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10年前に養父を、4年半前に最愛の養母(以下、母)を無くした37歳女性です。既婚で夫婦2人の生活です。

母が亡くなってから結婚したのですが、ずっと心の奥が寂しく、プライベートでも仕事でも
だんだん主人とも人とも話すことがうまくできなくなってきました。

「母を失った喪失感、心の芯から愛している人を失った悲しみ」からまったく立ち直っていない自分に気がついたのは最近のことです。
「つらい、でも喪失感なんてない、自分でがんばるしかない!」と本当の自分を封印してきたのだと思います。

よく「大切な人を失った悲しみから立ち直れない」と聞いたりしてはいましたが本当にひとごとだと思っていました。
なんて思いやりがなかったことか・・・

こんなに深い深い海みたいな穴が心に空いてしまうことをいうのですね。
父母の実子兄弟も母が亡くなってからあきらかに私に対する態度が変わってしまいました。

父母を送る、誰でも通る道とはわかっているのですが、
皆さんがどのようにして自分を励まし、心の穴を認めて生きていっているのか教えて頂ければとうれしいです。

ここを卒業しないと「あんなに大切に自分を育ててくれた父母に赤ちゃんを抱かせてあげられないけれど責任をもって子供を産む」
ことさえできない人間で終わってしまいそうです。

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

A 回答 (6件)

私も数年前に母を見送りました。

 癌でした。 主人が期限無しで里帰りを承諾してくれたので、最期まで自分の手で看護させてもらいました。

あれからもう3年になりますが、あの頃のことを少しでも思い出すと心がズキンと痛みます。 自衛本能が働くせいか、当時の記憶へ辿り着く前にバサッと記憶のページを閉じている自分がいます。

「もう苦しまなくていい」「よく看病してもらってお母さんは幸せ者」「あの世でまた元気にしてるよ」など、一通りの慰めをいくら聞いても気持なんて晴れません。 亡くなったのは雪の日。 もう雪は嫌いになりました。 病死、特に癌は、身体の臓器が少しずつ少しずつ店じまいをしていきます。 枯れていく母を目の前に何も出来なかった自分の無力を責めたりもしました。 

でも何とか毎日生活が続けられるのは、この悲しみを母に味合わせなくて済んだからです。 私が先に死んでいたら、母はどれだけ悲しむことか・・。 順番どおりの親が亡くなってもこれだけ辛いんです。 子供に先立たれたりしたら母は気が狂ったかも知れません。 そう考えたら、どうせ誰かが悲しみに叩かれなくてはならないのなら、それが私でよかった・・と。 

あと、もう一つ。 親を亡くしたこと、そして最期の看病のせつない記憶は、いくら時間が経っても、それこそ自分が死ぬ瞬間まで絶対に「懐かしい思い出になる」なんて有り得ません。 時間が経てば悲しいことに慣れるだけ。 悲しい記憶が楽しいものに変わることはないと思います。 それを自覚したことで、無理に悲しさを消し去る必要がないと気付き、「いいじゃない、一生悲しくても」と思い、私は楽になりました。

助けになるかは分かりませんが、私の経験を書きました。 頑張ってください。 

 
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初めて拝見いたします。

私は8歳の時両親が離婚し、18まで母親のもとで暮らしました。

「いつか」両親は亡くなってしまう。
わかってはいても急にふいにそれはやってくるのだと思います。そして心は現実についていけず大きな穴となって残る。幸いまだ両親は元気に仕事もしています。
もっと早くたくさん親孝行しようと質問者様の文章を読み改めて感じました。

母親さんが亡くなってしまってからこの四年半、たくさんのことを考え、苦しみ、同じ道を何度も通ったことと思います。

ひとりで悩まないでください。
あなたを支えてくれる人がそばにいるのだから。この気持ちは周りの人にはわからないとさじを投げるのではなく話をしてみてください。
そして御両親があなたを愛してくれたように、将来のお子さんに誰にも負けないくらいの愛情を注いであげて下さい。愛していると伝えてあげてください。

胸を張って生きていけるよう心から応援しています。頑張りましょう!
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この回答へのお礼

読んで頂いてありがとうとございます。
「どうぜ誰も私の気持ちをわかってくれるわけではない」
とどうしても考えがちになっていたと思います。

母が亡くなった当初は
「誰にもこんな悲しい思いをしてほしくない」
と心から思っておりました。どんなに辛くてもそれでも誰にもこんな思いをしてほしくないと良心は叫んでいました。

その心こそが私の良心からの宝物なのだと思います。
温かい思いやりを向けて頂き本当にありがとうございます!
御礼申し上げます。

お礼日時:2009/12/29 17:30

心中をお察しいたします。

     50代男です
勿論、両親は他界しております。

母親って特別な存在なんですよねぇ・・・

私の母はアルツハイマーで20年間入院後の他界でした・・・
今の貴女と同じ様に、私は入院中から自分自身を責めていました
「もっと早く気がつけば・・軽い症状で済んだのでは?・・・」とか

心理学的には[危機理論]と言う学説が有ります
簡単に言うと、親や大切な人を失った、その悲しみの量は同じで
最初に泣き悲しむと、時の経過によって徐々に癒される。
逆に、最初に悲しみを無理に自分で押さえ込むと、長期間に渡り悲しみが残る

人の心をコップ、悲しみを水に例えれば~
最初に2/3捨てると残りは少なく軽い
でも最初に1/10しか捨てないと・・9割の悲しみが残り、辛い・・

後悔し悔やむ・・・辛いです・・・

でも、天国のお母さんが 貴女が辛く悲しむことを望んではいないと思います。。。

『そんな事は無いょ自分を責めないで。産まれてくれて嬉しかった、子供の時の笑顔、楽しい思い出を一杯貰いそれだけで私は本当に幸せょ

だから もう自分を責めないで、貴女が悲しむと・・私も辛いのょ。
幸せになってくれるのが一番の願いなのょ』

そう お母様が 言われて(祈って) いらっしゃる と
私は思いますょ。。。

親は 子供の笑顔、成長してくれる それだけで十分に幸せなんです
そして幸せな家庭を持ってくれたら、もう何もいらない。

貴女の心の内に いつも いつまでも、お母様はおられます。
貴女が悲しいと お母様も悲しみますょ
夫婦仲良く 幸せで 笑顔の貴女になることを
お母様は 今、祈り願っていると。。。
  
そう 私は 思います。
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この回答へのお礼

読んで頂いてありがとうございます。

一人一人それぞれ皆さんのお別れがあるのですね。わかってはいるつもりでもやはり実際に伺うとそれぞれの形で悲しみを抱えていても皆さん懸命に生きていると改めてわかりました。

人を羨むことは簡単だけれど、翻って自分を見つめると実の両親が私を育てられず、すでに4人の実子がいた養父母がそれぞれ51歳、47歳の時に引き取ったものの愛情が湧いてどうしても手放すことができず、私が幼稚園の時に裁判所で宣誓をして養女したと、母が元気だったころ教えてもらいました。

大学にも行かせてくれました。
どんなに感謝してもしても足りません。

少しずつまず主人に優しく接するよう、父母の優しさをわけてあげられるよう時間を刻みたいです。

zero11さんのお母様もきっと優しい方だったはずです。御言葉が胸に染みました。本当にありがとうございます!

お礼日時:2009/12/28 23:02

親はいつか先に死ぬものです


その時が人より早く来てしまっただけのことです

幸いあなたのそばには最愛の旦那さんがいてくれる
これだけでもとてもありがたいことだと気づいてください
両親への暖かい愛情を今度は自信の旦那様、将来授かる
お子様へ注ぐことです

両親がいなくなってしまったという事だけに目を向けず
あなたの周りをよく見てみてください
あなたを取り囲んでくれるたくさんの人の顔が見えるはずですよ
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この回答へのお礼

読んで頂いてありがとうございます。

主人が主人の両親と仲良くしているのを見ると無性に寂しくなるのです。けれど、私には主人も親友もいて、母を見送った後見つけた仕事もある。そんな感謝すべきことを当たり前のことして済ませていたのかも知れません。少しずつ明るい笑顔を取り戻せるようつとめます。

本当にありがとうございます!

お礼日時:2009/12/28 20:39

あなたのその苦しみは お釈迦様が教えにある 人が生きてゆく中で


必然的に見舞われる八つの苦しみ 生、老、病、死、それと
愛別離苦(あいべつりく)怨憎上苦(おんぞううえく)求不得苦(ぐふとくく)
五陰盛苦(ごおんじょうく)
の中の 愛別離苦 (愛する者との別れ 死別する苦しみ) に当たります
その愛が深ければ深いほど 苦しみも深いのです この苦しみは修行を積んだ者で無いと
乗り越えると言うのは かなり難しいことです
 
アドバイスとしては 忘れる必要は無いのです 立ち直ろうと努力すればするほど苦しみは増してしまいますので 無理に忘れようとするのではなく
まだあなたの心の中に鮮明に残っている養母様との楽しい思い出を反芻して
養母様と心で会話をし続けるのです あなたの中には養母様はまだ
生きていらっしゃるのでしょう? であれば共に生きてゆけば良いのではないですか
そのことを素直に認めて受け入れることが 今のあなたにとって大切なことでは
ないでしょうか
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この回答へのお礼

読んでいただきありがとうございます。父母との楽しい温かい思い出は決して消えるものですはないですものね。本当にありがとうございます!!

お礼日時:2009/12/28 18:47

心中お察し致します。



私の場合は、故人が一番望んでいる(であろう)ことをしました。
即ち、私が幸せになることではないか?と言うことに思い至りました。
私が嬉しい時は、故人も私の中で喜んでくれているし、私が悲しい時には、故人も悲しいのだと思えば、故人のためにも、「なるべく笑顔で過ごさねば!」と思ってます。

質問者様のご両親様も、質問者様が幸せに暮されることだけを望んでおられます。
逆に、質問者様がいつまでも喪失感に捉えられているのであれば、その気持ちには感謝しつつも、決してそれを喜んでおられないのではないでしょうか?

大切な方を忘れる必要なんて無いし、悲しい気持ちを我慢する必要も有りません。
真正面から向き合えば良いです。
でも、そんな気持ちを必要以上に大きくし過ぎたり、そんな気持ちのせいで、幸せに生きることを見失ってはいけません。

もう一つ、「死」とは、生物学的に活動を停止したワケで、現実の中で言葉を交わしたりすることはもう出来ませんが、その人が存在した事実を消し去るものでは無いです。

故人から影響を受けた自分は確実に存在しますし、自分の心の中の故人とは、いつでも言葉を交わすことが出来ます。
もし質問者様にお子様が出来たら、お子様は、故人の影響を強く受けた質問者様の影響を受けますよね。
そのお子様の中で、故人も生きて行くんじゃないでしょうか?

一人の命は、一人の一生分だけです。
でも一人の命は、多くの命に影響して、沢山の命に繋がって行くものじゃないでしょうか?
そうやって繋がり合っている命は、永遠に不滅と言えると思うのですが、逆に存命者は、故人から継いだ命の価値を高めるためも、精一杯、生きていかねばならないのだと思っています。
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この回答へのお礼

読んでいただきありがとうございます。
子どもができたら子どもそして、父母を大切にすることにもつながる。
少しずつですが前向きに顔を上げて生活できればと思います。
本当にありがとうございます!!

お礼日時:2009/12/28 18:53

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