![](http://oshiete.xgoo.jp/images/v2/pc/qa/question_title.png?8acaa2e)
出エジプト記に拠るところの、モーセの享けたこの啓示は「神の固有名詞所有の否定」、「偶像崇拝の禁止」、「唯一絶対神の確立」といった一神教の基本原理の他にも深遠な意味があるような気がします(一神教の解釈が間違っている可能性もあります)。
一神教のみならず、多神教の僧侶、ニューエイジ思考を持つ人々までありとあらゆる人が好んで引用します。これらには牽強附会的な解釈も見受けられますが、全く理がないとも言い切れません。
「有りて在る」はイスラエル固有の風土にこそ活きるのでしょうか?また汎神論には応用できるのでしょうか?それともモーセの取り違えでしょうか?
私にはこの言葉が神とこの世界を読み解く鍵に思えてなりません。さまざまな角度からの考察が必要とされます。できれば理解の助けとなる文献を示していただけたら幸いです。皆さんのお考えをお聞かせ願います。
No.8
- 回答日時:
>「有りて在る」
この言葉を旧約聖書のモーセの記述以外に、私は見たことがありません。聖書では、この記録が始まりと思っています。しかし、モーセはBC1300年頃の人とされます。では、神がそれ以前には不在だったのか?創世記などに登場していますが、他の方々が書かれてある通りと思います。
>私にはこの言葉が神とこの世界を読み解く鍵に思えてなりません。さまざまな角度からの考察が必要とされます。できれば理解の助けとなる文献を示していただけたら幸いです。皆さんのお考えをお聞かせ願います。
pokoperopoさんの、この世界の意味が少し曖昧なのですが?出エジプト記に於いては、神とモーセ(山の上)と、麓の民という構図があります。しかし、この言葉「有りて在る」には、それを超えた普遍性を感じます。創世記から現代のキリスト教まで、その存在を主張している神の存在と言えます。
旧約聖書を歴史的に研究するには限界があります。高性能のハイテクを駆使しても、逆に時間は広がる矛盾があります。又、多くの記述が信仰による伝承を含んでいます。年表を見ても曖昧さは残ります。しかし、登場人物が、その昔感じたり、考えたり、体験した事を肯定的に読む時、現代の私達にも共通する共感が得られます。そこには時間を越えた普遍性はあるからだと思います。
ここで大事なのは、神を肯定する生き方と思います。「有りて在る」とは、人間の人生も越えた存在としての神(モーセを死を迎える人間)。神は人間が証明できる対象では有りません。(参考本:現代教義学総説 V神について P175~ URL)を参照。故に、神の側からそれを現した。それを、神の恵みと言い換えている。この関係は、存在を肯定して信じる以外に成立しないでしょう。
以上を1つの見方として紹介します。(私は共感しました。)
参考URL:http://www.shinkyo-pb.com/theology/post-980.php
この回答への補足
訂正します。カントではなくデカルトです。王と長島を間違えるようなものですね。いやはやお恥ずかしい(汗)この場をお借りしてお詫び申し上げます。また何かお考えがありましたらお聞かせ願います。
補足日時:2009/03/28 03:59ここでは文語訳の『有りて在る』を用いましたが、『在りて在る』とするほうが一般的です。一度『在りて在る』に続いて様々な語句を入れて検索されることをお勧めします。私の捉え方が曖昧なことは否めませんが、諸見解に対して柔軟に解釈するために敢えて曖昧なスタンスを保っています。例えばカントの「我思う故に我在る」も全く無関係としたくはありません。神と人間は不可分であるからして、また人間も自己の存在理由を明確に規定すべきと考えるからです。私もあなたと同じくこの言葉に普遍性を見ています。ご回答ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
度々失礼します、No1です。
タイプミスがあったので、訂正しておきます。
タイプミス(1)
>また、アベルなんかは、「はかない命」とかいう意味もあるですが、、、実際に兄カインに殺されてしまいますので、、、本当に「はかない命」になってしまいました。
アベルは、「息吹」という意味でその事から「はかない」という意味もあります。
タイプミス(2)
>イスラエルでは聖書の朗読をラジオ放送しています。
>そのラジオ放送を録音したものを、ミレトスとかいう会社が日本で発売していますが
イスラエルの国営放送で聖書の朗読をしています。
その放送を録音したものを、ミルトスという会社が朗読テープとして売っています。
また、他の方への質問ですが、
<「オウム」と「阿吽(あうん)」または「アーメン」は、本来は皆、似たような意味を持つと聞いたことがあります。>
「オン」は真言の前に付ける事が多いですし、アーメンの様に祈りの後に付けるのだとしたら、「そはか」の方が近いと思います。
<神の呼び名もマントラも通じるところがあるのでしょう。>
真言宗でも、僧侶の位によって与えられる真言があり、最高位の僧にしか与えられない真言も存在しますが、、、(現在では、空海全集という本に全て開示されているので、一般人でも知る事が可能ですが。)
しかし、神の名を唱えるとしたら、真言よりも、念仏に近いものがあるかも知れませんね。
<しかし神の名を正しく発音できなければ、神と交わりは持てないのでしょうか?>
少なくとも、モーセは神の名を聞く前は知らなかったのだろうから、それはないと思います。
また、日本の真言宗の真言は元となるサンスクリット語から比べると多少訛っています。 空海自体もサンスクリット語をマスターした訳ではないので、現代の学者に文法間違いを指摘される事も、、、。
度々失礼しました
少数派とはいえイスラエルにもキリスト教徒はいますね。アベルははかないという意味があったのですか。仄聞しただけなのですが「オウムは呼応する言葉で阿吽やアーメンも然り、音が似ていることからして共通性と普遍性を持つ」論者のやや強引な解釈かもしれません。名を知らなくとも、念ずれば通じるのでしょうか。興味は尽きません。わざわざ訂正いただきありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
○ Ehweh asher ehweh.
= I am who I am.
/ I am that I AM.
= わたしは 《〈わたしはある〉なる者》なり。
/ 《ワタシハアル》 これが わたしである。
と言っています。
★ 有りて在る
☆ というのは
○ 有るという存在の継続 あるいは 遍在
☆ を言っているのでしょうか。
いづれにしても 信仰をひとまづ措いて 経験思想として考える場合には 《存在》論として 捉えることができるのだと考えます。
○ 'eHWeH = I am.
○ YaHWeH = He makes be. (つまり 《あらしめる》=使役形;一解としてです)
☆ つまり HWHという三語根子音が 《ある》という意味をになっているようです。
現代語訳では「わたしはある。『わたしはある』という者だ」になっていますね。 七十人訳を底本とする文語訳よりも、一歩進んだ解釈のようです。おっしゃるとおり『有りて在る』には遍在も含まれると考えています。ただ我々がその遍在の一部だとしても、陸や海を作り出せない被創造者です。創造者であるところの神は、ご指摘の使役形を使うほうが自然なのでしょうね。興味深いご回答をありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
こんにちは、No1です。
ご存知だと思いますが、このYHWH別にこの個所に出てくるだけではありません。
それどころか、『初めの登場個所ですらない』のです。
創世記で、アドナイ(主)や、エロヒム(神)と訳されている個所がランダム的にYHWHです。(アドナイ、エロヒム共にYHWH以外の子音記号を使って通常は表記されます。)
基本的にアドナイ(主)と読まれるのですが、例えば創世記の15章2節のように「我が主、神・・・」等と直前に「主(アドナイ)」が入っていると、その次にくるYHWHは主(アドナイ)と読まずにエロヒム(神)と朗読するのです実際はYHWHと書かれていても。
>挙げていただいた固有名詞で呼ぶ者もあれば、
実際に難しい問題ですね。ヤハウェだけでなく、聖書の登場人物も名前に意味があるので、
例えばアダムを例に取っても、ヘブライ語でアダムは人と言う意味です。
だから、神はアダムを創ったと訳す事も、人を創ったと訳す事も可能なのです。
また、アベルなんかは、「はかない命」とかいう意味もあるですが、、、実際に兄カインに殺されてしまいますので、、、本当に「はかない命」になってしまいました。
そしてまた、No4さんもおっしゃっていますがYHWHは全て子音なので本当はどう発音するのか誰も知りません。(W(ワァウ)は古代ヘブライ語で、現代ヘブライ語ではVヴァウになっていますが。)
また、意味が分からなくなってしまった神秘的な言葉としては、ヒンドュー教/仏教のオン(AUM)意外にも、イスラム教のA.L.M(Muqatta'at)があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Muqatta%27at
意味は様様な解釈がありますが本当の意味は分かっていません。
>“G-D”と呼ばなければならないと主張する者もあると記憶しています。
神を意味するエロヒムは言って良いんですよ。
イスラエルでは聖書の朗読をラジオ放送しています。
そのラジオ放送を録音したものを、ミレトスとかいう会社が日本で発売していますが、エロヒムは遠慮なく皆さん朗読しています。
<私は一神教による解釈だけではなく、さらに深遠な意味があると思います。その宗派に都合のいい解釈がなされていると感じて質問しました。>
そうですね。 確かに聖書も読む人の文化的背景、考え方によって読んだ時の印象が違いますね。
私もNo3様同様、タイトル文を読んだときは仏教の質問かと思いました。
「色即是空、空即是色」とかそんな事聞いているのかな? と思いました。
物質世界の存在と精神世界の関係なんて、仏教経典で色々論ぜられていますし、
神とこの世界の関係なんて事だったら、ヴェーダ経典のウパニシャッドなんかも興味深いかも知れません。(謎々みたいですが、、。「 神は近いが遠い・・・」等等。)
私の質問の書き方が悪いせいで当惑させてしまい申し訳ありません。この『有りて在る』は日本聖書協会 文語訳の使用文字を採用しただけですから、これを引用しなかったせいで誤解を与えてしまいましたね。今回のご回答の最後にいみじくもおっしゃられた「謎々みたい」が本当のところではないでしょうか?一神教からの切り口と合わせて、多神教や汎神論からの考察も必要と考え、両面からのお答えを募ったわけです。私にとってはどちらのご回答も役に立つものです。再度のご回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
No.2です。
お気に召すかわかりませんが、参考までに。
ヘブライ文字は全部子音。
従い本来発音できません。
それに母音をつけることで、音声化し、文字が実体化するとしています。
しかし子音のみの文字に母音をつける際、注意しないと、別の意味になってしまう。
真言、マントラってありますよね。
言葉の力。
文字を実体化するため音にする。
オーム(創造の言葉)もマントラとされる。
確かカーリーの創造の言葉だったと思います。
で、ヘブライ文字は確か、、、22文字くらいだったと思います。
この文字でこの世のすべてを表せるとされる。
ギリシャ語のような抽象的でどこまでも問ううことが可能なものではなく、直接的で本質そのものを表すというこの世でも珍しい言語だそうです。
その書かれた聖なる文字を音声化するとき、間違えた母音をつけてしまうと、文字が実体化しない。
さてYHWH 全部子音。
これにどの母音をつければ、実体化するのか?
わかりません。
ほんの一部の人しか知らないそうです。
7年に一度、大祭司が後継者に伝承していったらしく、他の人は知りようが無いし、知られてはならない。
だから、我が主という意味のエルを神を表す言葉として用いられたわけです。
ある哲学者はユダヤ教に関する小説を書いた。
その本の中に今回の質問に対する回答に関連があると思えるものを書きますね。
『ヨッド ヘー ヴァヴ ヘー。
ヴァブは、統合、創造、生命の起源の象徴。
だから神の名の中央に位置する。
聖なる二つのヘーの真ん中に鏡のうように。』
アリー:『神の姿を描いたり、つくったりして、決して見えざる神を見えるように変えることは、ユダヤ教には禁じられている』
ジェーン:「それならどうして見えるものから見えないものへと移るの?」
アリー:『神の名を発音することによって』
ジェーン:「ただそれだけ?」
アリー:『そうだよ。しかし、それこそが難しい。我々は彼の名の子音は知っている。ヨッド へー ヴァブ ヘーだ。だが我々は、それを発音するための母音を知らない。唯一、それを知る大祭司が至聖書で名を発音できるのだよ。 見えない存在を表徴するイメージを我々ユダヤ教とが持たないのは・・・・神と関係を結ぶにあたって、感性的そして感情的飛躍を警戒しているからだ。』
『へー:霊の長い息吹。世界へと開く窓。思考。魂を形成する言と行動。』
クムランシリーズの蘇る神殿。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%83 …
サスペンスものとして期待した人からすれば、期待はずれの小説でしょう。
最後のクライマックスはすごいですよ。
太陽の門より至聖所に入ったアリーは、そこでヘブライ文字を実体化させていく。
そして神の名前を今まさに唱え、神を呼び出そうとするところで終ります。
イマジネーションを必要としますのが、ヘブライ文化を知らない私でも、荘厳さを感じます。
「オウム」と「阿吽(あうん)」または「アーメン」は、本来は皆、似たような意味を持つと聞いたことがあります。神の呼び名もマントラも通じるところがあるのでしょう。しかし神の名を正しく発音できなければ、神と交わりは持てないのでしょうか?ユダヤのレビ達の高慢さを感じます。私がヘブライ文化に通じれば違った感想を持つかもしれませんね。再度のご回答ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
是に似たものは、仏教にもあります、無いものでも無くて、在るものでも無い、又、不生だから不滅と言う書き方です。
人間の心は本人には判り難いものです、それは、分からないように出来ているからです。人間が意識をしていると言う時間或いは、割合を調べたものが在ります、それによると「意識をしている」割合は起きている時間の5パーセント、残りの95パーセントは「無意識、或いは潜在意識」が占めていると言う事です。人間の心は巧妙に出来ていて意識から無意識の切り替わり、及び、無意識から意識に帰ると言う事を自覚出来ません。
アメリカのノーベル賞を取った博士にスペリーと言う人が居ます。あの当時はテンカン治療のために、左右の脳をつないでいる、脳梁を切断された人達がたくさんいました。その分離された脳の研究した事が評価されて受賞したのですが。
その成果に二つの事が在ります。
一つは左右の脳には違った機能が在る、左脳の出来る事は、右脳には出来ない。右脳の出来る事は左脳には出来ない。と言う事です。左脳に自我意識が在ります、その機能は計算すると言う機能です。又言葉を持っていると言う事です。言い方を替えたなら、割り切れる問題を担当していると言う事になります。他の言い方をするならば、割り切れる事とは有限に属していると言う事になります。もっと言うならば「永遠や無限」と言う事は理解出来ないと言う事になります。何故ならば。割り切れない事を永遠、或いは無限と言う事にしてあるからです。
従って左脳に在る自我意識には、永遠と言う事を理解出来る能力が備わっていないと言う事になります。
右脳の機能は自我意識の出来ない事が出来ると言う事になります。ですが言葉は持っていないようです。言葉のない世界を担当していると言う事になります、
研究成果の二つ目の事ですが、左脳に一つの人格が存在すると言う事です、是は自我意識を働かせています。右脳にも別の人格が存在する。そうして、その二つの人格は全く別な人格と言う事です。
この事を踏まえて人間の心を読み解くならば、心にまつわるものが宗教とも言えますので聖書から一つ拾ってみます。「天国に一番近い存在は幼子」と言う処が在ります。是は脳の機能が未だ未発達で、分別する能力が無い、と言う事かも知れません。心が未だ二つに分裂していないと言う事です。
それに対して、知恵のリンゴを食べたと言う意味は。脳の機能分化が完成に近くなった、と言う事になります。つまり二つの人格が別々に独立した、或いは、分裂したと言う事になります。この事が人間に二元論と言うものを生み出して、悩み、苦しみの種をまいている。と言う解釈が成り立ちます。思春期頃に脳の機能が完成に近くなります。この頃から人間には、悩みや苦しみが始まります、精神疾患が増え始める年代です。
二つになった心のどちらの方で問題を捉えるのかが、人間の悩み解消方法となります。命の問題、永遠性、感情、感動、仕事の感を掴む。是等は自我意識では歯が立ちません。不安が多くて何事もストレスにしやすい人、は自我意識で問題を解決しようとする人です。精神疾患に陥った人は自我意識に、能力オーバーな問題を抱えています。是は機能の関係です。解く事が出来ない方の脳で問題を分析して、解決しようとしています。この事から「精神疾患」はすっきりとした解決と言うものが無いように見えます。或いは手立てが無いように見えています。
この事の解決方法が禅問答に在ります。右脳の意識は無意識の中に居ます、この意識の事を、お釈迦様は「仏性」と名を付けました。キリスト教では「神」と名を付けました。宗教というものはこの自分の右脳に気が付きなさいと言う事を説いています。
禅問答は自我意識の機能では解く事が出来ないように工夫されています。禅問答が解けた時の事を「見性」と言います。自分の性を見たと言う事です。その時の感想は「今更お前は誰か?と聞く必要はない。真っ暗闇で自分の妻に会ったようだ、或いは見知らぬ他国でひょっくら親父に会った様だ。と表現しています。本当は毎日何十回も、何百回も会っています。
人間の苦しみは、分別で「意識」をしたために、仏性の意識を閉じ込めてしまう処に在ります。それは自我意識が意識をし続けていると言う意味になります。自我意識が意識をし続けている間中、仏性が閉じ込められている事になります。精神疾患などで、症状などを意識し続けていると言う意味です。その事で仏性は困っている自我意識を見ています。
自分が出てゆくなら、すぐにでも解決できるのに!と言うアピールが漠然とした、得体のしれない、不安と言う事が言えます。それは有限の自我意識が、永遠である仏性の助けを遮っている姿です。是が人間の苦しみです。是が心の矛盾の正体です。
禅問答が解けた時に自我意識は仏性と出会うと言う事になります。この事で自分を苦しめていたものが何であったかが分かります、又、仏性の永遠性に触れる事になります。それで、自我意識は肉体の生き死に、にはあまり興味が無くなります。是が生死の問題が解決したと言う事です。その事で不安の心が無くなります。心の矛盾の解消と言う事になります。
その、仏性や神が、「有りて在るもの」と言う事になります。お釈迦様の言葉で言うならば、一切衆生悉有仏性、と言う事です。右脳のない人は皆無と言えるからです。只分かり難いために「有りて在るもの」という表現が一番ぴったりと合っていると言う事かと思います。
こういうご回答をお待ちしておりました。「有りて在る」をヘブライ語でどう発音するか、その名で呼びなさいとは、ユダヤの教えです。それを知ることは一神教を理解するうえで大切です。私が知りたいのは、神はモーセを通して、我々に何を語ったかです。おっしゃるとおり仏教にも通じるところがあるでしょう。釈尊の「天上天下唯我独尊」もまた、同じような意味を持つでしょう。ご指摘の左右脳の別とは、神性の理解と論理的理解を同時に可能とする神の賜物だと思います。あなたも私も「有りて在る」者かもしれません。モーセはただ神の名を聞いただけとは思えません。ご回答いただきありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
その箇所はギリシャ語?に転訛するとYHWHだったと思います。
YHWHの箇所を「ありて在る者」とも「最初に居た者」とも訳してあるものもある。
どうしてそういう訳になるのか。
神話・伝承辞典より、
『YHWH、yod-he-vau-heは「生命」と「女」を意味するヘブライ語の語源HWHから出ていて、ラテン語にすると E-V-Eとなる。
I(yod)を加えると、創造の言葉として、女神が自分自身の名前を呪文として使ったことになる。
これはエジプトやその他の古代国家ではよく見られる考え方であった。』
『イヴは中東共通の優勢な女性の神を現す名前の一つだった。
ヒッタイト族はイヴをHAWWAH「生命」と言った。
ペルシャ人のイヴはHvov「大地」であった。
アラム人はイヴをhawha「全生命の母』と読んだ。
アナトリアでは、Hebat あるいは Hepatで、ギリシャ語の派生語Hebeもあり、「処女大地」を意味していた。』
だから、乙女座(処女宮)はベツレヘム(パンの家)とされ、イエスは処女マリアから生まれた という話になった。
自らを自分自身で生み出した者だから処女。、
これがYHWHとう文字が ありてあるもの、最初に存在した者 と訳される理由。
インド方面でもそう。
いろいろな人が処女から生まれたというエピソードになるのは、そういう共通の概念だから。
クリシュナとて、自らを作り出したこの神の被造であり、クリシュナは自らを作り出してはいないので、クリシュナをもっとも偉大と信仰しないという派閥があり、クリシュナ崇拝者に叩かれたらしい。
ご指摘のギリシャとの関連も深いですね。以前から「ヤハウェ」だの「アドナイ」だの、はたまた「エホバ」だの。これらは呼び名を統一することで支配を強めることが目的の詭弁のような気がしていました。処女降臨も神性を強めたいのかなと懐疑的です。インドですら一神教に大きな影響を受けていますね。多神教にも「有りて在る」は何らかの影響を与えているのでしょう。ご回答いただきありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
出エジプトの3章14節でしょうか?
これは、その前の13節でモーセが神様の名前を聞いたのに対して、
神様の名前が、「わたしは有る」つまり、ヤハウェだと答えた瞬間です。
ただ、聖書の教えによれば、「神の名をみだりに唱えてはならない」という事になっていますので、ユダヤ人たち其の言葉の部分を「我が主(アドナイ)」と読みます。
その為、ヘブライ語の子音記号だけヤハウェにして、間違って神の名を唱えない為に、母音記号は、アドナイの母音記号を用いました。
そうして、子音はヤハウェ、母音はアドナイの物を使うと、子音母音合わせて「エホバ」になります。
何も知らないヨーロッパ人が始めてヘブライ語で聖書を読んだ時に、神の名は、「エホバ」だ!と思ったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8F% …
ご参考までに
はい。第3章 13~14節です。全文引用しようか迷ったのですが、ここでは『有りて在る』の意味合いを尋ねたく、また長ったらしくもなるので割愛しました。挙げていただいた固有名詞で呼ぶ者もあれば、ユダヤ原理主義では固有名詞を唱えてはならない、“G-D”と呼ばなければならないと主張する者もあると記憶しています。私は一神教による解釈だけではなく、さらに深遠な意味があると思います。その宗派に都合のいい解釈がなされていると感じて質問しました。ご回答いただきありがとうございました。
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