No.16
- 回答日時:
考える順序が違うという意味ではなく、出発点からズレている みたいなものじゃないかと。
例えば、ビデオでVHS方式とベータ方式とあったのですが、質がいいのはベータ方式。
しかし、質がいい分だけコストがかかり、それは商品の価格に影響を与える。
松下幸之助は質のよくないがコストが低い、つまり価格がベータよ低いVHSに軍配を上げた。
どうしてかというと、一般消費者は高額の商品を買えません。
一部のお金持ちしかビデオは見れないってことになります。
松下幸之助はビジネスをするというのは、利益を得る目的だけとは思っておらず、社会貢献でもあると考えていた。
従って質は多少劣っても手が届く値段のVHS方式の方が、消費者にとって得になると考え、VHSに軍配を上げたわけです。
良い商品を世に送り出すというのはメーカーにとって喜ばしいことでしょう。
だけど、一般消費者が買えない値段の商品なら、一般消費者は手にいれられず、開発しても結局世の中のためにならず、開発者の自己満足の世界にとどまる。
買える人がいなければ、せっかくビデオという画期的なものを開発しても、すぐにこの世から消えてしまいます。
これは世の中にとって不利益になる。
「でもベータの方が質はいいでしょう」と言われたら、「考え方が違うんだよ」と松下幸之助は言うでしょう。
「第一に誰にとってメリットがあるべきかを考えろ、自分にとってか、消費者にとってか。消費者を喜ばせることできて初めて自分も利益が得らられるわけだ。多くの消費者を喜ばせることが商売人の使命だろう。」というんじゃないかと。
理論とかじゃなく、元の発想から根本的に違う場合、「考え方が違う」と私は使います。
No.15
- 回答日時:
No.12です。
★ なんとなくだけど、僕らが普段使っている言語の中にある「言葉」っていうのは論理的な思考をしたり、表現したりするのにはむいてないのかもしれないね。言葉の範囲が広すぎるのかも
☆ そんなことはないでしょう。そのひとの推論の力が弱いというに過ぎません。いえ 論理力はそれほどの差はないものなのです。ただ ものが見えているかどうかということでしょうかね。
No.12
- 回答日時:
こんにちは。
もし定義の段階で表現の違いを或る程度において許しあえば その許容範囲におけるかぎり
★ 論理に従って考え〔る〕
☆ ときには 《考え方が違う》ことはないでしょうね。
★ 誰だって
☆ という部分でそのひとの自由意志を尊重するという前提がありますから 考え方が違う・つまり間違うという場合にもその違いを 反省に期待するかぎりは放っておくでしょうね。
たぶん問題は 部分と全体との違いになるのではないでしょうか?
言いかえると われわれ人間は 全体観を持つことが出来ないのだと思います。むろん誰もが全体観であろうとつとめますが げんみつに捉えるなら 無理なのだと思います。
そのゆえにひとそれぞれに《部分観》として 論理の筋道を追うというのが実際であることからして 《見解の相違》という事態が起こるし 互いにそれを認めざるを得ないというのが 現実なのだと考えます。
極端な話をすれば 推論が間違っていると分かる議論のみちびいた結論のほうが 全体観として 現実に合っていたという場合があるかも知れません。そういうわけで おのおのの自由意志を尊重するばかりではなく 見解の多様性をも尊重するというのが 一般常識になっているのではないでしょうか?
この回答への補足
なんとなくだけど、僕らが普段使っている言語の中にある「言葉」っていうのは論理的な思考をしたり、表現したりするのにはむいてないのかもしれないね。言葉の範囲が広すぎるのかも
補足日時:2010/02/02 20:13No.11
- 回答日時:
論理といっても、
視界が、塩漬けだったり結界があったりと
主観的なもので、発話する主体の属性によって、発話の論理は偏向しますから。
そこで、神のような見通しというのを仮設的に想定して、大文字でロゴスといいます。
ロゴスは、ギリシャ語のlegein、掬い取ること、語ることから派生していますが、
人のロゴスはザルのごときでしょうから、事象を掬い取って言葉を紡ぐとなると、
彩色書字のようにくっきり光に浮かび上がってくる部分と、零れ落ちて暗闇に没する部分とが生じます。
できれば、中世の写本の彩色書字の〈言葉=物質〉をイメージしてみて。
しかも、他者の事象を掬い取って(間主観性)、他者の言葉の紡ぎ加減、縫合加減、彩色加減を受容する
という仕事が、コミュニケーションにおいては要求されますが、
前提的にあるものとされる合意形成を参照しつつの仕事なので、
その参照の遠い定点が、大文字のロゴス、神のロゴスと仮設的にあることで、
人間はわかりあえることになっている。
イメージとしては、神のロゴスに球体を想像してもらって、
その球面のどこにどれだけ点を取って、多角の立体として立ち現れるかが、
人によって違うという感じでしょうか。プリズムの違いのような。
No.9
- 回答日時:
>ふむふむ ということは、全員が同じ認識をすれば同じ答えが返ってくるってことだよね?
ふむふむ、ということは、チョウチョウはトンポより優れているか劣っているに決着がつくはずだということですね。その結果、この地球上で全員が同じ認識になり、全部チョウチョウだけになるか、トンボだけになる世界が理想的な世界だということですね。だけど、そんな世界は何か詰まらない世界ですね。私は、チョウチョウもトンボも素晴らしい存在で、それが両方ともいる世界に住んでいることに喜びを感じます。また、貴方のように考える方がいることも、それに反対する人がいることも、共にこの世界を多様で豊かにしてくれていると思っています。だって私はビフテキもお寿司も共に大好きだからです。多分この意見に賛成する方もいるし、反対をする方もいると思います。要するに、人それぞれ皆考え方が違うのでしょうね。
考え方の違いとは、別の言い方をすると人それぞれ価値観が違うということですね。貴方にとって大切なことが必ずしも他の人に取って大切なことではない。具体的には、貴方の家族は貴方にとって大切でしょうが、他の人に取ってはそれよりもその人の家族の方が大切なんですね。私は、私自身の成功だけでなく、私の家族の誰かの夢が叶ったら嬉しくなります。でもその成功が他人のだったら、それほど喜べるとは思えません。だから、考え方に違いが出来てしまうのですね。
それとも、貴方は何方かが貴方に向かって「貴方の親や妻や子供を捨てて、私に付いて来なさい。私は貴方を人々を捕まえる漁りにしよう」といわれたら、その人について行きますか。多分そんな人には、考え方の違いなどという言葉に意味がなく、皆が同じ考え方一色になり、したがって個性がない世界を理想な世界だと主張するのでしょうね。
面白いですね。自分の身内の成功は誰でも喜べると言う普遍的な経験則があるようですが、その結果、他人の成功には余り興味がないと言うそれぞれの考え方の違いができる。したがって、人にはそれぞれ考え方に違いがある、すなわち特殊性(あるいは個性)がある、と言う普遍性があるようですね。
もっと突っ込むと、我々は世界を認識するのに、「ある定義や約束事ありき」としてから認識している訳ではないということですね。別な言い方をすると、ある一つの言述の意味が数学や論理学のようにに一意的に決まってはいない。ある言葉一つをとっても、その意味するとことがその人や文化の歴史の文脈の中で多義的な意味を持っているということです。それを、人間の思考形態の中でも超単純な数学の論理のように、一義的な定義ありきとう論理に押し込めようとすること自体が、世界や人間の認識に対して意味がないということですね。
No.7
- 回答日時:
同じ事柄について同じ論理で考え~結論が違ってるなら
即答の範囲では「目的が違ってる」場合が考えられます
受験では~1割の新しさより9割の正答率が優先される
発明では~1割の進歩のため9割の失敗率を許容する
2個以上の結論が浮かんだとき~選ぶ答が違うのカモ
9割の新しさを1割未満の失敗で得ようて試みが重要
と書き込んで~既存を10割理解するために使うのが
論理て感覚? の質問者さんから拒絶された記憶が
名曲の楽譜が読める事を音楽家に才能だと自慢する類
と思うけど不正解じゃない~きっと「考え方が違う」のサ
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