都会の方が桜に見入ってる光景が不思議です。
確かに桜には違いないが、何か物足りない。
その理由として、
1.幼少期の里山の桜像が刷り込まれてる。
2.都会の桜は人工的、人の手が加えられすぎている上、背景が貧しい。
3.質問者の偏見。
で、正解でしょうか。

 神仏を有しない当方は自然が神、草木一本一本が家族です。
都会の桜を差別するものではありません。
人と同様、一輪一輪は愛着を感じます。

 質問の主旨は自分がニュートラルか確認したいのです。

A 回答 (5件)

都会ではその空間構成において、建築が主であり、植栽は従になっています。


田舎ではその逆で、自然という大きな植栽が主で、人や建築といったものは従になっているような感じです。
良い悪いは別として、慣れ親しんだ空間のイメージは存在感覚や美的感覚といったものに大きく影響しているのでしょう。
そうした点から申し上げれば、ご質問者様は全くニュートラルであると思われます。
都会の光景としての桜を不思議とお感じになる事もまったく自然であり、感受性の現れだと思います。
心の原風景といったものは、誰にでもありますし、そこから現在の風景を比べて見た時に違和感を覚えるという事も自然なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 幼少期の感受性は尾を引くものですね。
良い領域は残し、足りないものは受け入れる柔軟性を持って生きたいと思います。
 回答有難うございました。

お礼日時:2011/04/23 15:02

うーん。


1と3は,実質的に同じことだと思います。
で,そのような「桜観」を準拠枠として都会の桜を眺めると,
2のように感じられるのでしょう。

日本人にとって,桜は「歳月の記憶を刻む番人」のようなもの。
季節感に乏しい都会の風景を劇的な形で春色を染める桜の花に,
田舎育ちの人は故郷の春を思い起こすかもしれませんし,
都会育ちの人だって来し方行く末に思いを馳せて感傷的になったりするでしょう。
むしろ都会だからこそ,桜のありがたさは増すのかもしれません。

それに都会の桜の背景が貧しいとは一概には言えないように思います。
東京都心から1時間,
住宅街の背後の丘陵を煙るように染める山桜を
窓から望める郊外に住んでいますが,
スカイツリーを背景に仰ぎ見る隅田川の桜も乙なもんですぜ。
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この回答へのお礼

 滝錬太郎の”花”は隅田川と桜だから完成したのであって、田舎でしたら生まれなかった様に思います。
 人生の岐路と桜の季節が重なり、桜の季節が憂鬱なのは自分の問題であり、都会の桜に罪はないのです。
 回答有難うございました。

お礼日時:2011/04/23 10:56

>都会の桜は美しい?


その理由として、
1.幼少期の里山の桜像が刷り込まれてる。
2.都会の桜は人工的、人の手が加えられすぎている上、背景が貧しい。
3.質問者の偏見。
で、正解でしょうか。

      ↓
何となく、仰ってる感覚・意味合いが伝わって来るように思います・・・
<具体的には、個別ケースで、場所で、TPOにて違うのでしょうが・・・>
私も、都会のイメージ⇒喧騒・排気ガス・雑踏に、折角の桜が余り似つかわしくないと思います。

でも、車窓から見る街路樹<桜並木>や公園の桜は、やっぱり美しく、日本の日本人の大好きな花だと思いますけど・・・ex、上野公園・千鳥ヶ淵・造幣局通り抜け・円山公園etc。
富士山とお城とSLと・・・色々なシチュエーションや背景にあっても、桜は主役に成り得る、気高く・美しく・儚い姿は、愛らしく、いとおしく、繊細な表情を見せて私たちの心を引き付けて離さない。

直ぐに思い浮かんだのは
◇都会の桜は「サクラ」「SAKURA」、田舎の桜は「さくら」
◇都会の「サクラ」は、排気ガスで喧騒でネオンで色が褪せて薄く白く弱そう。
◇田舎の「さくら」は、桜色(薄ピンク色」で、元気・ハツラツ・若々しい。
◇さくら&サクラに責任は無く、その周囲の環境や愛でる人間の心境や忙しさや、その場の空気の清浄さ&静寂さが、ライトアップや演出不要の自然にチャームアップをしているのでは・・・

仰っている理由は正しいですが、それでも桜は美しい、何処にあっても、何時でも、誰にでも・・・
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この回答へのお礼

 日本人と桜同様、人生の転換期と重なる桜には特別な想いがあるのですが、桜観賞と宴会、騒音、喧嘩、ゴミの山を同時進行できる日本人の器用さは、その想いをさらに複雑にしてます。
 しかしながら、日本人と桜の歴史は日本人の和の歴史とも思える昨今です。
 回答有難うございました。

お礼日時:2011/04/23 10:36

どうでしょう、私は都会の桜も充分美しいと思います。


見たもの同士で影響しあう関係を「図と地」という言い方で表す事ができます。
図は地の有様に影響を受けるというものです。
これに当てはめれば、図を桜とすれば、地は都会のビル群です。
ビルや道路、車などの殺伐としたグレーの風景の中でピンクがかった桜を見ると、ちょっとホッとしますし癒される感じがします。
もちろん美しいと思います。
それは、そういう都会の風景に慣れきっているので、その中で、違う色や違う自然が見えることと、こんな都会でも季節が来れば咲くものだなぁーという不思議さとも相まって、なおさら美しく感じるものだと思います。
背景が乏しいからこそ引き立つものだと思います。

一方、自然の野山に咲いている桜もきれいです。
都会とは違って周りの自然と同化していて、伸び伸びと咲いている感じがします。
都会の桜が目立つ美しさとすれば、野山は溶け込む美しさです。
どちらも美しいと思います。
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この回答へのお礼

>「図と地」
大変勉強になりました。
>都会の桜が目立つ美しさとすれば、野山は溶け込む美しさです。
そういえば、田園ですれ違った女性が美しく観えたことがありますが、都会だったら気には留めなかったでしょう。
 都会の桜の、風雪に耐え、ごつごつとした老木には、無駄の無い完成された美を感じます。
回答有難うございました。

お礼日時:2011/04/23 10:12

正解だと思いますよ。



小生は、都会にも素晴らしい桜はありますし、田舎にもしょぼい桜はあり、ただ、その比率が、都会はしょぼい率が高くて、田舎は素晴らしい率が高いとは思います。

これは、小生の尺度が、単純に木としてどれだけ生命力を感じるかという、尺度だからだと思います。
すなわち高く、太く、花が多い桜ほど素晴らしい、程度です。

この観点で見ると、街路樹として限られた土地で、日当たりも悪い都会の桜はしょぼい率が高く、逆の環境の田舎ほど素晴らしい率が高くなる、その程度だと自分では分析していますが、小生としては質問者さんが、都会の桜を物足りなく感じる気持ちはわかります。

ただ、例えば、人口的な高層ビル群の中に桜がある風景を素晴らしいと感じる人もいれば、都会の明るい夜景の中で見る夜桜を素晴らしいと感じる人もいると思うので、どのような感じ方がよりニュートラルなのかは、わかりませんが。
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この回答へのお礼

 近い感性の方の存在に安心しました。
近しい都会の方に相談しても話が通わないので質問に及びました。
 回答有難うございました。

お礼日時:2011/04/22 10:16

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