
大麻、麻薬などの薬物には常習性があり法律で使用を禁止されていますが、
常習性という意味では、たばこ、酒、コーヒー、ポテチなども常習性があります。
社会的、身体的影響は薬物の比ではないですが、たばこや酒も度を過ぎれば似たり寄ったりです。
大人が子供に対して法律で禁止されているから、体に悪いからとい理由でたばこを吸わせないとしても、
きょうびのお子様は納得しないでしょう。
そこで覚せい剤やたばこ、ポテチ、といった個々の商品ではなく、常習性を否定することが哲学らしいと考えます。
常習性を哲学的に否定するにはどのようなアーキテクチャーが必要でしょうか。
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
こんにちは。
この質問にダイレクトに答えるような物は持ち合わせてないんですが、
今考えてるのは、
常習性ー依存心は、人間について回る物で、この世に生きることそのものが依存心ですから~つまり、自己や、世界を露骨に肯定することなどはです。
言い方変えると、自己がある、世界がある、という直観依存症です。
なので、程度問題だとは思います。
ただ問題は、書かれてるように、ポテチと、たばこと、覚醒剤では、一体何がちがうのかなー?と考えてます。
そもそも依存症って何??わかりません。
価値観の、配分、のような物だと感じます。何に重きを置くか、という。
もっとも根源的な依存心が、どのように形を変えて、日常生活に現れるのか? そういう仕組みですが。
昔、お坊さんで、毒を飲んでも死なない、と言う人の話聞いたんですが、ほんとかどうかともかく、
自己依存のない人なら、それは現実にあり得るかも、と思いました。
なんでしたっけ、昔読んだ本で、そんなこと書いてありましたが。
ポテチと覚醒剤では、依存の度合いの強さが違うことも明白で、また、脳の働きなど調べれば科学的にもその違いは明らかでしょうが、
僕は、主観的なその感覚の物差しを見つけたい、と思ってます。
いくつか考えてる中の、なかなかわからんことの一つです。
常習性を、哲学的に否定ではなく、解明したい、と、まー、できたらいいなーくらいですが。
答えではないのであしからずです。
ご回答ありがとうございます。
>毒を飲んでも死なない、と言う人
ラスプーチン?
徹底的な自由を得るためにポテチにたいする依存性すら否定したいと思うのです。

No.5
- 回答日時:
NO.4 の回答子ですが、補足します。
常習性の哲学的考察にあたっては、
精神現象(私の意志)も物理法則や生理現象の延長上にあるものとして一括して考察対象になります。
すなわち、世界のすべての諸現象においては、
同一事象(行為)の反復ということが普通のこととして行なわれています。
我々の精神も世界における一現象に過ぎないわけですから、この性向からのがれることは難しいと思います。
ただあえてこの性向を断ち切ろうとするなら、そのために精神を動機づける強い要因が必要なわけです。
(逆に、何の要因もなく我々の性向を変えることがあるとすれば、それこそ理不尽な狂った所業とみなされても仕方ないものとなります。)
ご回答ありがとうございます。
>ただあえてこの性向を断ち切ろうとするなら、そのために精神を動機づける強い要因が必要なわけです。
強いて言うならコントロール不能な状態を「悪」とすればいいのではないでしょうか。実際私はそう思っています。
>精神現象(私の意志)も物理法則や生理現象の延長上にあるものとして一括して考察対象になります。
そうかもしれませんが、それで納得するほど人間は物分かりがいいとは思えないのです。

No.4
- 回答日時:
常習性自体は、哲学的にも否定することはできないのではないか。
というのは、我々の周りのすべては常習性をその性向としているからである。
大きくは毎日、太陽が出て沈むのも季節が繰り返すのも、そして生命活動にしてもその営みはほとんどが常習性に基づいている。
そして我々自身も毎日食事をし、睡眠を取ることを繰りかえすのも同様である。
問題点は、現在我々が或る行為・行動(悪行)を為すとき、将来その因果によりが自分が苦しむことになること、それだけではないか。
そして、結果がスグに出て確認できる行為なら悪行をなそうとする者は誰もいないだろう。
タバコを吸った途端に胸が苦しくなるのなら、タバコを吸う者は一人もいない。
したがって、こう考え得るのではないか。
現在、常習性の悪行を為す者は、単純に、将来その行為によって苦しむことになる情報が不足しているダケなのだと。
よって、タバコや酒や覚醒剤をやめろと言葉で忠告しても、それが将来いかなる事態を引き起こすか正確な情報を与えることをしなければ、それを阻止することは難しいだろう。
たとえば、その情報としては、タバコについては、ニコチンで真っ黒になった肺臓の写真を見せたり、肺ガンで苦しんでいる患者の映像を見せたり、酒や覚醒剤については、それらが脳細胞を破壊する様子の視覚情報や廃人になった中毒患者の苦しむ映像をみせたりすることで、より将来における正確な情報が掴めそれを引き起こす常習行為を阻止する動機となる。
もちろん、個々人によって、その動機情報は内容的にもレベル的にも異なるであろうから、
本人が悪常習行為をやめるまで、さまざまな角度から情報を与える必要があるかも知れない。
ちなみに、ギャンブル依存についても、それうを断ち切ることができないのは、その賭博行為についての正確な情報が不足しているのである。たとえば、瞬間的な勝敗ではなく、ある一定期間においてはギャンブルでは絶対に勝つことは出来ないという情報(必敗情報)が手に入れば、もちろん誰もギャンブルに本気でノメリ込むことはないだろう。
その必敗情報自体については、ここで述べるには適当でないのでやめるが、タダ最初のひっかかりとしては、まず、或る一定期間において正確なギャンブル収支(帳簿)を確認することから始められるだろう。
ご回答ありがとうございます。
物理法則や生理現象を常習性とは呼びにくいように思います。
良い悪いにせよ、自分自身で制御不能(やめることができない)な反復行為を問題にしています。
タバコの害という情報があればたばこをやめることができるかもしれません。
しかし、情報がなかったとしても常習性を自覚したならそれを私の意思によりやめたいと思うのです。
No.3
- 回答日時:
No1です。
再度の質問ですが、これに答えることは意外というか、かなり困難です。たとえば、援助交際にはしる女子高生を相手にして、どのように思うかと問いかけると「うちの親もセックスをしているが、愛情なんてないよ、それとどこが違う」と逆襲されて返答に困る教師の話はよく聞きます。このようなことに対して河合隼雄は「魂が汚れる」と述べていますが、果たしてどの程度の効果があるかは分かりません。未成年の飲酒、喫煙は禁止されていますが、未成年の定義が日本は20歳であり、世界標準の18歳と比較すると、若干高めです。世界的な流れとして、早熟化の流れは止めようがなく、それよりも、18禁のような規定はそのままにしておくとしても、禁止されている行為を行うことが体を傷つけるばかりではなく、どうしても行いたいのなら被害を食い止めるような措置を考えるべきと教えることのほうが妥当だと考えます。
つまりセックスの際のコンドーム使用は、HIV感染を防止する上で重要です。生命倫理学では、責任能力がある者の「愚行権」を認めるという考えもあります。
いずれにしても、今回の質問は、「権威」なき時代に子どもに「どのように向き合うか」という貴重な提言と考えます。
ご回答ありがとうございます。
大人は良くて子供はダメは大人の都合によるものです。
本当なら、子供がダメならば大人もダメであるはずです。
恐らく、依存性の高い物に対して一定の年齢制限あるいは使用禁止の箍があるのだと思われます。
そこで依存性、常習性は哲学的にみるとどのように見えるのか気になった次第です。
No.2
- 回答日時:
「常習性を哲学的に否定するにはどのようなアーキテクチャーが必要でしょうか。
」常習性には肯定すべき常習性と否定すべき常習性がありますね。全て否定すれば人間存在も否定することになってしまいますね。
肯定すべき常習性を挙げれば、それに対して反対向きの常習性が否定されるべきものですね。
逆に言えば、肯定すべき常習性が人間存在の理由になるでしょう。
肯定すべき常習性を挙げれば、勤勉・社会奉仕(労働)・健康・など個人あるいは社会の一員としてのあり方ですね。
一例を挙げれば、人生死ぬまで勉強とすれば、一日パチンコ屋で過ごすことはないでしょう。酒の飲みすぎや薬物もないでしょう。などなどが挙げられるでしょう。
つまり、どうして生まれてきて死んでいくの?という原点に立ち返ってしまうのですね。
人生の真の価値観が説けなければ、常習性の肯定も否定もむずかしいでしょうね。それが末法の世といわれることなんでしょうね。
人生の真の価値観に対しての常習性の分類が肯定・否定構造なのでしょうね。
ご回答ありがとうございます。
常習性の評価はとりあえず脇に置いて、
コントロール不能の状態であるならはそれは全て問題と考えます。
人生を価値という物差しで測るのは無理があるように感じます。
No.1
- 回答日時:
常習性と言うよりも、依存性と言ったほうが適当でしょう。
依存性の哲学的否定というのは、ストア派やキリスト教哲学が述べていると思いますが、とらわれの否定と解釈すべきでしょう。しかし、そうなると、仏教も言っており、哲学的問題と言うよりも、倫理上の問題とも考えられます。哲学的に考えるならば、とらわれを否定せざるをえない人間というものは、何なのかということがより重要だとも思われます。しかし、冗談半分に言えば「とらわれの否定にとらわれないようにするのはどうすべきか」という命題が出現し、解決しません。
ご回答ありがとうございます。
依存性と考えるなら話は早そうです。
もう一つ、いわゆる18歳未満お断り的な考え方について、どのような説得力を持って子供たちに説明すべきでしょうか。
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