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よのなか、 いろいろな人間がいますが、私がもっとも疑念に感じるのは、なぜ人間には質の差があるのか?ということです。
当たり前といえば当たり前なのですが、事実としてあまりに強烈です。

品行方正で、礼儀正しく、努力を怠らず、個性もあって存在自体に輝きがある(なくなったらそれを惜しむ人がいっぱいいる)ようなひとと、努力もせず、素行が悪く、礼儀知らず、発揮する個性もないような、どう考えても何の魅力も感じられないという存在が、両極端的に存在する。
そういうのって、すごく残酷なあるいは、あまりにも不均衡な醜い現実だと思うんですけどね。

その点、世の摂理的に、あるいは一般的感性的に、どう感じるものでしょうか。

A 回答 (24件中1~10件)

なるほど、質問者さんはバランス教の人だったのね。


私の回答は無駄でした。
どうぞスルーされてください。
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非常に幼稚ですね。


投稿する以前に人に尋ねる姿勢を学んでから出直してね。

<オマケ>
全ての魂は肉体や物質に宿って誕生し消滅を繰り返すという考えがあります。
人としての魂レベルの高い人は人間を繰り返し生まれてきた方。
あなたの疑念?の後者の前世は単細胞もしくは魂の低いレベルの方。

あなたはきっと後者の部類でしょう。
でも悲観することはありません。
今からでも魂を磨いていけば向上できます。
今のままでいいのならそのレベルです。

でもそれを選択するのは自分自身ですので。
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※SOLAR_RAY と owlsjp の使用者は同じです。



補足:仮説 ですので、そう思い込んでいる というわけではない。

 従って妄想ではなく、推察 と表記したほうが良いでしょう。

β3.その点、世の摂理的に、あるいは一般的感性的に、どう感じるものでしょうか。

 実際に、日常生活の中でそのように感じる機会があるのであれば、「一般感性的」には 運 ということでよいのではないでしょうか、人生というものは、生まれや幼少期の環境で八割方(推測)決まってくるのだろうから。
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β1.どこからそんな妄想がわいてくるのですか?



◇>仮説ですが、思っています。

  と、いうことです。可能性のひとつを挙げたということですよ、不快にさせてしまったようで。

 他にもあらゆる可能性がある、しかしその中のひとつを提示しました。

 しかし、因果関係を考えず、

β2.すごく残酷なあるいは、あまりにも不均衡な醜い現実だと思うんですけどね。

 と言うところに、わざとインパクトある(ネガティブ方面での)言葉で周囲の注目を浴びようとしているような気もします。

 これが、「仮説2」です。
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質問者garcon2001さんへアドバイス



反論や批判的な意見にも感謝、礼儀を尽くしたほうが良いと思います。
あなた自身の疑問を不特定多数の方に質問を投げかけわざわざ回答してくれた方がいるのに失礼な返信だと思います。

「人間の質の差」という疑問を抱いていること自体があなたにとっての真の問題ではないかと私は感じます。
でも人は失敗し、恥をかき、反省し、改善を繰り返して成長します。
いくつになっても素直に謙虚である努力が必要と思います。
私の伝えたかったことに気付いていただけたら幸いです。

この回答への補足

そういうことは、質問もたくさん経験している人が言うことです。

補足日時:2009/10/28 09:03
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 実は、私はこの質問を、「私は品行方正で、礼儀正しく、努力を怠らず、個性もあって存在自体に輝きがありますよ」ということをアピールしたいがためにしたのだと 仮説ですが、思っています。

誤解なら失礼しました。

この回答への補足

それは誤読でございますね。
どこからそんな妄想がわいてくるのですか?

補足日時:2009/10/28 01:10
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いろんな人・・・いますよね。

女子トイレに興味津々の方など

または~ところで回答者#16さんは一瞬で削除されてしまったのは何故なんでしょうかね。・・・一瞬で削除?どこが?4日目=さらしものですね。

例えるまでもなくいろんな人がいるからオモシロくもあり愚かだったり。
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あたしは自分を美人で感性豊かでとっても魅力のある女性だと思っています。


そう思えば少しでも現実を忘れられるから。
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ガーコンさん、お久しぶりです。

お変わりありませんか。

お示しのご質問には「文明論的」に答えるのが適当でしょうね。つまり、「人間の質」を問う「尺度」が導入された結果として「質のよい人間」と「質の悪い人間」の区別が生じたわけですから。

ゴードン・チャイルドという考古学者が、かつて文明とそうでない文化を区別する指標として、文明は次のような特徴を持つと定義しました。

効果的な食料生産
大きな人口
職業と階級の分化
都市
冶金術
文字
記念碑的公共建造物
合理科学の発達
支配的な芸術様式

時を経て平準化された文明国家に暮らしているわれわれは、日常の生活規範として「職業と階級の分化」の影響を大きく受けることになります。つまり、その個人が「社会的に有用化どうか」という指標=価値観を好むと好まざるとにかかわらず形成するか形成された価値判断の種々の影響を受けているわけです。

この「社会的に有用かどうか」は、職業的な有能=労働の対価として得られる金銭の多寡や、小さな社会である家族を形成しているか、求められる社会的な道徳規律の守り手であるかなどが含まれてきます。この地域的な道徳的価値判断の中から

>品行方正で、礼儀正しく、努力を怠らず、個性もあって存在自体に輝きがある
>努力もせず、素行が悪く、礼儀知らず、発揮する個性もないような、どう考えても何の魅力も感じられない

という判断がなされてくるのです。

さらに近世フランスにおいて発明された「基本的人権」なるものが近代民主国家への移行過程で国家運営の基本理念に採用された結果、「人間」であることだけで「尊厳を尊重」されるようになりました。

ここに

有用ではないにも拘わらず駆逐されない「人間」

なるものが誕生したのです。

ですから

>その点、世の摂理的に、あるいは一般的感性的に、どう感じるものでしょうか。

への回答としては

群棲者として生きることを余儀なくされた人間が、自身の形作る文明社会が必然的に持つ「社会的有用さ」の尺度と、社会集団での支配的な人権思想の間の「ねじれ(=病い)」

が動かしがたい常態であると捉えられ、かつ支配的であることにより一般感性的に「どうしようもない」という捉えになっているのではないでしょうか。

人権思想がなくとも人間は弱者を保護する「本能の壊れた」動物ですから、「物乞い」にでもなるより他にないような「規格外」の人間も、その能力に応じて社会的居場所を確保してきたのでしょう。

ただ、それを

>すごく残酷なあるいは、あまりにも不均衡な醜い現実だ

と受け取るか否かが、他の回答者さんたちに見えられる「人生論的な反応」を惹起する契機となったみたいですね。

ところで回答者#16さんは一瞬で削除されてしまったのは何故なんでしょうかね。
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この回答へのお礼

お久しぶりです。
私はまだしぶとく参加してますね。
今回も示唆に富んだご回答で、うれしくなります。

人権宣言と、文明的な社会階層のミックスですね!すばらしい論点だと思います。そう考えると、人権宣言以前の社会では、当然非人間的な階層と言うのも存在したわけで、そのことは通常の近代的神経では耐え難いのでしょうね。近代的自我が、それらを拒絶した結果が、
「どうしてどうしょうもない人間と、すばらしい人間が共存しているんだ!」
という矛盾を生んだのでしょう。

この時代の人間に生まれて来た、宿命なのでしょうね。

お礼日時:2009/10/29 19:56

世の摂理的に、あるいは一般的感性的に、どう感じるものかは代表者みたいに言わない。


しかし、質の違いがあるからこそ摩擦が生じ、それによっていろいろと変化が生じるとは言えるだろう。それだけのこと。

己が‘ごみ屑’だから、おまえも同じようなごみ屑となってオレの仲間でいろよ!!と働きかけ強制するなら、それも摩擦のない、ごみ屑クローン世界。ごみ屑のような私「たち」=典型的なオレもアンタも的、オレを置いて行くな的、根にあるのはオレ様クローン願望。
何のお題目をあげたって、他人のハンドルぱくって、この世から消えろと罵る‘ごみ屑’でいるうちは来世も幸福もあるわけない。
しかし、オレといっしょに‘ごみ屑’のようなおまえでいろ!!と働きかけ強要してくるのも、ごみ屑本人にとっては努力の証なんだろうw。

‘質の差’を感じている自分、自分はどういう質を目指したいか考えるのも自分。
質問者さんは、‘あまりに強烈で’‘すごく残酷なあるいは、あまりにも不均衡な醜い現実’とやらいうものをどうしたいのか、そしてそう思っている自分自身をしっかりと見詰めることです。
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