プロが教えるわが家の防犯対策術!

中学生の子供が、家のお金を何度かぬすみました。直す方法はありますか。

A 回答 (6件)

お金はとても大切なものです。



お金を稼ぐ大変さ、管理する大変さ、そしてお金と言う物で人が殺されてしまう現実。

今何もしなければ、盗めば手に入るとお金に対して、安易な考えを持ってしまうでしょう。

お金に関しては、少しキツ過ぎる罰を与えた方が良いと思います。

そしてお金を稼ぐ大変さをしっかり伝えれば、家族のお金を盗むなんて事はしなくなるのでは!
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まず、お子様の何がそうさせるのですか?



お小遣いに不満があるのですか?
悪い友達がいるのですか?


もう中学生ですので『話し合う』という方法もありかと思います。
逆に、普段からの家庭の会話はされていますか?

お子様への理解が少し足りないのかも知れません。
あなたが悪いわけでなく、お子様に様々な自我が芽生えただけです。

ぜひ良ければ話し合いを。
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No.2さんの意見に乗ります。



お金の大事さはもちろんだけど(No.1さんが間違っているとは言っていませんよ^^;)

なぜか? って言う理由を捜しましょう?

それが先決なんじゃないでしょうか。

こういうのは決め付けて、上から押し付けると、また反発があると思います。


私ね、大学の非常勤講師で、数学なんかをやっているのですが、

「出席日数が足りないぞ!つべこべ言わず出て来い!」

よりも 「出てこられない理由があるのか?」と聞いたほうが

出席率上がるんです・・・・。 大学生でもこうですから。

多感な時期ならなおさらだと思いますよ。 m(_ _)m
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直す方法は,状況や動機,お子さんの性別・学年によって変わってきますが,なんであれ100%「直らなく」する方法はあります。

体罰(暴力)です。

親の注意をひきたいという動機(無意識でも)も考えられます。
どう考えてもすぐばれるだろう,という盗み方なら,この可能性が最初にあります。

古典的な非行のパターン(非行少年だというわけではありません)としては,周りの友達がそういうグループであることも考えられます。
度胸試しだとか,仲間に入るためには「盗んで来いよ」と言われるとか。
孤独を嫌い,仲間が正しいと思いがちな年代ですから。

いずれにせよ,「盗み」よりも「ウソ」のほうが人として許されない,と諭した上で,理由を聞くのがいいと思います。
盗みのほうが悪いと思っていると,ウソにウソを重ねてしまいますから。このほうがはるかに将来に残る問題です。「ばれなきゃいい」と教えるようなものです。
怒らないからどうしてなのか説明してごらん,という水の向け方があります。
実際,説明しているうちに,自分でいけないことだと気づくこともありますよ。
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親御さんの心中察するに余りあります。


以下はある高名な教育者の書物からの抜粋でありますが、
御判断の一助となればと存じます。


親の愛情とは、太陽のごとくあるべきではなかろうか。
太陽の運行は不変である。不変であるからこそ、万物は成長するのである。
もし太陽が自分の都合で、気ままな運行を始めたとしたら、どうだろう。たちまち自然のリズムは狂い、生あるものは死滅してしまう。
同様に、何があっても自分を信じ、愛情を注いでくれる親の存在ほど、子供にとってありがたいものはない。
わが子を信じるといえば、教育作用の一つに“ピグマリオン効果”がある。一説には、ピグマリオンとはギリシャ神話に出てくる彫刻家の名前といわれている。彼が理想に描いた女性を象牙に彫り上げ、それを命ある妻として迎えたいと恋いこがれたところ、その願いがかなってしまったという。この神話にちなんで名づけられたのが“ピグマリオン効果”という教育法であるとのことだ。
一人の泣き虫の子どもがいたとする。あるお母さんは、わが子は本当は明るく快活な子だと信じている。たまたま泣くようなことがあっても、気にかけないで、おおらかに接する。
ところが、もしお母さんが、その子を泣き虫で、嫌な子だと思い込んでいたとしたら、どうなるだろうか。
当然、その子が泣けば、やっぱりと思い、それが知らず知らずのうちに子どもへの悪影響になってしまうのではないか。
一個の人間には、周りの接し方で、その役割なり、現実なるが決まってくる側面がある。
人間の心は、外からの影響を受けて変わるものだ。同じように人格もまた固定化したものではなく、絶えずダイナミックな進行を続けている。発展もあれば、後退もある。だからこそ周囲がよい影響を与えることである。
子どもはパターン化できないし、また、してはならないと思う。子どもの中に、どれだけの可能性を発見するか。そしてその可能性を信じて、それをどう伸ばしていくかに、親の英知を結集したいものである。逆に、子どもを“泣き虫”だとか“出来の悪い子ども”と決めつけて、励ましを忘れてしまえば、結局、狭い心、かたくなな心、ひ弱な心を助長させ、人格を後退させてしまうことにもなりかねない。

子どもの自己形成は、まだまだ脆弱である。それだけに、雑草を取り除き栄養を与える親の役割は大きい。しかし栄養を与えず、毒薬を与えてしまったのでは、せっかく伸びかかった可能性の芽も、たちまち枯れてしまうのが、道理である。その毒薬は、意外と親のエゴや子どもの自立を妨げる投げやりな言葉といった身近な中にあるものである。
人間は、本来、自然と共同生活を営んできた。いや、大自然そのものが、一つの大きな調和の世界である。人間教育ーそれはひとえに未来を創ることにほかならない。自然や他者と「共生」していく姿勢を、親は自らの姿を通して教えていきたいものである。
「子どもは父母の行為を映す鏡」だという。親の姿自体が、子どもの心に焼きついていくものである。
父親、母親の日常の姿については、子どもは大人より鋭い観察者である。両親はこの事実に気づかないものである。しかし、ときとして、ハッと思うような鋭い観察の言葉を耳にして驚く場合も、経験されていることと思う。この鋭い観察者が、やがて成長していくことを思えば、両親の人間としてのあり方が、いかに重要であるかがうかがえる。
家庭は共同生活の最小単位の世界である。閉じた家庭か、開かれた家庭か。閉じた愛情か、開かれた愛情かーこれは、実に社会の未来をも決定づけるカギのなってくるのではなかろうか。
子どもを信ずる親は、親を信ずる子どもを育てていく。親を信ずる子どもは、必ず立派に成長していくものである。そのためにも、信じ合える家庭を築いていきたいものである。
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殴って怒鳴ってください。


ぼくはそうやって直されました
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