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「答えのない学問」の答えは哲学を学べば得られますかか?

A 回答 (10件)

気に入ったものを見つけるという意味では得られるかもしれません。



哲学も真理を追究する学問であるならば、答えも追及し続けなければならないはずです、絶対的な答えがあるならば哲学ではなくなるような気がします。

真理を神に求めれば宗教、論理に求めるのが哲学、いずれも絶対を求めて未だ回答は与えられていないと思う。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/11 20:01

どうも御免下さい。


夜分失礼致します。
「三度目の正直」にでも辛うじてなれば幸いです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
どうぞ。Yahoo!知恵袋にも何やら色々ありました。
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この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2009/10/16 07:14

納得度の問題だと思います。


どれだけ納得できたか。という。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/15 22:46

難しい事は判りませんが、「答えのない学問」の答え、というと哲学ではなく宗教の範囲になるのではないのでしょうか。



哲学とは人間の智で答えを出していく、宗教は人間の智で答えのでない問題を取り扱う。

確か真宗の親鸞は不義をもって義とする、っと言ってますね。救いは答えがない事が答えである。との解釈でいいのではないでしょうか。

キリスト教に措いても答えの出ない困難が降りかかった時、答えは神に預けるという事かも知れませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/13 21:25

また御邪魔しました。


今度こそ、本当に御邪魔になったら申し訳ありませんが。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5355542.html
そうです。
これも、絶対的な答えは難しいのですよね。
理性的と、感情的、どちらが得か、とかですが。
冷静で知的な感じは理性的でも、どちらが要領良いかは難しい問題になります。(汗)
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この回答へのお礼

よく読んでみます。

お礼日時:2009/10/12 16:52

答えが見つかるかどうかはやってみないと分らない?

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この回答へのお礼

そうですね。

お礼日時:2009/10/12 16:51

「答えのない学問」と言っているのですから答えは無いんじゃないですか。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/12 09:29

それぞれA=AのケースからA=BにでもCにでも成り得るケースのように、場合によって色んな色の真理や正義が存在する、多様の価値観が存在して溶け合う中で、100%真に正当な物事は存在しない、と言う「答えの無さが答え」と言う、1+1=2と言う絶対的な定まりの無い学問や政治、経済、宗教学ですよね。


自分の世界に合ったのが自分にとっての答え、私の決めた答えで良いかと思いますね。

神のみぞ知ると言いますが、並行世界(パラレルワールド)とか言う、Aが絶対正しい世界と、Bが絶対正しくなる世界が、神さえも知らないと言われる、幾つもの線が並行に存在する世界になります。
それぞれ別世界、別宇宙とも言えます。
アンサーになっていなければ申し訳ありません。
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この回答へのお礼

参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/12 01:08

「答えのない学問」の答えは哲学を学べば得られますかか?



そうですね。それは哲学の領域ですね。
「答えのない学問」はわりとたくさんあるのですね。
経済、金融などは複雑な数式を駆使して予測していますがあたったためしがないんですね。予測できれば経済恐慌など存在しないですからね。
個々の行動が全体に及ぼす影響が大きすぎてぶれが大きすぎるからですね。このような領域では基本的な人間哲学を学ぶことによって答えが見えてくることはありますね。
また、政府サービス、財政出動と税金のバランス問題などもそのたぐいですね。学問としては答えがないんですね。つまり、このような問題は人間の欲に関係していますので欲次第ということで哲学の範疇なのですね。
一般的に政治・経済・社会学などにはすっきりした答はないんですね。みんな仮説程度で、信じているだけのものですから、その基礎になる哲学などを学ぶことにより見え方も違ってくるということですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/12 01:08

答えを探す道が、いわゆる学問だけだとは思わないが、正しい解答を見出そうとする人々が、学問を為すのであると思う。


答えのない学問、では、何のための学問であるのか分からない。
答えを得るための学問、学び問うということが、学問の本質、本義であるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/12 01:08

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