
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
>>貧富の差がなかったので、例えばどんな物だったのでしょう?
死者が寂しい思いをしないように「土偶」(どぐう)などを一緒におさめたのではと思います。
No.2
- 回答日時:
今年6月の朝日新聞記事ですが、男は石斧を、女は石皿の例があります
http://www.asahi.com/culture/update/0624/TKY2010 …
このうち2体は同じ墓坑に埋葬され、1体は20センチ四方のくぼんだ石皿を抱き、もう1体は胴体付近に大小7点の石斧が置かれていた。縄文時代の人骨に伴う石斧は男性の権威の象徴として、調理具の石皿は女性の象徴として副葬したとみられる例が報告されており、男女の社会的な役割を示しているとされる。
現地を確認した岡村道雄・奈良文化財研究所名誉研究員(考古学)は「人骨は、この貝塚の集団の長(おさ)的な男と女だろう。こうした人骨と男女の道具を伴う埋葬例は縄文前期では初めて。当時の墓制を知る上で貴重な遺跡だ」と話している。
装飾品を付けた人骨の発掘例なら、「縄文人骨の装身具・副葬品」と入れて検索しますと、具体例が多数出てきます。
埋蔵文化財ネット新潟「貝の腕輪を付けた人骨」
http://www.maibun.net/image/37-p7.pdf
福岡県榎坂貝塚(縄文後期)では、貝の腕輪を片腕に29個も付けて葬られている埋葬人骨も発掘されています。
貧富の差は少なかったと推定されていますが、年齢や集団での地位によって副葬品には差がありますね。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
縄文時代は、ざっと1万2千年前~2千数百年前まで、1万年も続いていますし、ほぼ日本全国に広がっておりました。
したがって、埋葬法も有名な屈葬、土器のツボに入れた甕棺葬、展伸葬、石で覆った抱石葬などがあります。更に、単純な土葬の他、一度掘り出して再度埋葬(洗骨)などもあります。また、火葬もあったようです。副葬品は、生活の必需品などで、男性であれば、狩りや釣りなどの用具、女性であれば針や、日頃身につけていたアクセサリー(貝の腕輪、耳飾り)でしょう。要するにあの世でも困らないようなものをもたせたと思われます。
シャーマンや、族長であれば、比較的珍しい装身具(翡翠製品や、石製ネックレスなど)もありえます。
しかし、衣類、食品、花などの有機物は、あったとしても殆ど残らないので、確認できないでしょう。
副葬品としての土偶は、わずかしか確認されていません。土偶自体が、「埋葬・埋納」された例が多いです。
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