許せない心理テスト

ここ数年ぐらいで、「~すぎる」という表現に違和感を感じるようになりました。
例えば、「この料理は美味しすぎるね」「このテレビ番組は楽しすぎるね」「あの人は美しすぎるね」といった形です。
しかし、自分自身も使ったことがあり、違和感がない言い回しもあります。
例えば、「この料理は熱すぎるね」「このテレビ番組はやりすぎだね」「あの人は痩せすぎだね」といった形です。

恐らく、「~すぎる」の文法自体は誤用ではないと思いますが、
この“違和感”の正体がわかりません。
国語の観点からみると、一体何がこの違和感を生んでいるのでしょうか?

※あまり国語が得意ではないので、出来るだけ簡単な説明だと幸いです。

A 回答 (12件中1~10件)

No.6でコメントした者です。


 コメントに不備があったので、書き直します。申し訳ない。

「出来るだけ簡単な説明」をご希望のようなので、まず簡単に。
 本来「○○すぎる」というのは、マイナスのイメージを伴うものです。
 そのため、○○にはマイナスのイメージの言葉のほうが入りやすい傾向があります。
 そうでない言葉が入る場合も、結果的にはマイナスになる以下のような使い方が本来の形でしょう。
「この料理は美味しすぎてつい食べすぎてしまう」
「このテレビ番組は楽しすぎて忙しいときでもつい見てしまう」
「あの人は美しすぎて気軽に声がかけられない」
 近年はそうではない使用例も多くなっているようですが。


 以下は蛇足。
 この点に関してはリンク先に書いている。
 改めて転載する。
突然ですが問題です【日本語編181】──ホワイト企業すぎる
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2940. …
==============引用開始
■問題点2)
 これは微妙な話なので、鵜呑みにはしないように。
「~すぎる」は、本来否定的な意味合いで使う言葉ではないか、と疑っている。
 もちろん「頭がよすぎる」「利巧すぎる」などの使い方はある。これも、評価自体は肯定的でも、その結果よくないことが起きている感じがする。「買う」はスクエアな動詞だけど、「買いすぎる」になると否定的な評価。
 近年は「おもしろすぎる」などと言う。これも本来は「おもしろすぎてお腹が痛い」くらいの使い方をしていたのでは。
 そもそも我が国(大きく出たもんだ)は「中庸」をよしとする気風がある。それを端的に表わしているのが「過ぎたるは猶及ばざるが如し」って言葉。いえその、元々は『論語』のフレーズですけど。

 そういう意味では「美人すぎる」は二重に×だろう。
 元々は微妙な誤用感を狙った言葉だと思うけど、ホニャが何も考えずに真似てここまで広まったら、もう市民権を得ている気がする。
 ヤレヤレ。
==============引用終了
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

少し難しい内容でしたが、とても参考になりました。
自分なりにまとめました。

・前提として「~すぎる」にはマイナスの表現を使うのが一般的
・「美味しすぎる」「楽しすぎる」「美しすぎる」といったプラスの表現を使ってもいい
・ただし、プラスの表現を使った場合は、その言葉をマイナスの表現として扱う

つまり、「~すぎる」にプラスの表現が使われること自体に違和感を感じているわけではなく、
3つ目の工程を省略しているから違和感を感じるということなんですね。


>「この料理は美味しすぎてつい食べすぎてしまう」
>「このテレビ番組は楽しすぎて忙しいときでもつい見てしまう」
>「あの人は美しすぎて気軽に声がかけられない」

これらの表現に違和感を感じない理由は、最終的に「~すぎる」がマイナスイメージに帰着しているから。
質問文の例で違和感を感じる理由は、本来そのあとに続くはずの、「~すぎる」をマイナスにする文が省略され、「~すぎる」がプラスイメージのままだから。


ただし、以下のような表現だと、上の表現と意味は同じなのに違和感があります。
「~すぎる」にプラスの表現を使う場合は、「~すぎる」をマイナスにする文をそのまま繋げないといけないようですね。

「この料理は美味しすぎる。だからつい食べすぎてしまう」
「このテレビ番組は楽しすぎる。だから忙しいときでもつい見てしまう」
「あの人は美しすぎる。だから気軽に声がかけられない」


>近年はそうではない使用例も多くなっているようですが。

「この料理は美味しすぎるけどお腹がいっぱいで食べられない」
「このテレビ番組は楽しすぎるけど忙しいときは見ない」
「あの人は美しすぎるけど気軽に声がかけられる」

このような例でしょうか。
この場合は、なぜか全てに違和感があります。


専門的な知識がないため稚拙なお礼となってしまい申し訳ありませんでした。
きちんと理解出来ているか心配ですが、概ね納得することができました。

お礼日時:2016/02/03 05:53

>国語の観点からみると、一体何がこの違和感を生んでいるのでしょうか?


 国語というより、マスコミが「~過ぎる」と表現したことが
 質問者さんにとって「~過ぎない」ギャップがあるからだと思います。

>「この料理は熱すぎるね」「このテレビ番組はやりすぎだね」「あの人は痩せすぎだね」といった形です。
 これ自体が、質問者さんの感想だから当然「マッチしている」ことです。
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この回答へのお礼

返信遅れて申し訳ありません、ご回答ありがとうございます。

おっしゃる通りだと思います。
言葉の変遷には“きっかけ”が付きものだと思うので、
マスメディアをはじめとした媒体が発信した新しい表現に付いていけていない(許容できない)ことが原因だと思いました。
良い表現では「言葉を大切にしている」、悪く言えば「ガンコ者」です。
今後は、時代の流れに合わせながら使う言葉を取捨選択していこうと思います。

お礼日時:2016/03/08 11:07

それほどこだわるころではないのでしょう。

あるいはあまりこだわるのは良くないのだと思います。言葉は生き物です。使用状況、社会状況、時代の変化などで、用語の意味も使い方もドンドン変わるのが運命です。自分が違和感を感じるという場合、そのような感覚をもつ人もいるはずですし、違和感を感じない人もいるはずです。
「この料理は美味しすぎるね」「このテレビ番組は楽しすぎるね」「あの人は美しすぎるね」といった用法は増えているのではないかと思います。そうした社会変化があるときに、《最近は違和感を感じなくなった》というなら理解しやすいです。しかし、《ここ数年ぐらいで、「~すぎる」という表現に違和感を感じるようになった》ということだとすると、質問者さんの活動する範囲が広がってきたということではないかと思います。

なお、「美人すぎる」は一般にも多くみられます。http://matome.naver.jp/odai/2140013232128749501
《「○○すぎる」というのは、マイナスのイメージを伴うもの》ではないと思います。《過ぎる》に関して《 ⑤ (「…にすぎる」の形で)つりあわないほどすぐれている、勝 (まさ) る。分以上である。「彼には―・ぎた女房だ」「これに―・ぎる名誉はない」 ⑥ (「…にすぎない」の形で)ただ…であるだけのことである。それ以上のものではない。…でしかない。「小学校時代はごく平凡な生徒に―・ぎなかった」「今日の事件は氷山の一角に―・ぎない」》と説明している辞書もあります。http://dictionary.goo.ne.jp/jn/117760/meaning/m0u/ この例は《に》がついていますが、厳格すぎる/寛容すぎる、強硬過ぎる/軟弱・穏健すぎる、狭隘すぎる/広大すぎる、メジャーすぎる/マイナーすぎる、異常すぎる/特殊すぎる/奇抜すぎる/普通すぎる/平凡すぎるも/凡庸すぎる、(ある想定範囲の中に入るか)(想定範囲から逸脱しているか)を指しているしかないと思います。
発言者、書き手が、想定範囲を良いものと考えているのであれば、逸脱や範囲外は良くないという評価をしていることになるのでしょう。
しかし、《でき‐すぎ【出来過ぎ】》http://dictionary.goo.ne.jp/jn/150999/meaning/m0u/ のように、予想や想定を超えているのをよしとするケースで使うこと《も》あります。ならば、「美人すぎ」「かっこよすぎ」「うますぎ」「おもしろすぎ」「素晴らしすぎ」「楽しすぎ」を、"とても良いという評価をしたい"という意識で使うこと《も》あると考えるのが、適当と思います。
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この回答へのお礼

遅れて申し訳ありません。ご回答ありがとうございます。

文献とてもわかりやすかったです。
今は違和感があるだけで、1年2年と時が過ぎゆくうちに自然と馴染んでいるかもしれません。

お礼日時:2016/03/08 11:02

私自身、「ぜんぜん」+肯定、にいまだになじめません。


自分に対する、言い訳として、全然、全全、然然、然全、いずれも「ぜんぜん」です。
もし、全全なら、まったくを強調のため否定、全然なら、川の水の流れの如し(是是非非?)、然然は?、まさにあるがまま?、然全は、んーどうしようかな?。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

やはり新しい言葉が認知されるまでは違和感はつきものなのかもしれません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2016/03/08 11:01

私は、「この料理は美味しすぎる」「このテレビ番組は楽しすぎる」「あの人は美しすぎる」「彼は立派すぎる」「これは高価すぎる」「君は喜びすぎる」「彼女は笑いすぎる」「あいつは偉すぎる」「これはうまくできすぎてる」「スタイルが良すぎるよ」などにも、話し手の状況や気持ちを適当にフィットさせれば、聞いても違和感は起きません。



「~~すぎる」は、《適当な度合いを超えるという判断や価値感を示す》のだと思います。
動詞の連用形や形容詞・形容動詞の語幹に続けて「すぎ・る」というケースが多いとはいえ、名詞に続けるケースも多いです。 程度がまあ適当な範囲に入るか/適度な範囲を大部ハズしているのかを表現したいのですから、名詞でも「なさすぎ」「高価すぎ」「廉価すぎ」「高貴すぎ」「でぶすぎ」「醜悪すぎ」「寡黙すぎ」もあります。

「美味しすぎ」「楽しすぎ」「美しすぎ」「上手すぎ」「立派すぎ」「高価すぎ」「喜びすぎ」でも、話し手にとって、5段階評価(5:良い、4:やや良い、3:普通、2:やや悪い、1:悪い)の評価の感覚を持っていたんだが、《とても良い、良いという評点ではまだ言い足りない》というケースでも「美味しすぎ」「楽しすぎ」などと表現するかもしれないし、《これは、いまこの場や状況、自分が求めている必要な条件をオーバーしているので、もはや不適切、止めた方がイイ》というケースでも「美味しすぎ」「楽しすぎ」などと表現するかもしれないです。 「あなたは私には立派過ぎます。もうお別れします」「このような集いは楽しすぎです。家族の待つ家に帰ります」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、挙げて頂いた例でも違和感は起きない場合もありますね。
・(聞き手が「この料理は美味しすぎる」と思っている場合の)「この料理は美味しすぎる」
・(聞き手が「このテレビ番組は楽しすぎる」と思っている場合の)「このテレビ番組は楽しすぎる」

ある程度 話し手と聞き手に共通の認識がある場合は、「~すぎる」を使ったとしても違和感を感じないのかもしれません。


>《とても良い、良いという評点ではまだ言い足りない》

例えば1で表現しきれないときに2のような表現を使うということですよね。

1.(5:とても良い 4:良い、3:普通、2:悪い、1:とても悪い)
2.(7: 良すぎる 6:とても良い 5:良い、4:普通、3:悪い、2:とても悪い、1:悪すぎる)

確かにこれなら違和感がないというか、これ以外の表現がないというか・・・。
時と場合によってだいぶこの“違和感”というものは変わるんですね。

少し頭がこんがらがりそうですが、納得することができました。

お礼日時:2016/02/03 06:37

過ぎたるは及ばざるがごとし、を表現しているだけです。


及ばざる、の程度がひどいときに使用するもの、との先入観があるから違和感を感じるだけです。
文法的には名詞に続けるのはどうでしょう?、形容詞に続く場合が多いようにも。動詞もあり得ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

先入観にとらわれて言葉の変遷に追いつけていないことが違和感ということですね。
まさしくその通りだと思います。

お礼日時:2016/02/03 06:02

「出来るだけ簡単な説明」をご希望のようなので、まず簡単に。


 本来「○○すぎる」の○○に入るのは、マイナスのイメージのものです。
「美味しすぎる」「楽しすぎる」「美しすぎる」に異和感があるのは、きわめて正しい感覚です。近年はそうではない使い方が目立ちますが。



 詳しくは下記をご参照ください。
「~すぎる」の反対語は?【1】&【2】
http://ameblo.jp/kuroracco/entry-11783748656.html
 以下は一部の抜粋(重言)。

 ニュース中の解説のとおりだ。

 ただ、ちょっと疑問もある。「地味すぎる」は形容動詞の語幹についているからOKで、「美人すぎる」は名詞についているから×なのだろう。 

「バカすぎる」「アホすぎる」「たわけすぎる」「白痴すぎる」

 さて、×はどれでしょう。

「チビすぎる」「デブすぎる」「ブスすぎる」「ハゲすぎる」

 さて、×はどれでしょう。

 o( ̄ー ̄;)ゞううむ

 これは次回の「問題」にしよう。

376)突然ですが問題です【日本語
編29】「すぎる」のナゾ──【解答?編】

http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1739. …




【ブームになった「美人すぎる××」は日本語としておかしい】
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20101217/ …
================================

2010年12月17日 10時00分

ブームになった「美人すぎる××」は日本語
としておかしい



「美
人すぎる市議」なんてものが話題になりだしたのは、今から2年ほど前のこと。以来、雨後の筍のごとく、「美人すぎる」女性たちが世の中に溢れ出した。「美
人すぎる海女」「美人すぎる書道家」「美人すぎる首相」「美人すぎる歯科医」──。しかし、このブームに違和感を覚える人も多い。

 * * *

「美
人すぎる××」の“元祖”は、テレビなどでもおなじみの藤川優里・八戸市議だ。2007年4月、同市議選挙でトップ当選をした彼女。翌2008年、青森の
ローカルテレビで紹介されたのをきっかけに火がつき、誰が呼んだか、「美人すぎる市議」として全国的にブレーク。その後、スペイン紙のウェブサイトで行な
われた、「世界で最も美しい女性政治家」を選ぶランキングで「世界一」となるオマケまでついた。

 その後、「美人すぎる海女」大向美咲さんがメディアに頻繁に登場する2009年になると、「美人すぎる××」を発掘しようという動きがメディアやインターネット上で活発になった。

 

 
そうした中で、「美人すぎるヴァイオリニスト」の宮本笑里さん、「美人すぎる日本画家」の松井冬子さんが取り上げられ、ウクライナの「美人すぎる首相」こ
とティモシェンコ前首相、中国の「美人すぎる屋台の売り子」や「美人すぎるバス車掌」が話題になるなど、外国人にまで飛び火。さらには「美人すぎる料理研
究家」の森崎友紀さん、「美人すぎる書道家」の涼風花さん、「美人すぎる女力士」の大高静流さんなど、次々に「美人すぎる××」が世に出てきている。

 ところがこのブーム、冒頭で紹介した通り、違和感や疑問を持つ向きも少なくない。その原因の一つが、「美人すぎる」という言葉そのものである。

 日本語
とフランス語の教師として都内の大学などで教鞭を執り、『かなり気がかりな日本語
』(集英社新書)の著書がある野口恵子氏は、こう解説する。

「も
ともと、『すぎる』という言葉は、『食べすぎる』や『大きすぎる』のように、動詞や形容詞、形容動詞と一緒に使われるものであって、『美人』のような名詞
と一緒に使われることは基本的になく、現代用語の辞典にもこうした用法は掲載されていません。それに、『過ぎたるは猶及ばざるが如し』という言葉があるよ
うに、『すぎる』はもともとマイナスイメージの意味を含む言葉だった。ところが、『美人すぎる××』では肯定の意味で使われています。こうした意味でも比
較的新しい言葉の使われ方だと言えるでしょう」

※SAPIO2011年1月6日号

================================



 ちなみにこんなランキングもある。

http://cache001.ranking.goo.ne.jp/crnk/ranking/9 …

1) 100藤川優里(美人すぎる市議)

2) 52.5宮本笑里(美人すぎるヴァイオリニスト)

3) 46.2大向美咲(美人すぎる海女)

4) 18.9涼風花(美人すぎる書道家)

5) 10.7中田彩(美人すぎる歯科医)

6) 6.3豊田麻衣(美人すぎるリポーター)

7) 5.7松井冬子(美人すぎる日本画家)

8) 4.4岩渕真奈(美人すぎるサッカー女子選手)

9) 4.1小松美羽(美しすぎる銅版画家)

10) 3.8大高静流(美人すぎる女相撲取り)


 下記も関連する。
突然ですが問題です【日本語編181】──ホワイト企業すぎる
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2940. …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

No.9にご回答を差し上げました。

お礼日時:2016/02/03 05:55

その違和感はわたしも持っています。


辞書的には、「物事が、ある数量や程度を越える。」が本来の意味だったのですが、「~すぎる」の形で補助動詞的に使われ、「美味しすぎる」「楽しすぎる」
「美しすぎる」のように、肯定的に受け取られるはずの状態に「~すぎる」を使う例が増えました。一番気になったのは「美しすぎる国会議員」でした。「過ぎたるは及ばざるが如し」と言われるのが、もはや当たらなくなってしまったところに違和感持つのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

“全然”が肯定的にも使わるようになったのと同じように、
「~すぎる」も本来の意味から外れて肯定的に使われるようになったんですね。

「美しすぎる国会議員」、これが肯定的に使われるようになった元凶かもしれませんね(笑)
個人的には、「美しい国会議員」のほうが美しいイメージが広がります。
もしも「美しすぎる国会議員」のほうが美しいと思うようになったら、
全ての「~すぎる」の違和感がなくなるのかもしれません。

お礼日時:2016/02/03 04:33

前提として、社会的な共通の基準があって、「それ以上」という場合の「〜すぎる」なら違和感はないのだと思います。



共通の基準がないまま「~すぎる」という表現を使われると、「おいおい、どこがだよ」と突っ込みを入れたくなるのではないでしょうか。

その人の個人的な基準のままで「~すぎる」を使用しているからだと思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、質問文のような「熱すぎる」「やりすぎる」「痩せる」にはそれぞれ一定の社会的(客観的)基準があり、
「美味しすぎる」「楽しすぎる」「美しすぎる」には主観が大きく伴いますね。
とても納得できました。

お礼日時:2016/02/03 04:19

まず、「この料理は熱すぎるね」などの「〜すぎる」と言うのは体感です。

実際に自分がそう思う、そう感じているから違和感がありません。
そして「この料理は美味しすぎるね」などの「〜すぎる」は、自身でそう思ったり、感じたりしないものだからです。
実際、何か話題になりそうな女性がいると「美人すぎる〜」と紹介されることがありますが、じゃあ、ほぼすべての人がそう感じるかと言えばそうではありません。
どう考えても「〜すぎる」とは言えないでしょ?という感覚があるから違和感になるんだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

体感しているか、想像できるかどうか、などといった部分によって違和感が決まるということなんですね。

1.「この料理は熱すぎるね」→見た感じからいうと、出来たてのあの熱さぐらいか・・・ 違和感なし
2.「このオムライス(料理)はおいしすぎるね」→いやいや、味には人それぞれ好みがあるから一概には言えないんじゃない?・・・ 違和感あり

しかし、例えば2の状況で一口のオムライスを貰い、
「本当だ!このオムライスはおいしすぎるね!」
ということなら、ここでの「~すぎる」にはさほど違和感がありません。
asgardrさんがおっしゃったように、実際に自分がそう思う状況になったからだと思います。

日本語って不思議ですね。

お礼日時:2016/02/03 04:12

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