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こんにちは。早速質問させていただきます。

今日、伊坂幸太郎さん原作の『重力ピエロ』という映画を見ました。
そこに質問タイトルの「春が二階から落ちてきた」という表現がキーワードっぽく出てきたのですが、
この言葉の意図がつかめません。

作品の始まりと最後に出てきて、始まりには桜舞い散る中春という登場人物の一人が落ちてくる、というか降りて来たシーンで
「あぁ、桜の春と人の春をかけたのか」と流していたのですが物語の最後にも同じ表現が出てきて、
こんなに多用するということは何かもっと別の、深い意図というか意味を含ませているのか?と考えてはいるのですがよく分かりません。

一つ思ったのが、劇中で出てきた家族で行ったサーカスでの話。
「楽しかったら重力ですら忘れられる」的な話をしていたので
春が人を殺したり放火したりして、楽しく生きなかったから落ちた(堕ちた)という意味ですか?
でもコレだと“二階から”っていらないと思うんですよね。
逆に邪魔になってるというかーー;
春は重力を忘れる事が出来ずに落ちた、とかの方が分かりやすくていいかな・・・と(私ごときがすみません)。
とにかく何か、二階っていうのがどうも引っかかるんですよね・・・。

皆さんはどう汲み取りましたか?
分かりにくい文章で申し訳ないですが、皆さんの意見を聞かせていただきたいです。

A 回答 (3件)

春と泉水は英語にすると同じspringになるのですが、


他にもバネや飛ぶという意味があります。

なので最後の方は
>>春は重力を忘れる事が出来ずに落ちた、とかの方が分かりやすくていいかな・・・と(私ごときがすみません)。
ではなく、遺伝子とかそういうしがらみをバネにして乗り越えたという意味もあったんじゃないかと思います。
そういう意味では、実の父親を殺して、自分の中にあるしがらみから解放されたんじゃないかと思います。世間的には春は悪いことをしましたが、苦しみを乗り越えるための儀式として父親殺しは春にとって必要なことだったんじゃないかと思います。

二階の意味は分かりませんが、深くは考えなくてもいいんじゃないかと思います。
春が三階から落ちてきたじゃ語呂が悪いですし。
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単行本のあとがきで北上次郎さんは


「体育倉庫の二階からバットを持って飛び降りる春の姿が描かれるのだが、その猫のようにしなやかな着地が鮮やかに残り続けるのである。このイメージは鮮やかだ。
語り手である「私」にとって、弟の春は突然二階からおちてきたような存在なのだ。
誤解を恐れずに書くならば、それは喜びではなく迷惑という感情でもなく。突風のようなものだ。
それを、猫のようなしなやかな着地と見る「私」の感情がここに見事に集約されている。

と書かれています。

私としても、原作を読んだ限り「春が二階から落ちてきた」という文にマイナスのイメージは感じません。
若者のエネルギー、疾走感、軽やかさを抽象的に書いたものだと感じました。
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こんなの、どうでしょう。



「二階の女が木にかかる」という漢字を
しっていますか。最も旧漢字なのですが。
木+貝貝+女=櫻

春、というイメージから、「桜」を連想して
ダジャレなのですが、若い人には、「櫻」が
二階の女が気にかかる、という発想がない
のかもしれませんが、フト、そんな風に
見ました。
伊坂幸太郎ものとしては、よく出来た映画でした。
ただ、原作の題名だから、しかたがないのだが
映画の題名としては、損をしていると思った。
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