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「キルケゴールはヘーゲル的な弁証法を量的な弁証法と批判、神と人間との質的断絶を強調しつつ、宗教的実存へと高まりゆく人間存在を質の弁証法で説明した」(
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%DB%BE%DA%CB%A1)そうです。平たく言えば、ヘーゲル的な量的弁証法では、正と反の矛盾を、合となって止揚し、それがまた反と矛盾して、新たな合となって止揚することを繰り返して、平面的な回転ではなく、立体的な螺旋状の渦を巻いて歴史が動くと
考えます。
これ対して、キルケゴールは、「たとえば美的・倫理的・宗教的実存の領域は、質的に本質を異にし、そこにはあれもこれもでなく、あれかこれかの決断による選択、あるいは止揚による総合でなく、挫折による飛躍だけがある。実存は、成りつつあるものとして無限への無限な運動、また単なる可能でない現実としてつねに時間的であり、その時間における運動は、決断とその反復において、時間における永遠を満たす。矛盾によって各々の実存に対して迫られた決断における真理の生成が、主体性の真理であり、主体的かつ実存的な思惟者は、いわば実存しつつ問題を解く」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC% …)。
非常に難解な説明であり、私はキリスト教徒でないので、正確なことは分かりませんが,自分なりに平たく説明すると、次の通りです。
人間は信仰によって神に近づき、最期は神に召されて昇天するという意識が当時の西欧社会では根付いていた(今でも続いているらしい)のですが、キルケゴールは信仰心を捨てきれないけれども、信仰にすがって救済されると思わなかったのでしょう。そこで、完全な層ん罪である神と、不完全な存在である人間とは質的に異なるものであって、神に近づこうとしても近づけないことに絶望感を抱いたのでしょう。それでも、キルケゴールはニーチェのように。「神は死んだ」とは考えずに、「絶望の人間に語りかける人格神」なる概念を編み出し、対話を交わすことに信仰の意義を見出そうとしたのではないかと科考えられます。
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