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久しぶりに映画を見に行きました
それも70~80年代の成人映画です  にっかつロマンポルノです
2本とも初めて見て それなりに興奮したんですが・・

自分が知ってる限り こういった成人映画は 一般映画とは同じ扱いにならず 町のはずれにあるのが普通だと思うんですが

70~80年代の当時も 今と同じ扱いだったのでしょうか?
いわゆるATGなど秋吉久美子や高岡健二などが出演した映画でヌードシーンがあるものは 一般映画の類に入ってたと思いますが その線引きというは はじめからされていたのでしょうか?

今日見た映画では 学園もので 強姦で服役していた男性が出所して同じ高校に戻ってきて
同級生の女子を強姦してしまい 転校させられるハチャメチャな話だったんですが  このような映画は公開当時 成人or一般のどちらだったのか?

もちろん18禁やR指定などない時代だったと思います

お暇なときでいいです  詳しい方教えてください

A 回答 (8件)

こんにちは。


日活ロマンポルノ時代にはもう18禁(成人映画制度)がありましたよ。町の真ん中の日活映画館でも上映されていましたね、当時(70年頃)は東映、東宝、松竹も成人映画は結構ありましたから・・。
詳しいことは映倫のHPやwikiで調べられると思いますが、覚えている限りでは65年頃(中学生でした)でも「18歳未満入場お断り」はありました。確かそれ以前は成人映画指定作品は「成人と同伴のみ入場可」ではなかったかと思います。
勿論ロマンポルノは成人映画でした。ATGの映画でも一般と成人指定と両方があったと思います。
当時は結構今より厳しかったのではないかと思います。有名作品の一部シーンだけが問題になり成人指定になってしまうなんてこともありましたから・・。
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この回答へのお礼

一番知りたいこと書かれてます

そうですか1965年ごろにすでに 18禁があったんですね
それ以前は 成人と同伴・・・と。。

それとATGでも一般と成人指定の両方があったと。。

また映画会社各社 成人映画があったと。。

中学のころに 家に映画本があって 市原悦子さん 倍賞美津子さんなど 映画でヌードになったことが書かれてあり 猪木と結婚した倍賞さんは 夫の猪木さんにやってみたらいいんじゃないの?と言われたとか。。

また ずっとあとですが 小柳ルミ子やかたせ梨乃も濡れ場を演じてますね。このへんの作品は 大人の映画として尊重されてます

ウィキは 書かれてること全部が正しいわけじゃないから 生の意見を聞きたかったです

お礼日時:2011/05/24 13:32

昭和45年(1970年)頃、日活ロマンポルノ登場の前、学校帰り(当時高1)よく成人映画3本立を観に地元の映画館(「ALWAYS三丁目の夕日」の撮影に使われた)に行きました。


大抵、切符モギリのおばちゃんは目を合わせず「学割」で入れてくれたものです。

当時の作品は、「大蔵映画」とか「葵映画」とかの製作で、「パートカラー」なる、所謂、ナニの場面だけカラーになるような代物もまかり通っておりました。
山本晋也監督は、「銭湯女湯シリーズ」で「小島マリ」という女優ばかり使っていて、結構、ファンは多かったと思います。
方や、「人妻シリーズ」で「白川和子」が人気を博しておりまして、その後、日活ロマンポルノへの抜擢となった訳ですが、小島マリさんはそれっきりでした。
今でも、彼女のスレンダーな全裸の後姿を思い出します。
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この回答へのお礼

考えてみたらロマンポルノは ヌードシーンもあるけど

しっかりした芝居もできるから・・逆にヌードになったときの

色っぽさが たまらなかったのでしょうね

パートカラーというのは 今でいうモザイクでしょうか?


時代的には 高度成長期で 団地が増えていったから 団地妻なる作品が撮られたのですね

大蔵映画 葵映画 ウィキで調べてみます



もう少しご意見待ってみます   皆さん今では孫がいる世代なのに?! すばらしいエロスを追求してたんですね

お礼日時:2011/05/23 15:32

私は日活ロマンポルノ大好きでした。

調布かどこかで撮影していたので、当時住んでいた近くの登戸の連れ込み宿が出てました。宮下順子が一番好きでしたね。普通の日活の配給映画館で見てましたね。高校生でしたが私服でOKでした。今は無修正モノも何千本と持っていますが、隠すエロスというのも、想像力をたくましくさせ、懐かしいですね。
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この回答へのお礼

高校生でok   古き良き時代ですね^^



無修正モノは 内々にww

お礼日時:2011/05/23 15:25

映倫管理委員会が、年齢制限を表示し始めたのが


1955年。
当時の管理委員の担当者が見て、制限の有無を決めます。
当時は、画面描写だけでなく、内容や題名が「郭(くるわ)」
というだけでも、18禁、でした。
つまり、時代に即して、制限をしますし、今よりも、
非常に厳格でした。

映画館は、一般映画の上映が入らなくなると、
成人映画専門館に変わり、やがて、「閉館」という
ケースでした。
ATGは、他の配給会社と比べると、圧倒的に
「成人向指定映画」が多かったです。
日活ロマンポルノは、およそ、1300本。
すべて、18歳未満お断り、の映画でした。
当時、倒産か、成人映画専門かで、後者を選択し
およそ、二十年近く、生き延びました。
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この回答へのお礼

↓の方の文面から・・おそらく1955年当時 裕次郎さんがデビューしたころの映画は
 
水着や下着になるシーンがあったと思いますが そういう格好をするのも ご法度だったのかと推測しますが・・よくわかりません

なにしろ戦後たったの10年ですもんね   

お礼日時:2011/05/23 15:22

>映画でヌードシーンがあるものは 一般映画の類に入ってたと思いますが その線引きというは はじめからされていたのでしょうか?



日本映画史ですね。
「1945年、終戦と同時に日本を占領した連合軍の最高司令部 (GHQ) は、当初映画の公開について検閲を行ってきましたが、やがて、ほかのマスコミに対するのと同様に、映画界に対しても自主的な審査機関の設置を示唆してきました。」
だそうです。詳しくは下記URLを
http://www.eirin.jp/outline/index.html

昔話し
80年代前半独身寮にいました。
何もすることが無い雨の週末、
誰かが「漢字の映画見に行かないか?」
が合言葉でした。
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この回答へのお礼

なるほど~~~・・・

>1956年に公開された「太陽の季節」をはじめとする、いわゆる一連の「太陽族映画」に対しては、その審査のありかたについて新聞各紙の批判するところとなり・・

もちろん50年も経ってしまうと 人々の価値観も変わってしまいますが 当時は何が審査のありかたで物議を醸したんですかね?

文部省と映画関係者では 目のつけどころが違ったんですかね?

一時期 昔の映画でも 放送禁止・差別用語を含む映画は テレビは放送しないなんてことありましたが、
最近はかなり緩くなって この映画の芸術性を尊重しますなんて言ってますよね
伏字などなく 障害なく見れることは素晴らしいと思います

お礼日時:2011/05/23 15:15

71年から88年まで制作されたロマンポルノは、


全国の日活系映画館で、上映されていました。
長くロマンポルノ上映したので、元来、成人映画専門館のように、
思われがちですが、その大半は、
かって、石原裕次郎など日活スター主演映画を上映した歴史と伝統ある映画館でした。
薄汚れた場末のピンク映画(当時、低予算で制作されポルノ専門配給会社の系列で上映されたもの)の劇場と違い、
大手の看板劇場で、ポルノがというのは、衝撃的でした。

成人映画→現在は18禁
R指定・15禁導入されたのは76年から(「エマニエル夫人」などソフトポルノが
日本向け編集され、一般の映画館に回されたことに対応して導入されたとされる。
(現在はG(一般)・R18(18禁成人映画)・R15(15禁、R指定)・R12(小学生は親の許可もらってから見てね)
と細分化されている)

ATGは、ポルノ映画ほど、厳しくなかったが、それでも実相寺昭雄監督の「無常」など
いくつかの作品は、映倫に「成人指定にしなければ、上映許さん」と
ATG系館ですが、成人指定で上映されました。

「にっかつロマンポルノ」は、原則、全作品、成人指定で上映するの前提でした。
だから、中学生が潜入しようとして、警官に補導されたり、
高校生が見たの、たまたま見ていた先生に見つかり、叱られたりしてました\(^^;)..
しかしながら、初期のロマンポルノは、スカパーの衛星劇場とかで深夜早朝に
現在、放映してるの考えると、現在のAVに比べると、
牧歌的かつ、ストーリーの起承転結もあり、映画として楽しめるものと言えます。
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この回答へのお礼

そうですよね 

日活といえば 石原裕次郎さんや先日亡くなった長門裕之さんが出ていましたね
映画会社はそれぞれ 各地に直営の映画館を持ってましたね(我が横浜にもたくさんありました)
日活、東映、東宝、松竹、新東宝 大映・・

昭和45年ごろ?五社協定などもあって 各社興収が落ちて 日活はロマンポルノというブランドを立ち上げたと推測します。

ATGは それら既存の映画会社とは 別に立ち上がった会社なのでしょうか?

今はありませんよね

お礼日時:2011/05/23 15:02

秋吉久美子のその映画は「あかちょうちん」(日活)です。


女優の濡れ場が評判になるのは今も昔も変わりないです。
竹田かほりが主演した桃尻娘シリーズは最初の日本が成人映画枠で、
シリーズの最終作は一般映画扱いでした。
同時期の「おさな妻」の主演はポルノ女優の原悦子でしたが、一般映画枠です。
成人映画と一般映画の境界があいまいな作品もありますが、
当時の映倫の審査基準にひっかかりそうなものは自主的に成人映画として
その専門館でかけていたんだと思います。
ちなみに「今日見た映画」のようなものは成人映画でしょう。
低予算、早撮り、台本もあってないような・・・そんな映画だったのではないかと思います。
成人映画の中でも日活ロマンポルノはまだメジャーな方で予算がついているほうでした。
オオクラやミリオンなどはマイナーで、そちらはピンク映画と呼ばれてました。
とはいえそういう中から腕を磨いてメジャーシーンに駆け上がった映画監督はたくさんいますね。
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ATGには秀作がいっぱいあります。

特に、「帰らざる日々」はとてもよい作品です。キャストに有名な俳優・女優を多用しています。このあたりは、日活ロマンポルノではないので、シナリオがしっかりしていますよね。台本がしっかりして、若い監督が挑戦的・実験的に作成したものや、ベテラン監督が制作費用との戦いで作成したものなど、ATGはとてもいいです。でも、制作費用がジリ貧で活動を終息したのは残念。18禁ではなかったはずです。立松和平さんの「遠雷」もATGと思います。

(日活ロマンポルノは、見たことがないのでよくわからないのですが、シナリオより流れなんじゃないでしょうか?例えば、団地で昼間にテレビを見ている主婦がいる。そこへ、セールスマンが来る。よくわかんないうちに、なんかしている・・・ってシナリオなんか不要ですよね。俳優・女優のアドリブみたい・・・。)
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この回答へのお礼

ありがとうです

おそらくATGは 若い俳優と若いスタッフで 製作費よりものづくりを取り組み楽しさを

優先していたのでしょうね

ロマンポルノとATG    自分の中で ちょと勘違いしていた部分がありました

ロマンポルノは 妄想を現実化するような映画が多いと思います

それに対してATGは わりと現実にありそうな題材をネタに作っていたと想像します

お礼日時:2011/05/23 14:54

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