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テンションで意識(考え方)がなぜ変わるのか?
例えば、病気で意識もうろうとしたとき。
他には、ジョギングでさっぱりしたとき。
うつ病で意欲がないとき。

同じ人間でも、コロコロ変わるのはなぜ?

A 回答 (3件)

つ、追加・・ごめんまとめてかけという話だけど



NO2はどうもポイントがずれてるので、
>テンションで意識(考え方)がなぜ変わるのか?
について


まとめると、
抽象的なテンションが変わる、とは、相転移が起きて、具体的な自分の住む意味解釈上の世界が変化する、と言うこと。自分が拠り所にしてる世界の構成が変わるから、それに依拠した発想も変化する、と思います。

集中が落ちると、世界がぼんやりします。それだけ現実に、主観世界はその有り様を変化しています。
自分を取り囲む世界がそれだけ変化したら、発想も当然変化します。
発想とはなんにもないところから沸いてるのではなく、自分の内面である主観とその投影である外部世界、解釈世界のペアによって出てくるからじゃないかしら? と思います。
内と外は本来不可分ですが、そのあたりは人の認知の不思議なところです。
内と外、そしてその2つのずれとして成り立っている独立した意識、と言う構図が頭にあります。
もしずれがなければ、自分の住む世界は完璧で、意識は全体の一部になり、独立して、投影現象を起すこともないだろうと想像します。




ポイントは、抽象と具体の連結です。
それは、本来抽象と具体は、分けられない一体の物です。
時空が、時間と空間が本質的に一体で別物ではないように、でも人間の脳には、時間、空間、と別物として認識されるように、
抽象集中と、具体解釈は、本来不可分の一体の物です。
ただ、脳の機能がお粗末で、2つに分けなきゃ理解できない、という話です。
自分の深い精神に対応した解釈を見つけられたら、いつでも深い集中を維持できると思います。
(自分ができてないのによう言いますが・・)



なので、どうしてテンション変化で考えが変わるか、ではなく、それは質問自体の変更を要請します。
どうして人の脳は、テンションと考え、という風に、ひとつの本質を、2つの別々の物として受け取るんだろうか? というのがいいんじゃないでしょうか?

暫定的ですが、こんな答えはどうかと。
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この回答へのお礼

なるほど、同感です。
私の質問にも不明瞭さがありますね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/07 02:07

さっきの回答読んでてあまりの雑然さに愕然としつつ・・


ここまできたらどうせ同じなので、書き足りなかったのを付け足し。





テンション、と書かれてるのは、集中の度合いのことだと思われますが、

僕は集中には強さと深さの、2つの目安、物差しがあると思ってます。僕のかってな定義です。
集中の強さは、意識で行う物。
集中の深さは、集中の強さ強弱を、自由自在に取れる幅、としてます。
集中の強弱は、集中の深い浅いであらかじめ決められてる範囲でしか変化できない、とします。




病気でもうろうとしてるのは、一時的に集中が弱くなってるとき。
ジョギングでさっぱりは、一時的に集中が深くなってるとき。
うつで意欲がないのは、集中がやはり弱くなってる、と思います。
また集中が深い、というのは、リラックスしてる、とも言えます。前にこちらで質問したこと在るんですが。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4755186.html
このときよりはだいぶ進んだんだけど・・まだまだ。




よくスポーツで、本当に集中するためには、リラックスしないと、とか言います。
この一月に、テレビで脳波と集中についてNHKのクローズアップ現代で放送をやってました。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?c …
http://cc.fullerhouse.net/?eid=679

アメリカでは、集中とリラックスを、それぞれ脳波で測定して、アーチェリーのアメリカ代表がそれを活用してトレーニングしてるそうです。ちょっとびっくりしました。

「そこで選手のレベルアップを図るため脳波計を導入し集中力とリラックスの状態を測定し始めました。その結果、アーチェリーの成績と脳波で調べた2つの指標には深い相関関係があることがわかってきました。これは矢を放つまでに集中力をどれほど高めたかを示したものです。上位の選手ほど高まっていました」一部引用。

集中とは、見方を変えると自分の統一でもあるので、ころころ自分が変わるか変わらないか?にも関わる話だと思います。





こういう内容をあんまり書く機会がないのでついでですが。
集中が深いとき=集中を強くするのも弱くするのも自由自在。
集中が浅いとき=集中が強くなり続ける=緊張が続く。 もしくは、集中が弱くなり続ける=例でいう病気やうつの時、といえます。自分で加減できない状態です。

脳波や生活リズムに対応を考えると、
脳波なら、いわゆるアルファー波と言う落ち着いた波長から、興奮してるときのガンマ波?まで、自分の思いでコントロールされてるのに対し、
集中が浅いと、アルファー波に固定されたり=ぼんやりし続けたり、ガンマ波に固定されたり=興奮が収まらなくなったり、ある種の依存状態が続いたり、となります。

つまり、集中が深いと、脳波の周波数を自由に取れる=状況適応能力がある。集中が浅いと、環境変化について行けない、というイメージがあります。




僕自身は、一秒間に10回などの脳波と、バイオリズムー24時間周期や、一週間、一年、一生をひとつの周期とするリズムは、つながりがあると思います。間に相転移は挟みますが。
なので、ころころ変わる、と言われるところの、人の主観世界と、それに対応する人格や心、意識の変化の仕組みが分かったら自分にとってもとてもいいのに、と思ってます。




それとこれらの抽象的で客観的な仕組みは、具体的な世界と自分の経験いたいする解釈の裏返しです。
言換えると深い集中とは=深い自分本音の自分が、本当のところ、自分を囲む環境=身近な人や自分自身や世界を、なんだと思ってるのか? に完全に対応してる、と思ってます。
なので、上のアメリカのアーチェリーで行われるような、バイオフィードバックによる集中とリラックスの訓練は、スポーツ中の意志の力による一時的変化であり、自分の本音を書き換えるまでには至らないのではないか?と思います。なので一面的(集中の抽象面だけを取り上げるので)、とも見れます。

おおざっぱに言って、本音の自分=小さいころの自分=深い集中、だと思うので。
以上、テンションのことを集中だ、と勝手に解釈しての話でした。

ダメ、まだ全然・・
でもちょっと書く機会をくれてサンキューです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとう。
なるほど、勉強になりました。

お礼日時:2010/09/07 02:05

久しぶりに見たらおもしろそうなお題が・




その人が何を抑圧してるかによって、確かにものすごく変わりますねー。
本音だったり建て前だったり。心当たりありすぎで痛い・・

質問で問われてるところの仕組みは、僕もまだ考え中の中途半端なことしか言えないけど。


テンションと意識の有り様がどう関係してるか? という捉え方します。
そりゃ心理学的に、変成意識状態なんだーとかいったらいいんでしょうが、あれはレッテルはっただけなので。




基本的に人格の階層がある、と思ってます。それに対応したその人を取り囲む主観世界も在ります。
また脳波やバイオリズムもその階層の移動に対応してるように思います。

人格の階層の移動は、取り囲む主観世界の変化と対応してるみたいです。
また睡眠覚醒リズムとも明確な対応があると思います。
主観の世界の次元と、階層の移動によって起こる相転移(物理の用語です)、などの概念でとっくんでます。空間の反転、時間の逆転など、ここのすれで書いてる物理に詳しい方もおられますが。そういう方向性です。
細かい話はまだ分からなくって、うまく答えを見つけようと今整理中です。

以上は客観的な話です。
世界が変化したら、自分の見る世界を元に作られる個人の考えやその発想の原点も変わる、とは思うんですが・・




ジョギングでもうろうとしたこともさっぱりしたこともありますが、さっぱり=完全性ですね。時間空間的に一時的な物ですが。擬似的完全性、と呼んでます。
もうろう=世界を産む脳の活動低下?  それに対応する、人の内面の精神活動の低下。
真夜中にふと目が覚めたときの、世界の静まりかえったような感じとか、ちょっと似てるとこがあるような無いような。このときは、心の活動が極限まで低下することで、静的な人格の性質が前面に出て自覚されやすい時間帯だと思います。


うつ病による意欲低下ー意味の通らない(と解釈している)世界に対して、筋が通らなくなってる=エネルギーの通り道がふさがってる、という風な見方をしてます。




>同じ人間でもころころ変わるのは?
同じ人間=自己統一性は、人が完全であればその通りだけど、実際には、そう思ってるとき意志が働いて、自分を認識しているときだけの意志の産物であることが多いと思います。
我思う故に我有り、とはそう思ってる時だけの話です。
つまり、本物でなく、認識認知による、精神エネルギーによる作り物だから、そういう気がないときには、自分は普通に分裂してたりするのじゃないでしょうか? 時間や環境の変化によってころころ変わって・・欲しくは僕もないですが、もともとひとつのものを僕が消化できなくて分け隔てたんだから、と思ってます。

広義で人が分裂してたり、広義で人が躁鬱だったり、というのは誰でもそうだと思いますし、
人は誰でも躁鬱や分裂やてんかんなど精神病の浅い症状を示してると言えますから、
(うろうろ迷ったりする=分裂の初期症状。気分のアップダウン=躁鬱の初期症状。かっとなる=てんかんの初期症状、とも捉えることは可能じゃないかと。)

前にどこかの精神科医が言ってたように、誰でも精神病で、誰でも健康だと思います。
どちらのベクトルで見るか、の違いで。
人間は、言換えると、誰でも病気と健康の中間的存在と思います。程度の差はもちろんありますが、それを脱して悟りを開いた人なんて、ほとんどいません。
もともとそういう存在で生まれついてるから。



ものすごく完成された人でない限り、だからころころ変わるのは自然だと思うし、
人は本来統一された物なのに、というのは理想では分かるけど、本来そうあるべきなんだろうけど、
それ自体が、理想を見る目と、現実を見る目の分裂を示してる一面もあります。
ころころ変わるのは、大きな自分本体の一部しか、意識が照らさないから、かなーと、
違う、見たくなくて封印した自分が居るから、とも言えるかしら。



あきませんねー、上にも書いたけどまだまとめきれないので、すんません、ただの感想文になってもうてますが。
僕もようわからんので、思いつく限り羅列してみました。
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この回答へのお礼

ご意見あがとう。
同じテンションを持続している人も多くいる。
ひょっとすると、私が未熟なだけかも。。。

お礼日時:2010/09/07 02:03

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