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中3の男子です。
「死」について悩んでいて、何故死にたくないのか、
もし死ななかったらどうなのか。と思っていると、
何故生きているのか分からなくなることがあります。
また生きるということが今までの人生の全てだし、これからの人生も全てだというのに、
生きてるということが分からないというか、
自分と言う存在が分からないというか。
混乱している状態です。

このような状況に人は皆人生で一回は経験するのでしょうか?

お礼遅れるかもしれませんがお願いします。

A 回答 (16件中1~10件)

NO.15様の回答が気になったので追加です。

NO.15様、すみません。これは質問者様にとっても良い回答です。どうか読んでください。そしてこの回答も多くの人に伝えてください。メールやネットで。

新興宗教では善を勧めるものが多いです。特に最近出てきた幸福の科学などもそうかと思います。NO.15様は幸福の科学の教えに似ていると私は感じます。私は幸福の科学の信者が意外と多いという事を知っています。と、いうよりも近所にもいることを知って驚いた記憶があります。私は幸福の科学の映画も見たことがありますし、それほど悪いものではないと考えます。しかしその教えには見落としている部分があります。

善とは何でしょうか。この世はユートピアになりうるのでしょうか。私達は繁栄すればするほど地球はどんどんと疲弊していきます。私たちが使う道具は全て地球を犠牲にしているからです。本は木を犠牲にします。鉛筆は鉄鉱石を犠牲にします。机も木を犠牲にします。機械は金を必ず使うそうです。電気は石油などを犠牲にします。プラスチックは石油を犠牲にします。樹脂も石油を犠牲にします。道路を作るためには山を切り開かなければなりません。家を作るためには地面を掘らないといけません。鉛筆のためだけにいくつもの鉱山が犠牲になっています。机のためだけにいくつもの森が犠牲になっています。私たちが原始時代に戻って道具を全く使わない生活になればユートピアになるでしょう。逆に言えば原始時代よりも優れた生活をすれば地球はどんどん消耗していっていつかは破綻します。モアイ像のあるイースター島では木を切り過ぎて滅亡しました。少なくとも現代文明と同等の生活を送ったとき、地球は永遠には持ちません。それは仕方の無いことです。

この世では幸せはありえません。それは全ての人が幸せにはなれないからです。毎日、私達は食べ物を食べます。それは他の生物の命です。他の生物を殺して生きています。毎日。殺さないと生きられません。そして今、69億人いる地球では、全ての人が食べていくだけでも地球はもう持たないでしょう。8秒に1人が飢えて死んでいます。この世に愛と優しさに満ちたユートピアの建築は不可能です。それはどうしようもないことです。仏陀は言いました。『この世は苦である。』残念ながら、それは真実です。そもそも動物や植物をムシャムシゃ殺して食べておいて幸せと言うならば、その人は真実を見ていません。私達は生きているだけでホロコーストも真っ青の大量虐殺者なのです。生物を殺して生きていますから。私の為に犠牲になった植物や動物のことを考えるだけでも私は幸せになれません。そして向上した人なら尚更そうでしょう。他の生物を殺して幸せではいけません。人間だけが幸せではいけません。全ての生物が幸せであること。これが本当の幸せの条件です。弱肉強食では幸せは成り立ちません

あなたはまだ気付かないかもしれませんが、必要悪はあります。つまり必要な悪です。人と人がいじめ合うのも必要です。もし現代社会からいじめが完全になくなったとしたら、ストレスから病気になって死ぬ人が大勢出てしまいます。現代の文明は高度です。そのために現代の文明の維持は大変です。それで現代の文明はストレスが多いのです。ストレスの多い社会ならいじめも多いのは仕方の無いことです。昔は高校でもDNAすら習いませんでした。勉強が簡単で楽でした。ストレスの少ない平和な時代でした。それが昔です。

私は善を勧める宗教は大好きです。しかしそれなら何故、近所にゴミが落ちているのでしょうか。ゴミ拾いに出掛けると2,3時間で大体100個は空き缶・空きペットボトルを拾います。なぜ、それほどにゴミが落ちているのでしょうか。善を勧めるのならばなぜゴミが落ちているのでしょうか。このあたりを善を勧める宗教には聞いてみたいです。なぜゴミ拾いをしないか。

向上とは何でしょうか。みんなに優しかったら向上している存在でしょうか。違います。それほど素晴らしければストレスが溜まって病気になってしまいます。私の知人では優しい人は自殺しています。もし向上して、優しくなったら自殺してしまって他人を不幸にするのかもしれません。愛の器が大きくなった時、生きること自体に耐えられなくなります。なぜでしょうか。こうしている間にも貧困国では子どもがバタバタと死んでいます。誰かがいじめられて泣いています。誰かが病気で苦しんでいます。誰かが絶望に打ちひしがれています。誰かが自殺を試みています。誰かが後悔で苦しんでいます。誰かが寒さで震えています。本当に愛の器が大きくなると、それらが見えてきて人生が非常に辛くなります。ZARDの坂井泉水さんも優しすぎて自殺しました。歴史の西郷隆盛という人も優しすぎて自殺しました。国語で出てくる太宰治も優しすぎて自殺しました。良すぎる人は早死にします。それは知人でもうなずけます。人生は苦しみだらけです。だからこそ悪を犯さないと生きていけません。それが人です。人も他の生物と同じです。ただ子孫を少しでも増やしたいのです。人間の本質はそこです。善にかたむくと体を壊して周りが不幸になります。

そもそも他人を幸福にすることが出来ると思いますか? 良かれと思ったことが他人を不幸にすることはいくらでもあります。人生など不幸だらけです。他人を不幸に出来ると思ったら、それは人生を甘く見ています。他人など救えません。救えると思ったらそれは傲慢(ごうまん)です。私は人助けをしても、相手が不幸に遭って絶望するのをいくらでも見てきました。

あの世で裁判があります。よくある考え方です。人生は不平等です。幼い頃から愛をそそがれた人は他人を愛して生きていけます。そうすればその人は死後は良い世界にいけるのでしょう。幼い頃から人に憎まれて生きていくと他人を愛して生きていけません。その人は死後は悪い世界に行くのでしょう。これはおかしいと思いませんか? 人生は不平等なのに死後に平等に裁かれること自体がそもそも矛盾しているとは思いませんか? 幼い頃に愛をそそがれたか、悪をそそがれたか。それで人生などいくらでも決まってしまいます。それなのに幼い頃に愛をそそがれた人も憎まれた人も死後には同じように裁かれる。これはおかしいです。

悪は悪です。しかし悪を否定するのも悪です。悪は自分の気に入らないものを否定します。暴走族が世の中を否定するのも同じようなものです。極道が犯罪をするのも同じです。しかし悪を否定したら悪です。暴走族が世の中を否定するのは世の中の矛盾が辛いからです。学校の教師が勉強する理由を説明せずに勉強を押し付けるからです。学歴で人間を決めるからです。実際、社会に出たら勉強はほとんど役に立ちません。数学は一生、使いません。極道が世の中で悪いことをするのは悲しいからです。日本で最高の学校である東大。しかしそこの卒業生の集まりである官僚が日本を破綻させようとしています。私から見ても財政政策は完全に失敗です。学校の先生が理想としがちな東大卒が日本を破綻に追い込んだといっても過言ではありません。私は東大生の知人も割と多いですが、彼らは大体は金持ちです。挫折していない人達です。そういう人達には不幸な人の本当の悲しみや苦しみは分かりません。そのためか意外とエリートの知人は腹黒い人が多いです。そういう上を見て暴走したくなる気持ちは非常に分かります。私は洋書を沢山読んでいます。洋書は英語で書かれた海外の本です。実は洋書では現在完了や高校で学ぶ仮定法はほぼ出てきません。関係代名詞や不定詞は使います。しかし過去完了、未来完了などのマニアックな英文法の知識はほとんど使いません。SVOCなどの文型も洋書を読む際には使いません。私は結局、文型は覚えないで英語を覚えました。学校は社会で使わないことを教えて順位付けします。そういう矛盾に気が付いたなら、暴走したくなる気持ちが分かります。私は極道の知人もいますが彼らは間違いなく悲しい人生を送っています。彼らは割と貧乏な人が多かったです。そもそも幸せだったらみんなから嫌がられる極道にはなりません。幸せだったら悪にはなりません。あなたも幸せだったら極道にはなりたくないはずです。不幸だから悪になるのです。だからこそ悪を否定してはいけません。悪を許さなければいけません。悪には悪なりの理由があります。学校制度に矛盾があり、大人は嘘をつきたがる。会社でも上司はいばるばかりです。同僚は足の引っ張り合いです。人を教育すべき上の方が醜いことはいくらでもあります。社会に出た時に出世する方法は上に従うことです。それでサラリーマンは酒を飲むのです。この世は矛盾だらけです。苦しみだらけです。悪になってしまうのも当たり前です。

地獄は存在しません。私が神様なら全ての人を天国に送ります。地獄におちるべき人間はいません。この世には。誰もがこの苦しい世界で悲しんでいます。なぜ地獄に落ちる人がいるのでしょうか。どんな犯罪者でも必ず悲しみを抱えています。幸せなら悪になりえません。この世は苦しい所です。そのような場所では醜くなって当たり前です。神様は自分の気に入らない存在を地獄に落としてはいけません。そういう神様はワガママです。自分の気に入らない存在を地獄に落とす。悪を否定する。それこそが悪です。上の暴走族や極道と根本的に同じではないですか。それは神様としてあるまじき態度です。極道の人は非常に不幸です。私は彼らの悲しみや苦しみを知るたびに辛いです。悪人の苦しみや悲しみを全て分かったとき、この世には地獄におちる人がいないとわかります。地獄におちる人などいません。絶対に。

読んで下さりありがとう。
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「何故生きるのか?」「何故生きるのか」を知るにはを知るには真理を知る必要があります。




今からお伝えする事は質問者さんの今後の人生にとって大変重要な事ですので、お心に留めて頂いて、質問者さんの今後の目標設定、人生計画を立てて頂ければ幸いです。




生きる意味を知り、人生に喜びを見出すには、根本的な人生観「人間とは何か?」、「神は何故宇宙や人間を創ったか?」、「人生と目的と使命とは何か?」を知る必要があります。



何故、神が宇宙や人間を創ったか?

神は自己実現の一環として芸術を創るような気持ちで宇宙や星々や人間を創りました。

そして、その宇宙を文明実験場として、人間の魂にこの世とあの世を何度も生まれ変わり、無限の向上を目指す中でユートピアを創る使命と自由を与えました。

何故、そのような事をする必要があったか?というと神は全知全能と言われるように完全無欠の存在ですから、そのままでは何の進歩も発展もない訳です

しかし、あえて宇宙や人間を創り、無限の向上を目指させてユートピアを創る使命を与えて努力させる事によって自らの喜びとしようとしたのです。



人生の目的と使命

私は、死後の世界を実感として120%確信しているものとして、お伝えしますと死んで「無」にはなりません。


死後の世界は120%存在します。

質問者さんも死んだら魂として、あの世に帰り生き続けます。

そして、あの世で数百年過ごした後に、またこの世に生まれ変わって来ます。

人間の魂は、神仏に神仏の光から分光されて、神仏の光の分け御霊、神仏の光の子として創られて以来永遠の生命を与えられこの世とあの世を何度も生まれ変わり無限の向上を目指すとともに、この世の中を愛と優しさに満ちたユートピアする使命を与えられた存在です。

ですから、なぜ質問者さんは今生きているかというと自らの愛の器を大きくし、魂を神仏に近づかせていく中で神仏の光の子としてこの世の中を美しいユートピアにする使命を果たすために生きているわけです。

そして、質問者さん魂は死んであの世に帰ると照魔の鏡といって、映画館に行き質問者さんがこの世に生きている間に生まれてから死ぬまでに心の中で思った事と、行った事が全て上映されて、いかに神仏の子として、美しい心で他の人に優しくして生きたか?どれだこの世の中神仏の理想であるユートピアを実現する事に貢献したか?により質問者さんがあの世のどのような世界に行くかが決まります。

なので、美しい心でユートピア実現に貢献した人ほど死後天国の光輝く世界に帰れるといえます。


では、ユートピア実現に貢献する生き方とは何かと言いますと現在、上記の価値観を知らずに無軌道な人生を送ってしまい死後地獄に落ちてしまう人がたくさんいらっしゃいますが、神仏の目から見て、死後地獄に落ちてしまいそうな生き方をしている人に対して、死後の世界の真実を伝えて天国に帰れる生き方に導いてあげる事は最も尊い事と言われていますので日々の生活で縁あるたくさんの方々に上記の人生の目的と使命、死後の世界の真実をたくさんの方々に伝える生き方であるといえます。


なので、質問者さんも回答に納得がいったか分かりませんが、質問者さんもたくさんの知人友人にメールやネット媒体、口頭でokwaveでこんな事を言っていた人がいたよ。」と生きている目的と死後の世界の真実を伝えてあげて下さい。

上記の価値観が広まれば世の中は確実にユートピアになりますし、質問者さんの神仏の子としての徳が増し、魂の糧にもなります。


ちなみに、天使という存在がいますが一般的に生前無償の愛でもって1万人以上の方々の魂を救い地獄に落ちそうな方々にあの世の真実を伝えてあげて天国にかえれる生き方に導く事が出来た人は天使になれると言われていますので、質問者さんももし可能でしたら多くの方々を救うためにokwaveで上記の回答を様々な方々とシェアするなりして、お力お貸し頂ければ幸いです。


一見ユートピア実現というと難しい事のように思うかも知れませんが落ち着いて考えると例えば、質問者さんが上記の回答を10人の人とシェアしたり10人の知人友人に伝えて、さらにその10人に上記の真実を10人以上の方々に伝えるようにお願いして100人となり100人の人がまた
10人に伝えて、1000人、10000人、100000人の方々に伝えて…と人から人へと伝えていけば、あっという間に日本中全ての方々に上記の価値観が伝わり、世の中はユートピアになるわけです。


なので、質問者さんは中3で若いですし、今日から一念発起して上記の価値観を1日1日コツコツと伝えて、生きていけば、質問者さんも天使になれる可能性もあるわけです。

質問者さんも残りの人生を神仏の光の子としての使命に目覚めてユートピア実現の戦士となり愛と優しさに満ちた光の天使になる事を目指してはいかがでしょうか?


質問者さんの人生がさらに充実して下さる事を心から願います。
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私は本で生きる意味と死んだらどうなるかについての答を知り、納得することができ、驚嘆しました。


人間は霊界に居た霊人が、様々な目的(心的成長や自己実現を通しての理想社会づくり等)で、この世の物質的肉体に宿って生まれて来、死んだら肉体から霊魂が抜け出して、霊界へ帰る、という生まれ変わりを繰り返したりしながら、自分や社会を一層充実させて行ったりすることに充実感や幸福感を味わって行くことができ、そうした意義のために生かされ生きている、とのことでした。
生きる意味については「太陽の法」、死後の世界については「永遠の法」(いずれも大川隆法著作)という本に掲載されていました。
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私も小学生の時から考えています。


掌を見ていて、ふと自分って生きていることが自覚され、それから生きるってことが気になってしょうがなくなりました。
そして古今東西の様々な分野の書物を読みあさり、それでもよくわからず今に至っています。
しかし、書物を読むことにより、それぞれ納得できる何かをつかむことができました。
書物だけではありません。
音楽でも詩でも、何かを得ることができます。
私の知りうる範囲ですが、外国の曲はどちらかというと偽善的なものが多いと思います。
とにかく古来より皆悩んで未だによくわからない人が多いので、皆の悩んできた軌跡をたどってみるのもいいかもしれません。
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生きる意味が分からない、とありますが『生きる意味が完全に分かった人はいない』はずです。


歴史上、完全に人生の意味を解読した人はいません。
なぜなら誰かが人生の意味を解読したなら質問者様も学校で習うはずですので。

その生きる意味を探すためにも勉強した方が良いと思います。
本を読むためには日本語を使えないといけません。
ですので国語が大事になってきます。
国語をたくさん勉強すると人生の意味を知るために本を読むときに役立ちます。

昔の人の人生を知るために歴史を学びます。
中学生の場合は年号の暗記などが嫌でたまらないと思います。
(私はそうでした……。)
しかし将来歴史を深く知りたいときに年号の暗記などが効いてきます。
年号を知っていればある事件について深く知りたいときに役立ちます。
今放送中の『坂の上の雲』というドラマは日露戦争も入っています。
しかし日露戦争がそもそもどういう事件でいつ起こったのかわからなければ話になりません。
学校ではつまらない歴史も追及すると深くて楽しいです。
話は飛びますが第二次世界大戦では15歳の少年も兵隊になりました。
質問者様が銃を持って人を殺せと教えられたらどうしますか?
質問者様は人を殺せますか?
と、いうドラマを学べるのが歴史です。
歴史をたくさん勉強すると昔の人の考え方を参考に出来ます。

外国語の本を読むために英語を使います。
学問も追及すると日本語の本では足りなくなります。
その時に大事になるのが英語の力です。
実際、今の私は専門的な学問を学ぶために英語の本を使っています。
また外国の小説などは英語が出来ると読める本の幅が非常に広がります。
外国の小説も面白いものは非常に多いです。
英語をたくさん勉強すると人生の意味を知るために読める本の種類が一気に広がります。
ちなみに英語の歌で素晴らしいものも非常に多いことを付け加えておきます。

どの国でどのような考え方や国民性があるのか知るために『地理』があります。
中国人の考え方、オランダ人の考え方などを知れば人生の意味も少しは分かりやすくなります。
地理をたくさん勉強すると色々なく国の考え方を知ることが出来ます。

病気にならないようにするために理科を勉強します。
大学レベルの理科まで進むと本当に役立ちます。
理科をたくさん勉強してそれに従って運動をすれば人生の意味を知るための体力がつきます。

数学は何のために学ぶか?
それは時代を問わない真理を学ぶためです。
そして『考え方』を学ぶためでもあります。
数学を沢山勉強すると数学の理屈っぽい考え方が人生の目的を考える時にも非常に役立ちます。

嫌な学校の勉強も実は人生の意味を知るためには意外と大事です。

これらの学問を追及すると人間の人生の意味がおぼろげながら見えてきます。
私は勉強をたくさんたくさんしたので人生の意味が大体分かっています。
(自己満足的な考えですが……)
逆に言うと勉強しないで人生の意味は分かりません。
残念ですが……。

質問者様の年齢なら学校の勉強が嫌いだと思います。
私もそうでした。
いえ、私は今でも勉強は嫌いです。
ゲームの方が好きです。
テニスの方が好きです。
ダベる方が大好きです。
ですので「勉強しろ」とは基本的には言えません。
大人でも勉強は嫌いなのです。
しかし大人は勉強や仕事に我慢しています。
質問者様が(このやろ)と思う(?)両親や学校の先生も色々と苦労してます。
偉そうなことを言う(私もですね……)ので憎らしいのですが……。

中学生時代にしか楽しめない、大人になる前しか楽しめない楽しみは確かにあります。
遊びでしか学べないこともあります。
『遊びも大事』です。
しかし多く勉強するほどにたくさんの知識を得られて正しい考え方が出来るようになります。
『遊びはその場で楽しい』ものです。
『勉強は後で役に立つ』ものです。
ですので『よく遊びよく学べ』と言います。
勉強は大事ですが遊びを忘れた人生は寂しすぎます。

関係のない話が多く、説教みたいですみませんでした。
ただ、中学生くらいですと勉強が嫌で嫌でたまらないと思うので大人から見た(両親や学校の先生が教えてくれない?)メッセージを伝えておきたいと思って書いておきました。
質問者様は私に対して(説教臭い……)と思うかもしれませんが、大人になるとほとんどこうなります。
質問者様の人生が幸(さち)多きものになりますように……。
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私が中学3年生だった時、世の中は東京オリンピックに沸いていました。


高度成長期の日本人は皆元気で明るい未来を信じていました。
ある日、先生がクラス全員に目を閉じさせ
「死にたいと思ったことがある人」と手を挙げさせました。
手を下ろし目を開けたら、先生は「半分以上だね。」と言ったのです。
思春期に悩むのは必然だと思います。悩む力は人間の成長に不可欠です。

少し前、このカテで「無気力をどうしたらいいか」という質問に
腐男塾の「同じ時代に生きる若者たち」を薦めました(私でさえ涙ぐんだから)。
すぐにお礼がきて、メッセージが伝わったようでした。
貴方も聴いてみてください。(You Tube)
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恐らく、ほとんどの人が一度は「生きる意味」を考えると思います。


特に思春期は自我が芽生えます。
今までは親の言う通りに動いていれば、大した苦労もせずに生きてこれた。
でもこれからは、自分で考えて生きていかなければならない。
将来何がやりたいのか?
そのために、どんな進路に進めば良いのか?
5年後、10年後の自分はどうなってるのか?
自分は世間にどう評価されて行くのか?
不安がどんどん湧いてきて、上手くやっていける自信が無くて、つい「死」を考えてしまうんだと思います。

また、自分と同級生の違いも気になってくる頃だと思います。
成績・運動神経・容姿・性格・・・
今までは自分と対等に付き合ってきたのに、相手の優れてる又は劣ってる部分が気になる。
同級生と比べて落ち込んだり優越感に浸ったりして、すごく不安定な状態だと思います。

たぶん人って一生悩んで考えて生きて行くんだと思います。
私は貴方より10年長く生きてますが、10代の頃とは違う悩みや不安が湧いてきます。

まぁ、とりあえず「今」を楽しみましょうよ。
それぞれのライフステージにしかできないことは山盛りです。
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「生きることの意味は死ぬ直前に解る」という説


「生きることに意味なんて無い。物質的に発生して消滅するだけ。」という説
これらを自分の中で採用すれば、そんなことで悩むことが無い。

混乱を回避する為の詭弁かもしれませんが
回避することで何か状況が発展するのなら
時に自分を強引に納得させるのも手でしょう。
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誰でもあります。



今の状態は考えすぎて思考の迷宮にはいってますね。
もともとそういう事は、頭の中で解決する問題ではなくて、
経験と実感を伴って心で理解するもんです。
だってどれも、理屈じゃなくて感情ですから。
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こんばんは…。



『死の意味』…それは誰でも一度は『悩む』でしょう。

『過去を憂い、未来を不安視する』事は人間の欲に起因する『さが(性)』ですからね。

もし『死なな無かったら…』、おそらく怠惰極まりない、また強欲極まりない人格になるでしょう。

怠惰・・・『永久の命があれば、急がず何時何をしても』構わないのだし、
強欲・・・『人間は無いものねだりのエゴの塊』…時間無制限の生命があれば、
とことん物事に執着し、欲する事をやめないでしょうね。

そんな方々ばかりが『生存、人間関係を形成していれば』、葛藤、騒乱、略奪が
通常行為のように起こるでしょう。

>生きてるということが分からないというか、
>自分と言う存在が分からないというか。
>混乱している状態です。

言葉はきついですが『それが生きている証』とも言えるでしょうね。

その中で現実『日々刻々、生命のカウンターは死と言う通過点に向かっている』のですから、
『妥協点も必要だろうし、時には目的達成のための必死の努力も必要でしょう』
そしまてまた、『諦め、潔さ』も必要な時期は必ず来る筈です。

何故生きているのか解らない・・・なら、『やがて迎える死の瞬間』には何が起こるのか、
想像する事はたやすいと思います。

答えを言ってしまえば、『あらゆる物質との別れ、固執との別れ』なのです。

『死』は『勝手にやってきます』、それは予告がないと言う事、
『何時何処でどの様にやって来るか』は、一個人知る由も無いのです。

しかし決定的なことは『1日にち生きれば』、死の瞬間は『その分近づく』と言う事。

『死については』、誰でも一度は悩むでしょう。

近親者の死は、『もっと●●したかった』と言う後悔をも残すでしょう。

自分の存在がわからない・・・そういう質問者様も『日々刻々死に近づいている』と言う事は
絶対的に否定できません。

それなら、『生きている今できる事』に専念しては如何ですか・・・?

それが、子供っぽいかもしれませんが『親孝行、単なる肩叩き』でも構わないし、

元気な姿をご両親に、週一度、電話をする事でも構わないのでは・・・?

それは『親子、どちらかが逝ってしまってはできない事』なのですから…。

それでは。
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