田山花袋の文学観とはどんなものでしょうか?


事実や田山花袋自身の心情を作品上に投影している
というのは理解できました。

A 回答 (1件)

「平面描写」という手法で、自己の内面を赤裸々に告白しているようです。


「平面描写」とは見たまま聞いたまま触れたままの現象をさながらに描く手法。
傍観的客観的態度と作中人物の内面に立ち入らない描写の平面性を特徴とすると。「詳解 日本文学史」桐原書店による。

類似の「日本文学史」は、いろんな人が書いていますので、それらを参考にしたらいかがでしょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q田山花袋「蒲団」の表紙が知りたい。

kurorouと申す者です。どうぞよろしくお願いします。

今、調べものの最中で、田山花袋著「蒲団」の
発刊された当時(明治時代の)の表紙の図柄が知りたいのです。
ですが、調べ方が悪いせいか、
調べても資料を見つけることができず、お手上げ状態です。

もし、どなたか、表紙がわかる資料が載っている本、
あるいはサイトでも、形態はなんでも構いませんので、
ご存じの方がいらっしゃいましたら、
教えていただけると幸いです。お願いいたします。

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E5%9B%A3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

1907年8月とありますので、こちらかと
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/2008-02.html

Q心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。 イギリス文学 心理学 イギリス文学を用いて心理学

心理学に触れたイギリス文学作品を探しています。

イギリス文学 心理学

イギリス文学を用いて心理学の論文を書こうと思っています。
特にサスペンスやミステリーが好きなので、犯罪心理学の路線で行こうかなと考えていますが、未定です。
集団心理、思い込み(幻想、幻聴など)、多重人格でも何でも、何か心理学的なヒントが見つかりそうなイギリス文学作品があれば教えて頂きたいです。時代は問いません。
和訳されていない作品でも大丈夫です。英語で論文を書くので、むしろそっちがやりやすいかもしれないです。

どんどん挙げてくれたら嬉しいです!
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

シャーロック・ホームズはコカイン中毒だったとのことですから、病理心理学はダメですか?
ルイス・キャロルは幼児性愛者だったそうですが、これも病理心理学として使える?

Q田山花袋の文学観

田山花袋の文学観とはどんなものでしょうか?


事実や田山花袋自身の心情を作品上に投影している
というのは理解できました。

Aベストアンサー

「平面描写」という手法で、自己の内面を赤裸々に告白しているようです。
「平面描写」とは見たまま聞いたまま触れたままの現象をさながらに描く手法。
傍観的客観的態度と作中人物の内面に立ち入らない描写の平面性を特徴とすると。「詳解 日本文学史」桐原書店による。

類似の「日本文学史」は、いろんな人が書いていますので、それらを参考にしたらいかがでしょう。

Q日本の純文学作品内でしばしば言及される海外文学

日本の純文学作品内に高い頻度で登場する海外文学を教えてください。
たとえば太宰なら聖書やドストエフスキーの小説を引き合いに出すことが多かった気がするのですが、
他に頻繁に引き合いに出される作品には何があるのでしょうか。

Aベストアンサー

同じく、太宰はギリシア神話からも引いていますね。
例:走れメロス

順位から云えば、
1.中国文学(近現代では「中島敦」とか、江戸期以前の文学では当たり前)
2.佛教経典(芥川・・蜘蛛の糸なんか・・)
3.聖書(現代では、「森山周一郎」・・クリスチャンだった)
4.ギリシア神話(太宰、白樺派辺りでも引用が多い)
5.ドストエフスキー(近代で引用が多い)
6.シェークスピア(大正期文学では多い)

特に自然主義文学と呼ばれる作品群(大正期から昭和初期にかけて)は、西洋文学の引用が増えているような気がします。そして、新古典主義と呼ばれた、芥川らによって、佛教経典や日本古典から引用があり、その後の現代に続くようです。

では。

Q田山花袋の忌

田山花袋の忌と言うのがあるのですか?
教えて下さい。

Aベストアンサー

#1です、補足を見ましたが、残念ながら、ご期待には添えません。

私が花袋忌を知っていたのは、数年前の初夏の句会で使った方(高齢の方)がいたので記憶にあったからです。そのときに細かいこと聞かなかったので詳細はわかりません。
皆の思い出にあって、友人や弟子も存命だった当時は墓前などで行事をやったのでしょうが(だから、季語になった)、現在は館林の田山花袋記念館で行事をするくらいじゃないかと思います。桜桃忌のようにいろいろと行事があるわけではないと思います。

Q文学部で現代日本文学作品だけを学ぶのは無理?

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を考えたことがありません。

しかし、その文学部について調べていて引っかかる点が少しありました。
他の大学もそうだと思うのですが、国文学は文学部の中でも「東洋文化系」という大きなくくりの中に属していますよね。
その東洋文化系の必修科目や専門科目は、
・中国・韓国語・サンスクリット語などの外国語
・中国古典文学・漢文・国語古典文学・インド古典文学
がほとんどという印象でした。
国語学や国文学もありますが、それ以上に外国語や他国の古典文学の授業がかなりを占めていると思います。
さらに国文学の授業でも、古典文学だけを扱うのが文学部の一般的常識だと聞きました。これは本当なのでしょうか。
教授の研究テーマを見ていても、現代日本文学を専門にしていらっしゃる方がいらっしゃいませんでした。
京大以外の国立大も軽く見てみましたが同じような印象を持ちました。

これは、大学の文学部に進学しても現代日本文学を本格的に学ぶことはあまりできず(卒論を除く)、他国のものを含む古典文学・外国語ばかりということになるのでしょうか?

古典文学も外国語も嫌いではありませんが、現代日本文学をあまり学べず、そちらにウェイトがかなり寄っているなら、他学部に進学して独学で文学を学ぶ方が幸せなのかなぁという気がして迷っています。
文学部で現代日本文学作品だけを、とまでは言いませんが、少なくともそれを専攻にしていると言えるようにはなりたいのです。
それが無理ならば、現代日本文学を学びたいという人が、古典文学や外国語をやる意味って何でしょうか?

文学部に在籍経験のある方や、その辺の事情に詳しい方の回答を頂けたらと思います。些細な情報でもかまいません。よろしくお願いします。

文学部進学を選択肢の一つに考えている高校生です。

文学部に進学したら現代日本文学作品を学びたいと思っています。昔から小説を読むのが好きで、古典作品よりも、明治以降の作品(さらに言えば、例えば村上春樹さんのように今リアルタイムで執筆活動をされているような作家さんの作品)の方にに学問的な興味も寄っています。大衆文学でも純文学でも。自分が読んで育ってきた時代のものを研究したいという気持ちが強いです。
ちなみに志望校については、京都大学の学風に大変惹かれており、今のところそれ以外を...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学、政治学などの社会科学はもとより心理学や哲学といった思想系、時には人間が対象として観察している自然科学分野にまで及びます。そしてそうした全てをひっくるめた歴史にも脚を踏み入れねばならないことも普通です。
 「小説を読むのが好き」と仰る質問者からすれば、近代以前の作品は「小説」ではないのかもしれません。けれど『蜻蛉日記』や『更級日記』も解釈次第では「小説」でもあるとの事実を忘れてはならないでしょう。両者は共に「私小説」です。それは「私に降りかかった事象」を私の目線で見たこととして「自己対象化」の要件を完璧にクリアしていることによります。
 この要件を近代以後の作品に適用してみるならば、漱石、竜之介、そして公房や由紀夫、健三郎といった作家全てにあてはまることにもなります。
 こうしたことを考えてみると、最初の質問である「文学を学ぶ」とはどの様な意味を持ってくるといえるでしょう。そして具体的な内容はどの様な言葉として説明することになるでしょう。ここまで来た時、一先ずの定義を示すこともできます。少なくとも「文学なるもの」を研究対象とする時にしか、この言葉を使うことが出来なくなるとの話です。
 恐らく今後もノミネートされることはあっても村上春樹さんがノーベル賞を受賞することもないでしょう。それは文学が時空を越えて数多くの人と感動や認識を共有することで認められているからとの「文学の存在理由」との間でかなりの隔たりがあることも作用しています。
 『青が消える』が普遍の問題を扱っているといえるでしょうか。この作品をどの様な視点からターゲットとして観察することができるでしょうか。少なくとも僕には公房と類似するテーマを扱いながら彼の一連の作品を凌駕するとも考えられません。春樹が書いているのは「僕にとっては大切なもの」が他から見れば「さほどの意味はないもの」であるとの描写に留まっている点で、公房の足下にすら及ばない。だからどうしたの?で終わってしまうほどの作品ともいえます。
 質問者は「同時代の作家を対象とした」と肩に力を入れて力説していますが、戦後そして1945年以前の作家が同時代の空気を採り上げていないとの考えならば、それは大間違いともいえます。彼らは全員「自分の目線」とのフィルターを通じて社会そして世界を観察し、それを「言葉」として再び世界に放ち、読者(研究者も評論家も)に投げ返してきた、「社会とは…」「世界とは…」「私とは…」そして「これら私を取り巻くものと私の関係は…」との形で。
 少し厳しい言い方になりますが、質問者は「文学」を全く知らないといっても過言ではありません。公房が海外でF.カフカやS.ベケットさらにはA.カミュ、健三郎がG.グラスなどとの同時代の観察者として考察の対象になっていることをご存知でしょうか。またなぜ和歌や俳句に関する研究で外国の研究者の方がより本質的な部分にまで切り込むことができるのか考えたことがあるでしょうか。
 芭蕉の旅は西行の旅と重なる部分が数多くあります。清少納言や兼好の言葉には李・杜、白居易をはじめ多くの言葉がちりばめられてもいます。これはなぜでしょう。それを読む人からすれば、まさに現代の言葉でもあるからです。雪降る朝の光景が「香炉峰の雪」を想起させると清少納言が感じたから、それを言葉にしたのであり、そうした姿をペダンティックと評するのも一つの解釈です。けれどもそれは「清少納言という人物像に対する評価」であり「『枕草子』に対する評価」とは異質なものといえます。
 どうやら質問者は「大学で学ぶ」ことを勘違いしている可能性も多分にあります。専門の教員がいないから学ぶことができないとなれば、質問者の文学に対する姿勢は常に受け身といえ、そこから何を引っ張り出すかとの最も大切な作業を放棄することになります。このような生半可な姿勢では理論構築のない分野とはいえ、何を求めるかとの自らが立てた問いに対する答えを見つけることは到底叶わないともいえます。
 「京都大学の学風に惹かれる」とはあっても、文学部に学風は無関係です。京大文学で「学風」と呼ばれるのは歴史学での「内藤史学」や哲学での「西田哲学」といった「研究スタイル」や「アプローチ視角」での特色です。老婆心ながら誤解されませんように。
 なお「日本文学科」や「国文科」が対象領域として扱うのは必ずしも古典だけではありません。近代以後、「第三の新人」と呼ばれる作家までは対象範囲に含まれます。志望選択をする以前に少なくとも、近代文学史の概要程度は頭に叩き込んでおいていただきたいですね。それが常識ですよ。

 こんにちは。「文学が好き」と「文学を学ぶ」では「文学」というもののスタンスが異なることにお気付きでしょうか。そして「文学が接している領域」がどこまで及ぶか、をお考えになったことがあるでしょうか。高校生を含めての受験生にとってはいささか失礼かと存じますが、敢えてこのような問いを返させていただきます。
 口幅ったい言い方かもしれませんが、「文学」を人間の精神的な営みと理解するのであるなら、それが関わる範囲は「人間が関わる全ての領域」と規定することも可能で、それは社会学や法律学...続きを読む

Q館林城が出てくる田山花袋の作品

タイトル通りなんですが、田山花袋の作品で、幼少期に遊んだ群馬県の館林城跡について描いたものがあったと思います。昔読んだので作品のタイトルを忘れてしまいました。マイナーなものらしく、検索しても分かりません。どなたかご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

http://www.city.tatebayashi.gunma.jp/bunka/06_kine/06_taya.htm
に、
>ふるさと館林での生活は『ふる郷』『小さな鳩』『幼なき頃のスケッチ』などに描かれています。
とあります。

ずばっと答えられなくてすみません。

Qある文学作品の作品名を探しています。

以前ここで同じ質問をさせていただいたのですが、その時は判明しませんでしたので、もう一度同じ質問をさせていただきます。

ある文学作品の作品名を探しています。

多分、作者は森鴎外だと思うのですが、はっきりしません。
文章は口語文でした。

読んだのは関西大学の入試問題を解いていた時でした、
ストーリーとしては、
「主人公が富士山(これもあやふや)に登り、山頂に登りきれず7~8合目の山小屋から日の出を見る」
というシーンがありました。

そこの日の出を見る場面の文章が非常に心に残っており、どうしてももう一度読みたいです。

どなたかご存知の方は宜しくお願いします。
また、確証は無くとも上記のようなシーンのある近代日本文学小説をご存知でしたらお知らせ下さい。

Aベストアンサー

日の出の描写が有名な文学作品ということなら(条件はかなり違いますが)
志賀直哉の『暗夜行路』かも。

http://www.geocities.co.jp/Outdoors-Mountain/1781/yamanavi/daisen/index.html

の中程に、その部分の文章があります。

Q田山花袋『田舎教師』の費用計算の場面について

田山花袋『田舎教師』の冒頭で、主人公が費用を計算する場面があります。

それによると、当日かかった費用が49銭5厘、もともと財布にあったのが1円20銭で、差引70銭5厘が残っている。
さらに、今回の門出に際して(昨日までに)かかった費用が4円07銭5厘とのこと。

で、このあと、この4円07銭5厘と、現在の所持金70銭5厘を加えて「総計4円78銭也」と書き留め、
たったこれだけの金額の工面にも苦労した父母を思い出すのですが、
この「総計額」の意味がどうもよく分かりません。

昨日までの費用と、今日かかった費用を加えるのならば、
「現在までに使った総計額」として意味があると思うのですが、
昨日までの費用と、現在の残高を加えることにどんな意味があるのでしょうか。
単なる作者のミスでしょうか?

Aベストアンサー

No.1です。
原文を読みました。
これを見る限り田山花袋氏の勘違いで、当日かかった費用を
加えるのを忘れたものと断定出来ます。

門出に際してかかった費用
当日かかった費用
現在の所持金
この総計を父母から出してもらったことになります。

Q文学作品

文学作品を募集しているところが一覧でわかるサイトを知りたいのですが。。。

Aベストアンサー

 こんにちは。
 私も同じに一覧を初夏に探したのですが、これといって完全に網羅しているものが見つかりませんでした。ただ、幾つか一覧になっているものがあり、それぞれのサイトを照らし合わせることはできました。
 下記欄の参考URL(HP名は「登竜門」です)の他に、幾つかのサイトを次に載せておきます。お役に立てば良いですが…。

http://koubo.kitayu.com/
http://kobo-joho.jpn.org/kobo/
http://www5a.biglobe.ne.jp/~bunyoko/syou/syou-index.html
http://sakka.org/prize/

参考URL:http://compe.japandesign.ne.jp/


人気Q&Aランキング

おすすめ情報