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仮にですが、

世界の人口の65億のうち、

優秀な人間の上位10%だけを選び、
6.5億だけに絞った場合、

世界はどうなるでしょうか?

1.物分りのいい優秀な人間同士だと、
  無駄な争いがなくなり、かつ効率の良い社会となり
  平和な世界が到来する。

2.物事を論理だけで考える人ばかりになり、
  情感や人間性の乏しい社会になり、
  また、肉体労働に従事する人がなくなるので
  活気のない世界になる。

3.その他、あなたのご意見

「この世の人口が10分の1になった場合、世」の質問画像

A 回答 (9件)

 働きアリは2割がとても一生懸命に働き、


6割は適当に手を抜いていて、残りの2割は
全く働いていないそうです。

 面白いのは、よく働く2割の働きアリを
集めて精鋭部隊を作っても、そのうち
サボるヤツがでてきて2:6:2に
戻ってしまうそうです。

 一方、全く働かなかった2割のダメ働きアリを
集めてだめだめ部隊を作っても、そのうち
まじめに働くやつがでてきて2:6:2に
戻るそうです。

 組織というのは案外そういうものなのかも
しれません。
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質問者様があげられた1と2になるような気はしません。


全部が全部ではないけれど、優秀な位置にある人たちのうちいくらかは、かなり努力や苦労されたり、人と競う事でその位置を得たのだと思います。
そのような人たちばかりのグループがいくつかあると思うので、そこでは、たえず自分との対決や、人との競争が繰り返されていたのでしょうから、それが、上位10%を相手にするとなると、強敵ばかりになるおそれがあります。
このようなグループではまず平和にはなりません。
このようなグループはただひとつで、他のグループがそうでなければ、案外平和に近づくとは思いますが、彼らがそうさせないような気もします。
また、残された10%の人間が、他の90%の人間が消えてしまった事を記憶していた場合、消えた人間にかわってがんばらないといけないなあと思う人が多くいると思うので、活気づくような気がします。
どうなるかはわかりませんが、どうなってか欲しいと思う事があるとしたら、この際だから、さらに99%削減して、つまりもとの0.1%にしようと言う世界になり、より選び抜かれた人間だけにしていきます。
そして、毎月99.9%削減を繰り返していきます。
よしこれくらいでいいかな、と言う人口になってはじめて、平和にか、あるいは、活気のない世界になると思います。
優秀な人間だけでは、世界を構成する事はできない。
仮にできたとしても、それが優秀な世界であるとは限らない。
仮に優秀な世界だとしても、それでどうしたの、と言う程度の事でしかない、現在の世界とそうかわらない、と思う。
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財政難のため国家、地方ともに破綻。


限界集落が増え効率化のため町に集約される。
不動産業界は真っ先に倒産。
銀行もつられて倒産。
交通機関も赤字で倒産。
その他もろもろ倒産。
いまだかつて無い経済危機に見舞われる。
都市としての機能を維持できずに荒廃。
農村部も荒廃。野犬や動物により荒らされる。
優秀な官僚も天下り先がなくなり新たな搾取の方法を模索。
既存の会社のほとんどが人材不足に陥り経営が成り立たなくなる。
市役所の人数が1/10になれば運営は無理。
マンパワーの不足により社会のシステムが崩壊する。
電力会社も同じ。大停電は免れない。
優秀な人達なだけに狡猾な奪い合いが始まる。
譲り合い助け合いだの言っていられない状況になる。
優秀な指導者がいても電力がなく社会のシステムが崩壊していたら
手がつけられない。
異常気象による災害にあっても復旧ができない。
死体は野ざらしのまま腐る。
疫病やインフルエンザが流行しても病院の経営は成り立たず電力もなければ
薬もなくなる。優秀な人達でもどうしようもなくなる。
他にも弊害が出てくることでしょう。

その前に優秀ではない人達の反乱にあい計画が頓挫する可能性や
10%まで絞り込むのに大量虐殺するのであれば殺伐とした世界になるでしょう。
総人口の9割を殺すのですから生き残った人達は気が狂ってしまうでしょうね。
知り合いや友達、先生や上司、恋人、親、兄弟、優秀な人達の世界にするのに
殺されたとしたらどんな世界になるのでしょう。
あなたはまともでいられますか?
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連続投稿になってしまいますが、気になるネタを前の回答に発見したので。



はい、社会格差の問題ですね。

これも、優秀の定義を理知的頭の良さとするならば、
その高いレベルの中で競争が繰り返されるだけですので、
なんの問題解決にもなりません。
無力ですね。

しかし、優秀の定義が利他性の高さ、精神性の高さとするならば、
世界はたちどころに格差社会を是正して、
肉体労働に頭脳労働と同じねぎらいの価値を置き、
賃金の平均化が実現するでしょう。
多く持っている者は少ない者に喜んで差し出すでしょう。
だから有力ですね。

だから私は述べているのです。
優秀とは幸せに結びつかねばならない。
そうでないものをどうして優秀と称するのか。
現代に求められる優秀とは理知的頭脳ではなく精神性の高さなのだとね。
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どの世界、業界にも優秀な人はいます。


優秀な政治家、研究者がいるように、
優秀な料理人、優秀な建築作業員、優秀な溶接工、優秀な旋盤工、優秀な新聞配達員、優秀な新聞勧誘員、優秀なホームレス、優秀なヤクザ、優秀な赤ちゃん、優秀なエロ漫画家もいます。
優秀な平和主義者の作家が、家庭では妻に骨折、全身打撲、鼓膜が破れ耳と鼻から血が噴出すほどの暴行していたという事実もあります。

「優秀」という定義があいまいなので予想できません。
世の中に、選ばれるべき優秀な人間なんていません。
だってそれが、にんげんだもの@相田みつお
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優秀の定義によって変わります。



優秀の定義が学識、理論的センスとするなら、
効率は良くなるが、利己性、利他性に関しては入り乱れており、
争いは無くならず平和な世の中にはならないでしょう。
頭がよくてもドロドロの人間模様は残っており幸せとはなりません。
逆に言えば、幸せと関係ない要素を優秀などと私は呼びたくありません。
この優秀はただ便利横着、物質の量を満たすだけです。
(肉体労働は誰かがやらなければならないので別になくなりません。
結局頭がよくても体力も要るんです)

優秀の定義が利他性の強さとするなら、
理知的効率は前者程でなくても争いのない精神性の高い世界になるでしょう。
心理的ストレスの少ない幸せな世界になるでしょう。
また争いがないということは前者において非効率となっていた部分がなくなるので、
効率面でも前者との差を補う結果となり得るでしょう。

という訳で私は優秀の定義とは、
理知的脳が発達し鍛えられたということではなく、
どれだけ利他性の強さがあるかという事だと思います。
自己満足と愛の違いをしっかりと把握した慈愛あふれる存在の上位10%なら、
今よりもはるかに幸せな社会を形成するでしょう。

理知的部分に関しても、個人個人を見た場合前者の方がIQの高い人物が多かったとしても、
それを人の間でフル活用出来なければその能力は十分発揮されません。
自分の都合に合わせて自分の為に利用しているだけでは発展性がないということです。

後者は個人個人の能力が前者ほどでなかったとしても、
上手い方法が思いつかれたらそれがすぐさま世界に広がって、
みんなの財産として知識がどんどん蓄積されます。
みんなで考えて行くので結果的に発展スピードが前者より優れるかも知れません。
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多分残った6.5億人の中で今と同じような序列が出来ます。


6.5億人の中で下位に位置する人はいわゆる3Kの仕事に就いたり、非正規・派遣にならざるを得ないでしょう。
資源消費量は減るので、環境はよくなるかもしれませんね・・・。
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人口が10分の1になったらもちろん国会議員も、官僚も、教師も医者も弁護士も銀行員も社長も何もかもが10分の1になる(必要ない)わけですので、今の世界で優秀とされる人も優劣に応じてゴミ収集も、建設現場の従事もタクシー運転手も老人介護もコンビニの店員もすることになります。

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>3.その他、あなたのご意見


わたしはたぶんいなくなる側の人間なので残った人たちのことは分かりません。
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