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明治時代の戸籍謄本を見ると婚姻が第一子を産んだ後という先祖が多いんですけど、昔は女性が子供を産めることを確認してからじゃないと籍を入れられなかったとかですが?

A 回答 (5件)

乳幼児が直ぐ死んでしまうので、元気に育つかどうかを見て、戸籍に入れたらしいです。



私の祖母も本人曰く、三つになってから、届けたと言っていました。
なぜ本人が知っているのか、もう確認のしようがありませんけど。

90歳以上で、一月一日生まれとかは、怪しいですね。
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私も過去の戸籍を見つつ、祖母からそのような話を聞いたことがあります。


ご質問者様は明治時代のものということですが、対象や昭和初期にもあったようです。
ただ、そのころは出生後の入籍は体裁が悪いという考えはあったようで、日付をごまかしたようです。
出生前に入籍したことにしたり、入籍した後に出生証明などを後日で作ってもらうなどということのようです。
そのため、本当の誕生日は・・・なんて話もあるようです。

昔の戸籍の話では、今のルールではありえないことも多くあるようですね。
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法律上そのような制限はありませんでしたが、江戸時代には子供が出来ないことを理由とする離婚が簡単に出来たのに対し、明治時代の民法では、単に子供が出来ないという理由では離婚が認められなくなったため、女性が子を産めることを確認してから入籍するという慣行が広まったのかも知れません。

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昔、東北の農村地帯では(多くの地方でもあったと思いますが)、労働力確保の方法の一つとして、足入れ婚という風習(昭和の20年代でも)がありました。

多くの場合、妊娠した時に正式に結婚(お披露目)するようになったようです。地域によっては、子供が生まれてからというようなこともあったのだと思います。今の同棲していて子供ができて結婚に至るというのと形の上では似ていますが、労働力確保という面が強いという点で違っていると思います。
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普通はそのようなことはありませんね。



あなたの家か地域の習慣でしょう。
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