ハマっている「お菓子」を教えて!

自分には、恐怖症がいくつかあって、結構大変なんですけど、恐怖症って言うのは、誰でも持っているモノなんでしょうか?

A 回答 (4件)

脳の偏桃体という場所が、恐怖を感じるところです。


へびや怖い人を見ただけで、恐怖心が起こるのは偏桃体が反応
しているためです。
お猿さんもヘビを怖がりますが、脳から偏桃体を除いてしまうと
ヘビを全く怖がらなくなり首にまかれても平気になります。
偏桃体は誰でももっているもので人間や猿が生命体として生きてゆく
ために必要なものです。
異性を好きになるのも偏桃体の役割だと聞いています。

もし恐怖が病的なものと思われているのであれば、
早く専門医の治療を受けるのをお勧めします。
長く放置するほど症状が悪化するそうです。

参考URL:http://nou.kenko-navi.net/zentouzenya.html
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人間は誰でも同じ事を、同じに感じるように出来ています。

処が片やストレスにしていないのに対して、片やストレスにしてしまう人、もっとひどくなった時には、その感じた事をもっと強く増幅してしまってパニックにまでしてしまう人も在ります。

この違いは、感じた事を、意識上に載せて問題にするのか、受け流すのかの違いしかありません。本人にしてみれば不安が大きくなって大変、という事になります。その大変な受け止め方の違いが、毎日の生活までも脅かす事になってしまいます。毎日の生活が脅かされることによって、支障が出てしまいます。そのために、もっと意識上に載せて問題にしています。

人間の心は二つの要素から出来ています。一つは自我意識です。是は説明の必要はないかと思います。只一つ補足しておくとするなら、この心は分別する心というもので出来ています。物事を論理的に割り切ってゆくという心の作用という事になります。従ってこの心には割り切れる問題は明快に解く事が出来るという事にになります。

言い方を替えたなら、割り切れない問題は解く事が出来ないという事になります。つまり矛盾をした問題、割り切れない問題という事です。

人間にはこの自我意識の他にもう一つ心が有ります。この事は大変に判り難い事ですが、事実です。例えばこの人と結婚したら幸せになれるのか?という問題や、決断を迫られた時に不確定要素が有る時の決断をする時の事です。この問題には自我意識は、解く力が有りません、何故ならば、割り切れない要素が有るからです。つまり、論理的には割り切れない要素が有るからです。

この事と関連していますが、自我意識は、高い処に上がった場合には怖いと感じます、鋭い刃物を見た時には、尻のあたりがモゾモゾします。スピードを出してカーブを曲がる時には怖いと感じます。

この事の意味している事は、自我意識に教えている者がいる、という事です。この教えている者がもう一つの意識という事になります。この教えている者は「無意識」の中にいます。そうして自我意識と絶えず入れ替わって、毎日の生活が成り立っています。

この意識にも人格が有ります。お釈迦さまが、仏性といったものです。人間の心が、漠然とした不安や、罪悪感に苛まれるのは、この仏性を無視、或いは、利用しない、或いは、無視せざるを得ない状態、或いは利用できない状況に陥った事によります。

何故利用できなくなったかと言うと、自我意識が感じた事を「異常に意識」したためです。自我意識が意識をしている間は、無意識が働けなくなってしまうためです。

神経症などの「症状」を意識をするという事が、今言った事に相当します。不眠症などでも自我意識が眠ろうとした場合には、健常者なら、意識が無くなって「無意識の状態になります。」そうして、その無意識が心地よい眠りの世界に入らせています。

不眠症になった時には、自我意識が不安などを意識したために、なかなか無意識の世界に入れなくなってしまいます。無意識の意識と仲たがいをした状態となっています。そのために眠りには、入り難い状態が出来てしまいます。

神経症の他の症状に付いても言える事です。全ての状態、原因が、無意識と仲たがいをした状態で発症をしています。この事の解消が自分自身を知るという事になります。自我意識が仏性と出会うという事です。自我意識が自分を働かせている処の意識と出会うという事です。是が出来たなら、人間の苦しみが解消するという事になります。

自分自身を不安にしていた者の正体が分かるからです。自分の不安がどうして起きているかが分かるからです。もし興味が有るなら、補足説明を要求して下さい、答えたいと思います。
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恐怖「症」は、その対象となるものに恐怖感をもって反応してしまうせいで、社会生活や日常の活動に支障が出てしまうものをいいます。

そのようなレベルで恐怖感を持つような対象は、誰でも持っているというわけではないとは思いますが、普通に「恐怖を感じる対象が存在する」ということなら、誰でも持っているとは思います。

例えば私は、昆虫類に恐怖を感じます。しかし、駆除したり距離をおいたり「見なかったことにする」ことで日常的に対処し、生活に支障が出るわけではありませんから、恐怖「症」ではないのだと思います。

活動に支障が出るような恐怖の対象が沢山あるという事であれば、大変ですね。あまりひどいようならば神経科を受診してみることをおすすめします。もう既に行っているかもしれませんが・・・。
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症になるか、どうかは人によって違います。


恐怖心を感じても、そのときだけで終わる人がほとんどですが、それを引きずるとパニック障害となります。別名強迫観念による神経症。
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