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結果無価値論と行為無価値論はどっちが主流ですか?
そして、結果無価値論は、結果を見るのに、それが無価値なのはなぜですか?

A 回答 (5件)

>結果無価値論と行為無価値論はどっちが主流ですか?



文字通り、犯罪の結果(人の死など)を受けて判断をするのか、予備・未遂を含めた段階で「行為を規制」するものかということになるでしょう。

犯罪の阻止、予防という観点からすると行為無価値論が優位ですが、社会生活への刑事法の介入(規制)という意味からすると、結果無価値論のほうが自由といえるかもしれません。
こうしたことから、行為無価値論のほうが拡大解釈されやすいといえるかもしれません。また、裁判員制度が導入されましたが、これと良く馴染む考え方は、社会的規範に対する違背を違法の根拠とする『行為無価値論(二元論)』です。
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>故意と過失と未遂との関係を教えてください。


>構成要件該当性、違法性、有責性との関係も教えてください。

 juliusさんが、とてもわかりやすく、正確に、丁寧に御説明されていると思います。ありがとうございました。
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回答No.2の_juliusです。



まず、お聞きしたいのは、貴方は大学で法学(ないしは刑法学)を学んでいるのですか、ということ。そうだとすれば、まずは専門家である教員の方に一度質問に行かれるのがよろしいかと思います。それから、何か教科書を使っているかというのも補足願います。

質問の仕方を見る限り、まだ刑法学の基礎中の基礎が身に付いていらっしゃらないようですので、まずはイメージをつかんで頂くため、以下では、かなり簡単な言い回しで説明をします。

>故意と過失と未遂との関係を教えてください。
ということですが、「故意と過失と未遂」は同一平面上にある問題ではありません。問題の立て方、ないしは概念の整理の仕方としては「故意と過失」、「既遂と未遂」という形になります。

「故意と過失」
簡単に言えば、「故意」とは「わざと」であり、「過失」とは「うっかり」です。
同じように人を死なせる行為であっても、それが「わざと」か「うっかり」かで、成立する犯罪が異なってきます。
例えば、「わざと」人を死なせれば(ex. ナイフで刺す、毒を盛る)、故意の生命侵害犯、すなわち殺人罪が成立します。これに対し、「うっかり」人を死なせた(ex. 猟銃の暴発で人を死なせる)のであれば、過失の生命侵害犯、すなわち過失致死罪になります。
これが「故意と過失」の区別です。

「既遂と未遂」
簡単に言えば、「既遂」とは法益侵害結果が「発生した」場合を言い、「未遂」とは法益侵害結果が「発生しそうになったが、しなかった」場合を言います。
例えば、人を「殺した」のであれば殺人罪の既遂犯ですが、人を「殺そうとしたが殺せなかった」のであれば殺人罪の未遂犯です。
これが、「既遂と未遂」の区別です。

こうした、「故意と過失」「既遂と未遂」という2種類の相異なる分類を前提とし、生命侵害犯を例に組み合わせを考えるなら、以下のようになります。

(1)故意犯の既遂犯:殺人既遂罪(199条)
(2)故意犯の未遂犯:殺人未遂罪(199条・203条)
(3)過失犯の既遂犯:過失致死罪(209条)
(4)過失犯の未遂犯:不可罰(刑法上、これを処罰する規定は存在しない。※相手に怪我も負わせなかった場合)

次に、
>構成要件該当性、違法性、有責性との関係も教えてください。
ということですが、以下のことをまず必ず覚えておいて下さい。

「犯罪とは、『(1)構成要件に該当し、(2)違法で、(3)有責な』行為を言う」

すなわち、犯罪が成立したと言えるためには、
(1)構成要件該当性
(2)違法性
(3)有責性
の3つの段階をクリアーしなければならないということです。

まず、第一段階の構成要件該当性とは何か。
それは、行われた行為が「類型的に見て」犯罪行為と言える形をもっているかの判断です。人間が日々行っている様々な行為のうち、一定の「類型的な」形をもった行為だけが処罰の対象となります。それは例えば、「人を殺す」とか「物を盗む」とか、そういった行為があったのか、ということの確定作業と言えます。

では、とりあえず、何かしらそうした「類型的な」行為があった(例えば、「人を殺す」という行為があった)として、次に行われるのが違法性の判断です。
違法性の判断とは、確かに「人を殺す」という類型的な行為はあったが、それははたして法から見て許されざる行為として行われたものであったのか(違法な行為だったのか)ということを確認する作業です。
「人を殺す」という類型的な形をもった行為であっても、それが例えば「正当防衛」として行われたのであれば、確かにそれは類型的には「人を殺す」行為であっても、「違法だ」とは言えないとされます。この場合、そうした行為は「構成要件該当性はあるが、違法性がない(違法性が阻却される)」と評価されます。
反対に、類型的に「人を殺す」行為があり、なおかつそれを正当化するような根拠もないのであれば、それは「構成要件に該当し、違法な」行為となります。

こうして、「構成要件に該当し、違法な」行為と評価された(構成要件該当性、違法性の2つのステップをクリアーした)行為は、最後に、有責性の判断へと移ります。
有責性の判断とは、「人を殺す」という類型的行為があり(=構成要件該当性があり)、それを正当化する事情もない(=違法性があり)ときであっても、そうした行為を非難できない事情があるかもしれない、そうした事情の有無を確定する作業のことを言います。
例えば、「人を殺す」という行為に出て、しかもそれが正当防衛でもなんでもないとしても、当の本人が精神疾患で責任能力がないなら、その人を非難することができません。これは行為が違法か適法かという問題ではなく、違法であったとしても責めれるかどうかの判断です。ポイントは、あくまで行為は違法であるということ。責任無能力だからといって適法、すなわちやっても良い行為だとは言えません。
簡単に言えば、違法性の判断は「やってもいいかいけないか」の判断で、有責性の判断は「やってはいけないことをやったときに責めれるかどうか」の判断です。違法性がないとは「やっても良い」ということであり、責任がないとは「やってはいけなかったけど、責められない」ということです。両者のニュアンスの違いに注意して下さい。

以上述べてきたところが基礎中の基礎です。
それらを前提に
>故意と過失を分けないのが、結果無価値論で、それを分けるのが行為無価値論ですか?
という質問に答えます。

結果無価値論(その中でも山口説のように純理論化されたもの)は、「構成要件の段階では」故意犯と過失犯を区別しないというだけであって、責任段階で両者を区別します。
「結果こそが重要」という観点に立ったとき、故意犯だろうが過失犯だろうが、そこにある類型的行為は「人を死なせる」という行為であって、両罪は同じ類型に属すると考えられます。したがって、殺人罪も過失致死罪も「人を死なせた罪」という1つの類型(構成要件)の中にあるということになります。では、両罪の違いはどこに現れるか。それが責任です。「人を死なせた」という類型にあたり(=構成要件に該当)、それが「やっても良い」行為とは言えない(=違法性アリ)としても、「わざと」か「うっかりか」は、どの程度「責められるか」という観点から違いが出てきます。こうして、殺人罪と過失致死罪は、責任段階で区別されることになる、というのが結果無価値論からの帰結です。

他方、行為無価値論は、構成要件の段階から故意と過失を区別します。
「行為こそが重要」という観点に立ったとき、自ずと「わざと死なせる行為」と「うっかり死なせる行為」とは、そもそも最初から異なる類型に属する行為だと判断されるのです。

ですから、
>故意と過失を分けないのが、結果無価値論で、それを分けるのが行為無価値論
ということではなく、故意と過失を構成要件レベルでは分けずに、責任レベルで分けるのが結果無価値論で、故意と過失を最初から構成要件レベルで分けるのが行為無価値論である、と説明できます。

なお、
>殺人未遂の場合、結果無価値論では、殺人未遂だけど、行為無価値論では、未遂でも、殺人ってことでしょうか?
とのことですが、これは、行為無価値一元論をとった場合の帰結であり(もっとも、論者もそうは言わないでしょうが)、一般的に行為無価値論と呼ばれる、行為無価値結果無価値二元論は、やはり、既遂と未遂を区別しますので、殺人の実行の着手はあるがそれが未遂に終わったケースなら、結果無価値と行為無価値とを問わず、殺人未遂罪になります。

以上、お解り頂けましたでしょうか?
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現在の学説・判例は、共に、どちらが主流とは一概には決められない状況にあります(なお、一応補足しておけば、現在一般に「行為無価値論」と呼ばれる立場は、正確には「行為無価値・結果無価値二元論」のことを意味します。

今日、「行為無価値一元論」を採る学者はかなり少ないです)。また、行為無価値論自体も、伝統的な大谷先生的理解(すなわち、刑法の目的を「社会秩序維持」に据え、違法の本質を「社会倫理規範違反」と見る立場)と、近時有力な井田先生的理解(すなわち、刑法の目的を「法益保護」に据え、違法の本質を「行為規範違反」と見る立場)とで、大きな隔たりがあります。

判例・実務は行為無価値論に則っていると言われることがありますが、それは誤りです。判例をきめ細やかに読んで行けば、決して行為無価値論の一枚岩でないことが解ると思います(そう思えないのであれば、判例が正しく読めていないか、行為無価値論が理解できていないか、どちらかだと思います)。判例追随型の学説提示で有名な(というと誤解があるかもしれませんが)東京都立大の前田雅英先生の学説が「論理的に首尾一貫していない」とよく批判されるのは、そうした判例の態度決定の不確定さに由来しています。

また、貴方がもし何らかの資格試験(典型的には新司法試験)を目指していらっしゃるのであれば、必ず、個々の論点についてどちらの立場からも説明できるようになっていないといけません。(自分が「学問」的にどの見解が説得的と考えるかとは別の問題として、)こと「試験」について言えば、弁護側に立って論証して行くのか、検察側に立って論証して行くのかで、有用な理論構成が異なるからです。

それから、
>結果無価値論は、結果を見るのに、それが無価値なのはなぜですか?
とのことですが、「無価値」とは、ドイツ語のUnwert(ウンベルト)を直訳したものであって、日本語で言う「価値がない」という意味ではありません。これは「マイナスの価値」とでも言うべきものであって、要するに「悪い」ということです。
簡素化して説明すれば、例えば、XがAを殺したという事例において、「Aが死んだ」という「結果」が法にとって好ましくない(違法だ)と見るのが結果無価値論、「Aを殺した」という「行為」が法にとって好ましくない(違法だ)と見るのが行為無価値論です。前者はあくまで「死んだ」という結果が重要なのですから、わざと(故意殺)かうっかり(過失致死)かということは二次的な問題になります。東大の山口先生などが、殺人罪と過失致死罪との構成要件レベルでの峻別を行わないのは、この点に由来します。反対に、後者は「殺した」という行為が重要になりますから、構成要件レベルにおいて、すでに故意殺と過失致死とは区別されるべきこととされます。
「無価値」という誤解を招き易い用語法は避けるべきであるとして、京都大学その他の関西圏の大学では「反価値」という用語が用いられることがありますが、慶応大学の井田先生などは「何かヒラヒラした布を連想するよね」と仰っておられ、好みの分かれるところです(笑)。

この回答への補足

故意と過失を分けないのが、結果無価値論で、それを分けるのが行為無価値論ですか?

殺人未遂の場合、結果無価値論では、殺人未遂だけど、行為無価値論では、未遂でも、殺人ってことでしょうか?

補足日時:2009/05/27 22:38
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 学者の数で言えば、結果無価値論者のほうが多いのではないでしょうか。

結果無価値論には、東大の山口厚先生がいらっしゃいます。
 しかし、判例・実務は行為無価値が支配しています。こちらは、団藤・大塚説や、井田良先生がいらっしゃいます。

 結果無価値の「無価値」は、結果を無視するという意味ではなく、誤解を恐れず、わかりやすく言えば、結果が「価値がない」=「わるい」ということです。

この回答への補足

故意と過失と未遂との関係を教えてください。

補足日時:2009/05/27 22:42
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この回答へのお礼

構成要件該当性、違法性、有責性との関係も教えてください。

お礼日時:2009/05/27 22:45

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