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ここ数年、何かの事柄に対して感動や怒りなど、私のあらゆる感情の変化が薄くなったと感じています。

例えばインターネットについてです。
初めてインターネットができる環境になったのは当時中学生のときでした。
そのときは無限の情報を前にものすごくワクワクしたのを強く覚えています。
テレビゲームをしていてつまづいても、攻略本を買う必要はなく、調べればすぐわかりました。
当時中学生だった自分にとって金額的にもすごく大きなことでした。

このサイトでも共感できる質問や答えられる質問があれば以前はすぐ回答したくなったものですが、最近はなかなか回答する気にもなりません。

マンガなりドラマなりテレビ番組なり、どの分野に関しても昔ほどハマるということがなくなり、感情の揺れ動きや関心が薄くなったなと感じます。
それは私が大人になったということなのかもしれませんが、同時に少し寂しさも感じています。

こういった事柄に関して、みなさんも何かしら興味関心・感情の揺れ動きに関して変化を感じますでしょうか?
また、私のような経験に関して、「自分もそうだった」「自分のときはこうだった」など、ご意見いただけましたらよろしくお願いします。

A 回答 (5件)

大人になったと言えると思います。


と言うことは、いろんなことを経験したり考えたりして、今までの価値観が変わってきたと言うことも一つの要因と思います。
子供のときに共感できなかったことが、年を重ねることに寄って理解できるどころか泣けることもありますから。

感情の起伏は元から激しくないですけど、好奇心は実行力を伴って増えていると思います。
小さいときには、すぐに出来ないと決めて諦めていたから。
一回にあれもこれもと、思うこともなくなりました。
一つ一つ少しずつ、マイペースでも今出来ることから確実(?)にです。
一般生活を送ろうと、生涯、青春が自分の夢です。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
大人になったということなんですね、やっぱり。
子供の頃アニメを見てて、親がなんでアニメに興味がないのか疑問に思ったものですが、同じになったんだなって思います。
ちょっと複雑ですが^-^;
ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/07/14 17:54

509万6117号にも同様の悩みが出てます


参考にはなるかと…

参考URL:http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5096117.html
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。
どうやら質問者の方のほうが私より悩みが重いみたいですねぇ…
私はぼんやり程度でしたが、参考になりました。
ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/07/14 17:55

私はむしろ、以前よりも鋭敏になっています。


ただ違ったことといえば「感情的」に激情に走らなくなった、ということでしょう。
気は短いほうなのですが「とりあえず」という手段を有効に使えるようになりました。
その結果、激昂するのではなく「とりあえずはこの場は口先でかわして」後で反省なり、切り口なりを見つけるという風に変化してきました。
相も変わらず、社会正義みたいなものは信じてるところがあるし、人間とは?なんて考えてみたくなるときもあるし、星空を見上げてジーンとかしてるときもあるしね。

「忙しい」のは「時間」のせいじゃないんだよ。
忙しいのは「自分自身が処理すること」をきちんと決めていないからなんだ。
「取捨選択」を明確にすることを心がけること…その覚悟とか、理想とか、そういったものを忘れてしまうと「気持ちがばらける」っていうか、拡散してしまうっていうことはあると思います。

子供のころは「それ」を無意識にしていたはずです。
だから挫けなかった。
大人は情報量がやたらと多いし、集中できる環境が無いから、心が「真裸」だと辛いんだよね。
だから「したたかに」見つめていかないと…子供よりもむしろ「理想」に近づかないと、受身ばかりの人生になっちゃう。

私は「錆びたくない」って、思ってます。
錆が一番、つまらないですよ。
何もしないうちに、自分が減って、脆くなってしまうから。
「ステイ・ゴールド」って、大人じゃなきゃ吐けない言葉なんじゃないかなぁ?。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。

私はもしかしたら錆びかかっているのかもしれません。
最近はそうでもないですが、うちの親は本当に無趣味で、小さい頃は不思議に思ったものです。
自分もそれに近づいているように思えていたところでした。
悩むとまで重大ではありませんでしたが、考えさせられるきっかけになりました。
ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/07/12 22:37

Time is money.を実感すると、何もできなくなりますよね。



私は大学生です。どうしても「これだけのお金(時給に換算すると○時間)を払い、これだけの時間と労力を使ってでも楽しむ価値があるか?」を考えて行動してしまいます。そして、その条件に満たないとやめてしまうんです。

たとえばデート。高校生の頃はお金がなくても頑張ってデートしてみたものです。最近は財布やら時間やらを気にしたり、「こんなデートしても、お互い大変なわりにあまり楽しんでもらえないだろうな」などと考えて・・・まあいいや、という結論を出すこともしばしばです。
あ、このせいでチャンスを逃すと、実際は非常に(金額換算上の)損失が大きいのですが^^;

価値をお金で数値化するわけではありませんが、なんとなく損得勘定をするようになるというのは、とても残念なことだなあと今回自分で反省しました。いい反省の機会をつくってくれてありがとうございました。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。

>どうしても「これだけのお金(時給に換算すると○時間)を払い、これだけの時間と労力を使ってでも楽しむ価値があるか?」を考えて行動してしまいます。

私も夢があって、それに対して結構なお金と時間を費やしています。
しかしもし叶わなかったらという気持ちがないわけじゃありません。
大学をやめているので歩みを止めるわけにもいかないし、何が何でもやってやるという気持ちでいますが、もし叶わなかったらどういう気持ちになるだろうなと考えさせられました。
私こそありがとうございます。

それと、こないだ仲間うちでバーベキューがありましたが、あれほど準備に時間を費やし、お金もかけたわりには楽しくなかったのです。
いえ、つまらないというわけでえはないのですが、費用対対価で考えるとどうしても損した気持ちになってしまい、途中で帰ったなんてこともありました。
まあ少し違いますが、個人的には非常に共感できる話でした。
ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/07/12 22:31

>みなさんも何かしら興味関心・感情の揺れ動きに関して変化を感じますでしょうか?



大人になるというのは、そういうことですね。
親などがそう言っていた意味が最近なんとなくわかってきました。

そのうち、寂しさを感じるとかいうこと自体に
めんどくささを感じるようになってくるのだと思います。

とりあえず、昔は1日に1回はバイクに乗らないと気が済まないし、
ゲームも中毒のようにやっていて、やらないとなにか
いけないような強迫観念まで感じていましたが、
そういう感覚さえ皆無になりました。

まだ、ここの回答はする気にはなりますが、そのうち飽きるんでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございます。

そうですね、いい意味での子供らしさは忘れたくないと思っていたものですが、やはり忘れてきているのでしょうね。
きっとそのうちなんとも思わなくなるんだろうと思います。
ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/07/12 18:51

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