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縄文時代には、300年くらい生きる人がいたって聞いたことがあるんですが、本当でしょうか?

A 回答 (4件)

生物学的に人間の寿命は120歳くらいだといわれていますので300歳というのはないかと思います。


何百年も生きたという伝承はたくさんありますが信じられません。
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当時は平均寿命30歳程度ですから、300歳はあり得ないでしょう。

生まれた子供が10歳まで生き延びるだけでも大変なことだったはず。
病気になっても治療法もなく、食料も安定供給というわけにはいかない時代です。
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当時の骨を詳しく調べると、


子供の頃、数回成長が全く止まった時期が見つかったそうです。
これは、成長期に全く食べ物を口に出来なかった時期がある証拠です。

こう言う過酷な環境下で、気候の激変も平気で有る時代です。

日照り、冷害、長雨、台風。
木の実が取れない年や、狩猟対象の動物が激減する年などは当たり前で、
飢え、怪我、病気などは即死に繋がったと思います。

行動単位が数個の家族程度なので、
長老として生き残るのは無理でしょう。

これは、定住し、稲作を行う弥生時代からで、
高熱で焼く土器や、青銅器、製鉄技術など、
狩猟以外の技術(高等知識)が認められた時代です。

縄文時代では、活発に仕事が出来ない人間は、生きる事は難しいです。
飢えながら遠距離の移動を余技無くされます。
取り残されてしまいます。
しかも、働いたた量の配分は当たり前の時代です。

歯が無くなった時点で寿命だと思いますので、300歳は不可能だと思います。
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縄文時代は、



1.中石器~新石器時代にあたる。
2.縄文式土器に代表される土器が制作・使用された。

点が特長的です。

石器の材料であるサヌカイトや黒曜石の産地は特定の場所であり、かつ制作に技術的な継承が必要です。また土器も同様に技術的な継承がなければ生産し続けることが出来ませんので、この時代に既に職人集団が存在し、交易が行われていたことが推定されています。

また、縄文時代には、クリ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどを栽培していたことがわかっています。こうした畑作農業のもとに定住生活が行われていました。また、縄文後期や晩期には陸稲の焼畑稲作農業が行われていて、これが弥生式の水稲文化の受け皿になった可能性が指摘されています。

こうした中でシャーマン的地位にいる人には、かなりの長齢を得た人がいたでしょうから、あながち100歳を超える人がいなかったとは言えないと思います。

ただし、300年というのは、同名のシャーマンや族長の名前が一人の人の事績として記憶されて伝承された結果ではないでしょうか?
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