私は、大河ドラマが好きで今年の「江」も欠かさず見ています。
そこで、一つの疑問がでてきました。
それは茶々と秀吉の関係です。
大河ドラマでは、
茶々は秀吉を殺したいほどに憎んでいましたが、
現段階ではお互いに思いを寄せあっています。
ですが、別の歴史の本では
茶々はずっと憎んでいて、
自分の願いを何でも聞いてくれる秀吉を利用しただけとも書いてありました。
どちらかと言えば、
大河ドラマのハッピーな感じがいいのですが
茶々と秀吉の関係はどうだったのですか?
やはり、大河ドラマは脚色されているのでしょうか?
もしご存知の方はお願いします。
また、個人的な考えでもいいので教えて下さい。
A 回答 (6件)
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No.6
- 回答日時:
まず戦国時代は現代のような恋愛結婚は稀であった事、そして女性には現在のような人権は無かったと考えてください。
嫁ぎ先も勝手に決められ、結婚式の日に初めて相手と対面、等という事もざらでしょう。
嫁いでから相手と愛情を育む…というパターンもあったかもしれません。
しかし自分の本当の両親を死に追いった、父親のような年齢の男が好色な目で自分を見ている(しかも本当は母である市を欲していたが、その代わりに似ている娘に食指を伸ばしている)
そんな状況で二十歳前後の若い娘が恋愛感情を抱くのでしょうか?
人の心の本音はその人にしか判りませんが、少なくとも茶々には(茶々に限らずこの時代の女性には)男の決めた事に逆らう、等という選択肢はありません。
現在放送中の大河ドラマはあくまでも『ドラマ』です。フィクションであり、脚色です
それを理解した上で楽しむことをお薦めします
No.5
- 回答日時:
まず大河ドラマはあくまで「ドラマ」だということを理解しましょう。
ドラマということはフィクションだということで、当然脚色されています。「江」に限らず、歴史上の事実は誰も知らないことが多いと思います。例えば関ヶ原の戦に誰が参戦して誰が勝った負けたということは分かっていますが、戦の中で誰が何を考えていたかとか、誰と誰がどんな会話をしたかなどはほとんど記録には残っていないはずです。
江や茶々などの女性はもっと記録が残っておらず、例えば小谷城落城の後、どこで暮らしていたかなどは諸説あるようです。まして彼女たちがどんなことを思い、どんなことを話したかなど、誰にもわからないのです。
ということは茶々の秀吉への気持ちも、誰にも何もわかっていないはずです。
ただ、歴史的にわかっている事実というのがあります。
わからないことでもそれらをつなぎ合わせて「歴史の定説」というものが、主に学者によって作られているのです。
その定説からすると、恐らく茶々は秀吉を憎んでいただろうという推測が、一番信憑性があると思います。
では実際どうだったのか”推測”してみると、まずは当時の力関係からすると、茶々の気持ちは関係なかったということです。両親を失い、権力者だった伯父・信長もなく、三姉妹は「織田ブランドを背負った孤児」でしかありませんでした。だから秀吉に引き取られ、江は3度も嫁に行かされたのです。
茶々が3人の中で最後まで結婚できなかったのも、恐らく秀吉が早いうちから側室にしたいという思いがあったからかもしれません。
ちなみに個人的には、今回の「江」は、茶々だけでなく江についてもちょっとデフォルメが過ぎてると思っています。
またどんないきさつがあったとしても、茶々が自分から秀吉を好きになったとは、どうしても思えません。茶々が秀吉を利用したという説も、あくまで側室になった後、もしくは子供を産んだ後のことで、側室になるまでは利用できるほどの立場にもいなかったと思います。
他の方も仰ってるように、結婚の形態も夫婦の情愛も、昔と今では全く違うものです。特に上流階級は、今の庶民とは全く違う世界で生きていたと思った方がいいでしょう。
時間があったらこちらを参考にしてください。
http://homepage3.nifty.com/sophie_stardust/his,D …
人の気持ちはわからないですが、
それをみんなで考え、意見交換するのも歴史の一つの魅力かもしれませんね。
やはり、大河ドラマは多くのことが脚色されているようですね・・・。
少し残念な気持ちもありますが、
皆さんの意見から、有力な定説を知ることができてうれしく思います。
昔は今以上に力があるものは強く、
結婚の感じ方もきっと私たちが考えるものとずいぶんと違うのでしょうね。
詳しい回答をありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
まず、歴史と歴史小説は別なものだと言う認識が必要だと思います。
前者は、史料(手紙、日記、記録、など)をもとに事実を確定したりまた推測したり、事象の理由を考えたりするものです。
後者は、歴史を基本としてあとは、作者の想像で物語を創作するものです。
あなたが読んでいるのは、歴史小説です。
史料に基づく事実認定は、共通しているでしょうがあとは、作者の想像ですから本によって違います。
読者が興味を引くように面白おかしく書いてあるに過ぎません。
秀吉関係の小説を書く上で参考としている文献としては、「太閤記」という書物がありますが、これも史料としての客観性は低く、聞いた話し等をもとに書かれているので事実かどうか分かりません。
あなたが、疑問に思っている秀吉と茶々の関係や茶々の気持ち等が分かる史料(例えば茶々の手紙や日記)等があれば分かるのでしょうがね。
秀吉が福岡の名護屋から淀に送った手紙が残っていますが、それには、「あなたのことを愛しく思っている。キスをしたい。」等の内容が書かれているので、秀吉の淀への思いは分かりますがね。
歴史は歴史。小説は小説。
区別することが大切ですね。
人の心を知るのはあまりいいことではないかもしれませんが、
やっぱり気になりますね・・・。
茶々が残した日記などはないのでしょうか?
それに、歴史小説はそれはそれでおもしろいですしね。
ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
当時から、茶々の子供の秀頼は、秀吉との間の子供ではない何て噂が出回っていました…。
(周りの人の目から、茶々が秀吉に好意を寄せている事が明白であれば、この様な噂は出てこないと思うのですが…。)
なお、あの時代は「愛」と言う言葉には、現在とは意味合いが違います。
(現在の好意的な解釈は、キリスト教が神の行いを「愛」と表現するため…。広まったのは明治以降)
当時は愛の様な特定の誰かに固執するさまは、人間の根源的な衝動であり抵抗しがたい感情である事は理解するが、あまり好意的には見られません。
(広義には煩悩を意味し、狭義には貪欲と同じ意味)
第三者がストーカーを見たときに抱くような感情でししょうか…。
ですので愛は、等しく万人に注ぐと言う意味の慈悲に昇華させるべきという認識ですし…。
当時の夫婦関係って、現在で言う所の、いわば会社内におけるビジネスパートナーみたいな物です。
重要な立場の人になれば、そのパートナーもたくさん居ますし、特定の誰かを優遇するのは良くなく、可能な限り全ての相手に公平で敬意をもって接するのが良しとされました。
(とうぜん相手が別の人に対面していたからといって嫉妬するのも良くないとされた…。)
秀頼については、私も耳にしたことがあります。
(確か私が聞いたのは、石田光成が父親だ。という説だった気がします・・・)
昔と今で食事や服装が違うように
「愛」の意味合いまで違うんですね!
ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
初めは実父そして二度目は母親と義父、秀吉によって奪われていましたし。
恨みはあったとおもいます。(一度目は母親3姉妹、共に秀吉によって救われてはいますが。落城のきっかけを作ったのも秀吉です) 秀吉の方は有名な女好きですね。特に茶々の母親お市にはかなりの好意もっていたみたいですし。もちろん子宝に恵まれ無かったことも女色にはしった原因だとおもいます。秀吉の方には愛?気持ちはあったとおもいますが、茶々の方にはおそらく憎しみや利用する気持ちしかなかったでしょう。 秀吉が亡くなった後には色々な武将と噂になってますし。嫁ぐ前には秀吉が日本で一番の実力もあり後継者も養子しかいなかったですから。子供さえ埋めれば秀吉なき後、国の実権 も握れますし、子供ができなくても贅沢できたでしょうし。計算高い女ですね。やはり、実父・母親そして義父を殺された恨みは消えませんよね・・・。
どんな辛いことでも、
あとのことを考え、乗り越えてきた茶々の強い部分も見られますね。
いろいろな武将と噂になったのも
秀吉がおじいちゃんと言ってもよい歳でしたから、
仕方ない部分もありますかね・・・。
ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
初めまして。
私も淀殿と秀吉の関係には興味ありです。
一つ考えなければならないのは、今の恋愛結婚と当時の結婚は
全然別物だって事です。
茶々さんが後年いくら我がままで気位の高い娘さんだったってイメージがあっても
当時天下人の秀吉の命令に逆らうことは出来ません。
好きとか嫌いとか、自分より30も年上のおじいさんだとかそういうの
言ってられなかったと思います。
秀吉の側室になるしかない。
利用したとかそういうのもない。従うしかない。
そうして子どもが出来た。
子どもが出来たら、自分と我が子を守るには秀吉は必要だったと思います。
恋愛感情はなかったんじゃないかな。
当時の女性は道具でしかなかったのですから。悲しいですけど。
昔の女性は道具でしかなかったというのは、
悲しいほかにも、なんだか悔しいですね・・・。
茶々には恋愛感情はなく、
秀吉が30も年上と数字に表わすと、
なんだか、その当時の秀吉の力を思い知らされたように感じます。
ありがとうございました。
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