日本語は 論理表現にふさわしくないか?
( α ) もし日本語が論理表現にふさわしくないというのであれば その根拠をしめして欲しい。
( β ) 考えられることは おそらく言語じたいの問題ではなく
(β-1) 論理的に述べない主体の問題である。あるいは
(β-2) 論理的に述べようとしても 人間関係における社会的な力関係からかえって はばかられるという社会力学の問題である。
といった要因があるのか。
( γ ) 言いかえるとそれは 論理〔つまりいわゆる主格(S)や述格(V)や対格(O)など格どうしの連絡関係〕を省略しても差し支えない文の成り立ちを保っているからであろう。
それは 主題を次から次へポンポンと提示して言い進めるかたち〔――《 A-ハ B-ガ C-ナリ( C-スル)。》なる文型――〕を取っている。ただしそのかたちの中にも 英文などのS-V-O.の論理連絡は むろん 表わされるように成っている。
ゆえに 根拠にはならないと思われるが どうか?
( δ )=( β-3 ) その上でさらに考えられるとすれば 言語外の要因から自由になっても 主体じしんが あたかも曖昧の美学を信奉してのごとく あいまいに表現しようとする。言ってみれば神道も仏教も 人びとの漠然とした思想(生活態度)ないし言語慣習がそういう傾向を持つ。ゆえか?
すなわち 言語じたいに責任はないけれども 主体じしん( β-1)と社会環境( β-2 )が歴史的に言語の表現形式をあいまいなかたちにすでに固定してしまった。つまりそういう定めなのか?
☆ どうお考えになりますか?
上のような考えに沿ってにしろ独自のお考えによるにしろ どうすればよいか? ご見解はありますか?
No.5
- 回答日時:
仰る通りだと思います。
日本語における論理性の欠如は日本語を用いる主体に内包される問題である、ということですよね。
日本語という言語の限界ではなく、日本社会の習慣性が語り得ることにもあえて口を閉ざさせるのだとすれば、確かにそれは社会力学の問題だろうと思います。
更に言えば、日本語は難易度も高い言語なのだと思います。日本人は曖昧を是とする価値観を持ちますから、曖昧における微妙な差異に対応する類義語、類似表現が非常に多いです。どれを用いるべきかの選択を誤ると、それこそ論理性を著しく損なうことにもなってくる。
その難易度ゆえに日本語を論理的表現として自在に使いこなせる主体は非常に少ないのかもしれません。使いこなせない主体はそれを言語のせいにする、とも言えそうですね(笑)
常に自戒し、言語のせいにしない主体でありたいものです。
こでっくす_れぎうすさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
直前の回答(No.4)でのやり取りをご覧になってくださいませ。
あなたのご回答内容をすべてそのまま使わせていただきました。
そのまささんは ぼやく調子で述べていますが だいたいにおいてこの論理表現という主題をめぐっての日本語観は みなさん 同じようです。と分かりました。そのまささんは ていねいにいろんな文例や事例を挙げて解説してくれました。
というわけで 質問者がでしゃばった言い方をすることになりますが 述べていただいたところは 同感です。
かくなる上は やはりそのNo.4のまささんとのやり取りの最後にちょっと触れましたが 日本語についてはその文型における特徴 これを究明するという主題がひとつ挙げられるかと思われました。
そんなところです。ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
またか....前にも同じ質問をしたよね?
今回は、ふさわしくない根拠を示せ、とあります。
当然、どういった意味でふさわしくないか、その定義については同じ土俵で話すのだよね?
まずは用語の定義。
「論理表現されていない文」とは、「文の最後まで読まないと全体の意味が把握できない文」または「2つ以上の意味に解釈可能な文」という意味です。
「論理表現にふさわしくない」の「ふさわしくない」いとは、「論理表現できない」の意味でなくて、
「論理表現に向いていない文法が許容されている」(したがって、そういう文法をつい使ってしまう)
日本語が論理表現にふさわしくないという論者は、こういう意味で使っています。
ここまでの反論はナシです。(論点のすり替えになってしまうため。)
よって、以下の事例は、「使わなければよい」という事例ばかりですが、
英文などは、「使うことが困難なので、それだけ非論理になる可能性が低い」ということ。
>英文などのS-V-O.の論理連絡は むろん 表わされるように成っている。
はい、だめ。
日本語はS-O-VでありS-V-Oではありません。順序が問題とされています。
これ、論理表現にふさわしくないという論者が重視していることの1つです。
前にも書きましたが、最適例はコレ。
・雨にも負けず、風にも負けず、....そういう人に私はなりたい。
英文なら、
・私がなりたい人とは以下のとおりである。雨にも負けず、.....
日本語のほう:最後まで読んで、やっと言いたいことがわかる。アホ文章の典型。
>A-ハ B-ガ C-ナリ( C-スル)でも英文などのS-V-O.の論理連絡は むろん 表わされるように成っている。
それ、誰の説ですか?英文と対応がつかない典型文例なんだけど。具体的には、
・象は鼻が長い。
どこまでが主語でどこからが述語か、10通りくらい説があって、国文学者でも決着がつかない文です。
象の鼻は長い、or 象は長い鼻を持つ と置き換えれば、英文との対応は簡単なんだけど....
※これは、別に非論理とも思えないが、S-V-O.とは無縁なので、英文などのS-V-O.の論理連絡に
対応がつかない事例としてあげます。
あと、非論理の典型文に、逆茂木文があります。
以下のどちらの文が読みやすいか?
1.高校卒業後すぐにK市のT自動車に入社,営業部門に配属されたAは,O市のT自動車にこれも高卒直後に入社して経理を手つだい,2年前,一家のK市転居にともなってK市のT自動車に転勤してきたBと知り合って,やがて結婚した.
2.AとBとは職場結婚である.Aは,高校卒業後すぐにK市のT自動車に入社し,営業部門に配属された.Bは,これも高卒直後に,O市のT自動車に入社して経理を手つだっていた.ところが,Bの一家は2年前にK市に転居したので,BもK市のT自動車に転勤した.そこで二人は知り合い,やがて結婚した.
1.の主語述語を取り出すと、
・Aは結婚した.
あとの記述は枝葉。こういう文(文の中に文がある。)を逆茂木文と言います。
1.を直訳したら張り倒されます。2.のように変形してからでないとなりません。
また、英文には「関係代名詞」があるので、文がねじれてていても何とかなりますが、日本語はどうしようもありません。
(英文の場合、被修飾語-関係代名詞-修飾文の順に並ぶのでねじれにくい。)
2つ以上の意味に解釈可能な文
・青い目のきれいな女の子
目が青いのか、女の子が青い(青い服)なのか、 目がきれいなのか、女の子自体がきれいなのか。
くどいけれどまた書きます。
これらの例は、日本語でも解除可能です。それを承知の上の議論です。
「文の最後まで読まないと全体の意味が把握できない文を書くことについて、文法の特性上、日本語は簡単であるが英語は難しい」というのが論点なので、これを打破しないと意味がないですよ。
http://www.econ.ryukoku.ac.jp/~komine/05kougi/ki …
結論:
日本語が論理表現にふさわしくないのは、文法上しかたないです。その制約の上で、どうしたら論理表現できるかを考えるしかないです。βとγは、単なるいいわけ。解りにくい文を書くいいわけになりません。
ご回答をありがとうございます。
★(あ) これらの例は、日本語でも解除可能です。それを承知の上の議論です。
☆ ううーん。方向として質問者と同じような見解だと受け取りますが どうですか?
あるいは次のこでっくすさんからのご回答(No.5)より引用してみます。
●(回答No.5= codex さん) 日本語における論理性の欠如は日本語を用いる主体に内包される問題である、ということですよね。
☆ まささんも こういう結論ですよね? つまり上の(あ)です。
● ~~~~~~~~~~~
日本語という言語の限界ではなく、日本社会の習慣性が語り得ることにもあえて口を閉ざさせるのだとすれば、確かにそれは社会力学の問題だろうと思います。・・・
常に自戒し、言語のせいにしない主体でありたいものです。
~~~~~~~~~~~~
☆ すなわち
★(い) βとγは、単なるいいわけ。解りにくい文を書くいいわけになりません。
● 更に言えば、日本語は難易度も高い言語なのだと思います。日本人は曖昧を是とする価値観を持ちますから、曖昧における微妙な差異に対応する類義語、類似表現が非常に多いです。どれを用いるべきかの選択を誤ると、それこそ論理性を著しく損なうことにもなってくる。
★(う) 日本語が論理表現にふさわしくないのは、文法上しかたないです。その制約の上で、どうしたら論理表現できるかを考えるしかないです。
☆ すなわちまた
★ 非論理の典型文に、逆茂木文があります。
☆ の事例を分かりやすく解説していただきました。
● その難易度ゆえに日本語を論理的表現として自在に使いこなせる主体は非常に少ないのかもしれません。使いこなせない主体はそれを言語のせいにする、とも言えそうですね(笑)
☆ これと ★(う)の結論が軌を一にしていると思われます。
それに次のご指摘は いま上に見てきたとおりに けっきょく質問者の提出したたたき台としての考えと同じ方向であると思われます。そのままを引きますが:
★ ~~~~~~~~~~~~~
>A-ハ B-ガ C-ナリ( C-スル)でも英文などのS-V-O.の論理連絡は むろん 表わされるように成っている。
それ、誰の説ですか? 英文と対応がつかない典型文例なんだけど。具体的には、
・象は鼻が長い。
どこまでが主語でどこからが述語か、10通りくらい説があって、国文学者でも決着がつかない文です。
象の鼻は長い、or 象は長い鼻を持つ と置き換えれば、英文との対応は簡単なんだけど....
※これは、別に非論理とも思えないが、S-V-O.とは無縁なので、英文などのS-V-O.の論理連絡に
対応がつかない事例としてあげます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 最後の締めくくりが 読む者をしてあやまった解釈にみちびくおそれがあります。
★ 英文などのS-V-O.の論理連絡に対応がつかない事例としてあげます。
☆ つまり 対応がついているとじゅうぶんていねいに解説してくれているぢゃないですか。
言いかえると この場合に英文は その文型が一つひとつとして固まっている。という意味は 文型が 論理連絡という一本の線形から〔のみ〕成り立っている。変な言い方をすれば 単線構造である。
《鼻が長い》か《鼻を持つ》かのようにそれぞれにひとつの論理連絡をそのまま表わす文型しかない。
つまり言いかえると 日本文は そのような単線構造をいくつか同じひとつの文が含むことができる。奥行きが深くその構造とするところの内面世界がゆたかである。
《象は鼻が長い。》つまりは一般に日本語の《A-ハ B-ガ C-ナリ( C-スル)。》の文型は ひとつの文だけにおいて 英文に対照させるならば その英文のいくつかの《S-V-O.》文型を潜在能力として宿す。
文が文型としてこんなに広い宇宙を宿した言語は 世界広しと言えどもほかには韓国語くらいではないか?
といったところからも 日本語についてその特徴を解明する問い求めにも情報交換が伸びていけばよいと思うのですが どうでしょう?
No.3
- 回答日時:
日本語であれ何語であれ、物理に基づかない“合理性”など、
自分で現象的にデッチ上げた概念による言葉遊びに過ぎない。
物理的ボキャブラリーにさえ基づけば、どのような言語であれ
本質的原理性からの演繹=真に合理的なものとなる。
日本語において情緒的なボキャブラリーが多いにしても、
物理的ボキャブラリーにおいて、その介在は排除される。
むしろ疑似合理的な欧米言語の方が、間違いやすい。
ご回答をありがとうございます。
分からないところについて補足要求をしても ふたたびの回答はないと思われるので かんたんに受け取ったところをしるして お礼に代えます。
人間にはそれが何であるか その能力では分かるか分からないかが分からない事柄があるか?
あると思われるが――つまり人間にとっては つねになぞがあると思われるが―― それを《無根拠》と名づけることは 人間の存在のあり方やその能力において合理的だと考えられます。
だとすれば この《無根拠》それ自体についてではなく この《無根拠》なるナゾと――仮想のうちにでも――向き合う《わたし》が想定されます。
すなわち
★ 物理に基づかない“合理性”
☆ についても 《合理的に》認識しておくことは必要であり有益であろうと考えられます。つまり論理表現が肝要でありましょう。
★ 日本語において情緒的なボキャブラリーが多いにしても、 / 物理的ボキャブラリーにおいて、その介在は排除される。
☆ とおっしゃいますが じつはよくよく考えるに ヒラメキとしての直感のほうが あなたの言うような用語と同じであるかどうかは分かりませんが《本質》を見抜く見方としての直観につうじることが起こり 合理的な認識ないし論理表現にみちびかれるものと考えられます。
言いかえるなら
★ 物理的ボキャブラリーにさえ基づけば、どのような言語であれ / 本質的原理性からの演繹=真に合理的なものとなる。
☆ この命題について――上に述べた考えにしたがって―― 次のように反応します。
1. 物理的ボキャブラリーと同じように 情緒的ボキャブラり―も 同時にじゅうぶんよく論理表現にあずかっており 大事である。
2. 《本質的原理性》 この用語ほどむしろうわべの感覚のみを伝えるような情緒的ボキャブラリに近いことばはありません。というよりは 無意味に近いと思われます。それが何であるか 分かってから使うか それとも上で示したように想定として用いるか どちらかにしないと そういうことになります。
★ むしろ疑似合理的な欧米言語の方が、間違いやすい。
☆ 《擬似合理的》 これも反応しがたい用語です。むしろ人間の認識はつねに《擬似合理的》であるにとどまる。とも言うべきではないか。こう思いますが どうですか。と言っても ここまでのようです。
No.2
- 回答日時:
No.1 の回答者です。
そもそも「ふさわしい/ふさわしくない」という判断自体が
主観的かつ相対的な内容ですから、あなたが「ふさわしい」
と思えば相応しいのでしょう。
ただお礼の内容から察すると、どうも質問(主張?)の真意は
別のところにあるようですね。僭越ながら、そちらについては
論旨を明確にして別質問を立てられる方がよいかと思います。
この回答への補足
おぎないます。
わざわざ表題を
☆☆ 日本語が論理表現にふさわしくないわけがない。
☆ にしたのは ふさわしくないというような風潮があるのではないかと 先入見のごとくですが 受け取っているからです。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~~~~~
そもそも「ふさわしい/ふさわしくない」という判断自体が
主観的かつ相対的な内容ですから、あなたが「ふさわしい」
と思えば相応しいのでしょう。
~~~~~~~~~~~
☆ いえいえ わたしの判断では
○ そもそも「ふさわしい/ふさわしくない」という判断自体が それぞれの言語にかんして なじまない。
☆ と捉えています。ですから
★ 主観的かつ相対的な内容ですから
☆ という捉え方は また別の問題になるかと思います。前回(No.1)のご回答では 上のわたしの判断と同じだと受け取りました。
★ ~~~~~~~~~~~
ただお礼の内容から察すると、どうも質問(主張?)の真意は
別のところにあるようですね。僭越ながら、そちらについては
論旨を明確にして別質問を立てられる方がよいかと思います。
~~~~~~~~~~~~~
☆ この解釈も 微妙にずれているように 正直を申すならば 思います。
(γ)で 日本語の文の構造について少し触れています。そこから もし広がるならその問い求めも初めから視野に入れています。
ですから
★ 質問(主張?)の真意は別のところにあるようですね。
☆ というのは わたしから言わせれば曲解です。初めから視野に入れています。
でも触れておられないならば そこまでのご回答内容として受け取っています。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
暗黙に英語と日本語を前提とされているようですが、論理を表現するに
あたり言語は単なる道具に過ぎませんので「ふさわしい」、「ふさわし
くない」という議題にあまり意味があるとは思えません。
(最終的には表現者の技量による)
ただし日本語は主語(S)を略す表記が一般的であり、また主語と述語(S+V)の
距離が遠くなりやすい構造を持っていますので、正しい論理表現を行う場合に
英語より技量を必要とする、という傾向はあるでしょう。
また assertive な欧米人と異なり、日本では論理を明確にしないことが美徳と
されてきましたので、日本語を使う人が論理表現に慣れていない、という面も
あると思われます。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。《それほど心配することはない》というお考えでしょうか?
★ ・・・正しい論理表現を行う場合に / 英語より技量を必要とする、という傾向はあるでしょう。
☆ けれども
★ 「ふさわしい」、「ふさわしくない」という議題にあまり意味があるとは思えません。
☆ といったところでしょうか?
言いかえると――しつこいですが――
○ そもそも言語は この言語が論理表現にふさわしいとか・その言語はふさわしくないという見方にはなじまない。ただし 日本語と英語とでは 文の構造にいくらかの違いを帯びている。なのでその場合 日本語は英語より使う人の技量を必要とする。とは言えるであろう。
☆ こうなりましょうか? (β-1)でしょうか?
あるいはさらに
○ もう一つの要因がある。(β―2 ないし β-3)の関連で 表現のあり方として《論理を明確にしないことが美徳とされてきたので 人びとは慣れていない》。したがってその方面からも 使う人の技量が要求される。
☆ (δ)の《歴史的な成り行きの結果を定めとして 論理表現に技量が必要とされるその質と量は途方もなく大きい。ゆえに のぞみは薄い》というのではないわけですね?
おおむねそのように質問者も考えます。ありがとうございました。
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