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クラシックを聴いていると、どうしても気になってしまうことがあります。たとえば、『蝶々夫人』や『展覧会の絵』のような題名を見ると、ああこんな風景を想像しながら作曲したんだな~と思いますが、「交響曲第○番」のように機械的に名づけられたタイトルを見ると、大切に作った曲だろうに、どうしてこんな無機質な名前をつけるんだろう?と不思議に感じます。

クラシック音楽(←和製英語ですが)にお詳しい方、教えてください。

A 回答 (6件)

具体的な表題をつけると、イメージが固定されて、聴く人にとって邪魔になるときもあります。



例えば、ブルックナーの交響曲第4番には、ロマンチックという表題が付いています。皆、中世の騎士物語のロマンスを連想します。ブルックナー自身は、そんなつもりはなくロマン主義の美意識を追求したつもりだったらしい。表題をつけなかった方がよかったという話があります。

マーラーの交響曲第8番千人の交響曲も、プロデューサーが興行宣伝のために勝手につけて、マーラーは物凄く不満だttらしい。
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元々楽曲にタイトル(標題)を付けるようになったのは、19世紀のフランツ・リスト以降の習慣なのです。

それまでの、モーツァルトの「ジュピター」だとか、ベートーヴェンの「運命」だとかは、後の時代(もしくは出版時)に別の人が付けたものでした。
今の時代からすれば曲に標題が付いているのが当然のように思われるかもしれませんが、特に19世紀以前はそういう習慣はありませんでした。
そうかといって決して作曲者が「交響曲第1番」という名前をつけたからといって無機質とか思っていたわけでは決してなく、「交響曲第1番、と呼ばれても恥ずかしくない自信作」という意味が込められています。同様に「第2番」には「第1番を超える自信作」という意味が込められています。

標題音楽には、聴衆により作曲者の意図が伝わりやすいように、タイトルが付けられています。
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厳格な古典音楽には、形式・様式というものがあり、その中の器楽曲の様式、例えば「ソナタ形式」であれば、「ソナタは、このように作ること」という約束があり、作曲家は、その約束・制約の中で、「音」という素材を使って、数学的に曲を組み上げていきます。

複雑な音の組み合わせにより響きを濁らしたり、澄んだ響きにしたりして変化を付けていきます。
ソナタ形式の作り方
1.Aメロ  2.Bメロ  3.AメロとBメロの応用展開  4.Aメロをもう一度  5.Bメロをもう一度  6.エンディング
という部分の構成で作ります。
Aメロは、「第一主題」、Bメロは、「第二主題」と呼ばれ、これら二つの主題を演奏する部分を、「主題提示部」と呼んでいます。
聴衆は、この主題をよく耳に刻んでおかないといけません。
この主題を応用して展開する部分を「展開部」と呼び、ここが作曲家の作曲テクニックの見せ所となります。ジャズで言えば、本来のメロディーを演奏した次のアドリブ演奏みたいなもので、腕の見せ所です。
最初の主題をよく聴いておかないと、その題材をいかに高度に処理しているのかが分からないので、楽しみが半減します。
そして、十分に作曲技術を見せ付けたところで、「今の展開は、この主題に基づくものでした」という意味合いで、最初の二つの主題をサラっと再現します。
この部分を「主題再現部」と言います。
そして、フィナーレを演奏して終わる、という約束です。
「交響曲」というのは、「オーケストラのためのソナタ」という意味です。
「ピアノソナタ」とか、「バイオリンソナタ」と言いますが、「オーケストラソナタ」とは言わず、「交響曲」と呼んでいます。
このように、あらかじめ決められたフォーマットに基づき、その制約の中で、音の組み合わせの巧みさだけを楽しんでいるだけであり、何かの題材を表現しようとしたわけではありません。ですから、出来上がったものは、出来上がったものから順に「第何番」としているのです。
一方、表題のついた音楽は、作曲家が表現したい対象を決めて、それを音と言う素材を使って表現していきます。昔の音楽にもそのような表現対象を決めて書かれたものもあります。
また、本人の死後に、出版社、レコード会社などが、よく売れるようにと、覚えやすく印象的な表題を付けて親しみやすくしたという曲も多くあります。特に日本では、表題の付いている曲の方がよく売れますが、作曲者本人が付けたものは少ないです。
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回答は最初の方が書かれていることと概ね同じですので省きます。



むしろ私個人としては、変にタイトルが付いていないほうが有難いので、「タイトルがついていないと」という質問内容に関してはピンと来ません。
というより、タイトル付きの作品は却って安っぽく陳腐に感じてしまう(失礼!)ことが多く、あまり好きになれません。
余計な連想を誘ったり、音楽の聴き方(解釈の仕方)を強制されているような気がするのですね。だから、タイトルというのはあまり好きになれない。
音楽そのものの良さを味わいつくそうとすれば(ちょっと大げさですが)、タイトルなんて無用の長物です。

タイトルのない音楽については、むしろ質問者さんが自分流にタイトルをつけてみても面白いんじゃないでしょうか?
そういう試みも「音楽を楽しく聴く」聴き方になると思います。
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そもそも音楽におけるクラシックとは、「古典」という意味と「ハイクラス」という意味合いがあります。



特に後者はもともと教会や王侯貴族のための音楽という特別・特権的なものという経緯があるのです。
ですから、高尚・芸術といった格式高い音楽なのですね。

交響曲(シンフォニー)第何番などというのはクラシック音楽の中のひとつの音楽形式・ジャンルであり、呼び方なのです。

他には協奏曲(コンチェルト)、管弦楽曲(序曲、前奏曲、組曲、セレナーデ)、室内楽曲(弦楽四重奏曲、ピアノトリオ、木管五重奏曲、etc)、器楽曲(独奏曲、ソナタ)、歌曲、歌劇、宗教曲・・・
様々な音楽形式があります。

中には題名(標題)の付いたものもありますが(分かり易く馴染みがあり身近に感じる)、殆どは順番、調性、作品番号のみの表示です。確かにちょっと無機質?ですね。笑
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この質問では、「標題音楽」「絶対音楽」という概念を知っておく必要があります。


(蝶々夫人はオペラなのでちょっと除きます)

これに関しては、wikipediaが非常にわかりやすいので引用しますと・・・・
・音楽外の想念や心象風景を聴き手に喚起させることを意図して、情景やイメージ、気分や雰囲気といったものを描写したものを器楽曲を普通「標題音楽」といいます。
・対して、歌詞を持たない音楽の中で、物語その他文学的な何ものか(標題)を音楽で表現しようとする 音楽でなく、音楽そのものを表現しようとするような音楽を「絶対音楽」といいます。
もう少し詳しく知りたい場合は、「絶対音楽、標題音楽」で調べるといろいろと分かります。


タイトルが無機質なのは、音楽がただ音楽としてあるだけでそれ以上の意味がないため、意味のあるタイトルつける必要性がないからです。むしろ、なにかしら標題を設定してしまうと、聴き手が曲から受け取る感覚が限定されてしまう恐れがあります。

作曲者自身は名前を付けていないのに、後の人が勝手に愛称として名前をつけてしまっているなんてこともよくあります。たとえば、ベートーヴェンの「運命」やショパンの「別れの曲」などは、作曲者自身がそういうイメージを持って曲を書いたわけではありません。また、サティの曲には、ものすごーく変な名前のものが何曲かあって、これは題名で曲を判断できないようにわざとそうしたのではないかと考えられています。
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