プロが教えるわが家の防犯対策術!

何が謙虚で、何が傲慢なのかよくわかりません。人の役に立ちたいと思えば思うほど、偉そうだと嫌われてしまいます。馬鹿のくせに教えようしているとまで。そんなつもりないのにです。しかし、傲慢だといわれるならそうなのでしょう。ぜひ反省して克服したいのですが、具体的に謙虚とは、傲慢とは、何なのかわからないまま、頭が真っ白になって反省になりません。人の役に立ち、崇高な人間になりたい、そうすることで平穏な日々を生きたいと願うのは傲慢な間違いですか。私は誰よりも人間らしくありたいと願い行動するのに、間違いですか。何がいけないのか。どうしたら、謙虚に、他人を理解して寄り添うことになるのですか。いまよりも正しい方法があるのですか。どうかヒントをください。宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

寡黙が謙虚。

饒舌が傲慢。例外もあるよ。でも例外は上級コース。だから人生の最初の50年ぐらいは寡黙を守る訓練をする。
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あなた自身の気付かない部分での言葉遣いや仕草などに何かあるのかしら


同じ事をしても同じ言葉を言っても『何か違う』てありますよね
イメージと言うのかキャラクターと言うのかオーラなのか…

自分自身だけでもがいているより、第三者の目を通して直すべき点を指摘してもらった方が早いですよね


また受ける側の状況も関係ありますよね
分かってはいるけど暴言を吐いてしまったり…
自分を見直すと同時に周囲とのコミュニケーションをも上手に取らないとね
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この回答へのお礼

うーん…
難しいですね…。
助言ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/06 11:44

実際の姿や言動に関しては、面識のある人間の意見が大変参考になります。


ところで、質問者には相談できる友人はいないのですか? そこが重要です。

・他人の話にしっかりと耳を傾ける。
・自分に可能な事と不可能な事をしっかりと弁える

抑えるべき基本はこれぐらいで、あまり大したことはありません。

最後に、何故そんな風に言われているのか、当の本人に聞けないのでしょうか?
おそらくは仕事でクレームでも出て、誰にも相談しようとせずに何とか試みて
余計に酷くなってしまったとか、そんな感じなのでしょうか?

おそらく質問者は自分自身の欠点が全く見えていないのでしょう。だからこそ、
赤の他人に相談するのではなくて、周囲の人間とコミュニケーションを重ねながら、
自分自身を改善するしかありません。

>>何なのかわからないまま、頭が真っ白になって反省になりません。
分からないまま反省しようとするフリが余計に駄目なんじゃないの?
あと、パニック障害じゃないですよね? 念のために。
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この回答へのお礼

いいえ、パニック障害ではなくて、『傲慢と謙虚』を説明する引き出しも経験もなく、考える材料がなくて、白紙の真っ白ということです。私は未熟すぎるために反省するための材料を持っていないと言いたかったです。

助言ありがとうございました。

お礼日時:2011/09/06 11:43

>人の役に立ちたい


この気持、けして傲慢ではない。言葉通りなら。
人の役に立つ、の心の底に、施してき(ゴメンナサイ、もし、、、、です)要素がないなら素晴らしいことです。
人の役に立ちながら自分を観ることもできますし、成長も出来ます。
人の役に立っているようで、結果、自分の為になっていると思います。

傲慢か、謙虚か!!?
謙虚の心底に傲慢があるなら様々な事からそれを掴めるでしょうね、何れ、、、!!
掴んだのなら、一休みして見つめ直せばいいことだと、、、、。
謙虚と傲慢、受け取り方は状況によって様々ですよね、見つめたなら自信を持って、、、、
、、、私から見たら、とてもエライことです。

人生は短い、思うように生きることが何よりです。
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この回答へのお礼

誰にとっても難しいことだそうですが、相手の状態や想いに耳を傾け、理解した上で、押しつけることなく善意を実行するのが大事…ということでしょうか。

↑この反省も半分以上は受け売りですが、いらぬお節介と善意は紙一重…なのかもしれませんね。
おそろしい。
それでも、できるかぎり行動を改めたいです。

助言ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/06 11:38

例えば、今ここで回答をする事も、人によっては傲慢な行動に見えてしまうのかも知れません。



自分ではそういうつもりはないのに、です。

人の役に立ちたい、何かの役に立ちたい、と願って行動しても、受け取り手がそれを望んでいなかったのだとすれば、それは「余計なお世話」になるのだと思います。

算数や数学とは違い、世の中の出来事には正しい答えというものはありません。

どんな出来事も、人の見方によっては色んな角度から見たその人なりの答えがあるのです。
それを「これはこうするのが正解なのだよ」と言い切ってしまうのだとすれば、それは自分の答えが一番正しいと言う傲慢以外の何物でもないような気がします。

人にはそれぞれ、求められている立場というものがあります。
教師ならば教師、医者ならば医者などが、生徒や患者などに物を教える立場と、自分が友人や知人などへ助言する立場とでは、やはり違ってきて当然なのだと思います。

傲慢と謙虚。
これは実際、とても曖昧な物であり「これは傲慢」「これは謙虚」と個人が線引きをする事自体、傲慢な事なのだと思います。

なんでもかんでもこれは正しいのだと、自分の意見を他人に押し通す事は言わずとも理解出来る所でしょうが、知っているのにわざと教えない事も、また一方では傲慢に思える事のような気も自分の中ではあります。

「人の役に立ちたい」と願う事自体は悪い事ではありません。
しかし、実際役に立つかどうかは「自分が決める事ではない」事も確かなのです。

あなたがどんなに「これは人の役に立つ事だ」と思ってやった事でも、相手に「役に立たない」と思われればそれが現実なのです。

願いはあくまで願いだけ、その後の結果は結果として、しっかりと受け止めなくては、最後まで自分の行動に責任を持つ事にはなりません。

自分の気の済むようにやりたい事だけをして、それを相手が認めてくれないからと嘆いているだけでは、やはり何の解決にもならないのではないでしょうか?

あなたの場合は、初めの想いも立派、その後の行動も立派なのですが、最後の責任がまだ曖昧なような気がします。

取り合えず、自分の意見はあくまで一つの意見、それを正解とするかどうかは相手の判断に任せる、と言った方向性で良いのではないでしょうか?

どんな行動も自己満足の世界であるのです。
そもそも、初めから傲慢も謙虚も人の作った言葉だけで、そんなものは存在するかどうかも分からない事なのです。

自分以外の他人を介する場合には「一番正しい方法は存在しない」と心のどこかに置いておけば、それが自分の行動を決める上で、一番正解に近いのではないか?と思います。

この回答も、一つの意見として参考頂ければ幸いです。
謙虚過ぎて嫌味ですかね(笑
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
謙虚と傲慢について、現実だけを淡々と書いてくださったことに驚いています。繰り返し読み返して、自分の行動と言動を振り返り、周りの反応を見ながら、ゆっくり時間をかけて自分の傲慢さを克服していきたいです。

謙虚さには、善意だけでなく冷静な理性と判断力も必要ということでしょうか。自分の未熟さを当たり前として認めるということでしょうか。

私にとって、本当の謙虚さを身に付けようとするのは、辛くめんどくさいです。分かったつもりで知ったかぶりをしている方が楽です。

だから、私は、まだ自分の傲慢さを、ちゃんと反省できていないのですが、傲慢さを捨て去り、真に人の役に立つことは、簡単ではないと痛感しました。私みたいな小者には難しいし、厳し過ぎますね…。

Keitisanさん。
考える材料となる現実の姿を見せてくださって、本当にありがとうございました。どれぐらい時間がかかるかわかりませんが、傲慢さを克服できるように頑張ってみます。

お礼日時:2011/09/06 12:12

私が、過去に経験してきた、「傲慢」の典型例と思う見本です。



あるとき、意味不明なまま、こちらを困惑させ続けることを、それは やめてもらえまいか?と頼むと、
「鍛えてやっているのだ」
というのが理由のようでした。決して、はっきりと言わない性質の相手だったので、まあ、推察なんですが。。。

あるいは、
「掬ってやろうとしているのに!」
と言われたこともありました。
それで掬われるとは、とうてい考えられない事態でしたので、かえって膠着することになり、ますます困惑しました。

こうした事例は、いずれも、どういうわけか、何らかの宗教関係の人に多いように見受けております。


なお、あえて申し添えておきますが、
「饒舌」という現象も、年齢などに関係なく、アスペルガーなどのことも含めて、いろいろな場合があるものです。決めつけることは できないと思います。
 
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この回答へのお礼

なるほどです。
悔しいことに、私にはそうした押し付けがましさがあるかもしれません。
自分の場合は、その例ほどではないと思いたいですが、残念ながら…身に覚えがあります。

反省しなければいけません。
助言ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/06 11:29

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