dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

Wikipediaでの欲の項目を読んでいるのですが、
いまいち断片的でしっくりとは理解できません。
そこの「適応機制」の図も頭ではなるほどと思うものの
何かしっくりと来ません。

欲求とそこから得る経験の連続が個人差を作っているのでしょうか?
また、私はどういう事から知れば
これらをもっと理解できるようになると思いますか?

A 回答 (2件)

欲求とそこから得る経験の連続が欲求の個人差を作っているのでしょうか?


また、私はどういう事から知ればこれらをもっと理解できるようになると思いますか?
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ウィキペディアには、多くの人間に認められる心理・社会的な欲求が28項目ほど記載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2#.E5.BF.83 …
各欲求項目に1~5の5段階の強さがあるとすると5の28乗通りの欲求パターンがあることになります。この場合、欲求パターンの数は37,250,000,000,000,000,000通りになり、世界の総人口の69億人の54億倍です。これだけ多くの欲求があるのなら同じ欲求を持つ人が沢山いることはあり得ません。
さらに、顕示欲求が通常程度の強さ3だとしても、何について顕示欲があるのか(美貌やスタイル、家柄、学校や勤め先のグレード、持ち物、頭の回転の良さ、声の良さ、など)どこに顕示欲を持っているのかという対象の差まで考えたら、同じにはなりません。
どうして欲求に個人差があるのかと言うよりも、同じ人がいる方が不思議です。
どこかの川の上流の河原に行くと小石が沢山あります。おおよそ同じ大きさの小石を数千個集めても、数万個集めても、ぴったり同じ大きさ形のものは見つからないでしょう。 人間でも同じです。同じ人はいません。一卵性双生児であっても細かく見ていけば違いは沢山あります。

ご質問は差があることや沢山の欲求パターンがあることではなくて、なぜ差ができるのか、なぜ沢山の欲求が分かれてくるのかですね。

答えは、自然とは偶然が織りなすものだからです。木々や草花も種から生長します。多くの動物も卵子と精子が結合してから成長します。成長の大部分は偶然に支配されます。偶然ではない部分も多いので狸の子は狸、蛙の子は蛙、朝顔は朝顔、夫婦の子は両親にかなり似た生物に成長しますが、細部を見ても全体を見ても見間違えるほど似ることはありません。(蛙や蝶を見て簡単に個体識別できないのはその細部を気にして生きていないのが人間だからです)
 
人間の子でも、出生までの胎生期の成長が違うので、出生したときには体重や大きさだけでなく、色々なことが違います。生存や防衛の欲求の強さでも違います。 そうしたことに加え、育成環境や周りの人の赤子への対応の差が、赤子の欲求の成長や抑制に大きく影響します。
一般的に養育者は幼児の欲求に対応あるいは不対応したり、欲求を喚起する刺激を与えたりします。(あやす、かわいがる、世話をするというのはすべて赤子が持っているかもしれないという欲求を想像しながら行われます) それらの方法や頻度、強度は、養育者によって異なります。 赤子にとっては欲求を認められたり拒絶されたり、喚起引き出されたりする状態が、全員違うのです。 自然の偶然と養育者の意図的行動がすべて、赤子にとっては千差万別の環境となります。結果として、全員が違う欲求特性になる成長をします。
 
個人差が生まれる理由や状況を深くお知りになりたいのであれば、発達や成長関係の勉強からされるのが良いのではないかと思います。
私のお薦めは、放送大学の印刷教材や授業です。授業が不適当なら印刷教材を読んでから、特に関心を引かれた部分や分野の参考文献などをお読みになるのが良いのではないかと思います。
http://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H22/kyouyou/B/sin …
http://www.ouj.ac.jp/hp/kamoku/H22/kyouyou/B/ipp …
あまり目的を絞りすぎている教科だと、質問者の要望と違ってしまうと思います)http://www.ouj.ac.jp/hp/nyugaku/new/kamoku/index …
本を購入したりしないでと言うならば、図書館でお母さん向けや保育者向けではない心理学関係の発達心理学関係の本を探されてはいかがでしょうか。

本も嫌だと言うことならば、webで発達心理学関係を探してみてください。
(ちょっと、良いwebサイトが私には見当たりませんでした)
この下のサイトの[心理学の基礎をわかりやすく学びながら、私たちのこころについて考えるための心理学講座です] 1~9 をとりあえず、、、
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/index.html
    • good
    • 0

こんにちは。


「個人差」といいますのは生後環境における学習体験の違いによって作られます。
我々動物は生物学的な価値を基準に利益・不利益の判定を下し、与えられた状況に対応する行動を選択します。遺伝情報として生まれながらに備わる反応規準に従って選択されるものを「本能行動」と言いますが、体質的な違いを除くならばこの結果は全人類に共通です。従いまして、本能行動に個人差というものはありません。
産まれたばかりのとき、これ以外の脳は白紙状態です。我々は自分に与えられた生後環境における様々な体験結果を基に、ここに新たな判断の基準を学習してゆきます。では、ひとはみな産まれ育つ環境も得られる体験もそれぞれに異なります。従いまして当然、選択の基準として用いられる学習結果も個人々々で違うということになります。
そのひとの個人体験によるものは「個人的価値観」
生まれ育った社会の慣習や道徳が「文化的価値観」ですね。
これを「個性」と呼び、個人の好みや社会の考え、また生まれた時代など十人十色、同じ人格というのはこの世に二人と存在しません。

人間の欲求といいますのは「一次欲求」と「二次欲求」に分類することができます。一次欲求とは食欲や性欲といった生命活動に直接関係する本質的な機能であり、二次欲求といいますのは我々が人間の社会でそれを実現するための現象です。
では、少々大雑把ですが、
一次欲求は「本能行動」
二次欲求は「学習行動」であります。
従いまして、「欲求の個人差」といいますのは二次欲求としてそこに生み出されることになります。そして、ここには「欲求の対象」と「欲求の大きさ」という二次元的な要素があり、果たして「方向(X)、大きさ(Y)」の示す座標は無数の個人差となります。更に、欲求が複数であれば多次元問題となりますが、人間の心理とはそもそもそういうものです。

「二次欲求の対象」といいますのは、例えば子供でしたらおもちゃ、大人ならお金といったように、そのひとの価値観によって決定されます。このため、世の中には斯くも様々な二次欲求が存在するわけですが、取り敢えず対象となり得るものは有限です。これに対しまして、「欲求の大きさ」を一般化するのは極めて困難と考えられています。
欲求とは本来、不足に基づいて発生するものであり、一次欲求といいますのは生命活動に伴う生理的状況に対応します。ところが、二次欲求というのは心理欲求であり、そこに働く精神的枯渇を定量化することはまず以って不可能です。このため、欲求を分類することは可能でもそこに個人差を排除することはできないというのが心理学では動かし難い前提となります。

何をお調べになっているのか分りませんが、質問者さんのご覧になったウィキの記事は編集が不十分であり、あまり質の良いものではないです。「欲」と検索していきなりマズローに適応機制では、何のためにそんな説明が必要なのか私にも分かりません。理解できないのではなく、これで理解しろというのが無理だと思います。
これを知りたいならば調べるなり質問すれば良いことですし、そうでなければ他を探した方が良さそうです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!