁護士がついただけで死刑をまぬがれていたら被害者側は納得いかないと思います。
それで死刑をまぬがれたとしても、はたして更正なんて期待できるでしょうか。
本人は全く反省なんてしていなくて、それを表向きな態度に出されると裁判で不利になるので弁護士が入れ知恵して反省しているふりをしろと言われているに過ぎないだけです。
それで、そういう凶悪犯は死刑まぬがれたとしても無期になり生かしておくだけその分余計な税金がかかります。
10何年かして出所してきて復讐する恐れも有ります。
それならさっさと殺してしまえばいいのです。
殺しておかなかった為にまた犠牲者が出たらその弁護士は責任とれるのでしょうか。
どんな凶悪犯に対しても死刑廃止なんて間違っていると思います。
裁判員制度であなたが死刑を求刑したにもかかわらず弁護士がそれを阻止してまぬがれた被告が後であなたに復讐に来たら、それでもいいのですか。

補足日時:2009/02/22 17:03
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弁護士によって覆されることはありません


裁定は裁判官と裁判員が決め手裁判官が言い渡すのです
弁護士は被告に罰が科せられることを阻止するのではなく不利な裁判が行われないように弁護をするのです
殺人で死刑判決が出た後で真犯人が判明することもよくあることです
そういうことがないように一方的な裁判が行われないようにするのが弁護士の役目です

この回答への補足

もちろんその犯人が確定していて自分もやったと認めている場合です。
冤罪の恐れが有るなら私もこんなことは書きません。

補足日時:2009/02/22 16:59
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感情ではなく法に基づいて刑が下されます。

判例も参考にしなければいけません。検察が誤っているならとがめる必要が出てきます。

この回答への補足

もちろん検察に誤りは無い場合ですよ。

補足日時:2009/02/22 16:57
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