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僕は北海道出身です。
北海道には『』と呼ばれる地域がありません。
ですから差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜと呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

A 回答 (20件中1~10件)

簡単・明快にいいます。



江戸時代には身分制度があったことは知ってますよね?
その中でエタ・ヒニンという身分は一番低い身分で、特定の場所に固まって
住んでました。 これがと呼ばれる地域です。
身分が高い人から見れば、こういう身分が低い人が固まって住んでるところって
何か嫌でしょう? 生理的というか気分的というか、とにかく嫌な気がするでしょ?
ここから差別が出来上がったのだと思います。

なお、東京では差別という概念は全くと言っていいほど存在しません。
色々な地方から出てきた人がたくさんいるのでゴチャゴチャになってるからです。

差別がよくあるのは関西なんですよねー。大阪とか兵庫の周辺が結構
そういうのを気にする人が多いと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

この事は友人から聞かされています。
でも、だから何?と思っています。

そんな大昔の事なんて全然関係ないですよね、今となっては。
それ以外にもいろいろと問題があって差別が生まれているというような話も耳にした事がありますが、真相はよくわかりません。

そもそも幼少時代にそういう教育(同和教育)をしている事も、差別を生む引き金になっているような気もします。

また何かあればよろしくお願いします。

お礼日時:2003/03/25 10:44

この小さな紙面で成り立ちや歴史を語ることはできません。

元々は士農工商の中でも最下層の人々を作り、名残りが「」といわれいわれのない差別を受けています。現在ではそれらの差別は法律上撤廃されましたが、臭いものには蓋、人間の弱さ(自分を優位に置こうとする感情)等諸々の要素で表面上は差別はないように感じられますが、いざ結婚や就職などになるとまだまだ根強く残っているようです。ただ、京都などでは反対に「逆差別」と思われる優遇措置に甘んじているような人も見受けられるのも否めません。
「橋のない川」(住井すゑ著) 、「カムイ伝」(白土三平)などは読みやすいので是非。
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この回答へのお礼

>京都などでは反対に「逆差別」と思われる優遇措置に甘んじているような人も見受けられるのも否めません。

この件に関しても聞いた事があります。
どこまでが事実なのかはわかりませんが・・・。

お勧めして頂いた本、ぜひ読んでみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 14:38

♯1が言われている関西人です。


一言で言うと、とても意識します。
それと言うのも、私の場合、中学・高校が私学で左翼の学校でした。
左翼とは、天皇反対!といっている派です。
右翼とは、ご存知の通り、天皇万歳!と言っています。
左翼の学校でしたので、解放クラブが存在しました。

江戸時代の身分制度の名残は、♯1の方が言われています。
田舎ほど差別意識が強く、「差別?気にしないよ~」と言われている人でも、結婚ともなれば別です。
両親、又は興信所等が相手の家を調べに行きます。
家計にキズがつくと考えてしまうからでしょう・・・。
書類上で、差別はだいぶ無くなったとは聞きましたが、戸籍では判子が押されているというのは聞いた事があります。

他にも差別は数々あるのが現状です・・・。
以前に似た質問がありましたので、URLを載せておきます。
そこで私も回答の欄に載せています。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=438302
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この回答へのお礼

>田舎ほど差別意識が強く、「差別?気にしないよ~」と言われている人でも、結婚ともなれば別です。
現在でも実際にこういうケースはあるのでしょうか?
昔ながらの古い考えをお持ちの家系などは気にするのでしょうか・・・。

ありがとうございました。
参考URLも読ませて頂きます。

お礼日時:2003/03/25 14:40

差別は家柄を有り難がる傾向と同源なのでそういった傾向をもっていない人には理解できないのではないでしょうか。


例えば身の回りにもと大名の孫とか三井家だとかそういった血筋の方がいてそれを有り難いをいう風潮があると、一方でエタとかヒニンとかそういった最下層にあった人がことさら劣って見えるのです。
血筋を重視するかしないかでこの問題の捕らえかたが違って見えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

結婚に関してはおっしゃる通りだと思います。
悲しいかな、そういう風潮が今も残っているようですね。

ですが、血筋関係には全く関係なくとも差別が見え隠れしているのも事実ですよね・・・。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 14:43

こんにちは。


こういった差別の対象となる「エリア」が存在することは理解できますよね?
だから昔そこに差別があったことも。

>そんな大昔の事なんて全然関係ないですよね、今となっては。

違います。現実問題として関係有ります。
そうやって集められた人々は、当然ながら低所得者であるケースが殆どでした。
そしてニューヨークのスラムがそうであるように、
犯罪行為とみなされる事件が多かったのも事実。
それは地域の人間にしてみれば今も同じような認識です。
僕は以前大阪に住んでいましたが、
「○○にはあまり行かない方が良い」
そういわれたことが何度もありました。
女の子がひとりで行くところではない、という言い方も。

ですから「身分」で差別しているのではないのです。
極論すれば「貧民街(スラム)」のような扱いをされているわけです。
そしてそういった場所の出身者は、例え本人がいい人でも、
親戚がヤ○ザだろう、とか服役してるだろう、とか、金の無心をされるだろうとか、ネガティブなイメージを持たれてしまいます。
つまり、差別の根本には、長い年月によって蓄積された記憶と事実と誤解が混在すると思います。

例えば自分が親になって、旧の隣に住んだとします。
子供は好き勝手に近所で遊びます。
しかし、古くから住む住民は、先述のような理由から、あのエリアには行かない方が良いと忠告します。
その時どうするか?ですよね。
自分はまだしも、我が子をそういうエリアへ(ひとりで)遊びに行かせることが出来るか?
もし子供に注意すれば理由を尋ねられます。
何と答えましょう?
人は我が子の安全を最優先します。理不尽でも何でも。
差別を無くせというのは簡単ですが、実際はそんなに甘くはありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

僕自身、全く差別意識なくその地域の方々と接してきた経緯もありますし、今現在と呼ばれる地域にある保育園に子供を行かせています(敬遠する人たちもいるらしく、とても人数が少ないのですが、皆さんは何をそんなに恐れているのかがわかりません)。

子供の友達の事はよく知っていますが、どこに住んでいるかとか親が何をしているのかとか、そこまでは興味がないので知りません。

>自分はまだしも、我が子をそういうエリアへ(ひとりで)遊びに行かせることが出来るか?
出来ます。
まだ小さいので一人では行きませんが、もう少し大きくなれば一人で行くんじゃないかと思います。
それに関しては何の抵抗もないです。
なぜためらうのでしょうか?

その辺を理解できないんですね。

貴重なご意見でした。感謝します。

お礼日時:2003/03/25 11:36

現在でも「わざわざ差別をしている」バカもいますけど、住民同士は差別しないように変化しています。


外から(あまり云々も知らずに)嫁に来た人同士なら、何も差別はしていないです。

しかし、その地域の中に昔から住み、差別された経験を持つ年代の方々は、同和教育など熱心に活動をしています。その方たちは市町村から 補助金をもらっています。もし本当に差別が存在しないとわかってしまうと補助金がもらえなくなるので、・・差別を記憶に残るように活動を続けています。

その地区に住んでいる住民から聞きましたので事実です。わたしはその隣の地区に住んでいます。

しかし、同和教育や過去にそういう事実があったことを「触らない」ようにしていて発覚した時には、ものすごい差別をする大バカが出てきそうな気もします。
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この回答へのお礼

>しかし、同和教育や過去にそういう事実があったことを「触らない」ようにしていて発覚した時には、ものすごい差別をする大バカが出てきそうな気もします。

なるほど。
そう言われてみればそうですね。

同和教育が差別を助長しているような気がしていたのですが、ao_kage2003さんのご意見にも納得です。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 14:47

北関東に住んでいますが、小学校の頃仲の良かった友達と遊んだことを祖母に話したときに「あそこはの人間だから気をつけなきゃ駄目だよ」と言われ意味がまったく分からなかったので父に話してみたところ「そんなことは気にしなくて大丈夫だから、仲良く遊びなさい」と言われ特に何も考える事無く、その友人とよく遊んでいました。


後に差別を道徳の授業で受ける事になって、祖母が言っていた事はこの事だったんだと思いました。

その後に差別で父と話す機会があったので、話してみると祖母など高齢な人たちは実際に差別のこる状態で、その地域の人と接することがあったらしいのですがお互い差別を意識していた為にトラブルも多くあったようで、それがわだかまりの原因になり数十年が過ぎても、あそこの人間は信用ならんと思っていたようです。

それとは別に、つい最近まで中古住宅を探していたのですがその時、建物、土地、立地条件など好条件にもかかわらず格安(相場の2/3程度)の物件があり、もしやそこでなにやら事件でもあったのだろうかと思い知り合いに相談してみたのですが、あそこはだったから安いのだと思うって言われて、「まだそんな事にこだわる奴いるのか」と思いつつも不動産屋に問い合わせたところ、速攻で決まってしまいましたと言われ「やっぱりあまり気にする人はいないんだな」と思う反面、もし購入できていたら本当に差別はないのだろうかと不安な気持ちも残ったのも確かです。

私自身はそんなことはお構いなしですが、もし子供が小さいうちに何か吹き込まれたらどうしようと、格安な物件になるくらいだから、まだ差別意識が残っているのではないかと不安がありました。

人を差別していないつもりでも、自分が差別されるのでは等と思い、それが差別の始まりではないかと少し悩みました。
差別は良くないと思っていても、不安が差別を正当化させるのでは・・・
平民の不安を取り除く為、強引に政府が作り上げたのがエタ・ヒニン・・・
また政府も平民の不安の爆発への不安を取り除く為の差別階級・・・

人は、差別をすることで安心する生き物なのかもしれない。
などと考えると暗い気持ちになりますね。
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この回答へのお礼

同感できるご意見でした。
大変参考になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 14:49

私の実家の近くには地域があります。

(社会人になって知りました)
しかし、私はその場所がであるとも知らなかったし、
今思えばその地域の友人とも遊んでいました。
私の両親、祖父母はのことには全く触れなかったし、
その友人にどーのこーの言った事もありませんでした。
ですから、学校の同和教育(問題)もよその地域の話だと思っていたし、
あえて同和教育をすること自体が「っていうものがあるんだよ」と
教えているようで、そんなものない方が良いのでは?とも思った事があります。

その事を教員の友人に話しましたが、私のようにの存在を知らずに育つ
というのは、ある種両親がそういう認識を持たせないようにしたからで、
未だに差別というものは存在する。だから、同和教育は必要だと思う。
と言われました。

そして実家の友人は、親から正直な気持ちとして「あそこ()の
人とは付き合っても良いけど、結婚はして欲しくない」と言われたそうです。
親としては、を差別をするつもりはないのだけど、周囲の目は未だにに
対する偏見があるらしく、自分の娘にそんな思いをさせたくない・・・
という気持ちがあると言っていたそうです。
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この回答へのお礼

僕も地域性でというものを知らないまま育ちました。
ですから、関西でその存在を知った時はとても大きなショックを受けました。

mo5115さんのアドバイス、非常に参考になりました。
あろいがとうございます。

お礼日時:2003/03/25 14:51

個人的な意見です。



昔は、生まれながらにして高級な人間(王侯貴族)と生まれながらにして下等な人間(奴隷、農奴)が存在することが当然視されていたと思います。日本にも、明治維新によって身分制度が廃止されるまでは・という被差別身分が存在したわけで、これらに対する差別意識が一部の地域に未だに残存しているわけです。差別は結婚や就職において顕在化(被差別出身者名簿が存在する)し、その結果、被差別者が貧困層として固定化される傾向があるようです。

関東や北海道にはこのような差別意識が少ない、と一般に言われていますが、私はそうは思いません。民に対する差別意識は王侯貴族などに対する敬意と表裏の関係にある(と私は思う)ので、皇室という貴族が存在するわが国においては、多くの国民の心の中にこのような差別意識が潜んでいるはずです。
例えば、在日朝鮮人に対する差別は関東にも存在します。北海道にはアイヌ民族に対する差別があります。最近では、小樽の公衆浴場入浴拒否事件のような外国人に対する差別が顕在化しています。これらは生まれ(血)を理由とする点で共通しており、全て同根です。関東や北海道の人がこれらを意識していないとすれば、それは無意識のうちに差別を自然なこととして受け入れていることを示していると思います。
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この回答へのお礼

>北海道にはアイヌ民族に対する差別があります。
その通りです。
こちらで言う『同和教育』は教わりませんが、『アイヌ人と和人』という教育は受けた記憶があります。
仲良く暮らそうね、という内容だったと思います(昔過ぎて詳しくは忘れてしまいましたが・・・)。

同じような問題なのかはよくわかりませんが、
>関東や北海道の人がこれらを意識していないとすれば、それは無意識のうちに差別を自然なこととして受け入れていることを示していると思います。
実際にそうなのかもしれません。
そうは思いたくないですけれどね・・・。

ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 14:56

日本では戦国時代、徳川時代、そして明治時代、大正時代を経て、昭和、平成と時代があります


徳川、百五十年でありますが士農工商エタの身分階級がありました。侍が一番偉い、大名を含めて、侍の中にも階級がありました、いわゆる分断支配です
みんなを団結させないそいう仕組みがありました
中学校や高校で勉強されたこととおもいます
こういう徳永時代では駄目だ、日本は閉じこもっては駄目だ、と言う事で開国になりなした
もっと、外国との往来をしないと、明治維新がおこりました、ヨーロッパの近代的な制度や暮らし、文化などを大いに取り入れていこう、導入をして行こう、こいうことでわが国が近代化の方向に向かうわけです
この時代に侍であった人達、あるいは商業、工業で力のあった人たちに対しては爵位、ヨーロッパでは男爵とか子爵という爵位というものがあるわけです
階級、身分ですね。日本では、公爵、公爵、伯爵、子爵、そして男爵の五つの爵位があったわけです
それに加え秩録公責として、侍は侍らしく、という事で侍やら、大名やら力のあった人たち対して特別の資金の手当てがあったわけです
そして、身分の低い、エタ、よいう身分におかれた人たちは「解放令」と言うお触れがなされました
また、刀をもって歩く事もならない、近代的になったから、ちょんまげよりも身軽な頭のスタイルにした方が良い、という事でちょんまげをなくす断髪令もでました、エタ、だと言われていた人たちは、みんな
平民だと、言う事で「解放令」がだされました
けれども、エタ、と言われていたひとは、非常にみじめな暮らしを強いられていました
こっちからこちらへ移り住んではいけない、あなた達はここで、ここでしか、生活できないとして居住権を限られた、仕事、職業も3kといわれる「きつい、きたない、きけん」種類の仕事しか、従事できなかった
酷い差別事件を紹介しましょう
皇族(海外では王族、王家)
皇族が通るその道ばたに汚い集落がある
これは見苦しいということで火をつけて集落を焼き払うような仕打ちなど行われたそうです
明治維新後の近代化といわれるような状況の中で
そう言うような仕打ちがおこなわれたんです
そう言う抑圧、差別があったわけです
もっと、続きがありますが、このへんで、どうも
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この回答へのお礼

>皇族が通るその道ばたに汚い集落がある
これは見苦しいということで火をつけて集落を焼き払うような仕打ちなど行われたそうです
明治維新後の近代化といわれるような状況の中で
そう言うような仕打ちがおこなわれたんです

これは事実ですか?
ひどい話ですね・・・。

自分はに対しての差別を意識した事がありません。
ただ、皆さんのご意見・アドバイスを伺い、自分がどれほどこの問題に関して無知であったかを思い知らされたのも事実です。

大変勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/25 15:05

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