プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

主人のお父さん、つまり義理の父親がホスピスにいます。
今度お見舞い?に行くのですが、本人は当たり前ですがもう気力がないようで、落ち込んでいます。
どのような話をしたらよいでしょうか?

いきなり本人の前で泣いちゃうのもよしたほうがいいし。

すごいよい人で、いろいろと助けていただいたし、楽しかったのです。。

どなたか同じような経験ある方いらっしゃいますか?

A 回答 (4件)

人それぞれなので難しいものがありますが


あまり気を使いすぎることもないと思います。

普段会えない人に会うのなら
自分の近況などを語るといいでしょう。
あなたがいてくれたおかげで幸せになっています
的なことが言えるとすごく喜ばれるかと。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

あなたのおかげで・・・という事を言おうとも思いましたが、なんだか最後のお別れの言葉になってしまうようで、ちょっと考えちゃいました。。。

お礼日時:2011/06/29 10:12

もし私がホスピスにいて、家族がお見舞いに来たら、自分の話をしたいんじゃないかなって気がします。



どんな仕事をして、何をどう頑張って、そしてどうなったのか、どんな恋をして、それがどうなったのか、人生の中で何を経験し、何を学び、どういう思想で生きてきたのか・・・家族に伝えたいことが、いろいろあるんじゃないかと思います。

あなたはどんな話をすればいいかと悩んでいるけど、自分たちの話や、世間話なんかはすることなくて、お義父さんの思い出話をじっくり聞いてあげた方がいいかもしれませんね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

自分の話。何だかわかる気がします。
私の話をしてもきっと興味がないだろうし、おれはどうせ死ぬんだからどうだっていいって思うかもしれないし。。。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/29 10:13

こんにちは。



昔、身近な親族が末期がんを患った折にホスピスに入院させる
検討をしたことがあります。

私は医療関係者ではないので、あなたが仰る現在のホスピスと
同じかどうか判りません。 あくまで、不治の病に冒された患者が
出来るだけ肉体的・精神的な苦痛を和らげながら最後の時を過ごす
終末医療機関という解釈でのお話です。

ホスピスに入るということは、本人への末期の告知が済んでいると
思ってもいいわけですね?
ホスピスは一般の病院ではありませんから、そこに入院する、と
いうことは、死を待つということです。

どのような話をしたらよいか、というのは何を話すべきか、
何を話さざるべきか、というご質問でしょうね。

話さざるべき話題なら言われなくてもお解かりでしょう。
医療的な話は、直る見込みがあればこその話ですから、打つ手がない
患者に話すメリットのある話題などないのではないかな。

……「いきなり本人の前で泣いちゃうのもよしたほうがいいし。」

、これは意味が判りません。
意図的に泣こうか止めようか、という風にも受け取れます。
こういう場で泣く方が良いかどうか、などと真顔で言う人がいたら、
人間としての良識を疑ってしまいます。
人としていかがなものか、と思います。

それは、苦しむ人の立場に立って考えているのではなくて、
実は心の底では自分が良い人に見えるかどうかを気にしている発言と
取られても仕方が無いからです。

苦痛にのたうつ人の前で涙を流して見せて心優しい人に思われたいと
内心思っている人がいたら、そういう心は周囲の人に読まれます。
他の患者さんや同行した親族にね。 場にそぐわない不自然なものだから。
そういう態度が絶望している人に与える感情は酷い寂しさと無常感です。

泣くという感情を、何かを意図して涙腺や表情を操ることは人として
恥ずべきことです。 あえて、それ以上は書きません。
私同様、この文章にギョッとした方は何人かいらっしゃると思いますよ。

もうすぐいなくなる人だから、という考えの言葉も残酷でしょう。
患者が望んでもいない昔話、世話になった話、ありがとう、ごめんなさい。
そういう「人生の清算」にも思える話題は患者にしてみたら辛いでしょうね。

もし、他人の絶望的な不幸の場で心理的な盛り上がり、例えば泣きながら
「今までありがとう」と言う、などの考えはドラマチックなイベントのように
捉えているということです。 それは決して表に出してはならない醜い感情です。
安っぽい偽善になってしまいますから。

自然体で逝くことが出来る達人も希にはいますが、多くの人は普通の人です。
他人の死については判った様な死生観や宇宙観を申し述べる人は沢山いますが、
自分が苦痛の果てに朽ちていく屍であると絶望したら・・・
それを想像することさえ出来ない人も少なくありません。
そういう人の口から出る宗教じみた言葉は死者に鞭打つ響きのような
むごいものだと思うのです。

励まそうとか、癒してあげようとか、祈ってあげようとか、何かしら
ヒューマニズム的な言葉を言いたくなる心理もあるとおもいますが、
私が患者であれば、そんな話は一切聞きたくないと思います。

苦しい状態で「お前なんかに何が判るんだ!」と患者が怒りを感じたと
しても不思議はありません。 被災者に可哀想と頑張れを連呼する
マスコミのようなものです。

頼んでもいないのに教戒師が説教を始めたような話、死後の世界だの
天国に行くだの、悔い改めて、だのの話をする人が来たら
病室から追い出してしまうかも知れません。

耐え難い苦痛をモルヒネで和らげ、ナースの優しいケアで労わられて
いるとしても、その苦痛は無くなる事は決してなく、通常の麻薬の
投与量で もはや痛みを取ることが出来なくなったら、中毒症状に
近い量の薬物投与で意識が朦朧とした状態に死ぬまで置かれるのです。

残り僅かな人生に増して行く苦痛と薄れていく意識しかない。
それを自覚してベッドに横たわる患者の思い・・・絶望としか言い様が
ありません。

それを自分の身に置き換えて考えられれば、少なくとも言って欲しくない
言葉やして欲しくない態度はお解かりでしょう?

私なら、久しぶりに会った知己が面白い話、腹の皮がよじれるような
笑い話、くっだらない、でも笑える馬鹿話、子供達の色んな土産話。
時を忘れてしまえるようなありふれた話に救われると思います。

帰る時も、「じゃ、またね」位のあっさりした言葉が良いと思います。
「元気で」とか「さよなら」とか「バイバイ」とか、普通なら
なんてことのない言葉も、文字通り「お別れ」の言葉になってしまう。

そんなとりとめもない楽しい話が苦痛を和らげ、絶望感から
意識を逸らすことが出来る気がします。

私がホスピスに入れることを検討した親族は、薬品漬けで最後は
人とは思えない姿になりました。 私達の言葉も耳には届かなかった
でしょう。

最後は凄惨な最後でした。 私は人の尊厳さえ崩壊したその人の最後を

私の腕の中で看取ったのです。

遠い昔のことです。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

貴重な体験談ありがとうございました。

泣いちゃう話は、この間も結構泣いてしまったので(自宅で)、泣いちゃいそうだからそこを我慢して話をしないと、って思ったのです。そこで泣くだけになってしまったらせっかく会いに行く意味ないですからね。という意味でした。わかりにくくてすみません。
意図的に泣こうとは思いません。意味ないし。

笑い話、できたらいいなと思います。お養父さんの息子の話で笑い話ができたらいいですね。

もうすでに薬漬けになっているようなので、ちょっと悲しいです。

難しいですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/29 10:20

ホスピスのしんどさ、身内で入院していましたのでコメント出来るかなと思い書いています。


本人は覚悟で来て居る分、見舞いに行っても元気に振る舞える時は振る舞います、体が調子が良いなら、テンションも上がるなど、しかししんどい特は、寝たいと言うなど、患者の気分次第で見舞う側は気使いをする位です。
 構えた行くと気負い過ぎて、疲れるので、出た時勝負くらいの気楽さで行かれる事です。
 明日の事は行く側も気にしない、来る側の家族も来てくれて、ありがとうと返す。
 難しく考えると、話は出来ない分、天気とか、世相の話などで盛り上げるだけでも楽しいではないですか?
 その方が今どう言う状態でいるかで、速く切り上げるか、話出来る状態かの判断です。
 しんどいなら、早急に帰るべきだし、患者さんの容態次第と思います。
 考えても、患者さんの寿命は運任せと思いますけど・・・
 
 ちなみに、その身内は3週間で旅立ちましたけど・・・・安らかなお迎えでした。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

構えないで行くのも一つの案ですね。。。

お礼日時:2011/06/29 10:21

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!