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ややこしい言い回しの日本語

最近ふと思ったのですが、日本語ってややこしい言い回しをするものって多くないですか?
皆さんの思う「なんでそんな言い方するの?」って感じの日本語ってありますか?

ちなみに僕は
「○○の可能性ははゼロに等しいといえる」という言い方です。
単に「○○の可能性はゼロです」と言えばよくないですか?

また
「○○せざるを得ない」という言い方です。
こちらも「○○をしなければならない(するしかない)」とかで十分だと思います。
何故いちいち否定+否定→肯定の形を作らなければならないのかが不思議です。



回答よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

 確かに、日本語は、そうした表現が多いように思います。


 たとえば、「多い」と「少ない」は、反対語になるのですが、それに加え「多くない」「少なくない」という表現もしばしば用いられます。
 しかし「多い」イコール「少なくない」、「少ない」イコール「多くない」では無いところが、またややこしいです。
 人混みを見て「きょうは人が多いな」と言いますが「人が少なくないな」とは言いません。
 人混みは、誰が見ても明らかに人混みであるため、このように明らかな場合は「否定+否定」の形はとりません。 
 「否定+否定」の表現、たとえば「少なくない」は「世間一般では少ないように思われているが、実は多い」という場合に用いることが多いです。
 いきなり「肯定」の表現より「否定+否定」の表現にしたほうが、より強調されたニュアンスに受け止められるともいえます。
 
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No.6です。

ゴメンなさい、補足説明です。

たとえば、政治家が「私が悪いことをやるハズがない」と言えば、逮捕されるかは別にして大抵は悪いことをやってますよね。
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略さずに、表現するとその本当の意味がわかるでしょう。




>○○の可能性ははゼロに等しいといえる
○○の可能性はゼロに等しい(といえる)、と思われる。
つまり、ゼロとイコールではないけれども、それに近いという意味です。
しかし「と思われる」を言ってしまうと、自信がないように受け止められるため、省略したものです。

>○○せざるを得ない
本当はやりたくはないけれど、○○せざるを得ない
「せざるを得ない」などは、決まってその前に「本当はやりたくない」が隠れています。
それも、本心からやりたくない場合と、本心はやりたいのだけど、積極的にやりたいと言ってしまうと、反論されるために被害者を装っている場合とがあります。

このような言い回しになるのも、日本人が話の内容を吟味せずに表面的な言い回しだけにこだわる傾向があるからです。

話は多少違いますが、たとえば首相辞任にまで追い込まれそうだった、あの「みぞうゆう(未曾有)」事件。
何の話の時に出てきた言葉か、ご存じの(あるいは覚えている)方がどれほどいるでしょうか。
一国の長が辞任沙汰になったのに話の内容はどうでも良く、ただ読み違いというケアレスミスだけで、大騒ぎできるのは、どの国を探しても日本だけでしょう。
そして、それを恥だとも思わない。
「乱れた日本語」と言っても、文法的なことか、単語の使い方に関したことで、話の内容が幼稚であったり、詭弁であったりしても、それを問われるのはほとんどありません。

そして、私が思いついたのは
「~のハズがない」です。
特に政治家の使う「~のハズがない」は、ほとんど「~のハズがないハズがない」の2重否定です。
これには「~のハズがないのに、あなたはそんなことも知らないのですか?」が隠れています。
「~だ」とわかりやすく言うと疑われ、「~のハズがない」と言えば、なるほどと思われる。
日本人は、もっと内容を吟味すべきです。

最後に
「私は良い人なので、間違ったことを言うはずはありません」
「私は良い人なので、間違ったことは言いません」
どちらも、同じ意味です。(厳密にはチョット違うけど)
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>なぜ日本語では「ややこしい言い回し」をするのか?


理由は2つあると思います。
1つ目は相手を思いやって、言う場合です。

「可能性はゼロに等しい」はこちらの場合です。
確かに質問者様の考えられている様に、「ゼロ」と表現しても構わないと思いますが
それですと「ゼロ」と導き出した論理が、あたかも完全に正しいとして
相手側に一切の、自由を認めない→完全否定となってしまいます。
また万が一その懸案が、事前の予想に反した場合は
「ゼロ」と導き出した論理自体が、間違っていたので
自語相違となってしまいます。
この事から、ゼロに等しい=ゼロでは無いがゼロに近い確率
と言う事によって、相手に選択の権利を与え
なお且つ自語相違を避けると言う、狙いもあります。

2つ目は先ほど言った、自語相違を避ける=責任逃れをする為です。
#2さんの回答にある「この株を買わない手は無いよ。→この株買いな。」
と断言した場合、もし仮に相手が損をして
その断言した言葉を盾に、責任を取れ!と迫って来た時
一切逃げ道が無くなり、自分の首を絞めてしまいます。
ですから言葉の中で
「買わない手(拒否も出来るんだよ)は無いよ(買うか買わないかは、自分で決めてよね)」
と言っているのです。
まぁ言うなれば、消極的な押し付け(かなり強引な言い方ですが)ですけどねぇ  ハハハ(苦笑

また#2さんの回答にあった九分九厘=9.9%に関しては、大きな考え違いをされています。
小生の拙い言葉で説明するよりも、上記の事柄について
過去に出題された質問の、URLを貼りますので
参考にして下さい。
http://okwave.jp/qa/q532771.html
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「気のおけない人」



普通の会話ではなかなか使いにくい
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こんにちは。



このプロジェクトは9分9厘失敗に終わるんだろうな。。。
→じゃ、9割1厘は成功なのかよ。

君の指摘は当たらずとも遠からずだな。。
→惜しいけど外れね。

要請があれば手助けしてやらないこともないけどね。
→素直に助けてと言えば助けてやるよ。

この株を買わない手は無いよ。
→この株買いな。

願ってもないことだ。
→うそつけ、実は願ってたんだろ?実現した良かったな。

ってとこです、とりあえずですが。
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えーと、可能性が無い場合は


「不可能です」もしくは「可能性はない」です
たぶん「ゼロに等しい」と言うのは
例外や論外もありうるので
「可能性がほんの少しある」のを表現したいのでしょう。
(ま、人間自分の思った以外の
予想外って事もありうるのでね)

せざるを得ないはわかりません。

ただ、日本語は微妙な表現を
したいから遠まわしな言い方も
多いのではないでしょうか。
(多いと断言しないのが
日本語の良い所でもあると思われます。)
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