アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

子供のころから疑問で仕方がありませんでした。

雅子様、愛子様。。。

何故みんなハナっから何の疑問もなく様をつけているんでしょうか?

小さいころから親にも同じ質問をしていましたが、何度聞いても納得のいく答えが聞けず、自分の中で答えを見出そうと考えてみてもどうしても解決に至りません。

皇太子様というのは一体何が偉いんでしょうか?

親が言うには、そこに生まれたってだけで偉くて、普通の人とは違うのだそうです。

しかしどうしても僕には明石家さんまさんや島田紳助さん、北野武さんらの方がすごく見えます。
その方々でさえ様をつけてまで呼ぶ気にはなりません。


僕の疑問は「皇太子様の何がそんなに偉い?」というのもそうですが、最大の疑問はやはり「何故みんなハナっから何の疑問もなく様をつけているのか?」です。

「皇太子様の何がそんなに偉い?」←この疑問にぶち当たることなくして必死に皇太子様と叫んでいる人が不思議でならないことが一番にあります。

そこに生まれたってだけで偉くて、普通の人とは違う←これで納得して皇太子様=神のように熱狂して手を振っているのだとしたらとても恐ろしいです。

もちろんそんなことはないと思いますので、皇太子様がどのように偉いのかを教えてもらいたく、ここに質問させていただきました。

今のところ僕は、みんなが様様というので自分も合わせて様をつけて呼んでいますが、やっぱりまだ心の中でどうしても皇太子様が偉いと思いきれていない部分がありまして、「エリカ様」的な様のつけようではあります。

僕の好きなマンガにこんな会話があります。

A「? 何故あの様な者が王を名乗っているのだ?」
B「人間にはよくある光景ですね。血筋やコネクションのみで知も才もない無能者が不相応な地位につくこと」

このAの気持ちが抜けきれないという感じです。

もちろん皇太子様が無能者と言っているわけではなく、ちょっと騒ぎすぎちゃうかなぁ、といった程度です。

この質問に反感を持たれる方もいるかもしれません。
というのはやはりみんなの熱狂振りが僕には異質なものに見えてしまうので、少しでも疑問を投げかけると=否定と捕らえられるのではないかという考えからがあるからです。

本当に素朴な疑問です。皇太子様をばかにしているわけでも、皇太子様と手を振っている人をばかにしているわけでもありません。


長文の上マンガの例まで挙げてしまって恐縮ですが、ご解答願います。

A 回答 (16件中1~10件)

法的解釈は他の方が述べたとおりですが、


 礼儀として『様』をつけるのは礼儀です。

 貴方は先祖に『ご先祖様』とつける人を知りませんか?
人間という種は古いものを敬うという習性があります

>間にはよくある光景ですね。血筋やコネクションのみで知も才もない無能者が不相応な地位につくこと
 はその通りなんですよ。

 古いものを敬うことがないなら、古い神社や、遺跡なんて見つけ次第壊してしまえばいい。家系図なんていらないし、見たこともない先祖を敬うことさえ要りません。
 しかし、古い樹木にご神木として敬ったり、古い品物には神が宿る、九十九神なんてものもありますね。
 人間という種族(生物)は古い物を恐れ、敬う習性があるのですよ
 それが礼儀として『親を敬う』、『祖先を敬う』『分家と本家などの族社会』などの社会的道徳として人間社会に定着しました。

 マンガに例えるなら、貴方がキメラアントから生まれた蟻ならそんな必要はありません。しかし貴方は人間です。人間が蟻にあわせる必要はありません。
 ネテロに説教されますよw
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご解答ありがとうございます。

>人間という種は古いものを敬うという習性があります。

僕にとってとてもわかりやすい理由で、大変参考になりました。
とても素敵な人間の性に気づかせていただきました。ありがとうございます。

>はその通りなんですよ。

これで納得がいきました。ただ会話が悪者のほうの会話だったんで、間違っているのかと思っていまして、でもその理由はどうしてもわからなかったんです。その通りならば、違う理由を探すのは難しかったですね。

お礼日時:2010/03/16 17:09

再度失礼します。

017054Jです。

随分前に読んだ司馬遼太郎の小説に次のような場面がありました。正確ではありませんが…

比叡山延暦寺を焼き討ちにしようとする織田信長を明智光秀が諫めて、延暦寺の伝統の重さと、仏を焼き討ちにすることの恐ろしさを滔々と説きました。

これに対して信長は不思議な生き物でも見るように光秀の顔を覗き込んで
「光秀、そちゃ本当に仏を信じているのか?…あれは金と石でできたものじゃ」
「金と石でできたものなれども…他人の尊ぶものを尊べ、ということもございます。」

なおも伝統と権威を述べて諫める光秀を、信長は蹴り倒してしまいました。

ここで司馬は信長の行動を支持していました。
信長に議論するほどの語彙力があれば、徹底的に唯物論的な無神論について述べるべきであったと。
そして信長の精神は卓楽として光秀の持つ旧態依然とした伝統主義などよりも上に位置していた、と。

もちろん天皇制の権威を比叡山の伝統に喩える非礼は認めますが、言いたいことは分かるでしょう?

私自身はどちらかと言えば皇室擁護派であり、ふだん疑問を持つことなく陛下を尊敬し、そこから無条件で東宮をも尊敬しています。
何故なら皇室の存在意義について疑問を持ち、かつ実力主義や理詰めのみで考えることに一種の恐怖感を覚えるからです。

司馬亮太郎や織田信長の考えは現在の共和国的な考えなんでしょう。フランスやロシア、ドイツなどみたいな。これらの国々はかつて皇帝や王を排斥した歴史を持ちます。

これに対して日本やイギリス、スペインなどは皇室や王室を存続させました。

これはやはり伝統を大事にして、権威的なものを畏怖する気持ちがあったからだと思いますし、私の考えに合致するように思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ふだん疑問を持つことなく陛下を尊敬し
やはり自分はここが何故なんだろうと引っかかってしまいます。憲法を学べとの意見もありますが、やはり子供の頃から周りは「雅子様」と言っていましたし、とにかく理由も疑問もなく「様」というのがよく分からないんですよね。みんな子供のうちから憲法などの知識があったわけではありませんから。神様仏様はまだしも(それすらも子供の頃は疑問でした)、同じ人間ですし。。

あと一つ気になったのは、僕は尊敬していないからといって、存在意義の有無を訴えているわけではありません。仮に誰一人として尊敬していなかったとしても、その地位自体がいらないと思っているわけではなく、単に何をもってして尊敬されているのかが知りたかったんです。

神様仏様に関しては今でこそ違いますが、少し前までは僕も信長よりの意見でしたし、今でもそれは一理あると思います。ただやはり人間である皇太子様とは例えが違います。特に愛子様は生まれた時から愛子様です(雅子様もそうだったんでしょうが)。さすがに周りみんなが疑うこともなく生まれたばかりの子供に「様」をつけているのはシュールとでもいいますか、異様な光景に見えてしまうんです。

お礼日時:2010/03/23 16:10

マジレス希望します

    • good
    • 0

あなたも会った事も無いのに神様を最初から様付けで呼んでいませんか?


その事には疑問を感じていないのでは?

王様という存在は神様=天の意思を拠り所にすることが多い存在です。
神様に代わって地上を支配する代行者を名乗る様なものですから、神格化や権威付けとは無縁ではいられません。
現代においては時代錯誤と感じられるのは仕方ない事でしょうし、その存在に合理的な説明をするのは困難といわざるを得ません。

現在の皇室の役割に社会の規範という面があるでしょう。
日本は宗教に対してややいい加減なところのある社会です。
一方、外国では神様・宗教という存在が道徳に対して大きな影響を与えていますよね。例えばアメリカの裁判では聖書に手を置き神に誓って真実のみを述べるという宣誓を求められています。
日本では裁判で嘘をつかないというのは、社会的なお約束として不文律的に決まっているだけで神様の出番はありません。お天道様が見ているから嘘・不正は出来ないという考え方はありますが宗教と道徳の関連はキリスト教などに比べて稀薄といえるでしょう。
これは仏教・儒教といった後から入ってきた宗教に対し、古来から存在する神道が祭祀・神話的な構成に終始し人間的な欲望を抑制する宗教的な形式をとっていないことが理由だと言えるのではないでしょうか。
そんな日本人が意識・無意識に現代の皇室に対して礼儀正しく勤勉で善良な人間の基準としての役割を求めていると私は考えます。
こうした事は外国では宗教が人間はかくあるべき、と求める事ですよね。
日本では皇室がその基準を体現する形で国民に示しているわけです。
そしてそれは難しい事であり、生活や人生が犠牲になることを我々は知っています。なんとなく気付いています。
だからそうした役割を運命的に果たしている皇室の人々を無条件に尊敬するし、またそうすることでその役割に殉じることを強制している面があるのでしょう。
雅子さまが人気が無いのは皇室の人間としての役割より、自らの意思や主張を通す事を優先している様に見えてしまうからではないでしょうか。

それ以外の理由としてはやはり国語の問題でしょうね。
皇室の方々を表す時に様を付け、陛下や殿下をつけて呼びますがあなたが特に疑問に思われるのは「様」についてなのでしょう。
様付けは一般人の我々でも使いますが、殿下・陛下は皇室の方と直接会うのでもなければ使わない敬称であり、どちらかといえばこっちの方に疑問を持つものではないでしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もちろん神様の件でも最初は疑問がありましたよ。
しかし今はありません。というのも神様のすごさが分かるからです。
それと同じように、みんな皇太子様一族のすごさが分かるのかという疑問があり、ここに質問させていただきました。

皇太子様が成人してからならまだしも、生まれたばかりの子供に様がつけられるのは神様に対しての疑問とは比べ物にならないほど難しいものです。
神様でしたら「なんだかわからないけどすごそうだから」くらいの第一感は働きますが、同じ人間の子供となるとそれすらも働きません。

お礼日時:2010/03/23 02:09

是非、日本の憲法を勉強してください。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もちろんそのつもりではありますが、他の方へ返信したのと同じく、法律=理由とはならないと思いここに質問させていただいた次第です。

お礼日時:2010/03/23 02:02

>僕がいいたいのは、では何故尊敬されているのか?ということです。


>「様」をつけられている以上尊敬されているということだと思います。

一般社会では、そんな決まりは無い。

企業で働くと、尊敬していなくても取引先の相手のことを「△△株式会社 ○○様」のように様をつけて呼ぶ。
スーパーでも店員は買い物客を尊敬していなくても買い物客を呼ぶ時に「お客様」と呼ぶ。


airi_keiicさんは様をつけるのは尊敬している時という麻衣ルールがあるのかもしれないが、それは社会の常識とは全く異なる。
様をつけられる社会的地位・社会的関係にあれば様がつく。スーパーの店員と買い物客のように国民と皇族という関係から様がつく。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>一般社会では、そんな決まりは無い。

なるほど、それならば多くの人は「様」をつけてはいるが、特に尊敬しているわけでもないということで納得がいきました。

>尊敬している時という麻衣ルール

ルール付けをしていたわけではありませんが、そうなのかなぁと思っていた程度です。あまり深くは考えないでください。

お礼日時:2010/03/23 01:59

#7です。



> 具体的にどんなことをされているのかが気になるところです。

国事行為や公務もありますが、もっとも重要なのは宮中祭祀です。この宮中祭祀があるからこそ、大統領やその他の存在では代替できないのです。
本日春分の日は、春季皇霊祭という宮中祭祀が行われます。逆にいえば、春季皇霊祭の日だからこそ、国民の祝日(本来は祝日ではなく祭日)になっています。そうでなければ、単なる天文現象である春分の日を祝日にする理由がありません。

> テレビに映るのが手を振っているところばかりなので、そうでない部分をもっと強調してほしいと常々思っています。

テレビをはじめとした大手マスコミは、中国をはじめとする外国勢力に侵食されていますからね。連中からすれば、日本から天皇をなくしてしまえば、容易に侵略することができますので。
テレビで報道されることのすべてが真実でもなければ、報道されないことが存在しないわけでもない(それもかなり重要な事柄に関して)ことを知るべきです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わかりやすい説明をありがとうございます。

>テレビで報道されることのすべてが真実でもなければ、報道されないことが存在しないわけでもない

もちろん僕もそう考えています。その結果ここに質問させていただいた次第です。

お礼日時:2010/03/23 10:25

なぜ偉いのか?と言われれば特に理由はないのだと答えるしかないと思う。


たまたまあなたがそんな制度を持つ国に生まれただけにすぎない。
マスコミなどが様付けしているのは、天皇制が憲法で定められていて、マスコミ人もその憲法下にある日本人だからです。

様付けしている大半の人はその理由などは深く考えていないと思います。

また様付けは別に強制されるものじゃないし、嫌なら別に皇太子と呼んでもいいと思いますし、大半の日本人はむしろ日常で様付けしている人はいないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>特に理由はない
なるほどやはり特に何かがあるというわけではなさそうですね。

マスコミなどが様でというのは法によりだということで納得なんですが、やはり僕のまわりも漏れなく「様」付けなのでそこが気になっていた部分です。今のところ、やっぱりみんなあまり深く考えていないのかなぁ??という感じです。

>大半の日本人はむしろ日常で様付けしている人はいないでしょう

逆に様付けしない人を僕は見たことがないんですよ。皇太子ならいるかもしれませんが(東京都知事の件もあり)、特に「愛子様」に関しては「愛子ちゃん」は聞いたことがないですね。生まれたばかりの子供にみんな様付けしているのが不思議で仕方がありませんでした。

お礼日時:2010/03/21 03:30

>即ち何故皇太子様一族が偉いのか?



その地位にあるから。

airi_keiicさんは個人の資質にこだわっているようだが、それが違う。
個々人の価値観によって敬意をこめるかどうかというのは個人同士の考えで決めればいい。

しかし、社会的な地位の話とは別物。
オバマ大統領はオバマ大統領。エリザベス女王はエリザベス女王。その社会的地位についているからその呼称で呼ばれる。
支持率が低くても高くても大統領は大統領だし、首相は首相。支持率が80%を超えた鳩山首相も首相だし、一桁で低迷した森首相も在任当時は森首相。

学校の教師という仕事も教え方のうまさや知識の豊富さに関係なく先生と呼ばれる。これはその地位にあるから。

いちいち有能さを測定していては社会は成立しない。
学校の教師の例だと、先生は生徒より優秀でなければ講義をできないのであれば授業は成立しない。ある特定のテーマに関してだけは先生より知識のある生徒もいるだろう。その時にその生徒が「知も才もない無能者が不相応な地位についている」と言っては、授業が成立しない。

社会はある程度その地位に応じて役割や権限が与えられており、それに対してそれにふさわしい呼称などが与えられる。だから学校の教師は有能でなくても先生だし、IQ180でも生徒であれば、その生徒から見て教師は先生になる。
能力や個人的に尊敬しているかの問題ではない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もちろん能力がないから皇太子の座から降りろと言っているわけではありません。
尊敬されようとされまいと先生は先生。それはその通りです。

僕がいいたいのは、では何故尊敬されているのか?ということです。

「様」をつけられている以上尊敬されているということだと思います。
メディアでの「様」は法によりだそうですが、そのことを抜きにしてもやはり一般でも様をつけて呼ばれています。「愛子ちゃん」なんて聞いたことがありません。

教師を例にすると、暴力教師がみんなに尊敬されていたら不思議ですよね?もちろん教師という肩書き自体が変えられないのはみんなわかっていることです。

お礼日時:2010/03/21 03:23

他の方の回答は読んでいませんが失礼します。


私も質問者さんと同じような疑問を持ちます。

いろいろなことを考えた上で、「様」と付けてる人ならまだいいけど、
基本的に、「~様」と呼んでる人は、
私は「自分の考えを持ってない人だな~」と思います。


私は別に「様」を付ける必要は、
ないと思ってるので。

(20代・女性)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

同じ疑問を持つ方がいらしたようで嬉しく思います。
ただ私たちのような考えのほうが少数派というのがとても不思議に思います。

お礼日時:2010/03/21 03:17

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!