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真理とはいったいなんですか?
抽象的な事象や事物のベールを剥ぎ取り、そこに真理の光を照らすことに意味はあるのでしょうか?

流れ星はたまたま地球に接近した燃焼性の物質であるというし、星が燦々と輝いているのもただの層位の違う大気の揺らぎだといいます。月は地球からはどうあっても59パーセント以上は視認できないのに、衛星写真などで観測してしまいます。どうですか?ロマンのかけらもないでしょう。

彼女の浮気や、友達の裏切りや、サンタクロースの不在、世界中で貧困に喘ぐ子どもたちや、戦争に苦しむ人々が大勢いること。知りたくもないのに知ってします。誰が教えてくれと頼みましたか?

逆に神は、死後の世界はあるんですか?幽霊はいるのか、10年後の日本は大丈夫か、だれが教えてくれますか?

目に見えて、実測可能なものだけが真実ですか?感じるだけで目に見えないものは真実ではないのですか?価値観や思考、信条は偽ですか?その尺度を自分の判断で決めるのはエゴですか?

真実とは、真理とは、その妥当性とはいったいなんですか?

A 回答 (15件中11~15件)

真理とは自分の中にあるものです。



それが実際の何かとかみあう時、それがその人なりの真理です。
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この回答へのお礼

真理は自分のなかにあるもの。そう思います。

お礼日時:2010/01/12 21:07

真実とは「多くの人」がそう信じること。


裁判・科学実験などは証拠によって「真実」を見出すこと。

目に見えて実測可能なものは証拠になります。感じるだけで目に見えないものも証言とか観測として証拠になります。

しかしこれらは個人が決める事ではなく世間が決めます。したがって質問者様のご指摘にありますように頼まれなくても世間がやります。
裁判などでは時効などというものがあって自分が思う真実と違う場合、「反証」を出さなければなりませんがなかなか困難です。

真理は「ある仮定に基づいて」導き出された正しい考え。

「価値観」「思考」「信条」の数だけ真理はあります。これらは個人あるいは団体・国家などのアイデンティティ-ですから正しい意味での「エゴ」です。
質問者様の考え方は正しいと思います。

ここに真理と真実の相克が生じるのだと思います。
これは哲学の永遠の課題であり、私のような素人が回答できるはずもありませんが、以下の事が質問者様の参考になればと回答した次第です。

ゲ-テの書いた「ファウスト一部・二部」という作品をご存知でしょうか?これは「真実や真理を追究することは悪魔に魂を売ることだ・・彼女の愛だけが救いだ。」というキリスト教に遠慮した筋立てになっていますが、「真実・真理の追究」への期待と恐れが中心になった話しです。
ゲ-テは・・ご存じだったら失礼・・当時の物理学者でもあり光の屈折を研究していたそうです。ゲ-テのような合理主義者でもこの悩みは質問者様と同様だったように感じました。

以上、ご参考にして頂けたら幸いです。
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真実や真理は存在します。


しかし、我々人間は無知に陥ってしまったのです。
よって、無知から知へ至ろうとするため、必死で真理を探し求めてきたのが、人間であり、人類歴史です。
その所産が外的目に見える真理としての科学であり、内的目に見えぬ真理としての宗教や哲学でありましょう。
相当の真理が解き明かされたと思しき現代ですが、まだまだ無知からは解放されていません。
例えば、あなたの質問もそのひとつです。
真理とは何か?真実はどこにあるのか?etc.etc.
まだまだ知られていない真理が山のようにあるのです。
情報だけが海の波の如く押し寄せてきますが、真理はその中に秘められているのです。
真理の持つ属性・・・唯一性であり、普遍性であり、絶対性であり、永遠性であり、不変性であります。
その価値を求めるため、人間の知は真理を求めてきたのです。
無知は死の影であり、命を脅かすものです。
知らないことが不幸の原因になっても、知り過ぎて不幸になることはないのです。
我々は、本当に何も知らないのです。知を求め続けてきた科学者や学者や宗教家や哲学者でさえ、ほんの一握りの真理を辛うじて知っているに過ぎないのです。
いわんや我々凡人においては・・・
生きている限り、真理を求め、真理を知らなければならないのです。
そして、知らないことが一つもないという本源的知の世界に到達しなければならないのです。
知に至らなければ、幸せは遠い遠い夢物語で終わります。
知に到達し、そこからが幸せの一歩をようやく踏み出すことができるのです。
知に至らなければ、苦しいだけです。無知はイコール死なのです。
わからなければ、質問しなければなりません。
わかったふりをしてはいけません。わからないことだらけが人間の真実だからです。
学校の授業でも、質問が少なすぎるのです。
質問で始まり、質問で終わるぐらいじゃないと嘘です。
専門の先生が顔を真っ赤にして困るぐらい質問しないとおかしいと思います。
我々は何でも知ってる仙人ぶってもしかたありません。
知らないなら、知らないことがなくなるまで質問するのが自然でありましょう。
そのぐらい質問してみて、専門家でも答えられない姿に触れた時、如何に人間が無知に陥ったかを知ることができるのです。
無知という土俵では、素人も専門家も五十歩百歩なのです。
あなたは、もっと質問をすべきです。専門家の無知を曝け出すほどまでに!!
あなたのわからないことは、たったこの質問文だけってことはないはずですから・・・
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この回答へのお礼

知を求める姿勢を私は老若男女問わず尊敬します。あなたも例外ではありません。知識欲に拍車がかかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/01/10 21:31

アホめ。


生きている。
それだけが真実だ。

この回答への補足

無知は死。哲学の世界において残念ですがあなたは死んでいます。

補足日時:2010/01/10 20:45
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 我々が知覚できるこの世の現象はすべて“真実”であるという受け止め方でよいのではないでしょうか。



 この考え方の流れから、
 人間の心が引き起こす様々な現象も、現実化しているという意味で“真実”としてもよいように思います。

 そこで、この世の現実はすべて真実であると、規定してみました。

 そして、真理とは。
 これは絶対、どうにもならないもの、という事柄を指していると思います。
 となると、
 この世は変化し続ける、動き続ける、なんて言葉が思い浮かびます。

 その事を仏教では“無常”(常なるものはない)なんて表現しています。

 物理の世界でも、存在とは“運動”である、と捉えているようです。

 この世の真理とは動き続ける、変化し続ける、ということ。
 これのみが真理かと思います。

 大まかな回答で物足りないかと思いますが、本質を掴んでいるのではと、内心思っているのですが。

 

 

 

 
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この回答へのお礼

詳しくも簡潔な説明ありがとうございます。素晴らしい答えだと思います。
人生の糧になりました。

お礼日時:2010/01/09 17:31

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