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何故、古武道は型稽古ばかりなのでしょうか?

実践を謳う武道ほど、実際に素手や近距離で闘う機会があまりない近代に多くあらわれ、素手や近距離でやりあう事が多かったであろう時代からある古武道が型ばかりというのが不思議です。

本来ならば、実際に戦う事が多かった時代に出来た古武道の方がより実践的な稽古が確立されそうな感じがするのですが、そうでもないのでしょうか?江戸時代の影響があるのでしょうか?

どなたか教えて下さい。

A 回答 (5件)

質問者さんは空手などの素手の格闘技の修行者なのでしょうか?



私は剣術系の古武道の人間なので、剣術系の視点から考えてみます。
綿谷雪氏などの研究によると、室町時代から戦国時代、江戸初期ぐらいまでは武術を師匠について習うというよりも戦に行って見よう見まねでいわゆる「斬り覚える」ということの方が主流であったようです。それ以前にも武術の師匠と呼ばれるような人がいて、武術の技を伝えていたようですが、それはごく少数であったようです。

当時の武術がどのようなものであったのか不明ですが、室町末期ごろから徐々に増えてきた理由が、この武術を修業していると戦場で長時間走りまわって戦っても息が切れないからであったらしいので、一種のサーキットトレーニングのようなものであったと想像されます。実際、そのころ成立した天真正伝香取神道流の形は、多くの技をつなぎ合わせた長い形で、サーキットトレーニング的に心肺機能を強化させる機能があります。また、本朝武芸小伝にも、古い流派は形が長いというような意味の記述があります。

とすると、一つの可能性として、技を習いサーキットトレーニング的な心肺強化訓練をした後、「実践的な練習(自由に技を使いあう練習)」に相当する部分は「実戦」の中で斬り覚えたということが考えられます。応仁の乱以降は各地で実際の戦争が行われていましたから、トレーニングの成果を試してみる場には困らなかったでしょう。

もう一つ考えなければならない事柄として、形稽古の内容があります。近年になると形骸化してきた流派も少なくないようですが、本来の形稽古というのはかなり「実戦的」です。ここで言う「実戦的」というのは「自由に技を使う」という意味ではありません。自由に技を使おうとした場合には、自由に使っても危険の少ない技に限定されがちです。危険が少ないということは、殺し合いの場で殺傷能力が低い、つまり実戦性が低いということです。

形稽古の場合は危険な技を若干アレンジして安全に稽古ができるようにします。たとえば顔面を刀で突いて、これをよけようとして体勢を崩したところを下腹部を突き刺す、という技があります。これを練習する場合、形では顔面に木刀をかざすだけで突かず、そこから木刀を下腹部にさっと持って行く動作とタイミングの練習をします。このときに、「これは実際の殺し合いでは突き刺すのだ」という意識を持って練習することにより、実戦での殺し合いに使える技を安全に練習することができます。

自由に技を使う練習でこれをやろうとすると、相手はどういう技を使おうとしているのかを知らないので、木刀を眼前にかざしても突きとは考えず、躱そうとしないでしょう。本当に突こうとして当たってしまうと大けがをしますし、当たらないように突くと相手は「突きを失敗したな」と思って攻めてくるかもしれません。これに対する対策は、あるタイミングで突く形を取ったら、実際には当たらなくても突き刺したとみなす、というルールを作ることです。これなら実際に木刀を顔に当てなくても相手は躱そうとするようになります。しかし、互いに自由に動き回る中でこれを行なおうとすると、とっさの場合に反射的に実際には当たらない突きの形を取る、ということが必要になります。これは実戦の殺し合いの場でとっさに突き刺さないようにしてしまう危険性があります。つまり、自由な練習は実戦的な練習とは限らない、ということなのです。

結局、戦争という殺し合いの場で技をいろいろと使い、練習方法を工夫した結果、形稽古という方法が生き残ったということだと思います。
つまり、殺し合いの技術を身に付けるためには形稽古が実戦的な練習方法であった、ということではないでしょうか。
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この回答へのお礼

修行者と言えるほどではありませんが、多少は武道をかじっている者です。

詳しい知識を有難うございます。
長い時間を得てきた稽古法はそれ相応の理由があるのですね。
納得できました。

お礼日時:2011/06/25 22:20

一言でいえば、応用の基礎をつくるためです。


実践的な稽古というものもどんなにリアルな想定をしても所詮は想定上の疑似体験に過ぎません。
本当の「実戦」のためにそなえるためには、実はリアルな疑似体験よりも、応用の基礎となる型をやっていた方が能率的だったりします(疑似体験は慣れが生じてしまう)。
型の反復が無意識の動きの土台になるからです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2011/06/25 22:17

実践とは殴りあうことでしょうか。


戦国時代では殺し合いですので、実践をしたら兵士がいなくなってしまいます。
と言うのは冗談で、型稽古のみで実践に役立たないかと言うと大間違いで、常に殴って訓練をすると予想しない攻撃に全く対処ができなくなる事実があります。
古武術は過去の経験からあらゆる攻撃に対し対応ができるように考え、型稽古で反復練習をすることで体に覚えさせることをしますので、似たような攻撃のときは自然と体が動いてしまうのです。
ほんの少しの違いですが、実践では生死を分けることになります。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。実践の定義が難しい所ですが、自分が思っていたところは「実際のあらゆる戦闘で役に立つ」という感じでしょうか。
殴って訓練している方が予想しない攻撃に対処出来なくなるのですか?
それは意外に思いました。

お礼日時:2011/06/25 22:12

素手で殺しあうなんてのはあまり無かったんじゃないですか?


刀や槍でやりあうのが前提で、武器が無い場合や組み合いになった時に使うのが柔術だったはずです。

型というのは単独型ではなく約束組手の事を指していますか?
それなら約束組手は非常に有効な稽古ですよ。
来るのが分かっている攻撃を捌けない人は結局どんな攻撃も捌けませんからね。

ちなみに質問者さんはどんな古武道を習っているのですか?
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この回答へのお礼

回答、有難うございます。一応は合気道をやってはいます。合気道が古武道に入るかどうかは微妙なラインですが。

お礼日時:2011/06/25 22:08

竹刀は比較的新しい発明で、戦争がなくなった江戸時代に普及しました。

それ以前は木刀です。木刀で実戦の練習をするとうまくなるまで命が持ちません。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2011/06/18 13:13

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