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最近、若手の運動選手が、試合に負けたあとの感想表明などで、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」とか、「これからもみんなに元気をあげたいと思います」などの発言をするのが気になります。

はたして、元気っちゅうもんは人様にあげることができるんですかい?

いえね、ピカソのゲルニカを見て元気を貰う人がいたり、ベートーベンのハンマークラフィアを聴いて元気を貰う人がいるのだから、野球や水泳の試合を見て元気を貰う人がいたって一向に不思議じゃなないんです。疑問なのは、「貰う」方じゃなくて、「あげる」方なんです。

運動選手と言えば、嘉納治五郎や大山倍達の伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、ベルリンオリンピックで活躍した水泳の前畑秀子選手からは元気を貰った人が多いと聞きます。しかし、嘉納さんや大山さんや前畑さんが「元気をあげたい」なぞと言ったでしょうか?

嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?

A 回答 (51件中11~20件)

なんで解答ボタンがないのかなあ

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この回答へのお礼

なんででしょう?

回答を思いついたら、また投稿してくださいね。

お礼日時:2011/08/16 17:58

視野を狭め過ぎていらっしゃいませんか?



他の方からの意見で号令の話題が既に登場していますので、
便乗にもなりますが、こういう事例もが存在していました。

つまり、苦しみの軽減の為に、古来の戦場でも、
軍楽隊が元気を活性化させてきたのです。

尚、号令の妙を諭して下さっている武術家の男性が、
日本にも存在しています。
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%9D%92%E6% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり、21世紀少年・少女のインタビュー回答と組織的号令は似て非なるものではないかと思います。

お礼日時:2011/08/16 18:00

お礼を頂戴いたしました。


ありがとうございます。

質問者様は、元気の意味を「心身の活動の源となる力」として質問をされていると解釈しておいります。
したがって、GiveはもちろんTakeも起こりえないと思っています。Get(得る)ならあり得ると考えます。表現だけの問題でしょうか、それとも根本的は間違いがあるのでしょうか(逆に質問してますね・・・)

何れにしても、勇気もらう・上げるを簡単に言う勇気を知らない人と違い、ご質問者が元気はTakeできるとの解釈を不自然に思う次第です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに人からTakeするものではなく、自分でGetするものですね。
ご指摘をうけて改めて不用意な言葉使いをしたと気付きました。

お礼日時:2011/08/15 15:46

質問者様は


>伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、
上記表現は問題なく
自ら元気になるのだから、勝手に貰って元気になる事はあるだろう。。との事ですよね。

貰うの反対語は遣るです。
遣るではなく上げると丁寧な表現をしているのですから問題ないでしょう。

ですから貰うがあれば上げるもあるはずです。

若手の運動選手が
「みんなに元気をあげることが出来て良かった」。とは言っていますが、
「みんなを元気にしてあげる事ができてよかった。」とはいっていないです。
恐らく
此処での”元気=元気付ける様なプレーを見せる”の意味で使っているのではと思います。
「みんなを”元気付ける様なプレーを見せて”あげる事が出来てよかった」と言っているはずです。
「みんなを”元気にして”あげる事ができてよかった。」とは言っていないでしょう。
そして
「みんなを元気にしてあげた」とも言っていない。

私には、「元気を貰う」、「元気をあげる」は共に納得出来ない表現です。

質問者様は、表現の事を言っているのではないと仰っていますが、ならば
「みんなを元気にしてあげる事ができてよかった。」

「皆様に元気付ける事が出来る様な精一杯のプレーをお見せする事が出来満足しております。」
「私たちのプレーで一人でもまた、ひと時でも元気に成って頂ける方がおいでになれば幸いです。」
と解釈してはいかがです?

質問者様が、
元気を貰い元気になったのは、その本の内容から自分で、心の状態を変化させたと解釈していいのでしょうか。
だったら、読んで元気を貰ったではなく、読んで感動し明日への活力を得やる気が出て前向きな考えになり明るい気持に成ったと表現して欲しいです。(間違えていたらすみません。)

ただでさえ、大量の情報を伝えるため短くまた早口になっている日本語ですから、
「貰うがあれば、上げるもある」と考える少年少女達運動選手の表現が、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」
になり意味は、そんなに傲慢でも見識が無いからとばかりは言えない気がいたします。
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この回答へのお礼

ありがとございます。

元気とは、Give も Takeもできないもの、というお考えでしょうか。

お礼日時:2011/08/15 11:57

指導命令系統からの絶妙な号令は、対象集団の構成員達の無駄な力みを和らげて、暫時的にでも彼等の元気を賦活してくれますよね。

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この回答へのお礼

21世紀少年・少女が指揮命令系統をつかって号令していると、、、。
それって、マスメディアも絡めてのお考えですか?

お礼日時:2011/08/15 15:47

>嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?




 これについての解答を書け と?
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この回答へのお礼

命令ではございませんので、投稿するしないは任意です。

お礼日時:2011/08/15 00:36

人はひとりでなければ生きられない?

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この回答へのお礼

質問ありがとうございます。

次回からは回答もお願いします。

お礼日時:2011/08/14 23:35

達人の言葉や姿から勇気をもらえるのは、達人の通った道の景色を自分も観ることができたと感じたときです。


これを感じた者は、単なる声援や瞬間的感動からは卒業なのです。
しかし、他人への対応は低きにあわしていくのがマナーでしょうね。
選手は根本的解決にならないと理解しているが、敢えて言っていると思いたいものです。
ただ、棟梁はひとかどの職人でしょうし、もくぞうさんも言葉だけで済まされるレベルではないので、言葉に迷うところかもしれません。
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この回答へのお礼

21世紀の運動選手は自らが達人の域に達したと思い「元気を上げる」と言うのでしょうね。
昔の日本人は本当の達人の域に達した人でも「自分なんて、まだまだ、、、。」と言っていた様な気がします。
つまり、嘉納治五郎や大山倍達たちと、21世紀少年・少女はもはや別の文化圏の人間と解釈しないとイケないですね。

お礼日時:2011/08/14 00:50

 うっかりミスで回答をだぶらせてしまいました。

No.32は削除をお願いしてあります。丁寧にご返事いただきありがとうございます。

 No.33では木造さんに不快感を与えようと試みました。
 与える事が出来ましたでしょうか。

 外は太陽の光にあふれていても雨戸を閉めた部屋の中までは光は届かないという理屈と一緒かと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

北国にお住まいですか?

愚拙は東京モンなので、太陽はこの時期、老人や弱者の命まで奪う自然の脅威ですよ。

お礼日時:2011/08/13 12:08

 ピカソは“あげたかった”のだと思います。



 芸術家は自分の思いを「芸術」という手段を用いて、我が思いを人々に発信し、伝えたいと活動しているのだと思います。

 自分の思いを“あげたい”のです。

 木造さんは「不快感」が動機となって、自身の思いを他者に“あげよう”と、こうした質問を思いついたのではないでしょうか。

 純粋な疑問からではなく、我が思いを伝えたいんですよね。
 
 回答への返答に、そうしたお心持がよく表れています。

 自身をよく見つめてみましょう。
 

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

元気は人様にあげられるものとのお考えがあるとは思いますが、なぜあげることができるのか、が疑問です。

もし、あげられるものなら、鬱のひとにあげたいもんです。

お礼日時:2011/08/13 00:07

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