こんにちは、

イエスの系図を見ていると、

先ず、

イサク:父親に生贄にされそうになる。 (とわ言っても、途中で止める予定だったけど、、、。)

ユダ:姦淫の罪。 死刑

ラハブ:偶然、ヨシュア達の軍勢を助けたから、エリコ人は皆殺しの筈が、生き残る。

ダビデ:姦淫罪=死罪

ソロモン:モレクに犠牲をささげる。

レビ記20章2節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2)「イスラエルの人々に言いなさい、『イスラエルの人々のうち、またイスラエルのうちに寄留する他国人のうち、だれでもその子供をモレクにささげる者は、必ず殺されなければならない。すなわち、国の民は彼を石で撃たなければならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

列王記上11章7節に

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
7)そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

レハベアム(ソロモンの子):おそらく、かなりの悪事を行ったものと思われる。 死罪

歴代志下12章1節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1)レハベアムはその国が堅く立ち、強くなるに及んで、主のおきてを捨てた。イスラエルも皆彼にならった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

列王記上14章21~22節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
21)ソロモンの子レハベアムはユダで世を治めた。レハベアムは王となったとき四十一歳であったが、主がその名を置くために、イスラエルのすべての部族のうちから選ばれた町エルサレムで、十七年世を治めた。その母の名はナアマといってアンモンびとであった。

22)ユダの人々は、その先祖が行ったすべての事にまさって、主の前に悪を行い、その犯した罪によって主の怒りを引き起こした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

など(最後まで書くと疲れるのでこの辺で、、、、)ソロモン以下かなりの悪人(モーセの律法での死刑に値する罪人)が続きます。 

しかし、何故か誰一人として(なっていたら系図に載るはずないから当たり前なんだけど)、死刑にならなかったりして、生き延びてきました。

単なる偶然なんですよね?

教えてください、よろしくお願い致します。

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A 回答 (5件)

kigurumiです。



>モレクの事ですよね? 僕には何時まで、あれが続いていたのかサッパリです。

私もさっぱりです。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM …
ハドリアヌス(在位:117年 - 138年)が勅令で禁止したと書いてありますよね。
カソリックの信者とは、確か訳についてもめたのだったと思います。
ユダヤ人という言葉で原書は書かれておらず、ヘブライ人とかそういう別な名前で原書は書かれていたような。
(喧嘩するため原書が書かれているサイトを表示したところ、相手の方が民族名について指摘され、ユダヤ人を示しているわけじゃあないと言っていた。


モレクを信仰しているツロの王は、ダビデの時代、王宮と神殿を建設する際に、レバノン杉を送り職人も送ったらしいです。


>モレクとエロヒムは名前が似ていても一応別の神様と考えた方が良いような気がするんですが、どうなんでしょうか?

名前というより特徴が同じだから。
伝言ゲームによるズレなのかもしれませんが、インド方面のダキニの概念が他の地方に入ったとき、モレクやヤハウエイになったんじゃないかと。
イエス作家だってイエスに、「私が人々を救いにやってきたとでも思っているのか。そうではない。地上に火を放ち裁くためにやってきた。この地上が既に火が放たれ浄化されていたらどんなによかったか」って言わせていますよね。


火は穢れを清めるという概念があった。
だからウイルスに感染した肉かもしれないので、半焼けじゃなくちゃんと火を通してウイルスを殺してから食べろって言われるでしょ。
火葬にするのも、病原菌を殺さないと、集団が感染して人口が減ってしまっては困るからでしょ?
キリスト教は肉体の復活を信じているので、火葬にはしないそうですが。


>>>レビ記って祭祀職の人に対する法律ですよね。

>全てがそうではありませんよ。 20章は「イスラエルの全ての人に言いなさい。」で始まっています。章によってはレビ人専用の掟が書かれた章もあります。

私はレビ記の内容って聖職者向けのハウツーマニュアルだと思っているんですね。
レビ族が宗教的にも政治的にも支配権を持っていたとき、人民をどう指導するかは聖職者にかかっていたが、派遣されるレビによって言うことが違ったら困るじゃないですか。

カソリックも宗教規範を作り思想を統一していますので、バチカンから派遣される人によって、同じ箇所なのに、説教をする人によって違うってことは無いでしょ?
信者をどう導くかの異口同音にするため、規範 つまりマニュアルを作って教育して、認定された人が派遣されるので、どの聖職者が言っても全く同じ指導の仕方になるってシステムになっている。

>ユダとタマル、どっちもレビ記的には罪人なので、どっこいどっこいですね。

長男・次男が罪人すぎたので、も神によって命を取り上げらた、もしくはユダ自身が重大な罪を犯したから、彼の息子を神が取り上げた というのが古代の解釈。

智恵文学で、ヨブの物語がありますよね。
ヨブは息子たちが死んでいる。
息子たちは死ぬわ、家畜は全滅するわ 家を失うわで散々な目にあったとき、友人の一人は「自分では気づかないが、神は全てお見通して、神が凝らし目をするほどの重大な罪をおかしていたんだよ きっと」っと言った。
子供を失うってのは、必ず理由があるはずだって、古代のこの民族は因果関係があると思っていた。

マリアの両親は子供ができず、神殿に行って神様に子供をさずけてくださいと祈りに行こうとしたが、聖職者は「お前たちに子供ができないのは、神がお前たちを呪っているからだ。神に呪われた者たちを神殿で祈らせることはできない」と追っ払った。
そのため、マリアの父親は荒れ野で罪を清めるために40日間修行したってなっています。

これがこの民族の価値観。


イエスの祖先に4人の悪女がいる とよく指摘されますが、女は関係ない。
男の子供は女を通して授かるとされるので、女は男の子供を体内で育成してこの世に排出する土壌みたいなものと捉えていたようです。
要は男。種次第ってことらしいです。
これでいくと、<イエスの祖先の4人の悪女>って言うのは着目が間違えていると思えるんですね。
イエスの祖先の沢山の神に背信する男たち ってのが的を得ていると思える。


>ここら辺が良く分からないのですが、デナの言い分はどうだったんでしょうね? 

んーー 
ヤコブは罪を犯して、民族の罪をとりのぞくため逃亡の旅に出て、井戸で(ヒエロスガモス再登場)ラケルを見初めますよね。
ラケルもヤコブを気に入ったが、すぐ合体せず、ヤコブはラバンの元で奉仕して、ラケルを娶ろうとした。
ところが7年ラバンに奉公したのに、ラバンはヤコブに長女レアを与えた。
レアはヤコブがラケルを欲していたと知っていたでしょうから、ラバンにヤコブに嫁げと言われて複雑だったかも。
結局 ヤコブって4人も妻持ったので、、、、ラケルのみ愛したわけじゃあなかったようです。

その第一婦人のレアが産んだ娘がダナ。
ダナのみ族長にならなかったのは、女性は土壌と考えられていたからじゃないかと。
土壌に種付けするときは、契約した後ってことじゃないかと。
ヤコブのように長年奉公してから嫁もらえってことかな?

その頃、女性たちは家長に「あの男に嫁げ」と言われてどうだったのでしょうね。
日本は昔お見合いですらなく、結婚式で始めて夫となる人に会うってのは、普通だったらしいです。
そういう人にどう思ったかって聞いたことあります。
「好きもよいも悪いもない。 父親がそう命令したからそれに従ったまで。」とどの女性も答えてましたね。
従うことで生き延びるってことかしら??

ただ、娘を男に嫁がせるときは、それ相当の財産を持たせたでしょうから、家長が認めた男にのみに娘を与えて財産分けしたと思うので、父親は娘の結婚相手を吟味したでしょうし、娘も父親が太鼓判を押す相手なら と受け入れたんじゃないか と。
(ただ この時代、恐らく財産は母親から娘に引き継がれていたと思うので、より慎重に娘を嫁がせる男を選んだと思います。)


>いや、最高権力者だったから、「なんてことを~~~~~、、、、あ、、誰も俺罰せれないじゃん。 じゃ好きにしよう。」だと、、、。

モーセの場合、殺人を犯し、誰もがモーセは殺人者だと知っていたのに、とがめられていませんよね?
モーセはエジプトの女王の息子ですから、誰も文句言えなかった。
でもモーセは罪を感じ、集団から罪を取り払うために、エジプトから離れた。

モーセとダビデの格の違いが伺える。
モーセは宗教的指導者 兼 政治的指導者。
ダビデは政治的指導者でありながら、宗教的にも指導者になろうとした。

おもしろいですねぇ。
ここらあたりから、宗教的指導者の力が政治的指導者におさえつけられ、乗っ取られ出したんじゃないか と。
ダビデの時代から、ダビデが選んだ家を大祭司に据えて、それはユダヤ戦争の時代まで続いたんだったような気がします。


>子供を生んだという事が書かれていないので、よう分からないのですが、どうなんでしょうね?

外典のヨベル書に、カインはアダムとイヴの長女のアワンと結婚したと書かれています。


>もしかして、、、、という事は信者の方からすると、、、、質問文であげた人物全員、聖者なんでしょうか? 律法破っているけど。

アブラハムは今まであった人間を生贄にすることで、自らの罪を消すという風習を撤廃した人 という認識なんじゃないかと。

イサクはどちらかというと初子の方 つまり長男が偉いって言い分をするのに利用されただけのような。
神から救われたというよりも。。。
神は「たとえ疎まれても長男が偉い」みたいなことを言ったとされます。
だからイシュマルの方に寵愛を注ぎ、追放されたハガルとイシュマルが死なないように養った となっています。
イシュマルの方がイサクより前にイサクの子として生まれていますから。


ユダは、自分の犯した罪に気づいて清い状態の戻った手本の人って設定じゃないかと。

放蕩息子の帰還とか 信者に受けているじゃないですか。

放蕩 つまり 罪を犯したが、その息子が清い状態に戻る ってのが聖書のメインテーマじゃないかと。


ラハブは神官って設定じゃないかと。
だからラハブが選んだ男に祝福が与えられる。
つまり女神の地上の体現者ラハブが選んだものが生き延びる つまり 女神がこの民族に微笑んだってことじゃないかと。

日本も茅の輪の風習ありますよね。
恐らく子沢山のまじないの一種じゃないかと。


ソロモンは、、、、 異教の神の偶像を神殿に設置して崇拝していた人物 というおり、知能が高いための成功した偉大な政治家ってことじゃないか と。
ユデア方面は鉄が取れず、ヒッタイトと交易をして原材料を仕入れており、加工の技術はあったので、武器に加工して武器を近隣諸国に売りさばき、国に繁栄をもたらすことに成功をしたとすれば、交易先とに有効の証として、神殿に異教の偶像を設置し、各地から原材料を売りに来たり、武器を買いに来た商人たちが、故郷を離れた期間も信仰を保てるように図ったってことじゃないか と。
戦略家だぁ。

異教の人々が自分の信仰する神を拝むのはオッケーってすることで、「ソロモン なにしとる」と言われなかったんじゃないかと。

レハベハムは、宗教分裂の時代に生まれたのだと思えます。
本来ならソロモンは第二子ですから、長男がダビデの王位をひきつぐはずだったが、いろいろあってソロモンを押す派閥が勝利した。
ソロモン死ぬと、もう一度 支配権争奪戦に巻き込まれたんじゃないかと。

エッサイの子孫を否定する派閥が現れ、ぐちゃぐちゃになって、「じゃあ 俺たちエッサイ一族をリーダーとする集団で別の国を作る」ってことで、独立したんじゃないかと。

その独立した方がユデア つまり ユダヤ王国。
で、バビロンに捕囚された以降に、今までの言い伝えをとりまとめ、ユダヤ教を確立したんじゃないかと。

マニュアル(旧約聖書)が完成したのは、紀元1世紀頃だったらしいです。
そうした途端、ローマによって離散させられ、エルサレムから追い出されてしまいましたが。
神の民族に対する重罰ってことなんでしょうかねぇ・・・。
これ以降2000年も離散させられてしまって。。。
しかもまだ神殿を建設することを許してくれない。
こりゃ エッサイの枝以外から、メシアを出すしかないんじゃないかと。
大祭司の血筋 守られていると思うので、神の元に戻ってそこから神のいいつけ通り出すしかないんじゃないかと。

この回答への補足

いつもお世話になります。

>ユダヤ人という言葉で原書は書かれておらず、

そういえば、なんて名前だか忘れましたが、アレクサンドロス大王征統記にも別の民族名で書かれていました。 そういえば、ユダヤ人っていつ生まれた言葉なんでしょうね?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80% …

では、バビロン捕囚の時みたいですが、アレクサンドロス大王はそれより後の時代だし、、、。

>インド方面のダキニの概念が他の地方に入ったとき、モレクやヤハウエイになったんじゃないかと。

ダキニをご存知なんですね。

人身御供に関しては、伝言ゲームが原因なのか、昔は皆やっていたことなのか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%BA%AB% …

他にも、ローマの歴史家タキトウスの著書「ゲルマーニア」でもゲルマン人が人身御供を行っていたことを記録していますから、世界中どこでも行っていたようにも感じられます。

>「私が人々を救いにやってきたとでも思っているのか。そうではない。
>地上に火を放ち裁くためにやってきた。この地上が既に火が放たれ浄化されていたらどんなによかったか」って言わせていますよね。

そこなんですが、、、これまた複雑怪奇なんです。

ルカ9章54~55節

イエス達一行、エルサレムに向かおうとするも、歓迎されないと、

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
54)弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
55)イエスは振り返って、彼らをおしかりになった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ルカ12章49節 (突然前触れも無く、)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
49)わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

どっちなの? 本音は? 混乱が起きています。

「後者の火=聖霊」つまり、「火が燃えている=人々が正義感に燃えている。」というオチでしょうか? 前者は、エリヤが大量殺人した天から降らす炎でしょうかね?

「後者の火」が燃え出すと、
ルカ12章51節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
51)あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

分裂してしまう、、、、、。 そんな正義感いりません。 和をもって尊しとするにしてください。

>火は穢れを清める

ある意味合ってますよね。、モーセは、燃えないものなら(鍋等の金属製の物とか)、なんでもかんでも火を通せって。

>私はレビ記の内容って聖職者向けのハウツーマニュアル

あ、言葉を取り違えていました。 そういう意味でのレビ人専用ですか。 それならそうですね。

>「好きもよいも悪いもない。 父親がそう命令したからそれに従ったまで。」とどの女性も答えてましたね。

僕も聞いたことありますが、嫌だったのに無理やりさせられたと言っていた人もいました。

人それぞれですが、やっぱり、おそろしいもんですね風習だからとなんの気兼ねも無くやれちゃう人って、、、。

>宗教的指導者の力が政治的指導者におさえつけられ、乗っ取られ出したんじゃないか と。

それは、僕も感じますね。

>外典のヨベル書に、カインはアダムとイヴの長女のアワンと結婚したと書かれています。

いつか、外典も読まんと、、、、神話フェチですから。でも図書館に無いから自費で買わないといけないんですね、、、。(泣)

>アブラハムは~、

アブラハムからレハベアムまで、一応そう受け止めると、「悪くは無い人」になりますね。

<こりゃ エッサイの枝以外から、メシアを出すしかないんじゃないかと。>
<大祭司の血筋 守られていると思うので、神の元に戻ってそこから神のいいつけ通り出すしかないんじゃないかと。>

そもそも、エッサイの枝の考えかた自身、宗教指導者が政治的支配者に制圧されて、ダビデの家系について良い予言をする預言者の言葉しか残らなかったのかも? とも時々考えます。

ちゅうか、いい加減に聖書に頼らんで自分で考え~!でしょうか?

兎に角、何となく解決しました。 イエス先祖は悪人ではない(と思われている)。 だから僕の懸念は意味がないようです。

一応もう数日待ってから締め切ります。

改めてご回答ありがとうございました。

補足日時:2009/04/30 13:08
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お気づきだと思いますが、長文になったので、補足欄に返信しておきまし
た。

解決不能と思われたんですが、なんとか解決!!!



改めて、御礼申し上げます。

お礼日時:2009/05/01 11:10

kigurumiです。


あ、、、ちがった。

>金の雄牛登場

じゃなくて 金の山羊登場 でした。
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kigurumiです。



<生贄>については以前考えたんですよ。
この件で、カソリック信者ととっくみあいの喧嘩をしたんですが、私は<この民族が生贄をしていた。新約聖書が書かれた頃も生贄をしていた>という路線でした。

ただ、これだけの頭脳を持つ民族が、本当に人間を生贄にして食っていたのかなぁ・・と信じられず。
いっくら古代で価値観が違うといっても、今も昔も心ってものは変らないだろうに。
しかし、これが宗教というスイッチが入ると、やっちゃうのかなぁ・・・ と。

ローマ皇帝は、わざわざ法律を作ってユダヤ人に人間を生贄にして食うことを禁止したとされるが、その全文が見つからない。
決定的な証拠が出せなかった。


行き止まり・・・かと思えば、、、やはり神話は神話でひもとくのがよろしいようで。
ボイオティア神話。
プリクソスは生贄に捧げられるところだったが金の雄牛登場。身代わりになってくれた。
この神話がユダヤ人に伝わると、イサク物語りとして語られることになったわけですね。(牡羊座の神話)
寝落ちみたいな落ちですね ^^;


>12)子の妻と寝る者は、ふたり共に必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをしたので、その血は彼らに帰するであろう。


おおっ! 調べてますね。
この文章をどう料理するか。
レビ記って祭祀職の人に対する法律ですよね。
子の妻がお舅さんの子供をはらんだら、子の妻は夫の子供を残せないですよね。
そうなると、姦淫ですよね。
夫が生きているうちはやっちゃいけないですもんね。


>25)しかし、男が、人と婚約した女に野で会い、その女を捕えてこれを犯したならば、その男だけを殺さなければならない。
>なので、どちらにしても、ユダは死罪かと思いましたかどうでしょうか?

うむ、タマルが3男と婚約していたら、姦淫したとなるかも。
だから、ユダが怒ったのかも。
ところが、亡き夫の子供を残す行為をしようとするタマルと、息子の子供ができるのを妨げようとしたユダの行為。 どっちが罪が重いでしょうね。

って問題じゃないか と。


で、ふっとここで気づいたんですね。
<イエスの系図の中で>と質問に書いておられますが、新約聖書 マタイとルカでしたっけ? に書かれている系図はイエスの系図では無い。

イエスと血のつながりが無いユダ族のヨセフって男の系図です。

なんでイエスと血のつながりが無い男の系図を長々と書く必要があったのか。
最大の謎の一つ。

ヨセフは婚約者のタマル じゃなくてマリアが既に妊娠していたと知り、悩んだが気の毒に思ったかどうか、マリアと婚約破棄をしなかったってなっていますよね。

ヨセフは正しい人だったので、腹ボテマリアを娶ったとなっている。
ユダはタマルの方が正しいと言った。
マリアはアロン家の血族の可能性がありますよね。
タマル 何者なんでしょうね。
調べたけど出自がわかりませんでした。


>2)その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた

いっくら愛しているからといっても、同意無しの性交はレイプってことですね。
自分の民族を辱める行為をしたとして、報復していますね。
契約という手順を踏んでなかったのがいけなかったんじゃないか と。


ダビデのこの物語は少なくとも2つ意味を持っていると思えます。
一つは人に指摘されないと、自分が犯した罪に気づかないが、自分の行為に罪があったと悟った瞬間許される。 みたいな?

もう一つは、バテシバとの結婚は、女神と聖王の聖婚(ヒエロスガモス)を現していると思える。
物語の中では、二人の初子は神にささげられている。(死んでいる)



>カインの結婚相手がいるからですか? 確かに、アダムとイヴ以外に居ない筈の人達がいますね。

いえ、カインはアダムとイヴが両親。
そしてカインの妻の両親もアダムとイヴ。
つまりカインは実の妹と結婚して子供をもうけていることになっているんです。


http://www.j-world.com/usr/sakura/bible/creation …
その文章の指摘箇所は違いますが、内容を読むと、詳細が違うので、少なくとも2度神は人間を創ったかのように捉えることができるでしょ?

ヤハウエストとエロヒストでは天地創造が違うのが原因で、どっちが正しいともわからないので、どっちも載せたってだけだと思いますが。


恐らく 同じ内容を別々に取り入れたから2回創造したことかのようになってしまっているんじゃないか と。


で、、、、
結局 イエスって人物は実在していませんが、聖書を神話や教訓物語ととらえるのなら価値がある文学作品だと思います。

ただ、、、、イエスと関係ない男の系図をどうしてあんなにスペースを裂き載せたのか。
あるたくらみがあったからだと思える。

エッサイの枝から王が誕生するって主張をするため、ヨセフの系図を書いたのだと思う。
処女が子を産むってのは処女宮(乙女座)の神話のことで、イエスってのが本当にいたら、処女宮(ベツレヘム=パンの家)から生まれたくらいすごい神聖な人って意味になるわけで、実の父ヨセフ、母マリアでいいわけです。

女神から授かった子供を育てる ということで両親が養父母と仮定するのは、理解できる。

水の概念を持つ女神から生まれたとしてMAでしょ。
Mは水でAは初めや誕生。 MAMAで母親って意味で、印欧語圏では、母親はMAMA。

だからといって川から流れてきた桃太郎は実の子じゃないとか、川から取れたモーセは実の子じゃないとか、そういうことを言っていたわけじゃあないと思える。

ということで、イエスのモデルになる人がいたとしたら、実の父ヨセフ、母マリアでいいんじゃないか と。

でも イエスの祖先は罪深い?
ええ、それでも崇拝されえるってところに、救いがあるんじゃないかと。

例えば、ヨシア記のイエス(ヨシア)ってエリコの住民を大虐殺したとなっていますよね。
子供も全部 みなごろにした血も涙も無い鬼畜イエス。
だけど民族に利益をもたらしたから、悪く言われていませんよね?
ナポレオンだって大虐殺しましたが、英雄とされるでしょ?

結局 人間の価値って、自分に利益をもたらすかかどうかで、善悪の判定は分かれるんじゃないか と。

この回答への補足

再度のご回答ありがとうございます。

<<生贄>については以前考えたんですよ。>

モレクの事ですよね? 僕には何時まで、あれが続いていたのかサッパリです。

<金の雄牛登場。身代わりになってくれた。>
<この神話がユダヤ人に伝わると、イサク物語りとして語られることになったわけですね。(牡羊座の神話)>

生贄と食っていたってイサクの話ですか? モレクとエロヒムは名前が似ていても一応別の神様と考えた方が良いような気がするんですが、どうなんでしょうか?

それにしても、神話って面白いですね、伝言ゲームの初めの言葉なーんだ?って感じですね。

>レビ記って祭祀職の人に対する法律ですよね。

全てがそうではありませんよ。 20章は「イスラエルの全ての人に言いなさい。」で始まっています。章によってはレビ人専用の掟が書かれた章もあります。

>夫が生きているうちはやっちゃいけないですもんね。

どうもレビ記を見ていると、婚約=結婚したも同然、だったようです。 3男に与えると一応言っていますので、、婚約、許婚かな?

ユダとタマル、どっちもレビ記的には罪人なので、どっこいどっこいですね。

>新約聖書 マタイとルカでしたっけ? に書かれている系図はイエスの系図では無い。

そういえば、今までどこで聞いたか覚えていないんですが、マタイはヨセフの系図、ルカはマリヤの系図だとか、二人はいとこだったとか聞いて納得していましたが、、、何処に根拠があって、、、そんな事言っていたんだろう??? 新たな疑問が、、。 本題とずれますので、この質問が解決したら新たに質問立てます。

>いっくら愛しているからといっても、同意無しの性交はレイプってことですね。

ここら辺が良く分からないのですが、デナの言い分はどうだったんでしょうね? 

また、どっちにしろ、レアや、ラケルのように父親の決めた人と好きであろうとなかろうと結婚させられるんでしょうが、、、。

>契約という手順を踏んでなかったのがいけなかったんじゃないか と。

婚前交渉はいかんよって事ですよね? やっぱ。

>ダビデのこの物語は少なくとも2つ意味を持っていると思えます。
>一つは人に指摘されないと、自分が犯した罪に気づかないが、自分の行為に罪があったと悟った瞬間許される。 みたいな?

いや、最高権力者だったから、「なんてことを~~~~~、、、、あ、、誰も俺罰せれないじゃん。 じゃ好きにしよう。」だと、、、。

>そしてカインの妻の両親もアダムとイヴ。

子供を生んだという事が書かれていないので、よう分からないのですが、どうなんでしょうね?

>その文章の指摘箇所は違いますが、内容を読むと、詳細が違うので、少なくとも2度神は人間を創ったかのように捉えることができるでしょ?

確かに!

>例えば、ヨシア記のイエス(ヨシア)ってエリコの住民を大虐殺したとなっていますよね。
>子供も全部 みなごろにした血も涙も無い鬼畜イエス。
>だけど民族に利益をもたらしたから、悪く言われていませんよね?
>ナポレオンだって大虐殺しましたが、英雄とされるでしょ?

もしかして、、、、という事は信者の方からすると、、、、質問文であげた人物全員、聖者なんでしょうか? 律法破っているけど。

こんな悪人をなんで先祖の設定にした????? と思っているのは少数派なのかも?

改めてご回答ありがとうございました。

補足日時:2009/04/29 22:21
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まず、えっと、、、




聖書では神はアブラハムの信仰を試したため、初子を自分の罪を清めるための生贄として捧げよと命令したことになっております。
神の命令に違反することは神に背くことになります。

エジプトやバビロンでは、生贄の儀式として初子を捧げる風習があったそうです。
ですが、殺していたのではなく、聖職者にした  あるいは 儀式をする際に、長男が借り出されていた って意味じゃないかと。

この民族は移動する民族でしたので、幕屋を担いで次の移動先に持っていってました。
その際 レビ族以外にも担がなければ移動できなかったのですが、聖なるものとされるものに一般の人がタッチすると穢れるとされ、それで一般人の中で長男は神から祝福された者に与えられた聖なる子として、移動の際に神輿を担ぐため借り出されていたのではないか と。

日本の神輿ももしかしたら昔は長男のみ担げたのかもしれない。

で、恐らくですが、バビロン捕囚以降にアブラハムとイサクのこの物語は作られたのではないか と。
その頃は、神殿がありましたから、移動しないので、初子を移動の際に借り出すってことをする必要が無く、従って初子を捧げるということは今はしていない理由として、そのようなエピソードがあったのと、神の命令にはあくまで忠実ってことを言うために、作られた物語じゃないか と。


キリスト教も、子供を神に捧げるってのは、子供を聖職者にするって意味でしょ?
神に捧げるため殺しはしないでしょ?
二度と会えない閉ざされた世界に自分の大事な長男を捧げる=信仰深い って評価されたでしょ?


ユダは姦淫していない。
確か妻死んでいたと思います。
嫁を家族の誰かと結婚させるわけですが、息子限定って決まりは無かったと思います。
タマルと死んだ長男の間にできるはずだった子供は、タマルとユダの間にできた子供として生まれる というわけです。
ユダは自分の分身の息子たちが次々死ぬので、3番目の自分の分身まで死なれては困るってことで、タマルと結婚させなかったと思える。
ですが、3番目と長男の子供が残るわけで、タマルは間違えていないとなる。
最初から、未亡人タマルを嫁にしたかったでしょうけど、その頃はまだユダの妻は生きていたじゃないか と。



古代では自分の血筋が重要視されており、自分の分身が子供であるという認識で、自分の分身は女を通してこの世にまた誕生するという考えがあった。
ところが中には女の子が生まれることもあった。
これは当時の哲学者の頭を悩ませる問題だったそうです。
男の子供は男になるはずなのに、どうして女が生まれるのだ???と。


聖職者ヨハネは、ヘロデは姦淫をしていると批判したことになっています。
これはヘロデが兄か弟の妻だった人を嫁にもらったから。
夫が生きているうちは、未亡人じゃないので、その生きている男の妻を自分の妻とすることはできないんです。
死んでいたらオッケーです。



ラハブってのが、なんでバビロンの神話の中に登場するティアマートが生み出した獣が、ここでラハブとして物語に登場するんでしょうね。


アブラハムって今のイラクのある地域の出身ですよね。
ということは、当然、聖書の元ネタの物語を保有していた民族の出身。
従って、ラハブが聖書にも出てくるわけです。
神に対して反乱を起こした神々と戦うために、ティアマートが生み出した獣 ラハブ。

「ラハブ 懲らしめちゃいなさい」として懲らしめの役割を持っているラハブちゃん。
ティアマートの分身でもあるわけで、、、

エリコの住民、もしかして海の民の分派だったのかもしれないですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE% …
ペリシテ人とユダヤ人って辿ると同じ人を祖とするんですけどね。
作者が何を言いたかったのかは、わかりません。
が、実在していたとしたら、女神はヨシア側に微笑んだってことを言いたかったのかも。



ダビデは厳密には姦淫を犯していない。
バトシェバの夫を殺した後、結婚している。
洗礼者ヨハネがヘロデが姦淫をしたと言ったことを姦淫の意味だとすればね。


イエスは姦淫をしたという女を救ったとありますよね。
ダニエルでしたっけ? あれに好きな女が自分になびかなかったから姦淫をしたとした長老かなにかが登場して裁判にかけて性交を拒んだ女を殺そうと図り、ダニエルがその嘘を見破り女を救ったってストーリーがありますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B6% …(%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E6%9B%B8)

ダビデも覗き屋の立場として後に登場する。
繰り返し語られるストーリー。
果てはマグダラのマリアは売春婦で、彼女をイエスが救ったって話にまでなっちゃって。
「おいおい  あなたの罪は許されたって」もしかして、罪も無いのに罪人だとされたのかもしれないぞー。
罪を犯したと決め付けるなーー イエスのばっかー って思いました。
マグダラのマリアは後に冤罪を晴らされたけどね。



ソロモンのモレク。
これはわからないです。
ローマがエルサレム神殿を破壊したあとも、ユダヤ人は初子を生贄として捧げていたため、ローマはわざわざ生贄の儀式を禁止する法律を制定したらしいです。
ですが、誤解かも。
キリスト教徒は血族が無い人も兄弟姉妹と呼ぶことから、近親相姦をしているとされ、ぶどう酒とパンの儀式を見て、人を殺してその血を飲み、人肉を食っていえるとされ、鬼畜どもがとローマ帝国により迫害されましたよね。
これに似たようなものかも。

モレクってバアルで、バアルはヤハウエイなので、結局同一の神を信仰しているってことにもなりますし。


レハベアム。
これは、、、
ソロモンの死後、聖職者同士で権力争いをして、自分の派閥が推す者を王にすれば政権が取れると、今でいうならダライラマにまつわる政権争いと同じことが起きたらしいんですね。
だいたい その神話見ても、勝ったほうのが神話を作っており、負けた方を悪者に設定して悪いことをしたという話にしているじゃないですか。



旧約聖書を読んでて、「あれ?」って思うことがありませんか?
例えば創世記では少なくとも神は2度は人間を作っていることになっている。
アダム一家以外に別の人間を作っていることになる。
別の人間 つまり原罪を負っていない人間と原罪を負っているとされる人間がいることになっている。
日本人は原罪を負っていないので、洪水に見舞われなかった人々の子孫?

と考えるより、、、 いろいろな派閥があり、どの派閥により物語が違うらしんです。
例えば、時代によってどの派閥が権力をもったかで、聖職者が政治支配者より上になっていたり、政治支配者の方が聖職者より権力を持っていたとして描かれていたり。

あとは思想家は、古代の有名人とされる人の名前をもって、モンが足りを作ったそうです。
だから、実際ダビデやソロモンがやったとされる内容も、実は本人はやってはおらず、後世の思想家の考えとして描かれている場合がある。


で、どれが本当の物語なのか誰もわからなかったそうです。
従って聖書を編纂するとき、「恐らくこれ ソロモンが実際にやったものじゃないか?」「ダビデが実際やったことじゃないか」と思えるものを、聖典に加えたらしいです。

しかし、真実を知る人はいないので、聖典に入れなかった物語も残したのだそうです。
聖典に入れたものは真実の物語とは限らないとしたから、残したわけですよね。
神に関することが書かれた書物はたとえ偽者だと思えても、絶対に燃やしてはならない という掟があったのもそのためじゃないか と。


キリスト教のある一派は、「これが真実 それ以外は偽物語だから、我々が真実と決定した物以外の物語はこの世から抹殺」という方針だったので、神に関することが書かれている書物でも、自分たちが認めなかった書物は燃やさせた。
他の物語が無くなれば、自分たちの主張する物語のみ残り、それを支持する自分が唯一の正義になりえる ってことで、工作したわけです。


ところが、神に関する書物を燃やすことは、神への最大の背信行為だとする掟を守り、燃やさなかった人もいたわけです。

秘密裏に隠した。
公にすると焚書命令を出した上司に殺される時代でしたから。
工作によりキリスト教の独占権を取った派閥は、もう安泰だと思って2千年近く独占政治をし続けたわけです。
ところが、、、出てきちゃいました。
あるはあるは、古代のキリスト教は1つの思想ではなく、今とは比べ物にならないほど多数のキリスト教があったとわかった。

神は隠したものも表にさらけ出し裁く。
うまいこといいますよね。
隠しても無駄だったってことですね。
工作失敗。
神を殺したはずが、神は死んでいなかったようで、今は神殺しをたくらんだ派閥 V S神との戦争状態。
神が勝つか、神になりすましたキリスト教が勝つか。
傍観してます。笑

あとですね。
ユダヤ教は聖書通りのイエスが存在していたことを認めていません。
だってこれだけ不利になるような物語を残した民族が、自分たちの不利になるようなイエスの実在を残さないはずないでしょ?
誰も実在を知らなかったのなら、すっごい小さな地域で細々と活動していたことになるじゃないですか。
エルサレムに入場するとき、人々はイエスを見たはずですよね。
誰も知らない 見ていない。
どうして?
だって実在しない人物だから。

ユダヤの歴史の隅々まで知っていたヨセフスすら、イエスが実在したことを記録に残していない。
だって存在しなかったことを歴史家ヨセフスは記録として残せませんよね?
ローマの資料にピラトの名前はある。がイエスは無い。

その実在しない人の系図がどうしてあるのか?
しかも 書物によって系図が違う。
幾多の戦争で系図が残せ無くなったため というより、イエスは実在しておらず、政権を取ろうとする人がでっちあげたというのが素直な見方じゃないか と。

日本書紀でも混乱が見られますよね。
1000年近く生きたようになってしまっている。
正当性を示すために後世に作られたわけだが、もっともらしいようで、現実 人間 そんなに生きらないこと考慮すれば、系図は正しいことが書かれているわけじゃあないとわかります。
ですが、天皇を神にしたてあげることで、1000年近く生きることが可能だとしている。


で、聖書を読むとき、???って箇所があれば、それは少なくとも派閥争いがあったって推測して、どの派閥の言い分だろう?って考えた方がいいと思うんですね。

この回答への補足

待ってました! 着ぐるみさん!

今回も、自由に見解を述べますと、

>キリスト教も、子供を神に捧げるってのは、子供を聖職者にするって意味でしょ?
>神に捧げるため殺しはしないでしょ?

創世記22章9~12節

全て引用すると長いので、10節だけ、
~~~~~~~~~~~~~~~~~
アブラハムが手を差し伸べ、刃物を取ってその子を殺そうとした時、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>で、恐らくですが、バビロン捕囚以降にアブラハムとイサクのこの物語は作られたのではないか と。

僕も資料仮説を信じているので、そうだと思います。

>ユダは姦淫していない。
>確か妻死んでいたと思います。

はい、妻は死んでいます。

しかし、タマルは3男と結婚の約束(=婚約)していましたよね。

レビ記20章12節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12)子の妻と寝る者は、ふたり共に必ず殺されなければならない。彼らは道ならぬことをしたので、その血は彼らに帰するであろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、申命記22章25節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
25)しかし、男が、人と婚約した女に野で会い、その女を捕えてこれを犯したならば、その男だけを殺さなければならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なので、どちらにしても、ユダは死罪かと思いましたかどうでしょうか?

また、婚前交渉の立場からみると、(結婚してませんでしたよね、ユダとタマル)。

創世記34章1~2節
~~~~~~~~~~~~~~~~~
1)レアがヤコブに産んだ娘デナはその地の女たちに会おうと出かけて行ったが、
2)その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

自由恋愛をしたシケム君。

真剣に愛していました、結婚を申し込みます。
創世記34章4節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
4)シケムは父ハモルに言った、「この娘をわたしの妻にめとってください」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

しかしそれは、
創世記34章
~~~~~~~~~~~~~~~~~
7)ヤコブの子らは野から帰り、この事を聞いて、悲しみ、かつ非常に怒った。シケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルに愚かなことをしたためで、こんなことは、してはならぬ事だからである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

という訳で、やっぱり姦淫だと思うんですがどうでしょうか?

ラハブは、なんと、バビロン神話にも登場するんですか? 聖書では、ご存知の通り遊女です。

ダビデは、アビガイルを妻にした時は、夫を殺してのあとでしたが、バテシバとは違います。後にバテシバと結婚しましたが、初めての出会いは、まだバテシバの旦那が存命中だった筈です。しかも妊娠させてしまったので、冷や汗だったようです。初めは誤魔化してウリヤの子としようとしたものの、上手くいかず結局殺したんでしたね。

長いのでサムエル記下11章をご存知とは思いますが再度お読みいただければご理解いただけると思います。

またサムエル記下の12章には(預言者)ナタンが来てダビデを責めています。

ダビデ自身詩篇の中で苦しい詩を述べています。

詩篇第1巻38篇7節
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
7)わたしの腰はことごとく焼け、わたしの肉には全きところがありません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

不倫の後には腰でも神の火で焼かれる悪夢を見たんでしょうね。

お礼欄に続きます。

補足日時:2009/04/28 17:05
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。補足欄からの続きです。

補足欄では気がつけば、クダクダとすいませんキグルミ様の胸をかりるつもりで、ガンガン突っ込んでしまいました。

>「おいおい  あなたの罪は許されたって」もしかして、罪も無いのに罪人だとされたのかもしれないぞー。
>罪を犯したと決め付けるなーー イエスのばっかー って思いました。

ここは爆笑しました。 確かに千里眼でも持ってなきゃ、「んな勝手に、、、。」ですよね。

>モレクってバアルで、バアルはヤハウエイなので、結局同一の神を信仰しているってことにもなりますし

名前は一緒でも、同姓同名って事なんでしょうかね? そこら辺は僕にはサッパリ。

ただやっぱり、人身御供はしたんだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AC% …

<だいたい その神話見ても、勝ったほうのが神話を作っており、負けた方を悪者に設定して悪いことをしたという話にしているじゃないですか。>

確かに、仰る通り、テロリスト・ダビデが聖人になっていたり、おかしな表現が多いですが、レハベアムは悪人にされていますね。 これも、派閥争いの結果でしょうかね? ソロモン派は途中で、聖書記録係りに裏切られた?

<例えば創世記では少なくとも神は2度は人間を作っていることになっている。>

カインの結婚相手がいるからですか? 確かに、アダムとイヴ以外に居ない筈の人達がいますね。

そして、最後までご回答拝読しました。

う~ん、それにしても流石ですね~、インド関係だったら、もしかしたら僕の方が知っているかも知れませんが、イスラエル近郊の神話の知識ではかないませんよ。

またなにか質問があった時は、よろしくお願い致します。

お礼日時:2009/04/28 18:37

zatousanさん



「列王記上11章ソロモンの背信とその結果」を引用しているけど

12節からこんなことが記述されていますよ。

あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代には
その手から王国を裂いて取り上げる。
ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない
わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。
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この回答へのお礼

こんにちは、ご回答ありがとうございます。

>12節からこんなことが記述されていますよ。

それは、知っていますが、、、、。

回答者様のご引用された聖句が示した通り、王国を引き裂く為にソロモンに敵ができましたね。

列王記11章14節と23節

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14)こうして主はエドムびとハダデを起して、ソロモンの敵とされた。彼はエドムの王家の者であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
23)神はまたエリアダの子レゾンを起してソロモンの敵とされた。彼はその主人ゾバの王ハダデゼルのもとを逃げ去った者であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

また、その後王国は衰退していきますが、それと悪人が沢山出るのと関係あるのでしょうか?

それとイエスの系図に死罪もしくは死ぬ運命だったはずの人が多いのと関係ありますか?

改めてご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/04/28 05:57

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>できれば、聖書や外典等の何処に載っていたのか教えていただけますか?

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>>大祭司の家系は純潔を守るため、大祭司の家系同士でしか結婚しなかったらしいですよ。
>という話を知りませんでした。
>できれば、聖書や外典等の何処に載っていたのか教えていただけますか?

実は、ダ・ビンチ・コードがらみの本からなんです。
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(1)しかし、もっと驚くべきことにリベットは、自発的な行動にかかわる脳内のニューロン作用を、被験者が動くと決めた時刻より決まって300~400ミリ秒も前に検出したのである。この明らかに自発的な動作は、被験者が行動を意識的に決めたと思うより前に始まっていたのである。
・・・重大なことに、意識的な行動意図の認識と運動刺激の開始とのあいだには、なおも200ミリ秒のすきまがある。リベットの提案によれば、まさにこの運動遅延期間に、意識は随意行動に影響を与えることが出来る。随意行動は無意識のうちに始まるかもしれないが、それが完了する前に意識が介入してこの行動を止めたり強化したり出来るのだ。p392

(2)ところで自由行為は、流れつつある時間の中で行われるもので、流れ去った時間の中で行われるものではない。それゆえ、自由とは一つの事象であって、しかも確認される事象の中で、これ以上はっきりしたものはない。この問題のもつすべての難しさも、また問題自体も、持続に広がり{延長}の場合と同じ属性を見いだそうとしたり、継起を同時性によって解釈しようとしたり、また自由の観念をあきらかにそれを翻訳するに絶えない言語で表現したりしようとすることから生まれるのである。p202


(1)は「量子進化」マクファデンからの抜粋です。
最近、認知科学、脳物理学の分野で、意思決定の前に脳の当該部分のニューロンが発火しているとの事で、或いは、解決する前に回答が脳のなかにあるといった表現で、自由の問題が注目を集めています。ただ注意しなければならないことは、意識といった生命現象を、ニューロンの発火やアドレナリンに還元しても、それは、物質のメカニズムを理解しただけで、生命のメカニズムを理解したこととは、原理的に違うという事です。
「ある生物のはたらきについて調べるとき、より小さい構成要素のより細かい部分について調べていくうちに、目の前から生命そのものが消えてしまうようなのだ。動物全体あるいはその一個の細胞に生命を認めることはむずかしくない。だが、細胞の内側を見ていくときに疑問が起こってくる。染色体は生きているのだろうか?遺伝子やDNAはどうなのか?」これも、上掲書の一節です、物質のメカニズムを究明しても、生命活動のクオリアは依然として何の手がかりもないようです。言い換えれば、感情・感覚・知覚・記憶の何たるかは、私たちには認識できないような構造になっているようです、つまり、諸感覚は、外部にのみ開かれています。

(2)は、「時間と自由」ベルクソンの抜粋です。
この本は確かに難解ですが、誤解を恐れず、別の言葉で表現すると
自由とは現在意思できるという能力ではないか、と言う事です。例えば、私は現在、ここに回答しています、これが自由でなくてなんでしょうか、犬にも、石にも、こんな能力はありません。ところが、この回答を後から振り返ると、質問があったから回答できたのだから、自由ではないと言ってみたりします。

しかし、自由は現在の持続の中で、自分自身が望むことが出来るのです。純粋持続と言う時間が空間の中で迷子になっているのですが、空間で物質を捕らえる習慣が、迷子になっていることにすら気が付かない、と言うことでしょうか?この辺りは、自分の解釈で、自信がありません。

ご質問で言われる所の「自由意志」が一体なんであるかを考える必要もありますね、この辺が私の限界ですので失礼します。

出来れば、解説の類より「時間と自由」ベルクソンをお奨めしますが100年前の本です、
ご自身で検討してみてください。

(1)しかし、もっと驚くべきことにリベットは、自発的な行動にかかわる脳内のニューロン作用を、被験者が動くと決めた時刻より決まって300~400ミリ秒も前に検出したのである。この明らかに自発的な動作は、被験者が行動を意識的に決めたと思うより前に始まっていたのである。
・・・重大なことに、意識的な行動意図の認識と運動刺激の開始とのあいだには、なおも200ミリ秒のすきまがある。リベットの提案によれば、まさにこの運動遅延期間に、意識は随意行動に影響を与えることが出来る。随意行動は無意...続きを読む

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それを宗教宣伝の道具に使ってるだけだよね。
まちがってないよね?

で、その本にイエスキリストが「神」であるとか、「神の子」であるとか書いてあったとしてそれがなんなのよ?

わしは、イエスキリストがペテン師だったかどうかは知らない。
イエスキリストを教祖に仕立てて宗教活動している者はペテン師だと思う。

Qイエスのユダヤ教観とユダヤ教徒のイエス観は?

1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%8F%97%E5%AE%B9 
ここに
>>イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。<<
との記述があります。素人の直感とよく合いますが、「保守化・教条化したユダヤ教」を具体的に幾つか例示することができますか。

2
また、
>>神の子を自称したとされ、最高法院の裁判にかけられた後、ローマ帝国側に引き渡されて、反逆者として磔刑に処せられた<<
との記述もあります。
ユダヤ教徒の立場で見るとき、イエスの罪状は「神の子の自称」だけでしたか、他にもありましたか。

3
「最高法院」の構成員は分かっていますか。ユダヤ教徒に議決権があったのですか。

よろしくお願いします。

1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%8F%97%E5%AE%B9 
ここに
>>イエスは自身をユダヤ教徒であると認識しており、真正のユダヤ教徒として当時の保守化・教条化したユダヤ教を批判していたのであって新たな宗教を起こす意図はなかったとされている。<<
との記述があります。素人の直感とよく合いますが、「保守化・教条化したユダヤ教」を具体的に幾つか例示することができますか。

2
ま...続きを読む

Aベストアンサー

>>1
ユダヤ律法は、公正、忠実、憐れみ、神に対する愛といった原則の下に制定されていますが、当時の独善的なユダヤの宗教指導者(以下、宗教指導者)たちはそうした原則を忘れ、律法の内容を細分化し、膨大な数の規則で民を縛る事で、その価値を損なっていました。

例えば、宗教指導者たちは「清さ」に関わる律法を拡大解釈し、食事の前に手を肘まで洗う事を義務付けていました。それを守らない者は違反者であり、汚れた者だと主張したのです。
言うまでも無く、律法にはそのような項目はありません。
(マタイ15章1-2節;マルコ7章1-5節)

安息日とは、神への崇拝をささげるために取り分けられた日であり、安息日に仕事をする事を律法は非としています。
ある安息日に、イエスの弟子が歩きながら穀物の穂をむしって食べるのを見た宗教指導者は、その行為が収穫の業、つまり仕事に相当するとして、イエスと弟子たちを非難しました。
(ルカ6章1-2節;マタイ2章1-2節)

宗教指導者は立場の低い人々を蔑む一方で、そうした人々に救いと慰めを差し伸べるイエスを、目の上のたんこぶのように思っていました。それゆえ、彼らはあらゆる手段を講じてイエスを攻撃したのです。

>>2
厳密に言うならば、イエスの罪状は「神の子を自称する事で、神を冒涜した」というものです。旧約聖書の約束のメシアに関する預言の中には、イエスと合致するものが数多くありますが、宗教指導者たちは最後までそれを認めませんでした。
しかし、自分たちがイエスを殺せば、イエスを尊敬する大勢のユダヤ人の反感を買う事になると考え、「ローマ帝国の政治的理由による処刑」という形をとる事によって、自分たちの責任を逃れようと考えたのです。それゆえローマ帝国側には、
[1]ユダヤ国民を撹乱し
[2]ローマに税を払う事を禁じ
[3]自分は王キリストだと主張した
という濡れ衣を着せて告訴したのです。

>>3
ユダヤ教最高法廷は「サンヘドリン」と呼ばれています。サンヘドリンは71名の成員から構成されており、パリサイ派、サドカイ派という二つの派閥に分かれていました。成員すべての名前は聖書には記されていませんが、カヤファ、アンナス、後にはアナニアといった著名な人物の名前は記されています。
当時ユダヤ地方はローマ帝国の属州であり、本国から派遣された総督が監督の任に就いていました。サンヘドリンには、当時の総督であるポンテオ・ピラトの管理下の下で一定の自治権を認められていましたが、飽くまでローマ帝国の支配下における限定的なものでした。
ちなみに、イエスに直接死刑宣告を下したのはポンテオ・ピラトですが、彼自身はイエスを無実だと考えていたようです。しかし、宗教指導者に扇動された大勢の群集が、イエスを殺せといきり立っていたため、恐れのあまり、彼はイエスを死に処しました。

>>1
ユダヤ律法は、公正、忠実、憐れみ、神に対する愛といった原則の下に制定されていますが、当時の独善的なユダヤの宗教指導者(以下、宗教指導者)たちはそうした原則を忘れ、律法の内容を細分化し、膨大な数の規則で民を縛る事で、その価値を損なっていました。

例えば、宗教指導者たちは「清さ」に関わる律法を拡大解釈し、食事の前に手を肘まで洗う事を義務付けていました。それを守らない者は違反者であり、汚れた者だと主張したのです。
言うまでも無く、律法にはそのような項目はありません。
(マ...続きを読む

Qイエス・キリストについて詳しく知りたいです

イエス・キリストについて詳しく教えて下さい。
イエス・キリスト家の家族構成とか、兄弟のこととか、親の職業とか、家族の身分とか、学校のこととか、イエス・キリスト自身の職業とか、収入とか、妻子供のこととか、その他いろいろ。
イエス・キリストは学校教育は受けたのでしょーか、字の読み書きは出来たのでしょーか、収入はどーやって稼いだのでしょーか。

Aベストアンサー

職業は何をやっていましたか、生活とか収入は?
妻子はどーなってたのですか」←だから これを考える必要は一切無い・・

あなたは 何がしたいの?

例えば 会社に入って 仕事を覚えるよりも 社長の家族や収入の事を考えてたら その会社をクビになる・・

あなたは それと同じ事をしてるのですよ・・


キリストが必要なのは 其処では無い・・

Q偶然=必然=運命???

ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。
まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。
・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること
・必然・・・必ずそうなると決まっている事
・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運

個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。

1:こういった場合あなたなら、(生死に関わらず)その原因は「偶然・必然・運命」のどれに当てはまると思われますか?お答え頂けるのであれば、なぜ、そう思われますか?
2:「世の中に偶然はない」という言葉を信じますか?
  具体的に、そう思った出来事などはありますか?

私は、「偶然・必然・運命」というのは、言葉やそれぞれの意味は違っても、もしかして同じ事なのかなぁと思い始めています。偶然が世の中になければ、全ての出来事は「必然的」に起こっている事になりますよね?その「必然的」に起こっている事柄の中にいつもいる私達は、それが「運命」なのでしょうか・・・。
この辺りで、頭がぐるぐる状態です(-_-;)

上手く伝えられないのですが、皆様の考えや意見をお教え下さい。私は哲学の専門家でも何でもありませんので、直感的な回答でも構いません。色々な意見を聞きたいです。

ずっと考えていた事なのですが、頭の中がぐるぐるしてきたので、質問させて頂きます。
まず、タイトルにある3つの言葉の意味(定義)は、以下の通りです。
・偶然・・・何の因果関係もなく予測していない事が起こること
・必然・・・必ずそうなると決まっている事
・運命・・・生まれた時から定まっている、人の運

個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。最悪の場合、命を落とされる方も多いのですが、ここで質問です。

1:...続きを読む

Aベストアンサー

 
存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。

詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。ここで、「偶然」「必然」「運命」というような、法則概念の前提に、「主体の自由意志」という概念が重要な意味を持つのです。

原始人や幼児がそうである、そうであったと考えられるのですが、初期には、主体の自由意志の発動というものは意識されていないのです。世界の事象の生起は、舞台の劇を見ているように勝手に流れているのであって、自分もその劇に登場していても、自分が何かをしようとして、話やできごとが進行するのではないのです。

こういう捉え方は、偶然でも必然でも運命でもないのです。そこに世界が自分も含めてあって、展開しているという状態です。原始偶然とも、原始必然とも、原始運命とも呼べるのです。

ところが、主体が主体的に、何かを希望し意志し、そのように世界の事象や自己に関係ある何かの状態を、希望の方向へ、形へと展開を望んだとき、展開を意志した時、ここから偶然とか必然という「概念」が成立するというか、主体精神に把握されてくるのです。

「必然」という概念は、比較的、後になって把握されてきます。「自由な志向意志」に対する「抵抗」として、「偶然」と「運命」が把握されるのです。

さいころを投げて、特定の目が出るように意志しても、自由に出る目を決めることができないのです。また、狩猟にでかけて今日は大きな獲物が欲しいと思っても、希望や意志の通りにことが運ぶとは限らないのです。有名大学に入学したいと希望しても、意志の思い通りにはなりません。

このような希望や意志の思い通りにならない世界の事象の生起の法則というか、ありようを体験すると、これを把握・解釈するのに、最初に「偶然」という観念ができるのだとも言えます。入試が成功するかしないかは偶然だと考えるのです。

しかし、意志に抵抗する偶然の事象生起について、そういうことが起こるという事実に意味を見出そうとすると、偶然であるが、それは「意味あることなのだ」とすると、これは「運命」なのだ、ということになります。戦争に勝つも負けるも時の「運」だという把握です。神が偶然のさいころを振って決めているのかも知れないが、それは我々には「運命」であるという把握です。

しかし、事象の起こり方を色々経験し観察もしていると、偶然だと思ったことが、実は、規則性があるということが分かります。例えば、温度や風の具合によって、獲物の収獲に違いが出てくることが分かると、獲物とする動物の行動に、ある規則性があることが分かります。熟練の狩猟者は、こういう規則性を利用して、自己の希望や意志を実現するのです。技術的応用とも言います。

また雨や晴れや暴風などは、偶然に、でたらめに起こったり止んだりすると最初は考えるのですが、そこにまた規則性が発見されます。世界はでたらめに生起しているのではない、という考えが出てきます。起源がよく分からないが、ある「必然」で動いているように思える、という把握をしたとき、「必然」の概念が生まれるのです。

必然は、意志や希望に抵抗することもあるのですが、必然の規則性を利用して、意志や希望を実現することもできるのです。ある季節のある時刻頃には、大風が吹くというのは、必然で、意志では、この風を止めたり、遅らせたりできないとしても、この風を利用して、狩りを有利に行い、獲物を獲得できるというようなことが可能になるのです。

大学の入試は、テストがあって、それである一定の点数を獲得しないと合格できないのです。これは意志に抵抗する必然条件だとも言えます。幾ら祈祷したり、神に祈ったり、「必勝祈願」だとか考えても、必然条件に合わないと、入試には落ちます。

しかし、逆に、試験問題を調べ、その種類の問題を解く練習を繰り返し行い、大学受験塾などで、入試試験問題に対し十分に準備すると、試験で一定の点数を取ることができ、合格できます。点数で合否が決まるという必然法則に対し、意志の技術的応用で、必然があるので、それに準拠して、成功の方法が分かるということになります。

しかし、入試は、合格最低点数があると共に、獲得点数の上位から200人とかを合格にしてゆくという必然システムもあり、ある年度の入試では、獲得点数で合格できたのが、同じ獲得点数の実力なのに、もっと点数を取る受験生がなぜか、入試に加わって、200人の外に押し出されて不合格ということも起こるのです。

入試システムの必然に応じて、可能な準備をして、入試に臨んでも、合格するかどうかは、ときの運、あるいはその年度の偶然によるという事態も生じるのです。

こうして、世界の事象の生起について、「自由意志」への抵抗として、「偶然」と「必然」があり、偶然と必然を技術的に利用して、意志の希望を実現しようとする人間の知恵の展望には、実は、「未来の成り行きの先取りヴィジョン」というものがあるのです。

システムの「必然性」は、未来のヴィジョンを築くのに有効なのです。こうすれば、こうなるという必然法則・因果法則があれば、未来がどうなるか予測できるのです。しかし、偶然という要素が、予測を不完全にします。偶然はさいころを投げるようなことで、結果がわからないのです。

ここで、未来のヴィジョンを前もって展開できるという人間の未来展望能力から、「未来と時間経過の結果」についての、「背後に隠れている構造」を構想した結果の「把握態度・構想態度」という精神の態度が出てくるのです。できごとの生起について、「楽観的」か「悲観的」かというような態度がありえるでしょう。

結局、あらゆる知力、知識を尽くして、未来を予測しようとして予測できないとき、未来に対し、「すでに定まっている」という把握態度を取るか、「定まっていない」という把握態度を取るかです。これは、知識を超越した次元での世界の隠れている構造要素・原理が問題となっているのです。

この把握態度と、「意志の能動性の態度位相」というものが交錯すると、未来展望に幾つかのヴァリエーションが出てくるのです。「既定+能動意志」の場合、能動意志を含めてすでに決まっている運命である(積極的運命従属)。「未定+能動意志」の場合は、決まっていない未来を、意志で切り開こう(積極的運命開拓)。「既定+消極意志」では、運命の前、なすすべもない(消極的運命従属)。「未定+消極意志」では、未来は分からないので、なるようになるしかない(意志放棄運命従属)。

>個人として全く落ち度がないのに、巻き込まれて被害者になる事ってありますよね。例えば、天災・事故・戦争などです。

1)「巻き込まれた」という限りは、「偶然に巻き込まれた」のであるが、巻き込まれた事実において、それは「必然」である。ただし、予見でき回避できた場合は、「必然」とは言えないでしょう。回避しようと思ったが、偶然巻き込まれたか、回避の努力も空しく巻き込まれた、という場合、「必然」ではないでしょう。巻き込まれざるを得なかった場合、必然です。

それを、「運命」とするかしないかは、或る意味、意味のない問いとも言え、未来が既定の場合も、未定の場合も,両方とも、そういう運命だという把握は可能なのです。「運命などない」というのは、意志によって運命を切り開けるというヴィジョンです。

従って、この問いの場合、それは「運命」であった、ということになります。人生のあらゆるできごとは、偶然も必然も含めて、運命だと言えるからです。

2)「世のなかに偶然はない」ということはありません。偶然が一杯あります。さいころの例になりますが、さいころを振って出てくる目が、何であるか、神か悪魔か天使が、一々決めているとは考えがたいので、偶然で決まっているとするのが自然でしょう。

ただし、人生のヴィジョンにおいて、人間の意志や知恵や策謀を超えた彼方で、何ものか人知を超えた法則で、人生の運命は決まっているという展望をした場合、「世のなかに偶然はない」ということになります。これは、そういう事実・事態が「ある」というより、人間の側の認識・把握の問題です。

「世のなかに偶然はない」ので、それゆえ、何を試みても無駄だという考えにもなれば、そうであるが故、運命を切り開いて、未来を切り開くのだ、という考えにもなるのです。

「偶然はない」ので、意志しても、定まった運命は変わらないとも感じられれば、「偶然はない」ので、意志すれば必ず道は開かれる、失敗した場合は、努力が足りなかったのだ、と両方出てくるのです。

人生について、偶然、必然、運命というようなことを考えると、先に述べたように、予測・予見できない次元でのありようが問題になってきて、それをどのように見積もり、意志的に展望するかで、偶然、必然、運命というのはぐるぐる回って行くのです。

一切は必然だと展望すると、そのように展望した世界の運命は、何ものかの気まぐれによる偶然に支配されているとも考えられ、更に、そのような何ものかの気まぐれも、また必然で、偶然ではないのだ、という風に、幾らでも、予見できない次元の決定項について、偶然と必然を入れることができるのです。

わたしは、「運命を切り開くことのできる人間」というヴィジョンが好きです。わたし個人は、力尽きて倒れようと、人類は、その運命を切り開き、星々の未来へと到達するであろうと、展望しています。逆に言えば、経験として、わたし自身について、自己の運命を切り開くのは難しいと痛感しているということです。

しかし、どこまでも希望と意志は持ち続けて行きたいと思っているのです。
 

 
存在世界の事象・できごとの生起は、どういう法則によって決まっているのか、というのは、存在世界の側で規定されているのだとも言えるのですが、他方、哲学的には、主観がこの「法則」をどのように把握するか、把握のための「概念」の展開によって見え方・捉え方が違って来るのだとも言えます。

詳論できませんが、事象の生起の「法則」についての主観つまり人間の主体精神の側の「概念の発達」によって、世界の事象生起の見え方が違って来るということです。ここで、「偶然」「必然」「運命」というよう...続きを読む

Qイエス・キリストの兄弟について

イエス・キリストには兄弟がいたのではありませんか。
兄弟とは兄や弟、姉や妹のことです。
イエス・キリストの兄弟については、聖書にさえ話題に出ないのは何故でしょう。
兄弟はいたがろくでもない連中だったからでしょーか。
例えばイエス・キリストにはヤコブという兄がいたが、ヤコブはこそ泥だったとか、そーゆーことなのでしょーか。

Aベストアンサー

一人っ子、というよりも兄弟がいたほうが
普通ですね。

女性とHもしただろうから、子供がいても
不思議はありません。
それを問題にした映画もありました。

ダ・ヴィンチ・コード がそれです。

Qキリスト・イエスを殺したのは間違いだった?

色々考えたけれど 今にして思えばイエス・キリスト磔にしてなぶり殺しにしたのは間違いだった。

ソクラテスも死にたくて死んだ訳ではない。法を守るために意地で死んだのだろう。

イエスは絶命間際に「神よ 私をお見捨てになったのですか」と泣きながら言ったと言われます。

イエスは奇跡を信じていたのかもしれません。

特攻隊の絵が出てましたが 日本でも人柱として人の命を神に捧げて怒りを鎮めよとか

今考えれば随分非科学的な事をやったものでした。

クリスチャン達は良い人が多いです。真剣に神に祈り勤勉に働く。しかし

彼らの信仰が間違っていたとしたら 神など居ないとしたら、居てもイエスを殺してはいけなかったとしたら

彼らの信仰は一体何なんでしょうか?

イエス・キリストは旧約聖書の予言通りに行動しようとして、磔を逃れる事が出来たのに留まりました

ユダが裏切ることも、自分が殺される事も感じていたでしょう。

しかしそれは旧約聖書という神話のストーリーです。羊などを屠り神に捧げることはありましたが

人間を殺すことなど。イエスを殺すことなど 今にして思えばとんでもない殺人です。

それを罪の贖いと信じていたら。イエスの死に感謝していたら人類はとんでもない間違いをしでかすことになるのではないでしょうか?

私には神は居りません。神の居る人もいるでしょう 心のか中に。

しかし人類に新しい愛の在り方を示したイエスを殺して神様に感謝するというのは

私には納得できません。他の宗教にも理解されないでしょう。三位一体論 創世記 アダム・イヴ

アベル・カイン 中世キリスト教会 十字軍その様なものが全て崩壊するような気がします。

キリスト教国アメリカの大量殺人(空爆)がそれを物語っているのではないでしょうか?

イエスキリストを殺したのは間違いだった イエスは生きて指導者に成るべきだったと反省し

悔い改めることがない限り 犠牲を伴う考え方。同じ人間に対する考え方が変わらないのでは

ないでしょうか?

そんなアメリカを諌めることさえ出来ず追随する日本は 何というか余りに・・・情けない。

イエス・キリストを殺して罪が贖われたとするキリスト教は 間違っているのでは?ないでしょうか。

色々考えたけれど 今にして思えばイエス・キリスト磔にしてなぶり殺しにしたのは間違いだった。

ソクラテスも死にたくて死んだ訳ではない。法を守るために意地で死んだのだろう。

イエスは絶命間際に「神よ 私をお見捨てになったのですか」と泣きながら言ったと言われます。

イエスは奇跡を信じていたのかもしれません。

特攻隊の絵が出てましたが 日本でも人柱として人の命を神に捧げて怒りを鎮めよとか

今考えれば随分非科学的な事をやったものでした。

クリスチャン達は良い人が多いです...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちはハル!       どうか

私はメリクリウスと言います。最近哲学の質問の板に来ました。
水星の意味を込めています。貴方の今までの書き込み、存在論や世界を救うために命を賭してもいいとの旨の文章、読ませてもらいました。その覚悟も私に 伝わりました。

救いが・・、自分自身には訪れないと考えているのかもしれませんが、それは間違いです。
貴方のように、世界・人類の為に生きようとし・その幸福に哲学する人であれば、いつか人の為になる事を成し得、そして救った人達の笑顔に寄りて、貴方は救われる事になるでしょう。

貴方の存在論については、私の考え方とは異なる点もありますが、
概ね人の未来に光を灯す力を、内に兼ね備えているものだと考えます。
これからも大いに学び、誠意を持って努力を続ければ、更に鋭く品やか理論になるでしょう。  希望を信じてください!


さて、イエスの死について、貴方は疑問を感じているようですが、
全てのものに い は理由があります。
また、全て愛によって、ただしい道に導かれるべき、と、理論を解いていらっしゃるようなので、苦しみも、笑顔も、哲学において、価値のあるものである事を言って置きます。


何故キリストは死んでしまったのか。彼は最終的にはその運命を受け入れ、また復活して、この世界から去ったとされています。

ここを信じる、信じれないは、個人の考え方でしょうが、

愛において重要な、解答を残して置きます。

それは、聖書に書かれている天国は・・、地獄は・・、そのどちらの存在においても多くの人を救っているという事実です。

宗教者における天国を信じる者は、約束された将来に天国に行けると信じるから努力しますし、
地獄は地獄で、そこに行きたくないから、決して越えてははならない一線を、越えないように良識を持ちます。


科学的根拠や心理学的な知識がない、古の時代の人々には、その教えが深く、行動に法的な制限をかけていたのでしょう。
例え、悪人としか呼ぶことのできない人々の中でも、捕まって刑に処される前には、会心したりする事もあり、帰依したものが罪を犯すことをやめた事例があるのは、紛れもない事実です。

イエスは、全ての人の罪を背負いました。
しかし、多くの人にとって己の罪を見返る事は、とても難しい事なのです。
傲慢は最も気付きにくい人類の病、理解の反対に必ず存在する表裏一体と呼べる感覚です。

なので、尊き人が、磔台に上がる事で、これを大きく世に知らしめる必要があったと思われます。神のみ心の深奥までは、示されてはいませんが、
また、人が改心せし刻、しゅうまつと呼ばれる時には、磔で自ら背負ったイエスの罪は、今度こそ許される。それを信じて、敬虔に信仰を学ぶ人達もいます。
ここまでは、誤解されては困りますが、私個人の考え方です。
 どうぞ、琴線に触れる部分があれば、読まれた方は見返ってみてください。
ミカエルは、ルシファーを倒せる唯一の薬です。七つの大罪における傲慢。(これは覚え方の一種です)  御手洗α

・・・

他者の罪を責めるなら、せめて、自身の犯した罪がないかを見返って、あるのであれば、一言、贖罪に近い言葉も付け足してから、相手に意見を述べるべきだと思います。弔花

すこしでも、彼、ナザレ=イエスがすべての人の子の為に行なった贖罪の意味を知るならです根。

私も少し、出しゃばって、偉そうな言い方を選択しすぎてしまいました。この点を反省しますネ。申訳ない .。


そして、あとは、イエスを殺したのはキリスト教徒ではありません。
彼らは死んだ(とある王によって処刑された) という事を受け入れただけに過ぎません。なので、彼ら教徒の方々を責めてはいけないでしょう。

また、彼らの中では、いずれキリスト(救世主) が復活することを、信じているのですから、死を絶対の終わりと見(えてい)る今の貴方の、イエス生存の願いがあっても、単純に「死ななければ良かったという論争」は、彼らは行わないでしょう。
また、キリスト教徒であれ、この点を深く口に出して信じていると言えるものも、言えないものもいるのです。ここは度合いのレベルです。


貴方はかつて、捨てられた聖書を見て、僅かでもキリストの処遇を哀れんだのではないでしょうか?もはや、わかりはしない事かも知れませんが。

続いて
存在論において、全ての存在は、苦しみなき世界に辿り着くべきだとありましたが、

では、ライオンについて。

ライオンは、今も常に、最強の雄が雌の群れを治め、ハーレムを形成して生きます。
それは、最上の遺伝子を持つものが常に子を残し、より高度で強い種族を目指す姿勢だと私は思いますが、
それは、人間という地球上の霊長で至高の存在が生まれた現代においても続いています。

果たして、彼ら野生生物の変化は、必要ない
そう呼べるでしょうか。また進化とは異なるとお思いでしょうか?

優しくする事と甘やかす事は、完全に同じではありません。
優れているのは、正しく見守らなければならない時に、手を出さず、されど目を離さずに見つめる事です。
その人が失敗から学び、深く心に”より良いもの”を刻み付けるために
その刻み付けた魂 (三つ子の魂であっても)があれば、優しさは自身の経験しいない事でも、学ぶ事ができるのです。
例えば、私達は戦争のない時代に生まれましたが、戦争を行けない事だと言えます!強くそれを認識したいと、心に刻み付けたからです。
また、この言葉も、深みを持つには、より深く、より多方面から、戦争の賛否を哲学する必要があるでしょう。

やっと立った幼児が、何度も転ぶからと言って、何度も
両親が(良心が)手を使って起こして(やって)ばかりではいけないのです。 (かっこは、こ”うまん)
節度のルーツを!

存在に愛があるなら、それは甘やかしだけではないでしょう。
どこまでが果たして、((今後の)) 人間に必要な物か、不要として取り去られるべき痛みか、、考えてみてください。
お願いいたします。

貴方のように、良く物を見つめる事の出来る目を持つ人が、今よりのちの時代に、必要とされるるのですから。



最後に、
・・ 隣人を愛せよ ・・

この言霊の、僅かに深い意味を、説いておきます。

貴方が普通のヒトであれば、隣人とは万引きをする人、その隣人とは、ドロボウをする人、更にその隣人は、強盗。そしてその更に隣人は殺人犯。
けれども、
殺人犯も、事故で相手を殺してしまった人もいますが、
殺人を計画しながらも、ころせなかった為に無罪の人もいます。
因果は一様にたやすく読み溶ける物ではありません。

もし、あなたが隣人である万引き犯の人の気持ちを、深く理解しようとすれば、その更に隣人の心も理解できる糸口を得ます。

どうか、救うつもりの意志が正しくあり、深く身変える姿勢があるなら、たやすく人を責めないで挙げてください。やさしくはどう維持でしょうか。
これは、私の傲慢なお願いです。しかしいずれ、この紙(ホームページ) の元に、人を救う意思を持つ者達が、集う事でしょう。


人はミナ背比べ、秀でたるは後に抜かれる
奢りあらば。では抜かれぬ事を願うのは、また苦しみに身を置く
試練ではナイト、いつか柱の傷の名を見つけられれば、
良いのでしょうが。傷名

話を聞いていただきありがとうございました。
しばし赤シックレコードの編纂の為に、作文をしなければならないため、こちらにはあまりこれません。申し訳ありませんが、これ以上の返信は期待しないでください。


それでは!
貴方の困難が報われる日が来ることを願っています

   エル・ミル・システィーア
   世界が平和でありますように...

こんにちはハル!       どうか

私はメリクリウスと言います。最近哲学の質問の板に来ました。
水星の意味を込めています。貴方の今までの書き込み、存在論や世界を救うために命を賭してもいいとの旨の文章、読ませてもらいました。その覚悟も私に 伝わりました。

救いが・・、自分自身には訪れないと考えているのかもしれませんが、それは間違いです。
貴方のように、世界・人類の為に生きようとし・その幸福に哲学する人であれば、いつか人の為になる事を成し得、そして救った人達の笑顔に寄りて、貴...続きを読む


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