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姓を尋ねる時の決まり文句「您贵姓?」には
「你贵姓?」や「你姓什么?(目下や身近な人に対して)」
などのバリエーションがあったと思いますが、

フルネームか下の名前を尋ねる「你叫什么名字?」には、
そういった使い分けはないのでしょうか?
目上の人に対しては「您叫什么名字?」と言うのでしょうか?

A 回答 (1件)

こんばんは。



フルネームで名前を聞く時は你叫什么名字?
姓を聞く時は你姓什么?と使い分けできます。

とは言え你叫什么(名字)?と聞かれても、
フルネームでも姓でも名字でも愛称を答えてもおかしくないんですけどね。

中国人の場合、名前を尋ねると大多数の人がフルネームを教えてくれるので(フルネームを聞かれる場合も多い)
あまり気にせず你叫什么(名字)?と使っていました^_^;

基本的に目上の方に対しては您贵姓?がベターかなと思いますが、
您叫什么名字?も間違いではありませんよ。
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Q「好的」と「是的」の違いについて

最近中国語の勉強を始めました。
はい、イエスを意味する言葉として「好的」と「是的」がありますが
この使い分けはどうすれば良いのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、「好的」は良い・OKなど、了承を表す意味を持ちます。

例:「明天9点半在学校門口見面、好ma?」→「好的」
(明日9時半に学校の校門前で待ち合わせでいいですか?→いいです)


「是的」は、その通り・合っているなどの肯定を表す意味になります。

例:「ni是日本人ma?」→「是的」(あなたは日本人ですか?→そうです)


あと、正反疑問文の「好不好?」「是不是?」で聞かれた場合は、その動詞に対応して回答します。

・「好不好?」→好/不好     ・「是不是?」→是/不是

ご参考までに。

Q中国語の「都」を見たとき、どう訳せばいいですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら、別の単語があります。

他们都不去日本。

この彼らの人数しだいで、勝手に厳密には、全員でないので、「全て」と訳さないパターンだろうと、
こちら側で適当に、全員ではない事にしたり、全員にしたりしていいのですか?

仮に、この彼らが、中国人全員のことを言っているとするなら、
厳密には、全員ではないだろうと、勝手に判断して、本当に全員日本に行かない。
と言っているのに、
都合よく「全て」という意味の「都」ではないと判断してもいいのですか?

それに、「全て」という意味でなかったとしても、
この「都」は、無視して訳さないのですか?
それとも、「ほぼ」や「大体」という意味に変えて訳すのですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら...続きを読む

Aベストアンサー

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があったとすれば「ほぼ全部」「大多数」という表現をする方が「適切」でしょう。
しかしながら、会話の文章などでは、話者がどう思っているのかということがすべてです。
聞いた側は話者の言うことをすべて信用するとすれば、「全部」であると理解するほかはありません。

> (1)都は、「すべて」「みんな」と言う意味の副詞です。
> 全てと言わないなら、入れてはいけない。まずこれが基本である。

前回のご質問で上記のようにお書きになられた通りです。
どう考えても「すべて」ではないと聞く側がわかっていたとしてもですね。

これは中国語という言語、言葉、文法の規則の問題ではなく、その背後にある文化、考え方の問題と言ってもいいでしょう。
日本語(日本)では、なるべく相手の側に立って話をするという一種の美徳があります。
間違っているかもしれないこと、例外があることに関して、相手が誤解しないように言葉を加えることはごく当たり前に行われます。
しかしながら、外国語(外国)では、自分の意見や主張を表現することが第一であり、他人から見て間違っていようが、自分の意見や主張を表現する場合に遠慮はしません。

まあ、日本でも「みんな(そうしているよ)」などと言い切ってしまうことはありますが。(笑)
このように「みんな(そうだよ)」と言われたことはありますよね?
本当に「みんな」でしょうか?違うこともありますよね。でも、「みんな」と言うのです。
中国語では、特にこの種の言い切りだとか、強調が多いのです。
そういう場合には「都」、「也」、「就」などが頻繁に使われますが、時に日本語には訳しにくくなります。

前回のお答えでは、「都を使っていても、必ずしも論理的に全部を意味しない」ということであって、「都をすべてとは訳さない」とは申しておりません。
ほかには「ほぼ」「大体」については、そのように訳するとも申しておりませんし、回答内に使用しておりません。
似たような語を使っているのは、「都を使うときの気持ち」を説明している部分で、

「ほっとんど、みんな、そうしているんだよ」、「いつでも(どこでも)そうなんだよ」、あるいは「みんな、もうそうしているよ」「とっくだよ」という気持ちで語る場合には、「都」はあるのが当たり前

という部分です。

話者が仮に頭の中で感じているのが「アバウト」であったとしても、ひとたび言葉で「都」と言った時点で「すべて」だと言い切っているのですから、聞いた側は「すべて」と訳すしかありません。

他には人数にこだわっておられるようですが、二人でも三人でも「みんな」であれば「都」は用います。

ということで、前回と今回のお答えが疑問点とずれていて、単純に文法的な回答をお求めの場合は、「都=すべて」とだけご記憶になられて学習を進めていただいた方がよいでしょう。
いつか、中国語の言葉の裏だとか、表現の特性を知りたくなったり、単純に文法規則で解釈できなくなった場合に思い出してください。

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があった...続きを読む

Q中国語の「もし」(要是、如果、・・・話)

「もし・・・なら」という意味の中国語(普通話)は、
ぱっと思いつくだけでも
要是
如果
・・・話
があります(日中辞典によれば、もっとあります。)が、
この意味・ニュアンスの違いを教えてください。


如果・・・話
の代わりに
要是・・・話
という言い方は可能ですか?
可能なら、意味・ニュアンスはどう変わりますか?

Aベストアンサー

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「もし明日雨が降ったら、私は行きません。」

1.如果明天下雨,我就不去。
2.如果明天下雨的話,我就不去。
3.要是明天下雨,我就不去。
4.要是明天下雨的話,我就不去。
5.明天下雨的話,我就不去。

 硬さを順に並べると、1>2>=3>4>5のようになっていると思います。また、条件節を受ける働きとして、よく二番目の文節に「就」が来ます。

 ちなみに、「明天」を「如果」と「要是」の前か後ろか、どちらに置いてもかまわないのですが、「我」を「就」の前に置くべきです。つまり、このようなことです。

○如果明天下雨,我就不去。
○如果明天下雨的話,我就不去。
○要是明天下雨,我就不去。
○要是明天下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

○明天如果下雨,我就不去。
○明天如果下雨的話,我就不去。
○明天要是下雨,我就不去。
○明天要是下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

×如果明天下雨,就我不去。
×如果明天下雨的話,就我不去。
×要是明天下雨,就我不去。
×要是明天下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

×明天如果下雨,就我不去。
×明天如果下雨的話,就我不去。
×明天要是下雨,就我不去。
×明天要是下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「も...続きを読む

Q自分の苗字、名前を中国語にしたいのですが…

自分の苗字、名前を中国語にしたいのですが…

大学の授業で、「次の授業までに自分のフルネームを中国語で言えるようにしてこい」と言われたのですが、何処で調べれば良いのか分かりません…
日本人名を中国語にできるサイトや方法をご存じの方いましたら、教えてください

Aベストアンサー

 ピンイン変換サービスというものがあります。
発音もしてくれます。

参考URL:http://www.frelax.com/sc/service/pinyin/

Q「认识」と「知道」はどう違う?

「认识」と「知道」はどう違う?

どちらも日本語では「知る」という意味ですが、どのように使い分けたらいいんでしょうか?

Aベストアンサー

先に回答の方々の回答でよいと思います。

ただ英語のunderstand=「认识」になるのは、名詞用法の時です。 理性认识=理性的認識
動詞用法では know です。

使い分けには少々時間をかけて理解をし、使い慣れることですね。

「我认识他,可不知道他在哪儿住。」

下に出てくるこの例文は役に立つと思います。

以下は岩波中国語辞典より抜き書きです。

「认识」
(文字と人と場所について一応経験したものをそれと認識する)知っている、覚えている。

我不大认识这个地方。ここはあんまり知らない所だ。

你还认识我吗?。  ぼくのこと覚えてる? 

我很高兴跟您认识。おち近づきになれて嬉しゅうございます。

你和他怎么个认识? あいつとはどんな関係なんだ?


「知道」
(1)(知識として)分かる、知っている

我早知道这么办。こうやることは、とっくに分かってんだよ。 
      
我认识他,可不知道他在哪儿住。
やつなら知ってるよ(面識はある)、だけどどこに住んでるのかは知らないんだ(その知識はない)。

谁知道! 誰が知るもんか!

(2)わかる、・・・に気づく、・・・を感ずる

别让他知道。 やつに気づかれるな

(3)了解する

我知道了。  わかりました。

先に回答の方々の回答でよいと思います。

ただ英語のunderstand=「认识」になるのは、名詞用法の時です。 理性认识=理性的認識
動詞用法では know です。

使い分けには少々時間をかけて理解をし、使い慣れることですね。

「我认识他,可不知道他在哪儿住。」

下に出てくるこの例文は役に立つと思います。

以下は岩波中国語辞典より抜き書きです。

「认识」
(文字と人と場所について一応経験したものをそれと認識する)知っている、覚えている。

我不大认识这个地方。ここはあんまり知らない所だ。

你...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q1元は日本円でいくら?

中国のお金の単位は元ですよね。
1元は日本円に直すといくらになるのでしょうか?

Aベストアンサー

中国のお金は「元(ユァン)」です。
1元=約15円。
ついでにどのくらいの価値なのかというと、タクシーの初乗りが10元、市内のバス代が0.5元、
屋台のおかゆや肉まんが2元、500mlのペットボトルが4元、露店の桃が1元、スイカが
0.5元、小さめの日中辞典が17元...などなど。
基本的には安いのですが、外人が多い店では日本くらいの値段の所が多いです。
屋台を食べ歩いて夕食10元だった翌日、ホテルの朝食で100元取られます。
また元より小さい単位として、1元=10角=100分というのもあります。
「¥1.25」=1元2角5分といった具合です。
お店の値段表示では、日本円と同じ「¥」を使っちゃうみたいです。

Q論述式の回答の書き方のご指南ください

もうそろそろ、定期試験の時期なのですが、
大学の試験ってけっこう論述問題が多いことに驚きました。高校のころは、まったくと言っていいほど論述問題がなかったので、どうやったらいいのか、ホトホト困ってます。
いろいろ検索サイトでHITさせたり、ここでも過去の質問を見たりして参考にしています。

そこで、今一度、皆様の論述式の回答の書き方を教えてほしいのです。どうかご指南よろしくお願いします。

Aベストアンサー

当方、大学生です。
書きやすく、いい評価になるのは、
1.一番最初に結論を書く。
2.それについて理由や説明を挙げる。述べる個数も宣言する。
3.最後に結論をもう一度書いて締める。

例えば、「キリスト教における愛について書け(テキト-な課題です。汗)」だとしたら、

「キリスト教における愛とは○○だと言える。
 それについて、3つの観点から述べる。
 まず第一に、~~。第二に、~~。最後に~~。
 以上の事由から、キリスト教における愛は○○だと言える」

…というかんじです。この形式で書ければ、まず悪い評価は取らないでしょう(形式の点では)。

できたら、授業中に先生がおっしゃったこと(本にはない具体例とか)や、参考図書から得た知識を交えたりすると、「ちゃんと授業聞いてますよ、ちゃんと本読んで勉強してますよ」とアピールできて、なおよしです☆

がんばっていきましょう(^^)

Q太好了の意味を教えてください

「太好了」の意味を教えてください。
それと、一言でもコメントに対するお礼の言葉を添えたいので、一例をあげていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「とても良い」の意味です。もともとは「良すぎる」ですが。

口語では「そりゃ良かった!!」って感じで使います。

A:那天diu的東西zhao到了ma?(こないだなくしたものは見つかった?)
B:昨天zhao到了(昨日見つかったよ)
A:太好了(そりゃよかった)


こんな感じですかね。口語でしかもけっこうくだけた感じで使ってるような気がします。

Q中国語 ”不可以”と”不能”の違い

中国語で ”不可以”と”不能”はどうちがうのでしょうか?
たとえば、「日本可以 ロ乞 鮮魚片。」の否定文は
「日本不能 ロ乞 鮮魚片。」ですが、
「日本不可以 ロ乞 鮮魚片。」といえるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を述べて → 食べれない 
 = 中国語は一言 不可以口乞 と表現(食べようと思えば食べられる)

(2)今日は魚を買い忘れたので刺身は ←理由を述べて → 食べれない
 = 中国語は一言 不能口乞 と表現(物理的に食べるのは無理)

…と言うようにです。(1)と(2)の日本語、違うのは前の説明文であって、結局は どちらにも同じ『食べられない』を使っていますね。
ところが中国語では『出来る・出来ない』という表現方法が何種類も用意されているのです。ここでの話ならば、日本には1つしかない『食べられない』が、中国語では3つも4つもあるのですね。この辺はお分かりでしょう。
最初は面倒に感じるでしょうが、慣れてしまえば日本語のように長々と理由を述べなくても、一言で意志を伝え理由を理解出来るのです。その表現方法の代表が可以と能(会)です。


初めて納豆を見た中国の人が あなたに食べられますか?と聞く時も、その方が 能口乞ma? とあなたに聞いたとすれば、それはあなたに『これはそもそも食べる事が出来るものか?』とか『中国人の私にも食べられるものか?』というニュアンスの『食べれるか?』です。

一方、可以口乞ma? と聞いた時、それは単にあなたに食べる許可を求めているという事になります。

…難しいかな? (というか説明も難しいんです)(^_^;)
残念ながら、これは自分で色んな場面を考えて、この場合は可以かな?能かな?と考え、慣れて行くしかないと思います。
今後は さらに会という表現、また~得(不)了とか ~得(不)下 などの出来る出来ない表現も出てくるでしょうから、まずはシッカリ可以と能の使い分けを体得しましょう。
頑張って!!

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を...続きを読む


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