プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

僕は34歳の男です。

小学校5年生のとき、実両親を殺して自分も死のうと思い、母親の目の前で包丁を持ち構えたことがあります。



小学生の頃の状況は

・物心ついた時から家に帰れば、亭主関白な父のものすごい怒鳴り声と母のわめき声が響き渡り、父は母に「俺を殺人犯にしたいのか!!!」「俺はキチゲ(キチガイ)だ!!!」などなど、子供の前で言ってはいけない言葉を当たり前のように聞かされる毎日で父が嫌いだった。(未だに愛を感じたことはない)                                                                          
・母は性格とわけありな事情で、幼稚園児の頃から嫌いだった

・貧乏で欲しい物買ってもらえなかった

・小学校4年生から学校で毎日いじめられるようになった

・学校の女担任は僕の母から家庭の状況を聞いたらしいが、他人事のように小馬鹿にされムカツイタ

・自分自身、ブサイクでチビで内気で人づきあいが苦手で頭がかなり悪く体も弱く何一ついいとこはないと思ってた

・この世の何もかもが嫌いだった




で、小学生の頃親を殺そうとした方、自殺をしようとした方いますか?                    現歳・性別・当時の歳・状況を教えてください。


あと、親にいつでも会える状況の方で、親の愛を感じたことがなく、ずっと親に心開けず(ぶつかっていて)、それでいて心の奥深くでは親の愛をずっと求め続けてる方いますか?
 年齢・性別・未婚か既婚か・自分の子供何人かを教えてください。

A 回答 (4件)

私は子供の頃、よく兄妹を憎み、殺意を抱いていました。


でも、大人になると「お互いさま」で家族が大事に思えています。

あなたの家族は「愛」が無いのかもしれません。
「愛」の定義は「何らかの理由で利他的な行動をとること」です。
嫌々仕方なく~する、のであれば「愛」はありません。

まず、あなたが「利他的」な行動を家族に対して行いなさい。
それが「愛」です。それに相手がどう答えるか?が重要です。
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この回答へのお礼

一例をあげると、

小学校5年生のとき、友達の親の車に乗ったとき、後ろの席の足元にゴミ箱があって、便利だなと思い、父の日に車のゴミ箱を買ってあげました。
そしたら、「何でこんなもん買ってきただあ!!!車にゴミ箱なんか置いたら邪魔になるだけろっ!!!バカめがっ!!!600円しただと!こんなもんに600円も出しやがって!!!ばかやろうがっ!!!」と激怒されました。

酷い目にあわされていた環境の中、自分の買いたいものを我慢して、喜んでくれると思い、蓋付の少し高めの物を買ってあげた。で、結果この仕打ち。もう一生父の日にプレゼントしねえ、と心に誓いました。

最近は、父の日に足のマッサージ器をプレゼントたり、食事をおごってあげたりしています。

お母さんには花をプレゼントしてあげたり、母は車が乗れないので、母が実家から5キロ離れとこにある店に買い物行くときなど、僕に時間があるときは、わざわざ30キロ離れた実家に行って店に乗せてってあげたりしています。

この間ラーメンをおごってあげて、帰りの車の中、ありがとうもなく、「昔はラーメンうまかったなあ」と一言。 
これでいて「俺より人に気をつかって相手の事考えてる人間はいねえぞっ」と言う。

中学の時「おかず食わんで飯だけで腹いっぱいにしろっ!!!居候のくせに!!!」「欲しいもんあったら全部自分で働いて買えっ!!!」

高校の時、英語学年1位、数学学年8位だった時、「あーあ頭良くて困るなあ、俺の知り合いは息子が頭いいばっかりに、早稲田大学行くことになって大金取られたらしい。全く親不幸もんがっ!」

ちなみに小学校のときは頭わるくて、家で怒鳴られながら、泣きながら九九を覚えさせられた。
当時は、お父さんは頭が良くて、僕は頭悪いから仕方ないと思っていたが、ある程度の歳になって、お父さんが中卒でかなり頭が悪いことがわかったとき、憎しみに変わった。

お父さんが「俺はおまえを怒ったことは数回しかない」という言葉を発した。
実際、何百回怒られてきたかわからない。叱られたことは1度もない。

ありすぎる程いろんなことあるけど、とにかく言ってることとやってることが無茶苦茶。

あと、兄の言う事は何でも信じるけど、僕の言う事は何も信じない。

おかげで、今でもたまにお父さんに怒鳴られながら夢から覚める。(怒鳴られる夢を見る)

お父さんに対しては、反射的に反抗してしまうとこがあり、直りません。
すまなかったな、などの言葉を一回でも聞けば少しは反射が和らぐかもしれませんが、全く何事もなかったかのように言い、いつも僕を罵倒する。

愚痴りたいことがエベレストくらいあるけど、書いても意味がないのでこの辺にしておきます。
ちょっと、愚痴るつもりだったのに、熱くなってしまいました。すみません。

お父さんに対しては、高校入試前に普通高校は大学に行くための学校だから大学行くっていう前提なんだよと、言っておいたにもかかわらず、高校3年の2学期に「うちは1円も払ってやれんぞっ!」と言われ裏切られ、大学には行かせてもらえませんでしたが、高校までの学費を払ってくれたことには感謝してます。

ご指摘通り、利他的な行動を心掛けるようにしたいと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/21 16:36

町内の人が 中学生のとき両親さしましたよ


母親死んで 父親は生きてます。 姉は塾で居なかった。
で、本人は首吊りました。
遺書には皆殺しにしてやったとか悪魔がささやいただの電波的な文面が書いてありました。

なぜ詳しいか。部活の筋トレで、帰宅後夜間ランニングしてたら惨事でくわしたから、第一発見者&通報者ですので。そのころは携帯電話もないし。公衆電話もないし
住宅地でもない田舎で、周りの家は年寄りで一番近い家は電気消えてたから居なかったんでしょう。
自宅から2キロくらいの位置です。

塀の影で最初から最後まで見てました。
庭先で、よくわかんないこと叫んで なんかが悪いとかいいながら手には出刃包丁
なんか体を時々傷つけながら叫んで 止めようと近づいた親父をグサリ
で、庭から逃げようとした母親を追いかけて切りつけ 何度も刺しまわして悪の総元だとか何とか叫んで
静かになったと思ったら手とか切りつけて 最後になんか泣きながら
チラシに、マジックでなんか書いて洗濯さおに紐巻いて首つった
こっちもトバッチリ食らうのもイヤだし、その場から出ると見つかるのをタテマエに
ずっと見てましたよ。
全員動かなくなってから、とりあえず家族に声かけて 親父はうめいてたら生きてるようだった
お母さんは、まあズタズタなので死んでるだろうと声もかけず
まだ首つったばかりのやつは、生き返って反撃されてもコトなのと
体は血まみれ糞尿垂れ流してたから、小汚くてほおって置いて
遺書を読んで 明かりのついている家の玄関叩いて見てもらい電話借りて 警察呼んで 事情を話して終了。
そのころの未成年事件なんで新聞の隅にチョロっとのって終了でした。
(姉の件は新聞で知りました)

冷静でいられたのは、そのころの無修正ドキュメンタリーの「ザ・ショック」ってビデオを
ツレとよく何度も見てたんで、死体とか殺人とかなんとも感じてなかったんで
目の前で起こってることはドラマみたいでしたよ。

家族皆殺しの目標が達成できなくて草葉の陰で悔やんでいることでしょう 人様の殺人心理なんてどうでもいいことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/21 16:43

小学校4年のときに自殺しようとしたかな


生きてても意味ないし と思った
叩かれて 殴られて
毎日死ぬことばっかり考えて
お前なんかいらん 出て行けてずっと言われ続けてた
神様が親だと思ってた

現在 26歳 女性 未婚
死にたいといったら どうぞと言われた
もういつ死んでもいいと思ってる
前までは親の愛を欲しいと思っていたがそれもなくなった
自分を愛してくれる人もいないし
自殺を考えてる
生きる意味が分からない
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この回答へのお礼

叩かれて 殴られて
お前なんかいらん 出て行け
は、辛かったですね。

小学生くらいのときは、神様と思うくらい親の存在は大きかったですよね。


好きな男性ができれば気持ちが変わるように思うのですが、気持ちが落ち込んでると人を好きになることもできないですよね。

26歳女性ということを考えると、今死ぬのは間違いだと思います。
惰性で十分ですので、今は生きててください。
お願いします。


ちなみに僕の住んでるアパートに首吊り縄が吊るしてあります。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/21 17:22

年齢50の男です。


普段、この手のカテゴリーを覘かないのですが偶然目に止まってしまいました。
正直、一部私と酷似します。
○親の喧嘩が絶えなかったこと
○母を好きではなかったこと
○不細工とコンプレックスを持ち、ず~と、死にたいと思っていたこと
です。
私には兄が居てどちらかといえば、ある意味世渡り上手だったのでしょう。わんぱくで嫌いではなくむしろ好きでした。
私は、学校の成績で兄より頑張りました。多分自分へのコンプレックスをぬぐいたかったのでしょう。
ある時の夜、父と母が話しているところを偶然聞きました。夜なかで私が寝ていると思っていたようです。
大体、このようなことです。
長男である兄と私とどちらが大事かということでした。喧嘩のはずみだったかどうかは今覚えていませんが結論を言うと二人とも兄と考えていたということです。
普段は、兄より成績がいいからと褒めてくれていたのに…。
益々、絶望しました。
今、事情があって郷里の九州に戻っておりますが、十数年前まで関東におりました。
郷里を出るとき、母は泣いて止め、父は当初渋っていましたが私には何の躊躇もなく、上京しました。数年たち、兄には子供もでき父たちと暮らすようになっていました。
上京して、兄の結婚式くらいしか帰っていなかった私は数年後、帰郷したある時ある意味びっくりしました。
何と、父と母の仲がそれなりいいというか…。
この年になって思います。
子供に上も下もない、ただ、最初の子というだけである意味、究極の選択の話だったことに気づきました。たとえ話をしますが夫婦仲のいい男性がいて子供と奥さんと二人が溺れているとします。どちらを助けますか?当然二人共ですが先ずは子供でしょう。何故かと言えば、愛する人の子供であるからです。おそらくその奥さんも先ずは子供と助けて欲しいと思うでしょう。
兄の件は先に生まれた分頼りにしていただけのこと。
そうやって、親への不信感は徐々に無くなっていきました。
問題は自分へのコンプレックスです。それは現在でも無くなっていません。
いじめられたことは無かったけれど『この世が何もかも嫌』だったことも共通します。
でも私は生きています。私が今のあなたくらいの時、父が他界しました。私は泣かないものと思っていましたが泣いてしまいました。息を引き取ってすぐと葬儀の時です。今でも母は健在で長生きしてほしいと思っています。
話をあなたのことに戻しましょう。
あなたは何故今、生きていますか?
私は単純に怖かったのです。死というわけのわからない世界が。
あなたはどうですか?
両親からの愛を求める心理が読み取れますが…。
あなたが、環境を変えればいいと思います。私はコンプレックスと戦うことを選択しましたがあなたは、必要があればそれなりのことをしていいのではないでしょうか?成形でもなんでも自分の心の健康が大事です。勿論、そのまま頑張るのもいいでしょう。とにかくあなたが頑張って環境を変えてあげられれば、自然と両親との仲も良くなると思います。
私に比べればまだ若い、頑張ってください。いや頑張ってるからこそ相談されたのでしょう。
最後に、人は心の中のどこかに悪魔が住んでいるものです。親を殺そうとしてもそうしなかった。立派なことだと私は思います。
以上

この回答への補足

似てますね。

僕にも兄がいて、中学からは兄よりはるかに成績は良かったです。まあ、6歳も離れてますが。
兄は、誰にでも好かれるタイプで、僕は誰にでも嫌われるタイプです。
ただ訳ありで普通の兄弟ではありません。


子供に上も下もないのは納得できます。

あなたは何故今、生きていますか?
今はまだ死ねないから生きています。

今までなぜ生きてこれたかと言いますと、16歳~20歳までは夢があったからです。現実的に夢を叶えるのは無理と思い断念しました。
それ以降は、詳しく説明できませんが、人生に楽しみがあったからです。
でも、もー楽しみがなくなってしまいました。
もし楽しみがなかったら、20代半ばには間違いなくあの世行きでした。

半年前に会社を退職し、転職活動するも採用される気配がありません。

僕の最大のコンプレックスはコミュニケーション力がない事と短気なことです。
仲良くなりたくて話しかけてもほとんど嫌われます。
そのため、仕事が長続きしません。

嫌われないようにすることは、たぶん普通の人にとってはそんなには難しくないと思いますが、僕にとっては最難関な上、致命的です。

会話が途切れなくする本や仲良くなれる話し方の本などを読んで勉強したりもしましたが、どーしても直りません。会話が終わった後、振り返ってみると、相手の気にさわること、勘違いしやすいこと言っちゃったなと思うことがしょっちゅうありました。あと、話すとき緊張しない親ともうまくしゃべれません。まさにカミカミ王です。早口言葉はすらすら言えるんですけどね。
よく、聞き上手になればいいと書いてありますが、相手の話に対していい相槌やリアクションや表情やその場にあったいい言葉を言うことができません。
半年間、一日中誰ともしゃべらない生活をしてるので悪化する一方です。

特に7年前から、3箇所で働きましたが、ありえないほどいろんな人に嫌われ、あからさまに嫌ってますという態度を立て続けにとられました。

半年前まで働いていたとこは、入社して3カ月くらいから苦痛でしたが、どーしても辞めれない事情があって2年間続けました。1年9カ月ずっと最高の苦痛でノイローゼ状態でしたが会社に通い続けました。

で、半年前にたまたま実家に帰ったとき、お父さんと話をするはめになって、結果、僕は泣き崩れました。僕には味方は本当にいないんだと実感したからです。頭の中の張りつめられた糸がプッツンと切れ、頭の中が『死』だけになりました。

で、次の日無断欠勤し、携帯の電源を切り、死の旅行へと出発しました。
数日前から、車のホイールが錆びてそこからタイヤの空気が抜けてしまう現象が起きてて、タイヤもツルツル状態だったので、中古カー用品店でタイヤを選び、取り付けてもらいました。 

そんなことをしているうちに、だんだん『死』が薄れてきて、今日死んでいいのか、少し贅沢してから明日にしようと思い、食べたいお菓子と酒を買い、ほっともっとのステーキ弁当を買って最後の晩餐だ!と言って食べ酒を呑み車の中で寝ました。

で、明け方目が覚めたら『死』がだいぶ薄くなってたので、アパートに帰って支度して仕事に行きました。

当たり前だけど超激怒されました。特にものすごく厳しいワンマン社長なので怖かったです。チンピラ風の人がいちゃもん付けてきた時、社長に言って対応してもらうと、チンピラ風が過弱い子羊風に変わってしまう程です。あと、上司にも嫌われていたので、もう会社に居れなくなるようなことをバシバシ言われ、辞めざるを得なくなって辞めました。

周りから仕事が決まらないことで攻められ続け、1か月前から精神がかなり不安定になり、すぐ仕事が決まらないととても困る事情があるのに、とても精神的に不可能なので『死』しか道はないと思い込んでいます。一週間位前は死に対して全く恐怖はない状態でした。なぜ死ななかったかと言うと、死にたい日が決まってるからです。しかし、3日前から頭が放心状態みたいになっているので、死にたい日はもう少しですが、高い確率で死ねません。

もろに、対人恐怖症(強いトラウマ)になっています。

補足日時:2011/04/21 22:28
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2011/07/24 01:37

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