これ何て呼びますか

  私は普段からあまり本を読みません。新聞もほとんど読みません。
なぜ読むことが重要なのかわかっているようで、わかっていません。。。
ぜひその大切さについて説いてください。

A 回答 (6件)

 簡単にいえば、小説なら仮想体験ができるから、でしょうか。


 たとえば、ただ自分の人生を生きていれば、他人の気持ちを、他人のような気持ちになって考える、という機会は、そうそうありません。
 でも、小説ではそれが普通です。
 自分以外の誰かになって、その気持ちを共感、共有しつつ、物語を読みます。
 その感覚というのは、他ではなかなか得られない感覚です。
 新書などの実用書などでいけば、著者の知識に基づく考え方を知ることができます。これも、知ろうとしなければ、一生知らずに生きていくことになります。

 よく本があっても生きていけない、という言い方があります。
 その通りです。食べ物があり、生命を維持できなければ、本なんて意味はありません。
 でも、それでは動物と、なんら変わりません。
 人は一生をかけて、なにかに気づき続けていく生き物だと思います。
 人の気持ちや考え方、その他にも色々気づけるものはあります。
 その気づいたこと、考えたことを、次代につなげていくのが、人です。
 その媒体として、本はつくられて、残されてきました。
 読書をするということは、先人の積み重ねを受け取る、という意味もあります。
 受け取って、次代にわたすのが、今を生きる人の役割です。
 といっても、なにも特別なことをするわけじゃありません。本を読み、「なにか」を受け取ったあなたは、たぶん、考え方、生き方そのものが、ほんのわずかずつ、変わっていきます。
 それが次代につながります。バトンがわたります。

 長くなりましたが、最後にシンプルにまとめると、人の歴史はなにかを記録し、残し、次代へのメッセージとしてきました。
 読書というのは、それを受け取る行為です。
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 自分一人で考えたり、実体験できる範囲は限られているので、その不足を補うために本を読むのです。


 一人で体験できる人生はひとつしかありませんよね。けれど本を読めば、様々な人生や、そこから得られた知恵が記録されているわけです。もちろん実体験に勝るものはありませんが、何も無いより遥かに役に立ちます。

 たとえば、一度も行ったことのない場所に、地図を使わず、人に道を尋ねたりもせずに行く苦労を考えれば、本の重要さがわかるのではないでしょうか。本とは人生における地図なのです。
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金メダリストの北島を育てた平井コーチが勝間和代とのインタビューでこんなことを言っています。


大学を出て社会人になっても競泳を続ける選手が多いけれど、
体力とかスキル以外の人間的な部分で伸びている選手が、水泳でも伸びている気がする。
だから本を読ませたり、絵を観に連れて行ったり、いろんな大人のひとに触れさせるように努めている。
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私も20歳すぎるまで読書はきらいでした。



読書とかぎらず、映画でもテレビでもラジオでもいろんな人と話すことでも、とにかく人が経験したこと、学んだことを知ることができます。人一人が自分自身で体験できることは数しれています。なので、大切なわけです。自分の内面が豊かになりますし、それとともの自分が他の人になにかを伝えたい、と思ったときにいろいろな表現をつかうことができるようになります。

で、なぜ本になるか、というと、そのほうが絶対的に数が多いということと、自分の速度で理解できる、何度でも繰り返せるという利点があります。あと、文章から喚起される想像力、というのを育てることもできるわけです。それがまた、自分が誰かになにかを伝えたい、というときの助けにもなってくれます。
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お幾つの方でしょうか。



若い人達は「仲間」を大事に思う傾向が強いように思います。
それは大事なことだと思います。

でも大事に思う余りいつも仲間と一緒では片手落ちなのです。

では何が一方で必要かというと、一人で居る時間です。

自分の内側を見つめながら考える時間が思春期から青年期に掛けて是非必要です。

然し、自分の内側を眺めて何を問題にすれば良いか、その問題解決の為には
どのような武器を手に入れれば良いか、武器を磨くにはどうすれば良いか、
それが解らなければ自分自身を深めようがありません。

その指針は読書(良い本)から得る事が出来ます。
読書は孤独な作業ですが、自分自身を深めるのに「仲間で討議」などは
あまり馴染まず、主として本と自分の心の対話から生まれます。

ある程度年齢を重ねた人の中に、「何か奥深いものを感じる」事はありませんか。

そのような人は間違いなく青春時代にそのような習慣を身に付けていると思います。

ご質問者さんがもしそのような事に意義を見出す方なら是非読書を重ねて下さい。
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 「他人の書いた文なぞ、所詮他人の文だ」と思ってた私も、その他人の文に泣かされたとき、本の凄さをそのギャップから思い知りました。

中学の時に「読まされた」、ビルマの竪琴でしたねぇ。「こう考えたんだろうなぁ」「周りはそれをわかってたんだろうなぁ」、なんて、絵もないのに、その滋養形が浮かぶような文章は、驚きに近いものがありました。感情移入して考えることは、他人の考えを推考する練習にもなりますし、何より感情豊かになると思います。他人の文に震わされたのは、私の感覚感情を見透かされたわけですからね。
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