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最近、若手の運動選手が、試合に負けたあとの感想表明などで、「みんなに元気をあげることが出来て良かった」とか、「これからもみんなに元気をあげたいと思います」などの発言をするのが気になります。

はたして、元気っちゅうもんは人様にあげることができるんですかい?

いえね、ピカソのゲルニカを見て元気を貰う人がいたり、ベートーベンのハンマークラフィアを聴いて元気を貰う人がいるのだから、野球や水泳の試合を見て元気を貰う人がいたって一向に不思議じゃなないんです。疑問なのは、「貰う」方じゃなくて、「あげる」方なんです。

運動選手と言えば、嘉納治五郎や大山倍達の伝記を読んで、ずいぶん元気をもらった記憶がありますし、ベルリンオリンピックで活躍した水泳の前畑秀子選手からは元気を貰った人が多いと聞きます。しかし、嘉納さんや大山さんや前畑さんが「元気をあげたい」なぞと言ったでしょうか?

嘉納治五郎や大山倍達や前畑秀子たちが言わなかったことを、21世紀少年(少女)たちが発言するようになったのはなぜだと思いますか?

A 回答 (51件中51~51件)

ドラゴンボールの元気玉(世界中の人から元気を貰う)


からじゃないの?
良く言うようになったのって。
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この回答へのお礼

貰うのは良いんですよ。「あげる」っちゅうのが?なんです。

お礼日時:2011/08/09 16:35
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