10代と話して驚いたこと

私は現在、東京の私立美大の油画科の2年生です。
最近学校をやめたいと思ってしまいます。

一番の理由は、制作をしたいと思えないことです。

受験時代は合格という目標に向かって、ただひたすらにがんばってきました。
しかしいざ大学に入ってみると、そういった明確な目標もなく、
予備校時代のようなわかりやすい順位がつくわけでもなく、
制作するということ自体がよくわからなくなりました。
自分は何のために制作をしているのかよくわからなくなりました。

そういったよくわからない1年間を過ごし、2年生になりました。

2年になってからの制作は1年次よりも辛くて辛くてたまりません。
絵を描いてるととても暗い気持ちになり、涙が出てくるほどです。
実力不足な自分の絵を目の当たりにしているからという理由もあると思います。

絵を見たり、展示に行ったりするのは好きです。
でも私はやっぱりそれ止まりなのではないか?
生み出す側ではないのではないか?と思ってしまいます。
思えば作品を通して、自分が何を伝えたいのかなど
考えても考えても、しっくりきたことはありません。

そしてまた制作を適当にするということが、変に真面目な私にはできません。
なぁなぁにやっていくほど開き直れもしません。
制作したくないなら美大にいる意味がないと思います。
適当になんてできないし、全力でもできない。
こんな私が3年、4年になり自分のしたいことをつきつめて卒業制作までやり遂げられるとは思えないのです。

どうしたらいいのか全くわかりません。

美大は普通の大学よりもお金がかかるし、うちは経済的に余裕はありません。
奨学金も借りています。
美大をやめたところで、普通大へ編入するほどの情熱もお金もありません。
現実的な問題を考えると、やめてどうするの?と自分で思います。
でも適当に制作はできないし、何も描きたくありません。

私はただ逃げたいだけなのでしょうか。
毎日が辛くて仕方がないです。

A 回答 (11件中1~10件)

あなたは何事に対しても真摯に向かわれる方だと思います。

それはとても素晴らしいことですが、その真面目さが今はご自身を極限まで追いつめてしまっているようですね。

もし同じことを友人から相談されたら、「休学して、少し別の世界を見てみなよ」と言うかもしれません。あるいは「ちょっとアーティストレジデンスなんかで海外に滞在してみろよ、視野が広がるぜ」とかアドバイスするかもしれません。アートは受験用のトレーニングのように合格という目標が明快な世界で無く、正解の無い世界ですから、真面目な人ほど受験から解放された瞬間にどうして良いか分からなくなってしまうのです。言葉は悪いですが、ある種のいいかげんさとタフネスが無いとアートの世界は作家としては乗り切っていけないのも事実です。そのことは学生時代から既に始まっていると言って良いでしょう。極端なことを言えば指導者である教授ですらライバルという世界です。

あなたは奨学金を得られているとのことで、アーティストとしての素質は一定レベルお持ちの方だと思います。ご質問の文章もきちんとしていて好感が持てます。

アートの世界は作家だけで成り立っているわけではありません。批評家、ギャラリスト、コレクター、学芸員など様々なジャンルの人が関わることで成り立っています。美大には学芸員の資格をとるコースもありますし、当初の作家志望から批評家や、ギャラリストになった人もいくらでもいます。もしかするとあなたにはその方面の才能があるのかもしれません。

今、制作することにご興味がないなら無理にする必要は無いと思います。ご自身をあまり追いつめず、ご自身の資質に適した方向性を色々と探ってみられてはいかがでしょう。今はとても苦しい時期とお察ししますが、かならずそこからの脱出口はみつかりますよ!!
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この回答へのお礼

たしかに、自分の真面目さが自分を追いつめているように思います。

アートといえども、いろいろな方面があるようですね。
あまり考えすぎずに、気楽にやっていきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/08 13:22

こんにちは、現美大生です。


真剣に悩まれている様子が放っておけず、回答させていただきました。

どのような学校に通われているか判りませんが、転科は検討済みでしょうか?


全体的にネガティブな文章の中に、一部ポジティブなところがありました↓

>絵を見たり、展示に行ったりするのは好きです。

この「好き」を、もっともっと自分の心に問いかけてみては。

展示には、「表現する者」ー「表現を受け取る者」の二者の間に
「両者をつなぐ者」=学芸員(展示を企画、展示物の管理など)、美術館そのもの(箱)、修復家、広報、出版etc・・・・・。が存在します。必ず。
このへんに携われる科は無いのでしょうか?


私自身も、表現者になるには趣味程度の物しか描けないことを自覚していましたし、
「両者をつなぐ」重要な存在の方にかなり興味があったため、現在の大学に通っています。

学芸員になるのも簡単な道ではありませんが、
素晴らしい作品をより多くの人に広めたいと思い勉強中です。



適当に制作はできない、というところに貴方の職人気質が出ているような気もするのですが・・・。
美大にただ憧れて入ったということでは、きっと無いんですよね。


>思えば作品を通して、自分が何を伝えたいのかなど
>考えても考えても、しっくりきたことはありません。
自分は、畑違いなのでうまく言えませんが、絵で表現する人は皆こういう悩みを持ち続けて描いているのではないでしょうか。
涙が出るくらい辛い、という方に厳しい意見かもしれないです・・

自分は、”美術系の「何か」がやりたい!” と漠然と思い始めてから、10年目でやっとその「何か」を見つけましたよ。
普通の大学にも行きましたし、全く関係ないIT企業にも勤めました。
その間、ずっと美大受験のために生きてきたかといえば嘘になりますが、
少しでも美術に関わりたくて、美術館に出かけたり、資料を集めたりはしていました。
意外と、悩みとは無関係のところに答えが転がっているかもしれないです。

悩みすぎる時は無限ループにはまっている可能性があるので、
答えを「A、B、Cのこれしか無い・・・。」と
しぼらずに、「Dは無いのか?」と他の可能性も探ってみてください。

がんばって。


考え抜いた末に、油画を続けるというなら、将来貴方の作品を展示させて下さい。
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この回答へのお礼

現美大生なんですね、なんだか親近感湧きました。

両者をつなぐ仕事というのも、考えてみればあるんですね。
たしかに、答えをしぼりすぎていたかもしれません。

今はまだ悩みますが、色々な選択肢を考えてみたいと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2011/06/08 13:19

質問者様のお気持ちはよくわかります。


美術大学という場所は作家至上主義ですから、作家に非ずは人に非ず
といった空気感があります。周りの学生たちも良くも悪くも夢見がちで、
将来は美術家だ、有名デザイナーだと、万に一つの夢を抱いて日夜創作
に取り組んでいるわけです。
ですから、あなたのように真面目で現実的で、作家志向ではない学生と
いうのは居場所がなく、そのことで酷く負い目を感じたりするのです。

しかしながら、あなたが大学で目的を見失ったからといって、すなわち
クリエイティブに不向きかというとそうじゃないんですよね。
なぜなら、クリエイティブというのは美術大学で奨励されるような先鋭的な
ものばかりではないからなんですよ。
芸術家より職人を求めている現場もありますし、突飛な想像力より常識的
な創造力を要求する現場もあるのです。といいますか、一般企業とくに中
小企業なんてそんな仕事がほとんどですよ。

ですから、あなたの周りにいる強烈な人たちをみて、自分は創作に不向き
だなんて思わないことです。
現実的なことをいえば、いまあなたの周りにいるそうした学生だって結局、
大半は作家として成功することはなく、普通のサラリーマンやデザイナーに
なったりするんですよね。

ともかく辞める辞めないはあなたの自由としても、そのまえに一度、あなたの
ような作家志向でない人でも就ける仕事がいくらでもあるということを知るべき
ではないでしょうか。
あとあと、あんな道もあったんだなんて後悔しては遅いですからね。
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この回答へのお礼

そうですね。。
確かに周りは作家になりたいと思っているクリエイティブな人が多いので辛いというのも大きいところでした。

後悔しないように、慎重に道を選んでいきたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/08 13:16

私は現在67才の版画家です。

 あなたの質問を読んでいて暗い浪人時代を思い出しました。
回答にはならないかも知れませんが読んで頂けると少しは気持ちが楽になるかと思います。
画家になりたいから美大に入られたのだと思います。 現役・浪人生なのかわかりませんが、
私が在学中、入学時90人ほどだった学部生は卒業時50人ほどになりました。 
中退した友人のほとんどは現役組(女性が多かった)でした。 
それも多くは1、2年度のうちにやめていきました。浪人生との技術の差に
苦しんでいたと思います。
3、4年度でやめた友人は絵についての悩みが原因ではなかったように思います。 
3、4年度になるとたぶん自分の絵をかくカリキュラムになり、
かなり自由な発想で絵が描けますし、いろんな課外が出来ます。

絵は技術ではないと言いますが、そうはいっても浪人で鍛えられた技術にはかないません。
いい絵がわかる眼をしておられるようで自分の絵と比較されて落ち込むことがあったのかも
知れません。 受験時代は他人の絵がとても気になります。 競争だからです。 
大学にはいったらホッとして1年、そろそろこんなんで画家になれるのだろうかという焦りも
出てきましょう。これも他人との比較です。 画家は一生他人の制作が気になるモノです。
いまそんなこと気にせずに自分の絵を描きなさいと行っても無理なことですね。

私は卒業して先生になりましたが腰掛けのつもり(スミマセン)で、
ん年間生活のため(スミマセン)辛抱しました。 その間絵は描き続けましたが、
思うようにいかず削っては描き、描いては削り・・毎日悶々としていました。 
そのころ何となくはじめた版画の世界がおもしろくなって以後本職になってしまいました。 
一生のテーマも見つかり今も制作を続けています。 
今思うと3年生の時に課外でとった版画教室が救ってくれました。
周りの絵が気になるでしょうが描きたくなければキャンバスで好きなことをみつけなさい。 
美大だから毎日絵を描かなければならないというわけではありません。 
(わかっているのですがね)
画家になるなら生活自体画家にしましょう。(まじめなあなたを避難しているのではありません)
こつこつ描くのも絵描きのスタイルなら、描きたくなるまで描かないのも絵描きです。 
まして青春のまっただ中、暗くなっていないで絵以外のモノを楽しんだらどうでしょう。
あなたの時間はいっぱいあります。 今楽しんだ遊びは将来の絵にきっと栄養になります。
浪人時代に浪人生が悩み苦しんだ事と今あなたが悩んでおられる事とは違います。
あなたはきっといい画家になられると思います。 ウンと悩んでいいです。

絵描きに学歴はいりません・・と皆は言います。 
私もそう思っていましたが、今経験で言えば、学歴はいります。
画家には必要です。 絵描きにはいりません。 画壇には結構いります。 
生活には絶対必要です。
親がせっかく大学を出してくれるのなら大学は出ておくのが良いです。
(大変ですが教職が取れるのなら取っておきましょう)

絵を志す方は(私を含めて)神経が細くてこまります。もっとぐうたらぐうたらすればいいと思います。
デリケートな部分とのんびりしたところと有るはずですので、
しばらくは朝寝をしてだらだらとのんびりお過ごしなさい。 
まじめな気持ちで将来を悩み考えているあなたにふしだらかと思いますが、
芸術は有る面バカにならないと見えないところがあります。
 あなたの人生これからだ。 ひとりいい絵を描く画家の誕生を待っています。
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この回答へのお礼

恥ずかしながら、読みながら涙が出てきてしまいました。
私はまさに現役生の女です。笑
ひとつひとつの言葉が心に沁みました。
確かに神経が細すぎるのかもしれませんね。
人生これからですね。元気が出ました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/22 13:31

 デザインの専門学校卒ですが、美大なんて羨ましい限りです。


 デザイン業界でも学歴は関係あるので、明確な目的がないなら卒業だけでもしておいた方が良いです。

 例えば、美大(美大予備校)の講師などは、美大卒業でないとなれない場合が多いですし、大手広告代理店なども新卒で入るには美大卒でないとダメだったり。

 一般職につくにしても、大卒という肩書きがあるだけで給料が変わってきますので、卒業する意味はあります。

 --------------
 社会では「画家」では食べていけないので、デザイナーか講師になるのが一般的だと思うのですが、作品のオリジナリティよりも、細かい作業の丁寧さと、コミニュケーション能力を求められる事がほとんどです。

 就職という事を前提に考えるなら、題材やオリジナリティよりも、とにかく細かく丁寧な描きこみがある事の方が受けが良いと思います。
 (現場に入ると、地味な作業の繰り返しで、意外とクリエイティブではありませんので、真面目さだけで乗り切れます)
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この回答へのお礼

たしかに大卒という肩書きは大きいですよね。
就職を考えての回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2011/05/21 15:42

 何を表現すべきか、自分が何をしたいのか迷う・・普通の事です。

あなたの同僚にじっくり話を聞くと、同じように考えている人が大勢いるはずです。実を言うと私は数十年絵を描いていません。書きたいものがないんです、情熱もないし・・確かに描かないでいると楽なんです。

 どうしても、作家という道は目指せないと思ったなら・・学校で相談して(9月から?)転科ということを視野に入れてみてはいかがですか?デザイン科に移るのです。デザイナーというのはクリエーターですが、決してアーティーストじゃありません。使いやすい、見やすいものをいかに美しく作るか・・1+1を1.5にするような作業です。油絵のような0,1のものを100にしなくていいんです。その上、お金を得るために働く職、です。純粋に道を極めて行かなくてもいいんです。

 あなたの学校の中で絵画科→デザイン科に移るのが可能かどうか分かりませんが、少なくとも3年生になるときには可能でしょう。せっかく入学したのだから、どうにか可能性を模索しましょう。

 5年前の武蔵美の入学式に参列されていたプロデゥーサーの方が「武蔵美油絵科に入って1か月もしないうちに自分の才能がないことを思い知らされました。そして、作る側ではなくサポートする側にまわろうと決心しました。」とおっしゃっていました。そういう方向もあり、教職をとって教師になるのも一つの進路でもありますよ。

 作家としての道を究めようと思うと、生きていくのすら辛くなります。辛くて辛くてたまらなかったら・・少し道を外れてみては?もう一度戻ることはいつでも可能です。60歳過ぎてからまた絵を描きだすことだってできます。

 学校のカウンセリング、研究室の助手さんや先生、学生科のスタッフに相談してみてください。何もせずに、引きこもり、退学・・もったいないです。美大にはそうやってひとしれず いなくなっていく学生結構います。

 一人住まいだと栄養バランスが整っていない可能性あります。そうするとセロトニンやドーパミンなどのホルモンがうまく分ぴされずに鬱状態になることもあります。

 まず、食生活整えてみてください。
 それから 学生科 学生相談室
 

 
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この回答へのお礼

描かないのは楽ですよね…描くのは辛い。
作家になることは考えていないのですが、
今は課題の絵がひたすらに辛い状況です…。
学生課に相談するという手は考えていませんでした。
実家暮らしなので、食生活はちゃんとしていると思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/21 15:46

もともと美大、特に絵画や彫刻科などというものは行ってどうなる物でも無いというか、画塾の延長と考えるべきような物ではないかと私は思います。

卒業に重きがあるような物でもないと思うのですよね。

ですが質問文を読んでいて気になる部分がありました。
>「生みだす側」
こういう生産者と消費者というような図式に毒されていては芸術なんかやっていられないと思いますよ。そういう割の合う世界ではないと思います。
まずは自分が自分の作品の最も熱心な鑑賞者にならなくては。その価値観を世に問えばいいのでは。

たしかに卒業制作で終わるという予定表は変ですね。
これからいろいろやって遊べるうちのひとつの実験の機会ぐらいの物にすぎないでしょう。

しばらく休学してどこか勤めにでも出てみたらやりたい事とか思いつくんではないかなと思います。
あといろいろと目年増、耳年増になりすぎていて手が動かなくなっているかもしれないですね。そういう意味では今の人は気の毒だなと思います。
自分がしたいと思っている事と自分のできる事に分裂がある場合、やはり自分のできている事をもっと見直して行ったらどうか、何かそれを生かして楽しむことを考えてはどうかなと思います。それと理想と思っている事(や作品)も見直すべきでは。

多分作品の中に答えがあるように思います。(というかそう思えないのなら美術の中で何かやる意味はないわけでは)
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この回答へのお礼

>まずは自分が自分の作品の最も熱心な鑑賞者にならなくては。
そうですよね…
私は常々自己評価が低く、自分は何をやってもだめだと考えてしまう節があります。
自分が自分の作品の一番の批判者なような気がします…。
作品の中に答えがある。
きっとそうですね。はっとさせられました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/21 15:48

画家として身をたてようという場合、その学歴が


将来役に立つことはまったくありません

ごめんなさい評判の悪い長い回答になります

実際私も表現者でありますが
過去において一般の人は別として、その美術関係では
学歴を問われたことはこの三十数年ただの一度もありません
それはまるで申し合わせたかのように
まったく学歴は問題にされません
超難関といわれる大学に入った経験者の私としては
実はなんとも歯痒かったものですが
でもこれって当たり前でしょう

出身大学で絵の価値や売れかたが変わるなんてこと
ありえないでしょう
だからたとえば画商もそんなこと
まったく興味がないのです

まあ美大卒が役に立つといえば
大学のネームバリューで絵の教室が開けるということぐらいですか
絵の教室とはつまりホストクラブのようなものです
絵を習わないと描けないと言う人はそもそも
「習って」も描けないわけで
そういう人たちを相手にするのですからね

それは大学でも同じです

表現がオリジナリティーに価値を置くとするならば
できるだけ他と違うものを成すべきで
他と違うものを習うわけにはいかないでしょう?

絵に基礎なんてものはないのです
絵の基礎を習熟してから自由に自分の絵が描けるなんてこと
はないのです
いやそれを知ることが基礎ということになるのかもしれません
ほかの人もやってることを自分がまねて
どんな意味、価値、やりがいがあるのでしょう
で、私はそう教授にいって大学をやめました
でもあなたにそれをすすめているわけじゃありません
そんなことはどっちでもいい
多分どっちでも後悔は多少あるでしょう
人は沢山の後悔をひきずってそこからまた学ぶしかない

ところで絵を描く気がなくなったとか‥‥
先輩として偉そうにここでいいことをお教えしましょう

実はね、その大きな山をこさないと本当のものは描けないいんです
実はね、みんな絵が描きたくなかったんです
なぜか?
それは描くことが受身になってるから
つまりいいもの‥‥価値が決まっているものを描かなくちゃいけないと思ってるから
あなたは描くことが泣きたくなるほどいやになってるんです
絵をかくのが面倒くさいんでしょう?
わたしも本当につらかった‥‥過去形です

そこでいいものを描くことをあきらめて、こういう風なら楽に楽しく描ける
というものを考え編み出すから
絵を描くのが楽に楽しくなるんです
人が見てぐっとくるんです
「描く」という言葉を「生きる」におきかえてもあてはまる
だからそこに人はぐっとくるんでしょう
あなたが好きな画家もきっとそうして一目で、ああ、あの人の絵だ
とわかるようなもの作り上げ、つまりでっち上げたのでしょう
その人はその人の以前に見本があって
それをまねたわけじゃないでしょう?

いやー、随分サービスしちゃいました
これでまた商売敵が一人ふえそうです
でも大丈夫
私はだれも考えられないことをやっていますからね
ひねくれた回答に思えましたか?
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この回答へのお礼

本当に、絵を描くのが面倒くさいです。辛いです…。

良い絵を描こうとするのではなく、どうしたら楽しく描けるのかを考えるのは大事ですね。
大学の先生にも言われたことがあった気がします。

ひねくれた回答とは思いませんでした。
長文での貴重なご意見にとても勇気づけられました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/21 15:55

本来、大学というものは社会人になるにあたっての単なる通過地点に過ぎないはずですが、あなたは大学に入学することが目的としてしまったので、入学してから気が抜けてしまったのではないでしょうか。



将来、どうしたいのかを考えてみては?
そうすれば、答えは出ると思います。

もし、どうしたいのかを考えつかないのでしたら、どこでもいいので大学は出ておいた方がいいと思います。
「将来の夢がない人」ほど、学歴は必要だと思いますので。
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この回答へのお礼

本当にそう思います。
大学合格が一番の目標だったので、入学してから目的が一気になくなってしまって、ぽっかりと穴のあいたような状態です。


>「将来の夢がない人」ほど、学歴は必要だと思いますので。
本当にその通りですね。ぐさっときました。。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/21 15:58

この際、


おもいっきり
リフレッシュしてみませんか。

作品ウンコ論というのがありまして、
いいウンコをするためには
シッカリ食事を摂取しないと
立派なウンコが排泄されない
というのですが質問者さまは
絵というウンコを出すための
食事をシッカリ摂取しつづけていますか。
先ず、そこから始めるべきでしょう。

また、才能は
買い忘れたときの歯磨きのチューブ論
というのがありまして、下の方から
指でジワジワ押し上げくると
1回分の量の歯磨きが歯ブラシに押し出されるのですが
その日もまた買い忘れてしまって、それでも
歯を磨かなければならないので、やはり、
昨日と同じような工夫をして、なんとか歯ブラシに
歯磨きのペーストが押し出されてくる。
そして、その日も買い忘れて、翌日の朝に
全身全霊で工夫して歯磨きを可能にするそれが
才能なんだといった考え方があります。

通常のリフレッシュ感覚とは異なる
方法、たとえば、被災地に行って
ヴォランティアでお役に立ってくるといった
リフレッシュの仕方があってもいいかもしれません。
烈しい異臭と共に被災状況を直接目撃したら
いままでとは別種の創作願望が嵐のように
湧き上がって来ないとも限りません。

辞めるのはいつでも可能です。
その前に、才能をスパークさせる機会に
出合いませんか。

質問者さまは
アルルに着く前の、ゴッホ
タヒチに行く前の、ゴーギャン
なのです。
質問者さまの、アルル、タヒチを
見つけてみましょうよ。

向田邦子さんの『父の詫び状』によれば
マチスは毎日
卵のデッサンをつづけていたそうですが
質問者さまも何かをつづけて
才能をスパークさせる
機会をつくりましょうよ。

毎日といえば、
それぞれ、1行でいいので、
感謝日記、感動日記、不快不満日記
を書いてみませんか。不快不満日記は
発明、改善のヒントになりますし。
絵日記にするのもいいですね。

お金は、
絵を描けるようになりたい人たちのために
教室を開いて教えたり、
子どもたちに数学や英語を教えることで
得られるでしょう。

音大の女性たちの協力を得て、
被災地応援ソングをたくさんつくってみませんか。
そのCDを持ってヴォランティアに行くと
よりインパクトがあるでしょう。

いい回答になりませんでした。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

作品ウンコ論、おもしろいですね。笑
そして一理ある気がします。
私も毎日何か一つを続けてみようかと思います。
参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/22 13:26

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