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ここのカテゴリーでよいのか、心配ですが・・

合唱団で、おもに宗教曲を歌っています。(趣味です)
夫とバッハの話になり、「もとは宗教が原因で、テロや戦争が起こるのに、
信者でもない者が、無自覚にキリストを賛美するような歌を歌うのは、間違っているのではないか?」と言われました。

私は、「バッハの曲の素晴らしさに魅力を感じているのであって、音楽作品としてみている」と反論しました。

彼は、「曲がよければ、歌われている内容について考えないのか?
キリスト教(ルター以後)の普及に、バッハが一役買っている。
ドイツの知人も、バッハ=教会 であって、音楽としてはあまり評価しない。日本人がどうしてバッハを歌うのか と言っている 」と言います。

確かに、一理あるような気もしますが、理屈っぽい彼に反論できるような考えを、持ち合わせていません。
どのような、反論ができるでしょうか?
もちろん、歌うのはやめません・・・  

A 回答 (9件)

Ishiwaraさん wy1です。

 私はオランダ在住の方の本で読んだのですが。他の例は知りませんね。ただ日本では大多数が信者ではありませんので、該当しないでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

Ishiwara 様のお礼欄にも書きましたが、
私が以前所属していた合唱団では、演奏会でバッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」を歌う時に、
プログラムに「演奏終了後の拍手はご遠慮下さい」と断り書きを入れていました。
(コンサートホールでの演奏です。)
ただ、希望通りには行かず、大拍手で終了となってしまいます。
聴きに来てくださる方は、ほとんど信者さんではないので仕方ないですね。

お礼日時:2009/10/01 00:07

#4です。


教会内で宗教音楽だから拍手禁止ということはありません。
もちろん教会の行事としてのミサや葬礼であれば拍手は慎みます。
しかし、教会を会場としたコンサートは、いくらでもあります。そのときは、ふつうのコンサートして振舞って差し支えありません。
きわめてまれですが、あらかじめ主催者から拍手を辞退したいというアナウンスがある場合があります。もちろん、それには協力すべきです。サントリーホールのコンサートでさえ、そのようなことがありました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

私が以前所属していた合唱団では、演奏会でバッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」を歌う時に、
プログラムに「演奏終了後の拍手はご遠慮下さい」と断り書きを入れていました。
(コンサートホールでの演奏です。)
ただ、希望通りには行かず、大拍手で終了となってしまいます。
聴きに来てくださる方は、ほとんど信者さんではないので仕方ないですね。

お礼日時:2009/10/01 00:03

No.6です。

思い出したことがあました:あるオランダ在住の日本人の方が、教会で演奏されたバッハの受難曲の演奏が終わり素晴らしかったので手を叩こうとしたら、”宗教音楽でしかも教会での演奏だから、拍手
はダメ”と言われたそうです。記憶ですので、正確な言い回しではないと思いますが。
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バッハに限らず、内容とかを全く知らずに、宗教音楽を演奏/聴いたりすることはおかしいと思います。

バッハだからルッター教会の信仰を持たねばとかアヴェ マリアを歌うのにカトリック信者でないと駄目なんては、いいませんが、せめて、何がその曲の主題で、作曲者がどのような考えで作ったかぐらいはちゃんと調べて、から演奏する/聴くことが必要でしょうね。
私はキリスト教信者ではありませんが、バッハのカンタータ、またカトリックですが、幾つかのミサ曲、レクイエムなどが好きでCDやLPなどで聴きます。やはり宗教曲は単に音楽としてだけで聴くことは一寸考え物だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

演奏するときは、最低限のことは調べてから練習しています。
今の悩みは、 作られた当時とは、変わってきてしまった宗教を巡る世界の中で、
信仰を持たないものが宗教曲を歌ってよいものなのか 
ということです。
お答えによりますと、宗教曲は単に音楽としてだけで聴くことはやはりだめなのでしょうか。

お礼日時:2009/09/21 01:18

こんにちは。


アマチュア音楽愛好家です。
キリスト教徒ではありません。

ご主人もそのドイツ人のお知り合いも,ディベート好きなだけで,特に説得する必要もないのではないですか?(笑)
・・・という冗談はさておき,反論ではないですが,


バッハのキリスト教音楽はキリスト教徒でない者に演奏されることを拒絶していないし,それを演奏することは,その他の宗教を信じる人を否定することを意味しない。


・・・と,思うのでした。

他者を尊重することはとても大切だと思うのですが,それがゆえに,質問者さまの『良心に基づく健全な』音楽活動(仮にそれが宗教的な活動であったとしても)は,尊重されてしかるべきと思います。

#本音としては,好きなものは好きで何が悪い!です(笑)。


質問者さまがバッハを歌うことに対して理解が得られますよう,お祈り(誰に?^^;)申し上げます♪
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

多分、お答え頂いたものが、私の心の中の思いに一番近いような気がします。 
二人でよくTVのドキュメンタリーを見ます。
民族や宗教の違いで争いが起こり、弱い立場の人が悲しむのを見て憤っていますが、
私の歌うものが宗教絡みのものなので、
彼にとっては、理解できないのだと思います。  
でも、私の本音は それはそれ、これはこれ、で まさに「好きなものは好きで何が悪い! 」です。

お礼日時:2009/09/21 00:45

宗教と芸術を分離しても構いません。


キリスト教徒でない人は、キリスト教のすぐれた絵画の前で、お辞儀をせずに「芸術品として」鑑賞することが許されます。
なお「戦争の原因が宗教にある」とするのは誤解です。聖書(特に新約聖書)をよく読んでください。戦争を肯定する人たちは、すべて聖書の教えに反しています。

この回答への補足

ご回答、ありがとうございました。

私自身は、宗教と芸術は分離して考えています。
しかし、聖書の内容やエピソード、精神から切り離しては考えられないことも理解しています。

ご指摘の「戦争を肯定する人たちは、すべて聖書の教えに反しています。」 ですが、あくまでキリスト教の信者の話ですよね。
ジハードを唱えている人々はどうなのでしょうか? 
極論ですが、そのような人の前でもキリスト教の神の賛美の歌を歌えるのかどうか?
これに答えられたら、夫に反論できると思うのですが。 

聖書を読むのは嫌いではありませんが、よく読んだとしても、答えは見つからないような気がしますが・・・

補足日時:2009/09/18 00:37
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繰り返される質問ですよね。

簡単に答えます。

宗教音楽と言われるもののほぼすべては神を賛美し感謝の気持を表すものですよね。つまり「愛の歌」にすぎないと思います。駅前で歌い叫んでいる若者たちの愛の歌と根本的には同じと考えるのはおかしいでしょうかね。

「ドイツの知人も」云々はいただけませんね。ドイツ人にもバッハに興味がない人はたくさんいるってことにすぎないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

信者ではないことと、
ドイツ語・ラテン語をあまり理解していない日本人であることを逆手に取り、
お説のように「愛の歌」を歌っているのだと言うスタンスで行こうと思います。

歌詞を聴いて不快に思うような方は、演奏会に来られないでしょうし、
社会情勢と音楽作品とは、切り離して考えようと思います。

お礼日時:2009/09/17 23:54

私も全く同じで、合唱団でおもに宗教曲を歌っている中年男性です。


団員の約70%はキリスト教信者(新旧各教派信者が混在)ですが、そうでない人もおり、普段の活動では、あまり宗教の話はしません。

私自身もカトリック信者ですが、ただ私の場合は、こちこちの信者とは明確に一線を画し、仏教や神道などの日本の伝統的宗教にも強い親近感を持っています。唯、はっきりしているのは、神の存在や宗教の必要性を絶対と信じていることです。ご主人のように、宗教が危険で、戦争やテロの原因というように、ネガティブにばかり考える人が増えている現状に、強い危惧を感じています。又、一方ではそのように多くの人を感じさせてしまっているのは、宗教関係者の責任とも考えています。

さて、私どももバッハの曲をよく演奏するのですが、バッハの良さは、
やはり強いキリスト教信仰に裏打ちされた豊かな音楽性であるということについては疑う余地がないと思います。従って、やはり、本当にバッハなどの宗教音楽の精神性を理解できるのは、キリスト教の信者か、少なくてもキリスト教への理解がある方が有利と考えられますので、信者にならないまでも、理解位はして頂けたらと思います。

といっても決して難しいことではないと思います。
一つ心に深く留めて頂きたいのは、現在の各宗教のあり方や活動が、ともすると、その創設の頃の理想を離れ、同じ教えを信じる内輪の中だけの結束を求め、己の正統性を主張したり、他教の者を見下したりするあまりの、排他性や他者への攻撃、戦争、テロなどへの発展の火種になり勝ちなことです。本来、人格を磨き、他者への愛を教えるべき宗教が、正反対の方向に走っているとすれば、全く本末転倒であります。


キリスト教は「愛」、仏教は「慈悲」というように、各宗教は、他者へ尽くすことを、本来の信仰の第一義においています。たとえ、相手が他教の人であろうと、もっとユニバーサルな愛を求めているはずです。
現に、カトリックのミサにおいて、重要な位置をしめている「聖体拝領」(「聖餐式」ともいう。キリストのからだに見立てたパンとキリストの血に見立てたワインを参列信者が頂く儀式)は、貴賎の別なく食卓をシェアすること、神の前には万民が平等だという近代民主主義の考え方の源泉になりましたし、キリストの受難も、人類全体の救いのために、キリストが神から人間になって、人間として受難を受け入れたという崇高な物語です。

是非、現代の本末転倒な宗教戦争やテロや金もうけに堕落した宗教団体の姿に目を向けず、本来の教えである「人類愛」の精神に目を向けて下さい。

又、次の本を読んで、「宗教改革」を成し遂げたルターから200年の時を超えて魂のリレーを受け継いだバッハの音楽の素晴らしさについて、感動を新たにしてください。

茂木健一郎「音楽の捧げもの ルターからバッハへ」PHP新書
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
バッハの曲は、聴いても、演奏しても本当に素晴らしいですよね。

夫は、宗教を否定しているわけでも、
バッハを否定しているわけでもありません。 
ただ、中東などでの紛争が収まらないなかで、信仰心もないのにキリスト教のみの神の歌を歌えるのか? 
どのように思って歌っているのか?と言う疑問を持っているようです。 
バッハの時代の信仰心を持った人々が歌うのと、
その後の本来の姿とは、変わってきてしまった現代で歌うのでは、
意味が違うと言うことのようです。 

私は単純に、バッハの曲のフーガの流れの中に入っているのが好きなのですが、
何も考えていない(現在の世界情勢のことなど)で歌っていると言われると、悲しくなります。 

お礼日時:2009/09/17 01:13

アメリカ人でないからアメリカの歌は歌わない、みたいな論理かもしれませんね。


バッハの曲自体は、宗教対立も戦争も関係なく、ひたすら己の心の平和の証として作られたもので、それは民族や思想を越えた領域に属するものではないでしょうか。
日本の演歌や浪曲などで渡世人(やくざ)を歌ったものもあって、好ましいものではないといえば好ましくないかもしれませんが、心意気という次元から見て、人の心をうつ面も持つのではないでしょうか。
ルター派のキリスト教徒であれば宗教的なものと受け取るかもしれませんが、異教徒にとってはあくまで美しい作品として味わい、演奏することがあっても何ら問題はないと思います。
バッハにとってはキリスト教が自分の心にかなうものであったのでそれを素材としましたが、宗教的な心というのは、特定の宗教を越えたものではあるまいか、と私は考えます。
バッハはバッハとして味わい、日本の文化は日本の文化として誇りに感じる、それは矛盾することではないと思いますが、論理で説明するのはむつかしいことかもしれません。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございました。
指導者に「言葉の意味を理解して歌え!」と日頃言われて理解していたつもりでしたが、
なにぶんドイツ語・ラテン語の世界ですので、表面だけだったと思います。
改めて考えてみたとき、信者ではないものが歌うのは、宗教音楽に関りのない人から見たら、変なのかもしれませんね。
でも、お答えいただいたように、「美しい作品として味わい、演奏すること」もやはり判って欲しいと思います。 
毎回、演奏会には、聴きに来てくれるのですが、どうしたらいいでしょうかね。

お礼日時:2009/09/17 00:43

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