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死ぬまで暗闇の中を生きるのが道理です。

私は、死ぬまで苦しまなければいけません。
世の中の人はみんなそう思っています。
私もです。


しかし、心底からそう思える時、そう思えず自分を大事にと考える時、
が、日によって時によってバラバラに現れます。

自殺は卑怯と言われても、そんな時は逃げたくてたまらないです。「卑怯」とか「迷惑」とか「虫がいい」などは、二の次になります。
自分本意になってしまいます。
どうして、みんなは自分本意にならずにいられるのでしょうか?
私は、酷く自分本意で、
人目がなければ、本音は逃げたいと思ったり…、
そんななのは、やはり私が異常だからでしょうか?
前から、私は、異常だと思っていました。

普通は思わないものなのでしょうか?

他者を責める時は、みんなと同じように私も責めるのだと思います、が、自分に対しては弁護士の立場になってしまうのです。
他者の立場になって、同じように自分を責める時も、結局、行き着くのは死ぬことで、自分本意さが無くせません。
やはり、修行が足りていないというか、みんなより人格が劣っているからでしょうか?

どうしてみんなは、普通に善い人で、
私は、こんな悪魔な人格なのでしょうか?
どうして、みんなのようになれなかったのか?
なんで、こんな外道な人間になってしまったのでしょうか?




失礼しました。

A 回答 (7件)

貴方は十分深い人格の人と感じます、何故ならば生きる事に真摯だからです。

真摯に人生を見つめて、自分自身を見つめた場合、人間の心には『一切皆苦』=『死ぬまで暗闇の中を生きるのが道理です。私は、死ぬまで苦しまなければいけません。世の中の人はみんなそう思っています。私もです。』

この感覚が『宗教家を育てます。』キリスト教ならば『原罪』と表現しています。生きる事に対する、重い十字架を背負っている事を意味していると感じます。

世の中を見渡した場合『生きる事を楽しそうにしている人達は』沢山存在しているように見受けられますが、その反対に『心を病んだり』深い深刻な悩みを持って生きている人も存在しています。

この有限の世界で、有限の壁の前に立ちすくんでいる人達も大勢存在していると感じます。この事実が人間に『宗教』の歴史を後押ししてきたと云う事実になっています。

この苦しみは、人間の脳の構造にあります。脳内に二つの心が存在していると云う意味です。一つは自我意識です。言葉を駆使できる脳の機能です。生まれてからの学んだ事を『言葉として、或は知識として。』成長している脳です。感情が湧きあがって、その感情を味わっている方の脳(心)です。

もう一つの心は『自覚出来難くなっています』何故ならば『無意識の中に封印された形で存在しているからです』この者を、仏教では『仏性』キリスト教では『神』と呼んでいます。

この者の働きを書いて見ます。自我意識には脳梁を通して、五官から入ってくる事を、『言葉に拠らない情報として』送り続けています。

その情報の一端を書いてみます。スピードを出し過ぎた時です、高い所に上がった時、狭い所にいる時、鋭い刃物を見た時、或はその場その時の雰囲気や空気や殺気として感じている事柄等です。

或は好きな人や、嫌いな人の印象などや、具体的にそのが好きと云う場合その人の事を見抜いていて、遊びか或は、『この人と結婚をしたら幸せに成れるのか』と云う事までも教えています。

この場合『自身の声を』欲や得では無い心で感じた場合『幸せな結婚が保障された事』を意味します。

従って人間の苦しみとは、二つの心の『矛盾や対立や分裂』を自我意識が感じている事を意味します。この二つの心の『心の矛盾』を自我意識は、苦しみとして感じています。

今の医学ではこの苦しみからの解放を『薬』を使って解決しようとしているように見えます。失恋をして苦しい想いでいる人にもこの薬は処方されると云う話しもあります。

この苦しみからの解放を宗教が担って来た事を、少し述べてみます。聖書の中には天国に一番近い存在は『幼子』と云う言葉があります。この意味するところは、『脳の機能が未発達の為に、心がまだ二つになっていない』と云う意味になります。

心には未だ争うまでには発達していない事によって、『心は一つしかない事』を意味します。

思春期頃に大人の脳に近くなります。言い方を替えるなら『心の機能は二つになって、争いを始めると云う意味になります』言い方を替えるなら『心は二つに分かれて矛盾を起す』と云う意味です。

この現象を『失楽園』と云う表現で書いています。幼子の心になる事を『神と和解する』と言います。

その意味は、自身に内在する『自分自身を働かせている者と和解する』と云う意味です。その者は『自分が無意識になっている時に働いている意識=無意識の意識』です。

人間を人間たらしめている脳に刷り込まれたものです。母親のお腹に命として芽生えた時から働き始めている働きです。細胞分裂する事も知っている者です。生まれるや否や泣く事も、笑う事も、不安や恐怖と云う事も『教えられなくとも知っている者』の事です。

キリンがキリンとして成長するように、蜘蛛が蜘蛛として、習わなくとも同じ蜘蛛の巣が張れる事を既に知っている事に通じています。

人間としての感情や、心臓や肺の機能や、ホルモンの調節機能をその環境に応じて最適に保つ事を知っている者の事です。自覚出来なくとも、脳梁を切断した場合には、確かに二つの意識は存在しています。

幸いな事に日本にはその者と出会うためのテキストが存在します。『禅問答』です。禅問答が一つだけでも、はっきりと判る場合、もう一つの意識と出会う事を意味します。

禅の歴史はその者との出会いが、残されている歴史だからです。意識の根底にまで降りていった時、意識と無意識は、その発生以前の混沌とした状態の中で『瞬間的ながら』同居している時が在ります。その場に立ち会う事が『自分自身を知る事』です。ことばを替えて言うなら『悟る』事を意味します。苦しんでいた自我意識が『苦しみの元を知る事』になります。意識の根底からの不安で苦しんで、身体にも心にも力みが有りました、その力みが解ける事を意味します。
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この回答へのお礼

こんな私に、言葉をくださりありがとうございました。
皆様に本当に感謝いたします。

お礼日時:2011/04/07 20:34

死ぬまで苦しまなくてはならないという思いと


自分を大事にと思う思いが
バラバラ現れるなら
自分を大事にと思う思いのままでいようと努力してみたらいいと思います

いい方に考えると
いや、それは違うと悪い方に考えてしまう
だから悪い方の考えを出さないようにすることから頑張って下さい
難しいのはわかってますが
悪い方にさえ考えなければ
それでかなり変わると思います
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ご質問ですか、それとも「詩」でしょうか。



<死ぬまで暗闇の中を生きるのが道理です>
なにかしら、絶望してしまうようなことがあったのでしょうか。

とりあえず、
被災地へ行って、
ヴォランティアで
活躍してきませんか。
そのプロセスで
希望の光が見えてくるかもしれませんよ。
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他人の「気持ちを考えて」、


死ぬことを選ぶなら、
結論として間違っている。

例えば誰かがリストカットして死んだとしよう。その時、その人はカッターを作った人の気持ちを考えたか?いや、考えていないだろう。だからカッターを使って自殺したんだ。「人の気持ちを考えて」とか言いながら何も考えられていない。

あなたも同様に、
他者の気持ちになって自分を責めているらしいが、なぜ責める?自分を責めて下げて、誰のためになる?

カッターは時に凶器となってしまう。しかし、作る人はどういう気持ちで作っている。想像しよう。
社会や人間も同じだ。なぜ社会は発展した。なぜ社会は歪んだ。想像すれば、人間がわかる。そして、善い生き方とは何かわかるはずだ。

罪を責め続け死ぬことが善いわけがない。
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時期が来れば放っておいても死はやってくるので


それまで思う存分生きればいいんじゃないでしょうか。
人の命はびっくりするほど呆気ないものです。
それが自分がわからないところで必死に
生を保とうと身体中が機能しているのです。

質問者様は頭に意識が行き過ぎていて
身体のバランスが取れていないからしんどいのです。
身体を動かしてください。
思いを行動に移す、でもいいし
単純に運動する、でもいいです。
目の前のことに打ち込む、でも。

>私は、酷く自分本意で、
>人目がなければ、本音は逃げたいと思ったり…、
>そんななのは、やはり私が異常だからでしょうか?
>前から、私は、異常だと思っていました。

誰でも、自分がかわいいし好きだし
注目して欲しいし
苦しいのは避けて楽で楽しいほうへいきたいものです。
異常じゃありません。
普通です。ごくごく普通です。

でも質問者様は
「自分は異常」と思うことで
バランスをとっている感じですね。
「普通」な他人とは違う「自分」。
なんとか本当はそこに価値を見出したいのだと思いますが
具体的に「これ!」というものが実感できないので
そこが土台にはならない感じ。
だから安定するときもあればぐらつくときもあります。

>やはり、修行が足りていないというか、
みんなより人格が劣っているからでしょうか?

簡単に答えを出そうとしているからです。
人格関係ないです。
考え込むのが好きでありながら
現実的に解決に向かう方向で考えるわけではなく
自分を責めてなんとなくの答えにしようとしている。
だから
自分で自分の首を絞めて
死ぬ寸前でまた緩めて
駄目な自分、と実感することで
なんとなく気が済む。
ような感じではないでしょうか。

みんな、って誰です?
そんな立派な人ばかりですか?
自分の事ばかり見て
他人のことをさしてみていないのではないですか。
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>死ぬまで暗闇の中を生きるのが道理です。


そうなんですか?
そもそも暗闇とか光とか決められるほど大層な人生を生きてるわけではないのでわかりません

>どうして、みんなは自分本意にならずにいられるのでしょうか?
自分ひとりだったら自分だけ
自分ひとりじゃないのでそうも言ってられないから

>そんななのは、やはり私が異常だからでしょうか?
多くの人と比べれば、「違う」んでしょうね。異常かどうかは知りません

>普通は思わないものなのでしょうか?
自分本意な考えを思わないか?ということでしたら皆思ってますよ。
でも、社会で生きる以上、他人との摩擦が発生します。どこかで折り合いをつけないといけません。

>やはり、修行が足りていないというか、みんなより人格が劣っているからでしょうか?
滝に打たれたり?(笑)
要は折り合いをつけるタイミングがあなたより早いだけです。
気に入らない人がいたとして、喧嘩になったとします。
早い人はそもそも喧嘩すらせずにその場から立ち去り折り合いをつける
普通の人は喧嘩をした後に社会・人間関係の折り合いがまずくなることを恐れてそれ以上は進まず。謝罪等をします
遅い方は更に進行して人間関係だけでなく社会的にも折り合いがつかずに法的制裁を受けます

>なんで、こんな外道な人間になってしまったのでしょうか?
わかりません。あなたが一番よく知っているのでは?
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外道なことをもっと誇りに持て。

他人と違う思考回路のできる自分をある種の希少価値のある
人間だと思うことですよ。
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