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物事を考えるときに緻密に考え抜く力が足りず、
大雑把に図式的・箇条書きに考えてしまいます。

どうしたらこの傾向を改善できるようになるでしょうか?
よい方法がありましたら教えてください。

gooドクター

A 回答 (15件中1~10件)

箇条書きはなさるということだから、それを整理して、論理的に構成してみるのはどうでしょうか。

その整理術の一案として、考えようとしているテーマについて、綿密に問を立ててみるという手を提案してみたいと思います。
ただし問いは漫然と立てるのではなく、まず全体の大きな問い、次に個別の問いという流れで整理してみるのです。

A. 全体の問いのたて方
一般的に言って問いのたて方は5W1Hだけあるのですが、その中から選ばなければ問いが立ちません。問いを立てる段階で、自分が一番知りたいことを絞らざるを得ないわけで、そもそも問いを立てること自体が思考を組み立てる始まりであると言えます(5W1Hのどれを選ぶかは、極めて慎重になるべきですが、例が無いと説明しきれないものなので、Cの項目に譲ります)。

B. 個別の問いのたて方
そして、Aの問いから緻密な思考を展開するために、さらに問いを3つ設置することをお勧めします。最初は5つくらい思いついてもいいのですが、最後は3つに絞ることが望ましいと思います。3つというのは、論理を構成するにあたって、かなり有利だからです。たとえば、
・テーゼ/アンチ・テーゼ/ジン・テーゼ
・客観/主観/まとめ
・全体論/各論/まとめ
・マクロ/ミクロ/概観
・賛成者の視点/反対者の視点/当人の視点
など、比較的よく知られた整理に持っていきやすいからです。

C. 例
上記の実践として、ソクラテスの死刑について考えるとしましょう。まず大問を設定するとき、どんな議論をすることになるか前もって空想してみます。
「どのように?」だとすれば、哲人は安らかに死んだとか、臨終の様子を考えることになるでしょう。「何か?」だとすれば、ソクラテスの死がもつインパクト、死の意味を考えるということになるでしょう。「なぜ?」は、死刑の敬意を考えることになるでしょう。「どこで」「誰が」「いつ」は文献学的考証なので、学者でもない限り、この場合、あまりおもしろそうな問いでもなさそうだということになります。こうした空想をしてみて、どれが一番自分の知りたいことに近づけるかを検討するのです。

仮に「なぜ」を選んで、「ソクラテスはなぜ死刑になったのか?」を設定したとしましょう。この答え自体は一言でも答えることができます――告発されて死刑が宣告されたからだ、ということになるでしょう。ただし、もう少し詳しく検討して、論じてみたくなったとします。その時にどうするかがポイントなのですが、ここで提案しようというのは小問を作ることです。たとえば、
(1)ソクラテスはなぜ告発されたのか?
(2)ソクラテスを弁護する人はいなかったのか?
(3)ソクラテスはなぜ逃げなかったのか?
などと問いをおくと、見方を整理して考えてみることができます。
(1)ではソクラテスに死刑を求めた側を考察し、(2)では反対の側、(3)では当人の意識についての考察になっています。つまり賛成側/反対側/当人の意見という三つの観点から考察し、死角なくものを考えた上で、最初の大きな問いに答えることができます。

D. 応用
こうやって一度議論を組み立ててみたら、実は簡単に応えられない問題が発生するはずです。ソクラテスの例で仮に(2)のあたりは簡単にはわからない、などということが起きたとしましょう。そしたら、さらに問いを三つ立てて考え直すということがよいと思います。
a. 弁護人は何を語ったのか?
b. 告発者らは何と反論したのか?
c. 民衆はなぜ弁護人に耳を傾けなかったのか?
こうすると問いが細かく・具体的になった分だけ、何を調べて考えればいいのかが、より明示的になります(これも賛成者/反対者/第三者という形になっています)。大きな問いを立て、次に答えやすい小さな問いを3つ立てるというのがこの方法のポイントです。

以上のように、問いを立て、調べても容易に回答できない問題が発生するたびに、さらに小さな問いを立て、答えやすいレベルにまで変化させていきます。それを繰り返せば繰り返す回数が多いほど、自ずと議論は具体的で、緻密になると思います。
そして慣れてくれば、こうした作業の中で、元々の自分の考えや図式では片手落ちになる箇所が自分の力でわかってくるのではないかと思います。たとえば考え出す前は、ソクラテスは民衆から嫌われていたから死刑になったと先入観があったとしても、(3)の点を緻密に考えると、彼自身が逃げなかったから死刑になった、という別の見方にも気がつくことになるでしょう。本格的に考え始める前に、問いを3つ、バランス良く作ることで、当初の偏りを補正できるのです。

ご検討ください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
非常に参考になります。
特にソクラテスの例がわかりやすかったです。

プラトンを読むと本当にしつこく考えて、
相手がまいったというまで対話する知的体力が
凄いと感じます。見習いたいですね。

お礼日時:2010/11/19 17:47

『物事を考えるときに緻密に考え抜く力が足りず、大雑把に図式的・箇条書きに考えてしまいます。

』という事をお悩みのようですが、貴方の思考方法は、物事を単純明快にしている点で、良いと思います。

逆の場合になると、物事をしっかりと、把握しないとならないために、どうしても仕事や、物事が遅れがちになります。スピードの点で劣ると思います。只その場合に気を付けたい事は、早すぎてしまい『確認作業が』おろそかに為り易いかも知れません。いわゆる早とちりになってしまう事を、貴方は悩んでいるのかも知れません。

貴方の真意が分りませんので、早とちりがなくなると云う方向で書いてみたいと思います。

早とちりをする原因は、物事を深く考えない事から起きています。物事を深く考えないと云う意味は、今の仕事の次の工程を考えていないと云う意味になります。具体的に次の工程が在る筈です。或いは最終工程とするならば、その次の事です。お客様の手に渡ったとしたら、『お客様がどう感じるのか』という事になります。

簡単に言うならば、自分の頭では考え無いと言う事になります。次の工程の人の頭で考えると云うことです。その考え方が慣れてきたら、その先の工程までも考えると云うことです。その考え方が進んできた場合に、最後はお客様の立場で考える事になります。飽く迄も、自分の感情を交えない方向性です。

自分の感情を交えた場合には、その時々によって『仕事の仕上がりが違ってくるからです』一つ先を読んで行動する場合に、かなり違う仕事の仕方になるはずです。余裕が出来たら、その先、その先と考える事になると思います。その時には、物事の本質を掴む目が培われていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
早とちりとはまた違う問題ですが、
工程を進めて、立場を変えてみて
考えるというのは参考になります。

お礼日時:2010/12/01 20:32

・高校生の国語を使う方法


難関大学受験用の国語現代文の問題集で「論説文問題集」とされたものから、薄く飾り気のない冊子を選び、読解と回答を求められた通りにすることを訓練する。また、「小論文問題集」とされたものから、厚く丁寧な解説のほどこされた本を選び、論点を絞り視点を削って論述することを訓練する。

・科学事典を使う方法
理系の諸分野を網羅して一般的に概説した大事典の好きな所を読む。ただし小学生向けではいけない。最低でも4,5ページを10分以上かけて読んでうすうす理解できるくらいのがよい。これは量と時間に耐える集中力を維持する訓練であるのだ。。。

・音楽を使う方法
読譜を習得して、少なくとも6ページ10分を超える長さの音楽を聴きながら追って同時に譜を読めるようにし、最終的には譜がなくとも聴きながら細部の記譜を聴き逃さずに全体の記述の脈絡を漏らさず辿ることができるようにする。小休止を入れて20ページ30分くらいまでが、緻密な想起と認識と思考の反映するところであり、大休止を入れて200ページ3時間というようなのになると、むしろ緻密ではなくて曖昧なつながりと煙のような忘却をものともしない思考力を反映するようになる。

・追記
以上、目が覚めるほどおもしろいと思って取り組めることが何より肝要。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
小論文入試や科学事典はわかりますが、音楽はどうなんでしょうか?
音楽は音楽の記憶の脳の部分を使い、言語的な思考とはまた別のように思います。

お礼日時:2010/12/01 20:29

>「お前は緻密に考え抜く力が足りない」と言って何になるのでしょうか?


>こういう質問はしていませんよね。
>ukiyotonboさんが具体的に緻密に考え抜く方法をご存じないのでしたら回答はご遠慮ください。

 貴方様は、小生が何を指摘させて頂いたのか全く理解していません。

 「緻密に考え抜く方法」という大雑把な御質問に、御希望通りに具体例をあげて回答させて頂いたとしても貴方様はそれを実践することがないことがよく解ります。なぜなら、せっかくお礼欄への記載を直すようにと指摘させて頂いたにもかかわらず、貴方様は、小生に質問してみたり、同意を求めたり、そう言ったかと思えば、回答を遠慮しろといってみたり、全く思慮に欠けると言わざるを得ません。

 貴方様に「緻密に考え抜く力が足りない」具体例は、貴方様のお礼欄への記載や小生へのコメントに顕れており、お陰様で具体性をもった回答になりました。
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この回答へのお礼

結局、ukiyotonboさんは具体的な方法は提示できないのですね。


さて、哲学カテゴリなので、少し哲学的に考えてみると
この「緻密に考えられない」という質問は自己言及的な構造を含んでいて
なかなか面白いところがあります。

A「緻密に考えることができる」と「緻密な文章」で述べる
B「緻密に考えることができる」と「緻密でない文章」で述べる
C「緻密に考えられない」と「緻密な文章」で述べる
D「緻密に考えられない」と「緻密でない文章」で述べる

この場合、AとDが論理的に正、BとCが誤になります。
私の質問はDに相当して正であり、Cであれば誤です。
ukiyotonboさんの主張はBに相当し誤ですね。

お礼日時:2010/12/01 20:25

>まずは隗より始めよということでしょうか。



 どう受け取って頂いてもかまいませんが貴方様にそのようなことは申し上げておりません。
 お礼欄での思考の緻密さの欠如を指摘させて頂いたにすぎません。

 貴方様の大雑把なご質問に最も実践的で的を得た回答であると存じます。
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この回答へのお礼

緻密に考え抜く力が足りないことに悩んで質問している人間に対して
「お前は緻密に考え抜く力が足りない」と言って何になるのでしょうか?
仮に緻密に考えることができて、緻密な回答ができていたら、
こういう質問はしていませんよね。

ukiyotonboさんが具体的に緻密に考え抜く方法をご存じないのでしたら
回答はご遠慮ください。

お礼日時:2010/11/20 11:00

 綿密というのは



 綿密に知ってないといけません。
 
 これは経験からわかることでしょう

 現実は、いろんなつながりがあります。
 今の政治を見ればわかるとおり、中国との問題、沖縄、税制、これら多くの問題があり、ひとつひとつ具体的で、反論もあり、それらを、具体的にみていくというのが、綿密ということでしょうが、、、

 意識の問題だと思います。
 意識は経験から具体的に一つ一つが重要で多くの関係の中の要因だとわかります。

 ですから、意識の高い人は、一事が万事という見方で、綿密に物事を把握します。
 その把握が出来て、初めて考えるということが出来るでしょう。
 しかし、考えても策におぼれる』という状態になるのが、一般的です。
 今の民主党政権が、策におぼれる。という状態になってますね。
 結局、大事なのは、真心、本心と、覚悟ですよ。
 今の政権など、悪い例として、逆をするといいでしょう。
 ですから、正直と覚悟で、誠実に この根本がないとうまくいかないでしょうし、考えても無駄になります。考えたとおりにいかないものです。ということをしって、認識を経験から広げるしかないでしょうね。
 バイトと店長の立場でも経験すると、相互が相反してる見方だということを理解できるようになれば、大雑把から、少しは、現実的に見えてくるでしょう。

 現実は、人がいて、心の動きも把握するものですから、現実を表面の皮だけ見てれば大雑把な認識になるでしょう。
 小説など書いてみたらどうでしょう。一つ一つが具体的で、緻密ですよ。

 つまり、夢のような無意識状態なら、大雑把になるでしょう。この状態は、夢みる鳩山前首相がいい例です。理想はいいますが、大雑把。具体的な行動もなく、現実感もない。
 大雑把と綿密は、夢と現実の違いに似てるかもしれません。意識の状態で言えば。
 脳は大半が無意識だそうですよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/11/19 17:50

回答からずれますが・・・


考えることが趣味でないならば
考えることが(趣味ではなく)得意な方に依頼すればいいでしょう。
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この回答へのお礼

これは目から鱗です。
たしかに考えるのが得意な人というのはいますね。

お礼日時:2010/11/19 17:49

だいたい質問が大雑把すぎるくせして、回答に対するお前の反応は無神経なんだよ。



緻密になりたいなら、そこらへんから直せよ。
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この回答へのお礼

まずは隗より始めよということでしょうか。

「お前」呼ばわりは感心しませんねぇ~

お礼日時:2010/11/19 17:48

[緻密に考え抜く思考力を得るには? ]



○ 基本はストイックに生きるように心がけることですね。生活態度と思考方法には深い関係があるということです。
最近16歳の少年が会計士の試験をパスしたニュースが流れていましたが、彼は会計士の試験勉強のために1日10時間勉強したそうです。その結果は友達がいないといっていました。
私も中学のころ試験勉強のために1日9時間勉強したことがあります。その結果中学の友達は皆離れて行きました。未だに中学の友人は誰一人いません。みんなと遊ぶ時間がなかったからですね。
何をいいたいかといえば、自分に甘いと考え方も甘くなるといいいたいのですね。[緻密に考え抜く思考力を得る ]という目標を立てるならば、少なくともまともな本を1000冊ぐらい読まないと緻密な思考力はつかないですからね。1日1冊読んでも3年はかかりますからね。それを自由に使いこなすには少なくとも10年は必要でしょうね。そのようなストイックな生活態度があなたを緻密な智の巨人にしていくのですね。
でも「言うは易し、行なうは難し」でね。簡単なようで難しいかもしれませんね。
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この回答へのお礼

本は好きなので、図書館で毎月30冊くらい借りて読んでます。
1000冊は到達してると思います。が、粗雑な乱読になってしまい
あまり身についた感じはしません。。

お礼日時:2010/11/19 17:43

相変わらず木造さん(#4)の濃縮法は何時も勉強になります。

要するに、数学の勉強をすることと、専門語の語彙を増やす。簡潔で的を射ている。私の意見を述べる前に私なりにそれを一寸敷衍してみます。もし質問者さんがご年配の方だったら今更数学を勉強しろと言っても何をどう勉強して良いか分からないかも知れませんので、思い付きですが、数学読本みたいな物から入って行くと良いかも知れません。若い頃そんな物を読んで楽しかった記憶があります。また、専門語の語彙を理解するには、もしそれがカタカナ語だったら、その元の外国語に戻ってそれを漢字に直してみると、上っ面ではない深い意味が判りますよ。

さて、質問者さんは緻密に考えたいと言っておられる。確かに、緻密であることは良さそうなことですが、思考とは緻密でありさえすれば良いと言うものではありません。緻密でなくてはいけない場合と、その反対に緻密では駄目な場合が有ると言うことも承知していて下さい。

私は物理学で飯を食って参りました。物理学の基本的な言語は数学ですので、そう言う意味では一見緻密な言語を使いながら物を語ります。しかし、それは決して細かいところまで精確に見て行こうと言うことではありません。少なくとも物理学者は、この世界のある現象を理解するには、一番本質的なところ、二番目に大事なところ、三番目に大事なところ、、、と序列があると思っています。そして、物事を理解するためには一先ず、二番目以下の事象の存在を無視してしまう。そう言う荒っぽい処理をした物について、それを数学で表現するのです。ですから、言語としては数学と言う緻密な物に頼っていますが、論じてる対象は、現実の世界からいろいろな事象を落してしまった大変粗雑な物なのです。しかし、そう言う粗っぽい処理をすると、論理が扱い易くなり、その構造が透明になって、今までゴチャゴチャにこんがらかって見えなかった全体像が見えて来て、いきなり本質が解るようになって来る。例えば7年は何日あるかと言われたら、7x400=2800だから、まあ、2500日ぐらいかな、と答えられるようになったら、一人前の物理学者だと私は言っています。それを1年は365日だなんて、それこそ緻密に言っているようでは本物の物理学者では無いと言う訳です。

勿論、そんな粗っぽい計算をされていたんじゃ、車のタイヤの右と左の大きさが簡単に2割ぐらい違ってしまいかねませんから、物理学者に物を作らせる訳には参りません。しかし、このように荒っぽく見ないと、この複雑な世の中の理解が支離滅裂になって、自分で何を言っているのか分からなくなってしまいます。だから、粗雑に物を考えると言うことは、多くの場合大変重要なことなのです。

私から見ると緻密であるよりももっと大切なことは、自分の手に入れた知識の間の関係の認識能力です。その関係のことを、物理学の専門用語では「相関」と言います。そして、その人の認識の中で、相関の距離が長い程その人は本質が見えて来ます。相関が短いとは、例えば二つの事象の距離が離れると互いに無関係になると言うことです。優れた物理学者を見ていると、並みの物理学者から見て全く無関係に見えた二つの事象の間に意外な関係を見ることが出来ているようです。この相関の距離が長くなればなるほど、皆が気が付かなかった事象の中に新しい関係が見えてきて、皆を驚かすことができる。何故驚くのか。それは、その関係を指摘されると皆が納得出来るから驚くのです。納得出来るとは、即ち、本質を突いたと言うことです。

相関とは単に空間的な相関ばかりではありません。時間的な相関もあります。動物や子供は目の前のこと、あるいはたった今のことにばかり気を取られてしまいますが、大人になると過去の経験を見、さらに遠い未来を見ています。要するに、時間相関の距離が長いのです。ですから、物の本質を理解したいのなら、私は緻密なことよりも、相関の距離が長いことの方に軍配を上げます。

蛇足ですが、何故優れた詩人は優れているのか。私の勝手な思い込みなのですが、優れた詩人には、ある事象の間に凡人では見えない関係を見ることが出来ているような気がします。そこで、凡人には全く無関係に見える言葉をいきなり並べてみせる。勿論、それでも凡人には何も見えなかったら、その詩人は凡庸なのだと思います。しかし、それを並べてみせたら、その後は誰にでもその間に意外な関係が見える場合、その詩人は優れているのだと思います。私は、昔読んだ西脇順三郎の詩のなかで見た記憶のある、「校長が木に登った」や、ホメロスの、「牛の目をしたヘーレー」という言葉が大好きです。
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この回答へのお礼

緻密ではなく、事象を丸めて、相関を取って、
論理を探るアプローチですね。
また違った知力の使い方で非常に参考になります。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2010/11/19 17:40

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