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先生や上司、会社に認めてもらいたい心理はどう培われるのでしょうか。
そしてこうした心理を大人になってから拭い去るにはどうしたらよいのでしょう。

私は30代前半女性です。
色々と人間関係に悩み(友人ができないなど)、別カテにも質問させてもらった経緯があります。

その結果、私は小学生時代からずっと
「先生や上司、学校、組織、会社に認めてもらうためには努力を惜しまないので認められやすい・気に入られやすいが、友人関係やクラスメイトとなると相手は私のことを認めてくれているのに私が相手のことを認めようとしないために友人がいない」ようなのです。

これからはもっと近くにいる人を認め、認められ、尊敬しあいたいと思っているのですが、そもそもこうした人格が形成されたのはどうしてかと思い質問いたしました。

私はもの心つくころには父は離婚しておらず、母が女手ひとつで育ててくれました。
兄弟姉妹はおりません。親戚もおりません。

失敗することや先生から怒られることを極端に嫌う、いわゆる「優等生」でしたが
上記のような性格のため優等生ではあってもクラスで人気があったわけではありません。
かといってとりわけ孤立するタイプではなく、学校、職場の人間関係はそれなりに良好です。しかし卒業・転職すると関係は消えていきました。

認められるということは一つの存在意義の確認だと思うのですが、私にとってこれまで先生や上司、会社に認められることは大いに存在意義を感じ、私の欲求を満たすものです。

しかし同じ認められるのでも、友人やクラスメイト、同僚が私のことを認めてくれることは私の欲求を満たすものではありませんでした。そのため、別カテで質問したとおり友人がいないという当然の報いを受けています。

人格形成において重要(だと思われる)幼少・少年期になにが影響してこのような性格になったのかはわかりませんが、
今から会社に認められたい欲求よりも同僚など近くの人が私のことを認めてくれれば満足だと思えるようになりたいのですがそれは相手のよいところを見つけ、
尊重することを意識することによって可能でしょうか。
そしてそれを実行するには人の言うことに素直に耳を貸す素直さが必要だと思うのですが、素直に聞く気持ちをもち、我の強い性格を修正することは今から出来るのでしょうか。
素直に聞こうとしても本当に自分は素直に聞いて認めて、自分の心に落とし込んでいるか疑わしく思います。

こうした性格・気質的な要素の軌道修正は、心理学的に可能でしょうか?
可能だとしたら、どういった方法がありますでしょうか。
宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

>こうした性格・気質的な要素の軌道修正は、心理学的に可能でしょうか?


心理学的なことは分かりませんが、「考え方を変える」ことは出来ませんか。

敢えてきつい言い方をしますが、会社や上司に認めらようと必死な人を、ときに醜く感じることはありませんか?
もちろん組織の中でやっていく中で評価されることは必要ですが、見方によっては「媚を売っている」「ご都合主義」「権力を振りかざして喜ぶ人間」になってしまう可能性もあります。

私も仕事ではそこそこ評価されていますが、そういう人間は軽蔑しておりますので、出世したくないと思っています。
そして、人の評価など所詮は「そのときそのときの都合」によるものだと、過去の経験から学びました。
そりゃあ周囲の賞賛というのは血が沸き立つような快感がほとばしるものです。分かりますよ。貴方はあの快感に中毒・依存していませんか?
私からすれば家族や恋人との暖かい人間関係と比べたら、薄っぺらで一時的な快感でしかありません。
そしてその快感を追い求めることは人生を窮屈にし、人との関係にヒビを入れ、判断力を鈍らせることに繋がります。ある意味で麻薬に似ています。
他人の評判なんて無責任なもので、自分を護ってくれるものでも無ければ、人生を有意義にする程のものでもないと思います。

利害関係のある評価なんて薄っぺらいものだと理解できれば、自ずと考え方は変わります。
私の場合は、幼少期に一度どん底を味わったから、この快感から距離をおく大切さを学びました。
どうしても変えたいのなら、一度価値観が崩れ去るような経験をするしかないのかも知れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼がたいへん遅くなり、申し訳ありません。
私はこのところ、本当に家族や身内以外の人間というのは、自分のことしか考えてないと思うようになりました。
おっしゃられるように自分がこう見てほしいと思ったところで、他人は好きなように解釈して見るというのも。

そうした考えから、
>利害関係のある評価なんて薄っぺらいもの

という一文には大変共感をさせられました。

自分で言うのもなんですが、馬鹿正直で八方美人な性格が災いしたのでしょうか。
人を信じすぎるがゆえに、学校で「頑張れば評価がついてくる」のはあたりまえだと
考えてきたのかもしれません。
それの延長で、会社でも「頑張れば評価されて当然」と思ってきました。

今、それは頑張っても評価されないという事実によって崩れ去ろうとしています。

くしくもそのお陰で、本当に信じられるのは身内や恋人だけだと思えるようになってきました。

お礼日時:2010/06/21 11:54

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この回答へのお礼

回答が遅くなり大変申し訳ありません。
動画、拝見いたしました。
今の私が見るにはもったいないと感じました。

幼少期、父親も親戚も兄弟もいないなかで母が一生懸命養ってくれたのですが、一人で留守番させられることもありました。しかし頑張ったら誉められるので、母や先生を振り向かせるのに必死だったのかもしれません。

お礼日時:2010/06/21 12:04

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