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家族2代に渡り戸籍には婚姻届、出生届ともに
同年同月に連日に渡り届出が記されております
大正時代、昭和初期(岡山県)にはこのように、
子供が出来ないと婚姻届は出してもらえない風習だったのか
または、この家系のみの特殊な理由だったのか
どなたかご存知の方お教え頂けないでしょうか

祖父祖母 婚姻届     大正6年3月2日
     第1子出生届  大正6年3月4日

両親  養子縁組     昭和17年3月12日
     婚姻届     昭和17年3月13日
     第1子出生届  昭和17年3月14日
両親は見合い結婚で、今でいう「出来ちゃった結婚」ではありません。
書籍を見ても似た例も無くまた家系にも知る者は逝ってしまい
頭を抱えるばかりで弱っております。宜しくお願い致します。

A 回答 (1件)

岡山県の事情は知らないのですが…私も自分の先祖の戸籍を辿っていったら、「婚姻せずに出産」→「実の父親らしき人と婚姻」という事例がいくつか出てきました。

もしかしたら当時は、(事実婚の状態であっても) 役所に婚姻を届け出るのはいつでもいいとか、子どもが生まれたら婚姻届を出せばいいとか、そんな意識が強かったのかも知れません。
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この回答へのお礼

御回答ありごとうございました。
お話の実例があることを知りました。
大変参考になりました。
役所も今ほど厳重でない時代では
風習ではなく全国多々あったと考えられますね
また家系の習慣であったのかも知れませんね
ご丁寧にお返事を頂けてとても嬉しいです。

お礼日時:2011/07/15 10:06

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